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〈信仰体験〉 紅のラーメン道 稚内に広宣あり 2026年2月1日

目を細め、くしゃっと笑う田中さん。「愛想がねえ」と言われた昔の仏頂面とは大違い。「不知恩だら、だめだ。やっぱり報恩感謝ですね」
目を細め、くしゃっと笑う田中さん。「愛想がねえ」と言われた昔の仏頂面とは大違い。「不知恩だら、だめだ。やっぱり報恩感謝ですね」

 【北海道稚内市】静夜の影をほどく北国の外灯。雪の道が光を吸い込み、純白の夜が輝き出す。
 最北の街の夜空と大地。その黒と白のはざまで、まばゆい紅を放つ店がある。

 「ラーメン広宣」
 骨太な筆字ののれんをくぐると、もっくもくの店内。この日は換気扇が凍って動かないという、なんとも雪国らしいトラブル。
 それを意にも介さず、カウンター客は麺をすする。ふーふー、ずるる、の食べっぷりの良さに、厨房で中華鍋を踊らせる田中一功さん(73)=副支部長=の口元も優しく緩む。
 冬に染みる一杯がある。

絶品のみそラーメン
絶品のみそラーメン
●人生は今ここから

 稚内の漁師の息子。家業を手伝い、何度も海に出たが、「船酔いするもんで話になんねえ」。
 心が熱くなる仕事を求めて、16歳から職を渡り歩いた。

 ある時、立ち寄った店でみそラーメンを頼んだ。その一杯に震えた。スープを飲み干し、常連客になった。
 好きが高じ、田中さんは雇ってほしいと直談判。店主が「それなら坊主頭にしてこい」と。ロックに憧れ、ガチガチに固めていた頭に、バリカンを迷わず入れた。
 稚内の人気店。厨房で「バカヤロウ」の愛をたくさん浴び、鍛えられた。
 24歳でのれん分けをしてもらった。

開店と同時ににぎわう店内。田中さんと娘の美和さん(写真右端)が、あうんの呼吸で厨房を回す
開店と同時ににぎわう店内。田中さんと娘の美和さん(写真右端)が、あうんの呼吸で厨房を回す

 景気の良かった時代。大型漁船や貨物船が港を埋め、海の稼ぎが繁華街へ流れ込む。
 ネオンは夜通し消えることなく、空が白み始めても客でにぎわう。田中さんも朝まで、のれんを掲げた。

 客にはロシアの船乗りも多く、手持ちがない時はタラバガニを置いて帰る。そんな豪快な時代に「俺は天狗になっちゃったんだよ」。
 開店時間は「気分次第」。味にケチをつける客を憤然と追い返し、売り上げはパチンコにつぎ込んだ。

 怠惰の先に、ほころびが待っていた。
 誰の意見にも耳を貸さず、感情をぶつける。「傲慢で幼稚だった」。結婚を考えていた彼女とも別れるはめになった。

大ぶりのチャーシュー。ラーメンのスープがしみ込むと、さらにおいしさ倍増
大ぶりのチャーシュー。ラーメンのスープがしみ込むと、さらにおいしさ倍増

 傷心の足取りで向かったのは実家だった。田中さんは1958年(昭和33年)、小学生の時に創価学会へ入会している。題目と教学で幸せを奏でる両親の姿が、ずっと心に残っていた。

 父が言った。
 「親は祈ってはあげられるけど、宿業を切るのは自分なんだぞ」
 同志も来てくれ、「題目をしっかりあげてごらん。君に必要な人なら、また一緒になれるよ」と励ましてくれた。

北海の漁師だった父の清則さん㊨と母の秋子さん
北海の漁師だった父の清則さん㊨と母の秋子さん

 毎朝、仕事を終えた足で実家に寄り、父と並んで手を合わせた。
 数カ月後、彼女からよりを戻したいと連絡があった。題目が結んだその人こそ、妻となる光代さん。お互い再婚同士だった。

 信心の輪に戻り、十数年ぶりに触れた池田先生の言葉に感涙が浮かぶ。

 〈過去がどうあれ、今この時に、いかなる因を刻むか。それで、未来は、どのようにでも変えていくことができる〉

 信心に立ち返った田中さんの隣で、光代さんも入会した。

妻の光代さん㊧と。支部総会で夫婦のリレー体験を発表した
妻の光代さん㊧と。支部総会で夫婦のリレー体験を発表した

 頼もしい妻だった。店で田中さんが声を荒らげた時には、倍返しの雷が落ち、「俺が白旗を上げるしかない」。
 光代さんに経理を託すと、計画的な資金繰りで2000年(平成12年)に新しい店を構えることができた。

 新たな屋号「広宣」に勝負の覚悟を込め、二人は休みなく店に立った。
 2階の自宅は広布の会場となり、営業中でも座談会に使ってもらった。
 田中さんが地区部長の時には、会合の途中に裏口から呼ばれ、厨房を抜けて、あいさつへ。創価家族の真心に支えられていた。

店の小上りで中央地区の座談会を開催
店の小上りで中央地区の座談会を開催
●「一人じゃないぞ」

 苦労の年輪も刻んだ。
 稚内の大火災(02年)。店はすんでのところで守られたが、繁華街は壊滅的だった。
 市の人口減も年々、加速度を増した。

 夜の街は光が薄れ、笑い声も遠のいた。
 帳簿をにらみながらも、夫婦が最後に行き着くのは「信心しかねえな」。二人でいれば、どんな苦労も笑い飛ばせた。

 その最愛の人が14年に病で先立った。60歳だった。
 営業を終えると、厨房に一人たたずんだ。
 けんかをし、笑い合い、騒がしさに満ちた日々を、思い出しては泣き崩れた。

 陰りに満ちた心に、ひだまりを広げてくれる記憶の扉があった。
 1968年の高校生の時、池田先生が稚内を訪れ、総支部の集いが行われた。
 「今日は楽しい会合にしましょう。私は、稚内が大好きです。皆さんが大好きです」

 うれしくて楽しくて、涙があふれた師弟の原点。思い出の中でも「池田先生は、あったかいんだよな」。

 負けるもんかと踏ん張る田中さんの元へ、同志が顔をのぞきにやって来た。
 肩に置いてくれた手が「一人じゃないぞ」と教えてくれる。
 妻と出会っていなければ、このぬくもりの外にいたかもしれない。
 「ママのおかげだよ」と写真に笑って語りかけられるようになった。

同志の励ましありて
同志の励ましありて
●父と娘 不二の題目

 今、一緒に店に立つのは長女の美和さん(53)=女性部員。すでに大ベテランの風格と安心感がある。
 時折、田中さんがいら立ちを見せると、美和さんが「うるさい!」。
 一瞬で制された田中さんは、不服そうに口を曲げている。

 いつだってパパは娘に弱いもの。
 でもそうやって言葉を飛ばし合える時間に、懐かしい幸せを感じている。

 美和さんは、初婚の時に授かった一人娘。まだ若かった田中さんは両親に美和さんを預け、ずっと離れて暮らした。
 「親らしいことは、何一つしてあげられなかった」。それなのに美和さんは「自分の家業だし、パパ一人じゃ無理でしょ」と、一緒になって店を守ってくれている。
 「もう感謝しかねえよ」

麺の湯切りをする長女・美和さん(写真奥)
麺の湯切りをする長女・美和さん(写真奥)

 営業後は、美和さんが題目をしんしんと響かせる。コロナ禍の苦しい時、その妙音に、どれだけ負けじ魂を点火してもらったことか。
 田中さんも朗々と後に続いた。

 「この御本尊全く余所に求むることなかれ」(新2088・全1244)。
 誰が見ていなくとも、御本尊と自分。
 親子は題目で不二となる。

父と娘のラーメン道
父と娘のラーメン道

 山あり谷ありのラーメン道。今も安泰とは言い切れない。
 でも、近くでは一回り上の同志が飲食店を営み、戦う背中を見せてくれている。
 「俺なんか、まだまだ」
 学会創立100周年の2030年を目指すと決めた。

 「今年に入ってさ、さらに10年は、やりたいって欲が出てきちゃった」
 天井知らずの紅の情熱。
 雪が解けたら、昼の営業を始めるつもりだ。

広宣の情熱が燃え上がる
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稚内のソウルフード「チャーメン」。店で一番の人気
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