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〈危機の時代を生きる 希望の哲学――創価学会学術部編〉第27回 二元論を止揚する仏法のまなざし 2024年8月28日

  • 創価大学文学部教授 井上大介さん

 人間に優劣をつける心なき差別は今もなくならない。対立や衝突の原因の一つにもなるこの差別の背景にある思想とは何か。「危機の時代を生きる 希望の哲学――創価学会学術部編」の第27回のテーマは「二元論を止揚する仏法のまなざし」。創価大学文学部教授の井上大介さんの寄稿を紹介する。

平和という人類共通の目標へ
自己と他者の共生の絆を
パリ五輪の閉会式に参加する日本選手団(時事)
パリ五輪の閉会式に参加する日本選手団(時事)

 熱戦が繰り広げられたパリ五輪が幕を閉じ、いよいよパリ・パラリンピックが始まります。世界各地のアスリートが一堂に会し、人間の限界に挑み抜く姿に感動を覚えずにはいられません。

 オリンピック憲章には人種や肌の色、性別などいかなる種類の差別も許容しないことが明記されています。

 このことはスポーツの分野に限らず、社会生活においても重要な概念であることは、言うまでもありません。しかし残念ながら、こうした差別は現代でも根絶できてはいません。

 その主な理由として、ものごとを二つに分けて考える「二元論」という思想がヨーロッパにおいて広く共有され、世界に普及していったという事実が挙げられます。

 生と死をはじめ、秩序と無秩序、善と悪、上と下、正常と異常、優性と劣性、強者と弱者、男性と女性、大人と子ども、文化と野蛮、白色人種と有色人種、理性と感情、科学と宗教などの二元論的思想が広く共有されています。

 そこでは、一方が優れていて他方が劣っている、というような誤った区分が長年、普遍的事実であるかのように共有されてきました。

 ここで記した各概念は前者がポジティブなものであり、後者がネガティブなものといった意味を付与されているとともに、前者が後者を教え導くことを前提とした支配的立場であり、後者が支配される立場となっているのです。

主体と客体の区分

 歴史的には古代イランを発祥とし、光と闇という概念に依拠したアフラ・マズダ(善神)とアンラ・マンユ(悪神)の存在によって成立する世界最古の一神教とされるゾロアスター教(拝火教)の教義が、二元論の源流であるとされています。

 その後、古代ギリシャの哲学者アリストテレスの生命論(『霊魂論』)における生物と無生物という区分や、アリストテレスに大きな影響を受けながら、その思想をキリスト教神学において展開したアウグスティヌスによる肉体と魂の区分(『三位一体論』)、アリストテレスの霊魂論の批判的見解に基づき展開されたデカルトによる心身二元論(『省察』)などをベースに形成され、15世紀後半からの植民地主義の拡大によって、西洋から世界に波及していきました。

 それは「人間が自然とは切り離された存在」であり、「人間が自然よりも優れた存在」であるとの視点によって成立する、主体と客体の区分に基づいているのです。

優劣に基づく印象

 創価大学の創立者である池田大作先生の思想は、このような二項対立において、支配されてきた側の存在に光を当ててきました。

 歴史的に搾取されてきた女性や若者、欧米によって植民地化された歴史があるアフリカなどの地域が、新たな時代の主体者となる運動を展開してきたのです。

 しかしながら現代社会では、残念なことにこうした二元論的価値観における優劣関係が、さまざまな次元において見受けられます。

 例えば「北半球と南半球」という区分でいえば、北半球にある欧米への旅行は、旅行ガイドブックなどで、“現代の最先端の文化都市への観光”として紹介されています。

 一方で、南半球にあるアフリカや中南米への旅行は、“大自然や古代文明に触れる観光”との紹介になっているのです。

 この「北半球と南半球」という区分には、それぞれ現在と過去、文化と自然、文明国と非文明国というような、優劣に基づくイメージが付与されています。

 こうした二元論に基づく差別に異議を唱え、調査と研究によって人間そのものを正しく理解しようとする試みが、私の専門とする文化人類学という学問です。

先入観の影響

 20世紀初頭のアメリカには、ヨーロッパからの移民が集まるとともに、多様な先住民も存在していました。

 そのような環境の中で研究を進めた文化人類学者フランツ・ボアズは、“欧米の文化だけが優れている”といった考えを批判し、“あらゆる地域のあらゆる文化は欧米の文化と同様の価値を持つ”との視点を重視しました。

 ボアズや弟子たちによって普及した、このような思想は「文化相対主義」と呼ばれ、文化人類学研究の規範として共有され、日本を含めた東洋の研究にも展開されていきました。

 しかし東洋研究自体が、二元論の価値観に基づく西洋の研究者による産物であり、そこに西洋中心主義の発想が基盤として存在することを指摘したのが、文献学者エドワード・サイードが著した『オリエンタリズム』という書籍でした。

 東洋を中立的・客観的に論じようとしている学術的な書物でも、実態は“西洋が文明で東洋が野蛮”であるかのような視点に立っていたことを明らかにしたのです。

 これは東洋の研究に限ったことではありません。「文化相対主義」の視点から、世界各国の文化を中立的・客観的に研究しようとしても、そこには研究者自身の先入観が存在し、そのような影響からは逃れられない、という事実を示しているのです。

 例えば、私がメキシコ文化を研究する場合、「欧米と親密な関係にある日本」「世界史や世界文学という名称ですら、そこでの事柄の大半が欧米の情報に基づいていることが常識となっている日本」という国で生まれ育った人間としてのものの見え方が、何らかの形でメキシコ文化の研究に投影されてしまうのです。

言語隠蔽効果
虹の色彩は国や地域によって認識に違いがある(東京・信濃町で撮影)
虹の色彩は国や地域によって認識に違いがある(東京・信濃町で撮影)

 実際、ものの見え方は、国籍のみならず、年齢、性別、学歴、また学問領域などによっても変化します。

 例えば、言語情報が、よりものを見えなくするという「言語隠蔽効果」といった概念があります。

 通常、私たちは虹が7色だと認識しています。しかし本来、虹は多様な色のグラデーションであるはずなのです。

 虹の色彩が7色に見える背景には、事前の学習によって、赤・オレンジ・黄色など7色の言語的色彩が頭にインプットされているため、グラデーションを7色だと認識してしまう、といった事実があります。

 また国や地域によっては、虹は6色や5色だと認識しているところもあるのです。

 この「言語隠蔽効果」は、目の前の事象をありのままに捉えることが、いかに困難であるかを示唆しています。

 このような事例は、私たちの日常生活においても存在します。

 国際情勢についても客観的なニュースが放送されているようで、日本においては、アメリカ寄りのニュース、より具体的には、「欧米とその他」などといった二項対立を基に、主に欧米側の視点によって発信される情報が共有されているのです。

 国際情勢も含めたさまざまな分野で分断や対立が語られる現代にあっては、「自分が善で相手が悪」「自分が優れた側で相手が劣った側」といった二元論の価値観にとらわれることによって、亀裂がさらに深まっているのではないでしょうか。

生死観の確立を

 日蓮仏法には、こうした二元論を止揚し、生命そのものを捉えるまなざしが存在します。いくつかの代表的な御書を通して、その法理に触れたいと思います。

 「自他の隔意を立てて、彼は上慢の四衆、我は不軽と云い、不軽は善人、上慢は悪人と善悪を立つるは、無明なり。ここに立って礼拝の行を成す時、善悪不二・邪正一如の南無妙法蓮華経と礼拝するなり」(新1070・全768)

 「自分が善で相手が悪」という二元論にとどまっている限りは、生命の根本の迷いである無明から逃れられないと仰せです。

 「善悪不二・邪正一如」すなわち、自他共に善の心も悪の心も存在するからこそ、どんな人でも信仰によって悟りの生命である法性を顕現することができると説かれているのです。

 「色心不二なるを一極と云うなり」(新984・全708)

 ここでは、色法すなわち肉体・物質と、心法すなわち精神・心の働きが不二であると仰せです。

 「夫れ、十方は依報なり、衆生は正報なり。依報は影のごとし、正報は体のごとし。身なくば影なし、正報なくば依報なし」(新1550・全1140)

 身体がなければ影が現れないように、正報がなければ依報はないと説かれ、主体と客体の不可分な関係を指摘しています。

 「いきておわしき時は生の仏、今は死の仏、生死ともに仏なり。即身成仏と申す大事の法門これなり」(新1832・全1504)

 ここでは、生と死が一つのものであり、そのどちらにも生命の最高の状態である仏の境涯が存在することを説かれています。

互いに生命尊厳を認める
その心こそ幸福築く足場

 この生死不二の哲学については、池田先生が1993年に米ハーバード大学で「21世紀文明と大乗仏教」と題して講演されています。

 そこでは、現代社会が生を善、死を悪として規定する中で、人々が死を忌むべきものとして扱い、目をつぶる文化が共有されたことで、20世紀が大量殺りくの世紀となったのではないかと、警鐘を鳴らされています。

 そして「死は単なる生の欠如ではなく、生と並んで、一つの全体を構成する不可欠の要素なのであります。その全体とは『生命』であり、生き方としての『文化』であります。ゆえに、死を排除するのではなく、死を凝視し、正しく位置づけていく生命観、生死観、文化観の確立こそ、21世紀の最大の課題となってくると私は思います」と述べ、「生も遊楽」「死も遊楽」「生も歓喜」「死も歓喜」という法華経における生命観を提示しています。

 実際、池田先生はこうした仏法の人間観・生命観から、国や人種、宗教などの差異に優劣をもって臨むのではなく、平和と幸福を願う人間対人間という共通の足場に立った連帯を広げてきました。

 相手が国家元首であっても、市井の庶民であっても、根本に相手の生命を尊敬する心をもって対話し、悩みを抱える一人一人に励ましを送り続けてきたのです。

友に励まし送る学会の座談会は
信頼結ぶ世界市民の連帯

 私自身、先生の励ましに支えられ、平和実現のための人生を決意した一人です。20代の頃、留学先のメキシコで博士論文に行き詰まり、“諦めよう”と悩んでいました。

 そんなとき、温かな伝言を贈ってくださったのが池田先生でした。その先生の励ましがあったからこそ、博士論文を書き上げることができ、今、創価大学の教員として働くことができています。

 「自他共の幸福」という仏法の哲学を胸に、学会の同志もまた、世界中の諸地域でありのままの語らいを重ねています。

 座談会では、年齢や性別、社会的立場などを超えて、さまざまな状況の人が集まっています。同志は皆、自らの課題に挑戦しつつ、家族、友人たちの仕事や病気など、生活における悩みに対し、自らの課題であるかのごとく同苦し、目標達成に向けて努力する友には、心からの励ましを送っています。

 それは、生命尊厳に根差した利他主義に基づく、自己と他者という二元論を超克する態度であり、その姿勢が人間と人間の絆を広げゆく振る舞いとして、世界のさまざまな地域において個人の幸福と社会の発展、世界の平和という人類共通の目標に向かって共有されているのです。

差異を超えて
創価大学で講演する米ハーバード大学名誉教授のヌール・ヤーマン博士(2015年)
創価大学で講演する米ハーバード大学名誉教授のヌール・ヤーマン博士(2015年)

 池田先生は創価大学の卒業式へのメッセージ(2014年3月20日)で、つづられています。

 「あらゆる差異を超えて、一人の人間として、互いに生命の尊厳を認め、友情と信頼を結び合う。ここに、いかなる時代の荒波にも揺るがない世界市民の連帯があるといってよいでありましょう」

 まさに目の前の一人に希望を送る創価の世界市民の対話運動は、今や地球全体に広がっており、共生の社会建設を推進していることを多くの識者が評価しています。

 先生とも対談集を編んだ世界的な文化人類学者でハーバード大学名誉教授であるヌール・ヤーマン博士は「創価学会の思想は今、世界のどの地でも受け入れられています。地域社会に根差し、互いを励まして進む学会の運動は、まさに『個人』と『社会』が最も必要とする支援です」(本紙20年2月1日付)と、期待を寄せているのです。

 私自身、学術部員として、仏法を根底にした前代未聞の民衆運動が持つ力や可能性をさらに探究していきたいと思います。

プロフィル

 いのうえ・だいすけ 1971年生まれ。メキシコ国立自治大学大学院博士課程修了。人類学博士。専門は文化人類学、民俗学、社会学。メキシコ国立人類学歴史学大学非常勤講師、メキシコ・メトロポリタン自治大学客員研究員、アメリカ・コロンビア大学客員研究員などを経て現職。日本宗教学会評議員。創価学会学術部副書記長。副本部長。

 ご感想をお寄せください。
 kansou@seikyo-np.jp
 ファクス 03-5360-9613

 こちらから、「危機の時代」学術部編の過去の連載の一部をご覧いただけます(電子版有料会員)。

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