〈ライフウオッチ〉 ルポ 就職氷河期世代と信仰①
〈ライフウオッチ〉 ルポ 就職氷河期世代と信仰①
2025年6月24日
現代社会の課題を見つめ、学会活動の価値を再考・再発見する「ライフウオッチ」。今回は「就職氷河期世代」について考えます。未曽有の就職難に直面した青年たちに、創価学会の信仰はどんな希望をもたらしてきたのか。現在は壮年部員となった2人の歩みを追いました。(ルポに関連する池田先生の指導を別掲します)
現代社会の課題を見つめ、学会活動の価値を再考・再発見する「ライフウオッチ」。今回は「就職氷河期世代」について考えます。未曽有の就職難に直面した青年たちに、創価学会の信仰はどんな希望をもたらしてきたのか。現在は壮年部員となった2人の歩みを追いました。(ルポに関連する池田先生の指導を別掲します)
■景気後退の本格的な影響
■景気後退の本格的な影響
バブル崩壊後の不況で、雇用が特に冷え込んだ1990年代から2000年代初頭。この時期に社会へ踏み出した就職氷河期世代は、現在、40代から50代半ばを迎えている。
1991年から始まった景気後退が新卒採用に本格的な影響を及ぼしたのは、93年卒のタイミングだった。
企業の採用人数が大幅に減少し、新卒者の就職率も急激に低下していく。「就職氷河期」という言葉が定着したのもこの頃である。
正社員への道は狭き門となり、非正規雇用の割合が急速に増加。アルバイトで生計を立てる「フリーター」が社会問題化した。
さらに「アジア通貨危機」(97年)が重なる。銀行や大手証券会社の経営破綻が相次ぎ、「リストラ」の波が広まった。景気は悪化の一途をたどり、2000年代初頭の就職率は過去30年で最も低い水準にまで落ち込んだ。
バブル崩壊後の不況で、雇用が特に冷え込んだ1990年代から2000年代初頭。この時期に社会へ踏み出した就職氷河期世代は、現在、40代から50代半ばを迎えている。
1991年から始まった景気後退が新卒採用に本格的な影響を及ぼしたのは、93年卒のタイミングだった。
企業の採用人数が大幅に減少し、新卒者の就職率も急激に低下していく。「就職氷河期」という言葉が定着したのもこの頃である。
正社員への道は狭き門となり、非正規雇用の割合が急速に増加。アルバイトで生計を立てる「フリーター」が社会問題化した。
さらに「アジア通貨危機」(97年)が重なる。銀行や大手証券会社の経営破綻が相次ぎ、「リストラ」の波が広まった。景気は悪化の一途をたどり、2000年代初頭の就職率は過去30年で最も低い水準にまで落ち込んだ。
■不採用通知の山
■不採用通知の山
配送トラックのハンドルを握る小川淳宏さん。営業も兼務する
配送トラックのハンドルを握る小川淳宏さん。営業も兼務する
「とにかくつらくて、みじめだった。なんで自分だけ仕事がないんだろうって。自暴自棄でした」――小川淳宏さん(群馬・前橋勇者県、地区部長)が、再就職先を探していた当時の心境を振り返る。
2000年、希望を胸に高校を卒業し、旋盤工として社会人の一歩を踏み出した。金属を削る音に胸を高鳴らせ、切削加工に情熱を注ぐが、人間関係に行き詰まり、退職。
「仕事なら、また見つかる」――そう高をくくっていたが現実は甘くなかった。コンビニなどのアルバイトを転々とし、再び旋盤工として働くも、今度は上司の叱責に心が折れた。「そうじゃない」「さっき教えたじゃないか!」。人を信じることが怖くなり、1年足らずで職を辞した。
ある日、小川さんは母から学会の会合に誘われる。知人の勧めで、母はその5年ほど前に学会員となっていた。
会館では男子部員が温かく迎えてくれ、初対面とは思えないほど打ち解けた。「前の職場で叱られた記憶が頭から離れなかったんです。その緊張が一気にほどけて……」
2008年2月、小川さんは創価学会に入会する。
正社員を目指し、まずは派遣社員として奮闘するが、6カ月後、契約は突然打ち切られた。“派遣切り”である。 追い打ちをかけたのは「リーマン・ショック」。履歴書を送るも返事は来ず、やっと面接に進めても、待合室は求職者であふれかえっていた。
不採用通知がたまっていく日々だったが、小川さんは心の変化を感じていた。落ち込む時間が短くなり、気持ちが前向きに変わっていた。
「お題目もたくさんあがっていたから、20社を超えたあたりからは、結果がだめでも“次! さあ次!”って。常に履歴書を書いていました」
そして2009年4月、30社目となる面接後に「来週から来てくれますか?」との連絡が。食肉の加工・販売会社への正社員採用が決まった。
「正直、ほっとしました。支え続けてくれた家族、そして男子部の喜ぶ顔が、何よりもうれしかったです」
その姿に触発を受け、小川さんの弟と父も創価家族の一員に。小川さんは2018年に結婚し、夢だったマイホームも手にした。
「とにかくつらくて、みじめだった。なんで自分だけ仕事がないんだろうって。自暴自棄でした」――小川淳宏さん(群馬・前橋勇者県、地区部長)が、再就職先を探していた当時の心境を振り返る。
2000年、希望を胸に高校を卒業し、旋盤工として社会人の一歩を踏み出した。金属を削る音に胸を高鳴らせ、切削加工に情熱を注ぐが、人間関係に行き詰まり、退職。
「仕事なら、また見つかる」――そう高をくくっていたが現実は甘くなかった。コンビニなどのアルバイトを転々とし、再び旋盤工として働くも、今度は上司の叱責に心が折れた。「そうじゃない」「さっき教えたじゃないか!」。人を信じることが怖くなり、1年足らずで職を辞した。
ある日、小川さんは母から学会の会合に誘われる。知人の勧めで、母はその5年ほど前に学会員となっていた。
会館では男子部員が温かく迎えてくれ、初対面とは思えないほど打ち解けた。「前の職場で叱られた記憶が頭から離れなかったんです。その緊張が一気にほどけて……」
2008年2月、小川さんは創価学会に入会する。
正社員を目指し、まずは派遣社員として奮闘するが、6カ月後、契約は突然打ち切られた。“派遣切り”である。 追い打ちをかけたのは「リーマン・ショック」。履歴書を送るも返事は来ず、やっと面接に進めても、待合室は求職者であふれかえっていた。
不採用通知がたまっていく日々だったが、小川さんは心の変化を感じていた。落ち込む時間が短くなり、気持ちが前向きに変わっていた。
「お題目もたくさんあがっていたから、20社を超えたあたりからは、結果がだめでも“次! さあ次!”って。常に履歴書を書いていました」
そして2009年4月、30社目となる面接後に「来週から来てくれますか?」との連絡が。食肉の加工・販売会社への正社員採用が決まった。
「正直、ほっとしました。支え続けてくれた家族、そして男子部の喜ぶ顔が、何よりもうれしかったです」
その姿に触発を受け、小川さんの弟と父も創価家族の一員に。小川さんは2018年に結婚し、夢だったマイホームも手にした。
片貝西地区の同志と談笑する小川さん(右から2人目、群馬・前橋市内で)
片貝西地区の同志と談笑する小川さん(右から2人目、群馬・前橋市内で)
「人生が開かれていくのを感じるのは、もちろんうれしかった。でも、それ以上に、“何があっても乗り越えてみせる”と思える自分になれた。それが一番の功徳です」
一昨年、十数年にわたって勤めた会社が、コロナ禍の影響で倒産。子どもが生まれた直後だった。不安は募ったが立ち止まりはしなかった。入会以来、地道に継続してきた家庭訪問を朗らかに続け、自らも再就職先を探した。
「一緒に頑張りましょう。僕も必ず仕事を見つけますから!」――同じ地域には仕事を探す友、職場の悩みを抱える友がいた。何度も壁にぶつかってきたからこそ、そのたびに小川さんは自分に言い聞かせていた。“信心を貫けば努力は必ず実を結ぶ”“だから模範の戦いをしてみせる”と。
「偉そうなことは言えないですけど、せめて自分の経験を通じて、“きっと大丈夫ですから”と伝えたくて」
程なく、以前の職場での働きぶりを見ていた精肉業の社長から声がかかる。待遇は前職より恵まれていた。
「人生が開かれていくのを感じるのは、もちろんうれしかった。でも、それ以上に、“何があっても乗り越えてみせる”と思える自分になれた。それが一番の功徳です」
一昨年、十数年にわたって勤めた会社が、コロナ禍の影響で倒産。子どもが生まれた直後だった。不安は募ったが立ち止まりはしなかった。入会以来、地道に継続してきた家庭訪問を朗らかに続け、自らも再就職先を探した。
「一緒に頑張りましょう。僕も必ず仕事を見つけますから!」――同じ地域には仕事を探す友、職場の悩みを抱える友がいた。何度も壁にぶつかってきたからこそ、そのたびに小川さんは自分に言い聞かせていた。“信心を貫けば努力は必ず実を結ぶ”“だから模範の戦いをしてみせる”と。
「偉そうなことは言えないですけど、せめて自分の経験を通じて、“きっと大丈夫ですから”と伝えたくて」
程なく、以前の職場での働きぶりを見ていた精肉業の社長から声がかかる。待遇は前職より恵まれていた。
「確かに厳しい時代だったかもしれないですが、いつも同志が側にいてくれた。だから、“一緒に乗り越えよう”という気持ちが当たり前にありますし、これからもその気持ちを大切にしていきたいと思っています」
小川さんの表情には、深い自信と決意がにじんでいた。
「確かに厳しい時代だったかもしれないですが、いつも同志が側にいてくれた。だから、“一緒に乗り越えよう”という気持ちが当たり前にありますし、これからもその気持ちを大切にしていきたいと思っています」
小川さんの表情には、深い自信と決意がにじんでいた。
■6人に1人が就職氷河期世代
■6人に1人が就職氷河期世代
およそ6人に1人、約2000万人が就職氷河期世代に当たるといわれる。
しかし、暮らしぶりや置かれた状況は一様ではない。正規雇用で働く人、自営業の人、非正規で生計を立てる人、長く職歴が途切れたままの人、親と同居して暮らす人……。社会と接点を失い、ひきこもり状態にある人もいる。支援を要する人は約80万人といわれ、このまま高齢化が進めば生活維持が難しくなり、社会全体への影響が懸念される。
これまで、この世代への支援策が何度か試みられてきたが、いずれも十分な成果には至っておらず、この世代が直面してきた困難の深さがうかがえる。一方で、就職氷河期世代が本来の力を発揮することができれば、それは日本の未来の活性化に直結する。
社会学者の宮本みち子さんは、就職氷河期世代を中心とする現役世代が社会の担い手として活躍するために、「その自立と成長を後押しする政策推進を」と強調している(本紙5月9日付インタビュー)。
政府は今月3日、2026年から28年度の3カ年で行う新たな就職氷河期世代支援の基本方針を定めた。本格的な支援が始まろうとする今、政策の充実と同時に、支援を受ける側にも、より主体的な取り組みが望まれる。支援と自立の両輪がかみ合ってこそ、本当の意味で一人一人が活力を取り戻せるからだ。
およそ6人に1人、約2000万人が就職氷河期世代に当たるといわれる。
しかし、暮らしぶりや置かれた状況は一様ではない。正規雇用で働く人、自営業の人、非正規で生計を立てる人、長く職歴が途切れたままの人、親と同居して暮らす人……。社会と接点を失い、ひきこもり状態にある人もいる。支援を要する人は約80万人といわれ、このまま高齢化が進めば生活維持が難しくなり、社会全体への影響が懸念される。
これまで、この世代への支援策が何度か試みられてきたが、いずれも十分な成果には至っておらず、この世代が直面してきた困難の深さがうかがえる。一方で、就職氷河期世代が本来の力を発揮することができれば、それは日本の未来の活性化に直結する。
社会学者の宮本みち子さんは、就職氷河期世代を中心とする現役世代が社会の担い手として活躍するために、「その自立と成長を後押しする政策推進を」と強調している(本紙5月9日付インタビュー)。
政府は今月3日、2026年から28年度の3カ年で行う新たな就職氷河期世代支援の基本方針を定めた。本格的な支援が始まろうとする今、政策の充実と同時に、支援を受ける側にも、より主体的な取り組みが望まれる。支援と自立の両輪がかみ合ってこそ、本当の意味で一人一人が活力を取り戻せるからだ。
■「働かなくちゃとは思っていた……」
■「働かなくちゃとは思っていた……」
畠中聖さん(鹿児島・武岡圏、地区部長)は、小・中学校時代にいじめを受け、高校を1994年に中退。対人恐怖症に長く苦しんだ。
人の姿が視界に入ると、呼吸がうまくできない。外出が困難となり、かすかな望みを抱いて進学した専門学校も、わずか2週間で辞めることになった。
通院して薬を飲み、カウンセリングへ。ひきこもり支援のデイケアに通った。「“働かなくちゃ”とは、ずっと思っていたんですが、体がついていかなくて……」
地域の男子部員が何度も訪ねてくれたが、居留守を使うばかり。ある時、ふと応じた雑談がきっかけとなり、心が通った。「特別なことを言ってもらったわけでもなかったんです。でも、ちゃんと自分を見てくれる。話していると楽しくて、自分が病気なのを忘れてしまうほどでした」
地域の同志が臨床心理士を紹介してくれ、外出リハビリに取り組むことに。しかし、当時の畠中さんは自宅から5メートルも出られない状態。付き添いの介護支援者と、一歩一歩、様子を見ながら歩いた。
最初は夜中、人のいない時間帯に10メートル、20メートルと。調子が悪いと感じたら、すぐ引き返す。歩く前も、歩きながらも題目を口にし、丸3年かけてバス停まで自力でたどり着けるように。一人で乗車できた時、介護支援者は「本当にまれな回復例です」と拳を握った。
畠中聖さん(鹿児島・武岡圏、地区部長)は、小・中学校時代にいじめを受け、高校を1994年に中退。対人恐怖症に長く苦しんだ。
人の姿が視界に入ると、呼吸がうまくできない。外出が困難となり、かすかな望みを抱いて進学した専門学校も、わずか2週間で辞めることになった。
通院して薬を飲み、カウンセリングへ。ひきこもり支援のデイケアに通った。「“働かなくちゃ”とは、ずっと思っていたんですが、体がついていかなくて……」
地域の男子部員が何度も訪ねてくれたが、居留守を使うばかり。ある時、ふと応じた雑談がきっかけとなり、心が通った。「特別なことを言ってもらったわけでもなかったんです。でも、ちゃんと自分を見てくれる。話していると楽しくて、自分が病気なのを忘れてしまうほどでした」
地域の同志が臨床心理士を紹介してくれ、外出リハビリに取り組むことに。しかし、当時の畠中さんは自宅から5メートルも出られない状態。付き添いの介護支援者と、一歩一歩、様子を見ながら歩いた。
最初は夜中、人のいない時間帯に10メートル、20メートルと。調子が悪いと感じたら、すぐ引き返す。歩く前も、歩きながらも題目を口にし、丸3年かけてバス停まで自力でたどり着けるように。一人で乗車できた時、介護支援者は「本当にまれな回復例です」と拳を握った。
昨年6月から地元・西陵中央地区で地区部長を務める畠中聖さん㊥。かつて外出も困難だったのがうそのように、友のもとへ足を運び、語らいに花を咲かせる。その胸には、苦境を越えて得た希望が(鹿児島市内で)
昨年6月から地元・西陵中央地区で地区部長を務める畠中聖さん㊥。かつて外出も困難だったのがうそのように、友のもとへ足を運び、語らいに花を咲かせる。その胸には、苦境を越えて得た希望が(鹿児島市内で)
毎週の男子部の集いにも参加するようになり、30代前半には1人暮らしをスタート。2カ月に1度の障害年金で生活をやりくりするも、電気やガスはたびたび止まった。真冬でも暖房がなく、水のシャワーを浴びた。慣れない家事で手はボロボロ。だが地域の同志が、いつも気にかけ、寄り添ってくれた。
畠中さんは音楽隊・創価鹿児島サザンブレイズの活動にも参加した。「集団でいることが苦痛な自分に、人前で演奏なんて」。そう思いながらも、勇気を出して舞台へ。外出リハビリではメンタルを崩しがちだったが、不思議なことに、音楽隊の活動だけは心身共にリラックスできた。
少しずつ、一進一退を繰り返しながら、症状は落ち着いていった。やがてホテルの清掃の仕事が決まり、畠中さんは十数年に及ぶひきこもり生活に自ら終止符を打つ。運転免許も取得し、農業組合で正社員に採用された。3度の転職を経て、今年1月からは職業訓練校でプログラミングを学習。今月、課程を修了し、現在は就職活動に励む。
毎週の男子部の集いにも参加するようになり、30代前半には1人暮らしをスタート。2カ月に1度の障害年金で生活をやりくりするも、電気やガスはたびたび止まった。真冬でも暖房がなく、水のシャワーを浴びた。慣れない家事で手はボロボロ。だが地域の同志が、いつも気にかけ、寄り添ってくれた。
畠中さんは音楽隊・創価鹿児島サザンブレイズの活動にも参加した。「集団でいることが苦痛な自分に、人前で演奏なんて」。そう思いながらも、勇気を出して舞台へ。外出リハビリではメンタルを崩しがちだったが、不思議なことに、音楽隊の活動だけは心身共にリラックスできた。
少しずつ、一進一退を繰り返しながら、症状は落ち着いていった。やがてホテルの清掃の仕事が決まり、畠中さんは十数年に及ぶひきこもり生活に自ら終止符を打つ。運転免許も取得し、農業組合で正社員に採用された。3度の転職を経て、今年1月からは職業訓練校でプログラミングを学習。今月、課程を修了し、現在は就職活動に励む。
靴ひもを締め直し、就職活動に臨む畠中さん
靴ひもを締め直し、就職活動に臨む畠中さん
「自分が支えられたように、私も誰かを応援できる人になりたい」と畠中さん。そんな生き方が共感を広げ、昨年7月にはウオーキングサークルの仲間が学会に入会した。
「自分が支えられたように、私も誰かを応援できる人になりたい」と畠中さん。そんな生き方が共感を広げ、昨年7月にはウオーキングサークルの仲間が学会に入会した。
■分厚い氷の壁を破った力
■分厚い氷の壁を破った力
2人の壮年部員が手にしたのは、「仕事を見つけた」という結果だけではなかった。たとえ再び失業や倒産といった事態に直面しても、「絶対に大丈夫」と言い切れる確信を自身の心に築いていった。
多くの若者が過酷な就職難に立ちすくんできた時代、雇用機会だけでなく、自らの可能性を信じる心までもが硬く凍りついた。それでも2人は、状況を恨むのでもなく、誰かを責めるのでもなく、挑戦をやめなかった。その隣には、いつも同志がいて、共に信心の炎を燃やし、分厚い氷の壁を突き破ってきた。そして今、彼らは誰かを支える側に立つ。
2人の壮年部員が手にしたのは、「仕事を見つけた」という結果だけではなかった。たとえ再び失業や倒産といった事態に直面しても、「絶対に大丈夫」と言い切れる確信を自身の心に築いていった。
多くの若者が過酷な就職難に立ちすくんできた時代、雇用機会だけでなく、自らの可能性を信じる心までもが硬く凍りついた。それでも2人は、状況を恨むのでもなく、誰かを責めるのでもなく、挑戦をやめなかった。その隣には、いつも同志がいて、共に信心の炎を燃やし、分厚い氷の壁を突き破ってきた。そして今、彼らは誰かを支える側に立つ。
畠中さん㊥が地区の同志と家庭訪問へ
畠中さん㊥が地区の同志と家庭訪問へ
こうした創価学会の活動について、宮本みち子さんは、イギリスの「リンクワーカー(※)」的な役割を果たしていると期待を寄せる。
「じっくりと話を聴き、その人に寄り添いながら、一緒に選択肢を探る」「(当事者と)支援や制度との間に立ち、手を差し伸べる『寄り添い型支援』が、これからの社会で一層重要になっていくと私は考えています」
時代の逆風にさらされてきたこの世代が、それでも希望を語り、共に未来へ立ち向かおうとする。その姿そのものが、次の時代への大きなメッセージとなっている。
こうした創価学会の活動について、宮本みち子さんは、イギリスの「リンクワーカー(※)」的な役割を果たしていると期待を寄せる。
「じっくりと話を聴き、その人に寄り添いながら、一緒に選択肢を探る」「(当事者と)支援や制度との間に立ち、手を差し伸べる『寄り添い型支援』が、これからの社会で一層重要になっていくと私は考えています」
時代の逆風にさらされてきたこの世代が、それでも希望を語り、共に未来へ立ち向かおうとする。その姿そのものが、次の時代への大きなメッセージとなっている。
<池田先生の指導から>
<池田先生の指導から>
一つ一つの悩みや試練を、自身のテーマとして見すえ、懸命に唱題し、学会活動に励んでいくんです。そうすれば、悩みは必ず克服できます。一つ、また一つと解決していくこともあれば、大聖人が「地獄の苦みぱっときへて」(全1000・新1356)と仰せのように、一挙に悩みが解決することもあるでしょう。また、自分を悩ませていた問題は続いていたとしても、それに翻弄されて苦しんだり、そのことに負けたりしない自分を、確立していくことができるんです。(小説『新・人間革命』第27巻「正義」の章)
一つ一つの悩みや試練を、自身のテーマとして見すえ、懸命に唱題し、学会活動に励んでいくんです。そうすれば、悩みは必ず克服できます。一つ、また一つと解決していくこともあれば、大聖人が「地獄の苦みぱっときへて」(全1000・新1356)と仰せのように、一挙に悩みが解決することもあるでしょう。また、自分を悩ませていた問題は続いていたとしても、それに翻弄されて苦しんだり、そのことに負けたりしない自分を、確立していくことができるんです。(小説『新・人間革命』第27巻「正義」の章)
【ご感想や地域のエピソードをお寄せください】
〈メール〉kansou@seikyo-np.jp
〈ファクス〉03-5360-9613
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※リンクワーカー 孤立している個人や心の不調を抱える人と面会し、本人の特性や興味・関心などを聞き取りながら地域のコミュニティーやサポートにつなぐ役割。本人が「主役」になれるように支える意識が大切とされる。
※リンクワーカー 孤立している個人や心の不調を抱える人と面会し、本人の特性や興味・関心などを聞き取りながら地域のコミュニティーやサポートにつなぐ役割。本人が「主役」になれるように支える意識が大切とされる。
〈参考文献〉近藤絢子著『就職氷河期世代』中公新書、西智弘編著『みんなの社会的処方』学芸出版社、下田裕介著『就職氷河期世代の行く先』日経BP・日本経済新聞出版本部。
〈参考文献〉近藤絢子著『就職氷河期世代』中公新書、西智弘編著『みんなの社会的処方』学芸出版社、下田裕介著『就職氷河期世代の行く先』日経BP・日本経済新聞出版本部。