〈Seikyo Gift〉 ルポ――就職氷河期世代と信仰〈ライフウオッチ〉
〈Seikyo Gift〉 ルポ――就職氷河期世代と信仰〈ライフウオッチ〉
2025年9月27日
- 時代は選べない。生き方は選べる。
- 時代は選べない。生き方は選べる。
現代社会の課題を見つめ、学会活動の価値を再考・再発見する「ライフウオッチ」。今回は「就職氷河期世代」について考えます。未曽有の就職難に直面した一人一人に、創価学会の信仰はどんな希望をもたらしてきたのでしょうか。要旨を抜粋して紹介します。(記事=小野顕一、6月24日付・8月28日付)。
現代社会の課題を見つめ、学会活動の価値を再考・再発見する「ライフウオッチ」。今回は「就職氷河期世代」について考えます。未曽有の就職難に直面した一人一人に、創価学会の信仰はどんな希望をもたらしてきたのでしょうか。要旨を抜粋して紹介します。(記事=小野顕一、6月24日付・8月28日付)。
派遣社員として
派遣社員として
1990年代、バブル経済の崩壊は日本の雇用環境を大きく揺るがした。企業は採用を急速に絞り、非正規雇用が増加。派遣や契約社員として働き始めると、正社員への転換は難しく、職を転々としながらキャリアを歩まざるを得ない。その影響は今なお、就職氷河期世代に重くのしかかる。
東京の音楽大学でフルートを専攻していた尾上純子さん(東京・練馬栄光区、地区女性部長)が、大学を卒業したのは1999年。飲食店等でアルバイトしながら、吹奏楽の指導や結婚式場での演奏活動を続けるが、収入は常に不安定。奨学金の返済にも追われ、食費は限界まで切り詰めた。
1990年代、バブル経済の崩壊は日本の雇用環境を大きく揺るがした。企業は採用を急速に絞り、非正規雇用が増加。派遣や契約社員として働き始めると、正社員への転換は難しく、職を転々としながらキャリアを歩まざるを得ない。その影響は今なお、就職氷河期世代に重くのしかかる。
東京の音楽大学でフルートを専攻していた尾上純子さん(東京・練馬栄光区、地区女性部長)が、大学を卒業したのは1999年。飲食店等でアルバイトしながら、吹奏楽の指導や結婚式場での演奏活動を続けるが、収入は常に不安定。奨学金の返済にも追われ、食費は限界まで切り詰めた。
都内のIT企業に勤務する尾上純子さん
都内のIT企業に勤務する尾上純子さん
就職を決意し、ハローワークに通うが、正社員への道は遠かった。「楽器しかやってこなかった、という負い目がありました」。人材派遣会社に登録し、ビジネスマナーやパソコンの基本操作を一から学んだ。
2005年、IT企業で派遣社員に。だが、業務をなかなか理解できず、「仕事をなめているのか」と叱責された。人間関係にも苦しみ、動悸が止まらないことも。「まず3年」と思っていたが、「とにかく1年は辞めない」と祈り抜いた。
池田先生が「はたらく」とは「はた(周囲)を楽にすること」との言葉を引いて語った指針を胸に、同僚に感謝とねぎらいの言葉を伝えるよう心がけた。すると職場の空気が和らぐように。尾上さんは契約社員への切り替えを打診される。そして2013年、正規雇用として採用。何人もの後輩が後に続いた。
2023年にはマネジャーに就き、30人をまとめる存在に。平日は仕事に、週末は音楽に打ち込む。その両方が最高に充実しています――と笑顔を見せる。
就職を決意し、ハローワークに通うが、正社員への道は遠かった。「楽器しかやってこなかった、という負い目がありました」。人材派遣会社に登録し、ビジネスマナーやパソコンの基本操作を一から学んだ。
2005年、IT企業で派遣社員に。だが、業務をなかなか理解できず、「仕事をなめているのか」と叱責された。人間関係にも苦しみ、動悸が止まらないことも。「まず3年」と思っていたが、「とにかく1年は辞めない」と祈り抜いた。
池田先生が「はたらく」とは「はた(周囲)を楽にすること」との言葉を引いて語った指針を胸に、同僚に感謝とねぎらいの言葉を伝えるよう心がけた。すると職場の空気が和らぐように。尾上さんは契約社員への切り替えを打診される。そして2013年、正規雇用として採用。何人もの後輩が後に続いた。
2023年にはマネジャーに就き、30人をまとめる存在に。平日は仕事に、週末は音楽に打ち込む。その両方が最高に充実しています――と笑顔を見せる。
ひきこもりから
ひきこもりから
畠中聖さん(鹿児島・武岡圏、地区部長)は小・中学校時代にいじめを受け、高校を1994年に中退。対人恐怖症に苦しんだ。
かすかな望みを抱いて進学した専門学校も、わずか2週間で辞めることに。薬を飲み、ひきこもり支援のデイケアに通った。
畠中聖さん(鹿児島・武岡圏、地区部長)は小・中学校時代にいじめを受け、高校を1994年に中退。対人恐怖症に苦しんだ。
かすかな望みを抱いて進学した専門学校も、わずか2週間で辞めることに。薬を飲み、ひきこもり支援のデイケアに通った。
靴ひもを締め直し、就職活動に臨む畠中聖さん
靴ひもを締め直し、就職活動に臨む畠中聖さん
転機は男子部員との交流だった。何気ない雑談をきっかけに心がほどけ、臨床心理士の支援で外出リハビリに挑戦。夜中に10メートルを歩くことから始め、題目を唱えながら距離を伸ばした。
3年かけて自力でバスに乗れるまでに回復。30代で一人暮らしを開始した。2カ月に一度の障害年金で生活をやりくりするも、電気やガスはたびたび止まる。真冬でも暖房がなく、水のシャワーを浴びた。生活は困窮したが、地域の同志がいつも気にかけてくれた。
やがてホテルの清掃の仕事が決まり、畠中さんは十数年に及ぶひきこもり生活に自ら終止符を打つ。運転免許も取得し、農業組合で正社員に採用された。
3度の転職を経て、今年1月からは職業訓練校でプログラミングを学んだ。現在は就職活動に励む。
「自分が支えられたように、私も誰かを応援できる人になりたい」と語る畠中さん。そんな生き方が共感を広げ、昨年7月にはウオーキングサークルの仲間が学会に入会している。
転機は男子部員との交流だった。何気ない雑談をきっかけに心がほどけ、臨床心理士の支援で外出リハビリに挑戦。夜中に10メートルを歩くことから始め、題目を唱えながら距離を伸ばした。
3年かけて自力でバスに乗れるまでに回復。30代で一人暮らしを開始した。2カ月に一度の障害年金で生活をやりくりするも、電気やガスはたびたび止まる。真冬でも暖房がなく、水のシャワーを浴びた。生活は困窮したが、地域の同志がいつも気にかけてくれた。
やがてホテルの清掃の仕事が決まり、畠中さんは十数年に及ぶひきこもり生活に自ら終止符を打つ。運転免許も取得し、農業組合で正社員に採用された。
3度の転職を経て、今年1月からは職業訓練校でプログラミングを学んだ。現在は就職活動に励む。
「自分が支えられたように、私も誰かを応援できる人になりたい」と語る畠中さん。そんな生き方が共感を広げ、昨年7月にはウオーキングサークルの仲間が学会に入会している。
30社目の面接で
30社目の面接で
就職氷河期世代の新卒就職率は平均69・7%と、前後の世代に比べて10ポイント程度低い。特に1999~2003年度は50%台半ばまで落ち込んだ。新卒採用ゼロや内定取り消しも珍しくなく、本年春に卒業した大学生の就職率が98・0%であることを考えると、その厳しさは歴然としている。
「とにかくつらくて。なんで自分だけ仕事がないんだろうって」――小川淳宏さん(群馬・前橋勇者県、地区部長)が、再就職先を探していた当時の心境を振り返る。2000年に高校を卒業し、旋盤工として就職するが、人間関係に悩み退職。その後も非正規や短期の仕事を転々とした。
就職氷河期世代の新卒就職率は平均69・7%と、前後の世代に比べて10ポイント程度低い。特に1999~2003年度は50%台半ばまで落ち込んだ。新卒採用ゼロや内定取り消しも珍しくなく、本年春に卒業した大学生の就職率が98・0%であることを考えると、その厳しさは歴然としている。
「とにかくつらくて。なんで自分だけ仕事がないんだろうって」――小川淳宏さん(群馬・前橋勇者県、地区部長)が、再就職先を探していた当時の心境を振り返る。2000年に高校を卒業し、旋盤工として就職するが、人間関係に悩み退職。その後も非正規や短期の仕事を転々とした。
配送トラックのハンドルを握る小川淳宏さん
配送トラックのハンドルを握る小川淳宏さん
2008年に創価学会に入会。正社員を目指して、まずは派遣社員として奮闘する。しかし、6カ月後、契約は突然打ち切られた。“派遣切り”だった。
リーマン・ショックが追い打ちをかける中、小川さんは題目根本に就職活動に挑む。2009年、30社目となる面接後に、食肉加工会社の正社員採用が決まった。その姿が共感を広げ、弟や父も学会に入会している。
一昨年、十数年にわたって勤めた会社がコロナ禍の影響で倒産。小川さんは不安を抱えながらも、入会以来、地道に継続してきた家庭訪問を続けた。「一緒に頑張りましょう。僕も必ず仕事を見つけますから!」
程なく、以前の働きぶりを見ていた精肉業の社長から声がかかり、小川さんはより良い条件で再就職を果たす。「何があっても乗り越えてみせると思える自分になれた。それが一番の功徳です」と感謝を語る。
2008年に創価学会に入会。正社員を目指して、まずは派遣社員として奮闘する。しかし、6カ月後、契約は突然打ち切られた。“派遣切り”だった。
リーマン・ショックが追い打ちをかける中、小川さんは題目根本に就職活動に挑む。2009年、30社目となる面接後に、食肉加工会社の正社員採用が決まった。その姿が共感を広げ、弟や父も学会に入会している。
一昨年、十数年にわたって勤めた会社がコロナ禍の影響で倒産。小川さんは不安を抱えながらも、入会以来、地道に継続してきた家庭訪問を続けた。「一緒に頑張りましょう。僕も必ず仕事を見つけますから!」
程なく、以前の働きぶりを見ていた精肉業の社長から声がかかり、小川さんはより良い条件で再就職を果たす。「何があっても乗り越えてみせると思える自分になれた。それが一番の功徳です」と感謝を語る。
内定取り消し
内定取り消し
2001年の大みそか前日、大学4年の宮坂佳織さん(東京・港太陽区、白ゆり長)に告げられたのは、「内定取り消し」だった。
「“明けましておめでとうございます”も吹き飛びました」。片っ端から企業を訪ねるも、進路が決まらないまま卒業式を迎えた。
2001年の大みそか前日、大学4年の宮坂佳織さん(東京・港太陽区、白ゆり長)に告げられたのは、「内定取り消し」だった。
「“明けましておめでとうございます”も吹き飛びました」。片っ端から企業を訪ねるも、進路が決まらないまま卒業式を迎えた。
広告会社で働く宮坂佳織さん。相次ぐ困難を飛躍のバネに変えてきた
広告会社で働く宮坂佳織さん。相次ぐ困難を飛躍のバネに変えてきた
なんとか滑り込んだ英会話学校で営業職に就き、5年目には成績トップに輝くも、会社が経営破綻。次に入社した企業も倒産し、アルバイトで生活をつないだ。
2008年にはスポーツマネジメント事務所にアルバイトとして入り、プロ野球選手らのマネジャーを務めたが、異動してきた上司とうまくいかず、退職を選んだ。「どうしてこんなに仕事で悩まなければいけないのか。自分のせいならまだしも、なぜここまで追い詰められるんだろう……」
ふさぐ心に飛び込んできたのは、“悩んでこそ信心も分かる”との、戸田先生、池田先生の確信だった。
悩むことを前向きに受け止め、宮坂さんは唱題に力を込める。2013年に広告会社の契約社員となり、その5年後、希望していたスポーツマーケティング会社に正社員として転職。豊富な経験を強みに、昨年度は社長賞を受賞したプロジェクトにも携わった。
2022年から母の介護にも向き合い、約2年に及ぶ両立をやり遂げた。
本年4月、宮坂さんは新しい部署に異動した。これから積み重ねていく挑戦もまた、自らをさらに磨く糧になると確信している。
なんとか滑り込んだ英会話学校で営業職に就き、5年目には成績トップに輝くも、会社が経営破綻。次に入社した企業も倒産し、アルバイトで生活をつないだ。
2008年にはスポーツマネジメント事務所にアルバイトとして入り、プロ野球選手らのマネジャーを務めたが、異動してきた上司とうまくいかず、退職を選んだ。「どうしてこんなに仕事で悩まなければいけないのか。自分のせいならまだしも、なぜここまで追い詰められるんだろう……」
ふさぐ心に飛び込んできたのは、“悩んでこそ信心も分かる”との、戸田先生、池田先生の確信だった。
悩むことを前向きに受け止め、宮坂さんは唱題に力を込める。2013年に広告会社の契約社員となり、その5年後、希望していたスポーツマーケティング会社に正社員として転職。豊富な経験を強みに、昨年度は社長賞を受賞したプロジェクトにも携わった。
2022年から母の介護にも向き合い、約2年に及ぶ両立をやり遂げた。
本年4月、宮坂さんは新しい部署に異動した。これから積み重ねていく挑戦もまた、自らをさらに磨く糧になると確信している。
取材後記
取材後記
およそ6人に1人、約2000万人が就職氷河期世代に当たる。中には長く職歴が途切れたままの人や、ひきこもり状態にある人もおり、支援を要する人は約80万人とされる。
これまで、この世代への支援策が何度か試みられたが、十分な成果には至らず、この世代が直面してきた困難の深さがうかがえる。一方で、就職氷河期世代が本来の力を発揮できれば、それは日本の未来の活性化に直結する。
社会学者の宮本みち子さんは、この世代を中心とする現役世代が社会の担い手として活躍するために、「その自立と成長を後押しする政策推進を」と強調している(本紙5月9日付インタビュー)。
今、就職氷河期世代への新たな支援強化が始まりつつあるが、政策の充実と同時に、支援を受ける側にも主体的な取り組みが望まれる。支援と自立の両輪がかみ合ってこそ、本当の意味で一人一人が活力を取り戻せるからだ。
そうした転換点にあって、4人の生き方は大きな示唆を与えてくれる。理不尽ともいえる現実に負けず、切り開いた道。その背後には、困難からも価値を見いだし、未来を信じさせてくれる言葉と、同じ時代を生き抜く同志の存在があった。人生の曲がり角で重ねた一つ一つの選択が、今の姿につながっていた。
生きる時代は選べない。だが、生き方は選べる。
4人の歩みは、そのことを力強く物語っていた。
およそ6人に1人、約2000万人が就職氷河期世代に当たる。中には長く職歴が途切れたままの人や、ひきこもり状態にある人もおり、支援を要する人は約80万人とされる。
これまで、この世代への支援策が何度か試みられたが、十分な成果には至らず、この世代が直面してきた困難の深さがうかがえる。一方で、就職氷河期世代が本来の力を発揮できれば、それは日本の未来の活性化に直結する。
社会学者の宮本みち子さんは、この世代を中心とする現役世代が社会の担い手として活躍するために、「その自立と成長を後押しする政策推進を」と強調している(本紙5月9日付インタビュー)。
今、就職氷河期世代への新たな支援強化が始まりつつあるが、政策の充実と同時に、支援を受ける側にも主体的な取り組みが望まれる。支援と自立の両輪がかみ合ってこそ、本当の意味で一人一人が活力を取り戻せるからだ。
そうした転換点にあって、4人の生き方は大きな示唆を与えてくれる。理不尽ともいえる現実に負けず、切り開いた道。その背後には、困難からも価値を見いだし、未来を信じさせてくれる言葉と、同じ時代を生き抜く同志の存在があった。人生の曲がり角で重ねた一つ一つの選択が、今の姿につながっていた。
生きる時代は選べない。だが、生き方は選べる。
4人の歩みは、そのことを力強く物語っていた。
5月9日付(宮本みち子さん)の記事はこちら
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6月24日付(小川さん・畠中さん)の記事はこちら
6月24日付(小川さん・畠中さん)の記事はこちら
8月28日付(尾上さん・宮坂さん)の記事はこちら
8月28日付(尾上さん・宮坂さん)の記事はこちら
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