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〈ヒーローズ 逆境を勝ち越えた英雄たち〉第53回 ウォルト・ディズニー 2025年8月11日

1987年11月10日、招待を受けて東京ディズニーランドを訪れた池田大作先生が、千葉・浦安市の空を舞う風船をカメラに収めた。この日、撮影した写真は千葉の同志に贈られ、皆の原点になっている
1987年11月10日、招待を受けて東京ディズニーランドを訪れた池田大作先生が、千葉・浦安市の空を舞う風船をカメラに収めた。この日、撮影した写真は千葉の同志に贈られ、皆の原点になっている
〈ウォルト・ディズニー〉
元気を出そうじゃないか。結局、
最後は僕たちが笑うことになる。
そのときの笑いこそ最高の笑いさ。

 「地球上で最も幸せな場所」とも呼ばれ、幅広い世代に親しまれるディズニーランド。今年は世界最初のディズニーランドがアメリカに誕生して70周年に当たる。
 
 同園の創立者はウォルト・ディズニー。世界中で愛されるキャラクター「ミッキーマウス」の生みの親であり、数々の挫折を成功の糧としてきた映画人、実業家である。「僕たちの目標は高いんだ。だからこそ、いろんなことをやり遂げられるんだ」「失敗もするだろうけど、その失敗から学んでいけばいいんだ」とは、彼の人生を象徴する言葉だろう。
 
 ディズニーは1901年12月、米イリノイ州シカゴで生まれた。幼少期から絵を描くのが好きで、学校に通いながら父の新聞販売業を手伝い、その中で美術学校の講習を受けに行った時期もあった。
 
 「ウォルトはなんにでも夢中になった。やることなすことすべてに、百パーセント興味を持った」と友人が語るほど、何事にも意欲的に挑戦したという。
 
 第1次世界大戦下にあった16歳の時には、国際赤十字社の「傷病兵運搬部隊」に志願している。終戦後は戦場の片付け作業のため、フランスに渡った。
 
 帰国したディズニーは、広告媒体用の絵を描く仕事に就く。そして22年、20歳で映画会社を立ち上げるものの順調には進まず、ほどなく破産してしまう。
 
 ディズニーは機材を売り払い、わずかな身の回り品を持ってハリウッドへ。叔父の家のガレージから再出発を切ると、兄のロイと共同で「ディズニー・ブラザーズ・スタジオ」を設立(23年)。兄弟で小さなアパートに移り、中古の映画カメラを買って、窓のない小さなスタジオを借りた。
 
 最初は資金もわずかで、経営は苦しかった。昼食も1人前を2人で分け合って働き続ける中、事業は徐々に拡大。27年に発表した、「オズワルド」という名のウサギを主人公にしたシリーズが成功を収め、屈指の人気作となった。
 
 しかし喜びもつかの間、悲劇が訪れる。配給会社にオズワルドの版権を奪われ、さらにはスタッフまで引き抜かれてしまったのだ。
 
 ディズニーのショックは大きかった。それでも彼は兄に宛てた手紙でつづっている。「元気を出そうじゃないか。結局、最後は僕たちが笑うことになる――。そのときの笑いこそ最高の笑いさ」。そんな失意のどん底で着想を得たのが「ミッキーマウス」だった。

ウォルト・ディズニー(1901―66年)が人気キャラクターのミッキーマウスと ©TPLP/Getty Images
ウォルト・ディズニー(1901―66年)が人気キャラクターのミッキーマウスと ©TPLP/Getty Images
〈ウォルト・ディズニー〉
私は偶然を否定する。誰だって自分の
才能を見つけ出し、心から信じれば
自分の運命を決めることができる。

 ミッキーマウスがスクリーンデビューしたのは、1928年11月18日。シリーズ第1作となる「蒸気船ウィリー」が大ヒットを記録し、翌々年には新聞漫画でミッキーの連載も始まる。
 
 だが当初、ネズミという前例のないキャラクターに対し、業界の反応は鈍かった。「誰がそんなもの見るかね」と皮肉を言われ、売り込み先も見つからず、ディズニーは立ち往生を余儀なくされる。
 
 “不可能の壁”を打ち破ったのは「音声」だった。この前年、長編では世界初となる音声付きのトーキー映画がアメリカで完成。大きな話題になっていた。
 
 設備や技術面の課題はあるにせよ、彼は“ネズミが話す”映画の製作に取りかかり、それを実現させる。マスコミは「大変面白い、独創的な作品」「音と動きがぴったり合った素晴らしい作品」等と評し、人々はミッキーを見ようと劇場に詰めかけた。
 
 ミッキーの大ヒットは、新たな試練の幕開けでもあった。配給会社の裏切り、信頼する同僚の退社……。その中でも新作を生み出し続け、32年には初のフルカラーアニメーション映画「花と木」がアカデミー賞を受賞する。37年に公開した「白雪姫」は、世界初の長編アニメとして映画史上に名を残す傑作となった。
 
 どんなに成功しても、ディズニーが挑戦の歩みを止めることはなかった。「僕は常に何かをしていたい。何かを作っていたい。そして、どんどん先に進みたいんだ」「私は偶然を否定する。誰だって自分の才能を見つけ出し、心から信じれば自分の運命を決めることができる」と。
 
 39年9月、ナチス・ドイツがポーランドに侵攻し、ヨーロッパで第2次世界大戦が勃発。国外のアニメーション市場がなくなり、スタジオの収入は激減する。従業員が賃上げを求めてストライキを起こすなど、職場の雰囲気も悪化。それは彼にとって「生涯で最もつらい時期」となった。
 
 スタジオの活気を奪った第2次大戦が終わり、膨大な負債を背負ったディズニーは「何かやって、行動を起こそう」と、新規プロジェクトに乗り出すことを決める。その一つが動物のドキュメンタリー映画であり、第1弾の「あざらしの島」がアカデミー賞を獲得。「自然と冒険」シリーズをスタートさせた。
 
 アイデアは映画だけにとどまらなかった。家族で楽しめる「ファミリーパーク」を計画し、カリフォルニアに「ディズニーランド」を建設。55年7月17日、待望の開園日を迎えた。
 
 初日は乗り物が故障し、偽の招待状が出回るなど散々で、批評家にも酷評されたが、彼は自ら園内に寝泊まりして改良に尽くす。
 
 その結果、開園から数カ月で来園者数は100万人を突破。「ディズニーランドは決して完成しない」と語った通り、常に新しい発想で人々に夢と感動を届けた。
 
 ディズニーは66年12月、病のため65歳でこの世を去る。彼の残したウォルト・ディズニー・ワールドの建設は兄が引き継ぎ、5年後にフロリダにオープン。83年には海外初となる東京ディズニーランドが誕生し、今夏も多くの家族連れなどでにぎわいを見せている。

先月、開園70周年を迎えた米カリフォルニアのディズニーランド。多くの来園者でにぎわい、晴れの佳節を祝った ©Handout/Getty Images
先月、開園70周年を迎えた米カリフォルニアのディズニーランド。多くの来園者でにぎわい、晴れの佳節を祝った ©Handout/Getty Images
〈ディズニーを通して語る池田先生〉
思いもかけない試練があるからこそ、
人間は成長できる。どんな困難も、
「よし来た!」ととらえ、強き心で
挑戦していけば、自分が得をする。
価値ある人生を築くことができる。

 池田先生が交流を重ねてきた各界のリーダーの一人に、三井不動産の会長などを歴任した江戸英雄氏がいる。
 
 東京ディズニーランドの建設に尽力した江戸氏は、「ぜひお越しいただきたい」と先生の訪問を熱望。開園から4年後の1987年11月10日、先生は同園を訪れた。
 
 この日、先生は氏らと懇談。パレードの出演者の中に学会員がいたことを聞くと、伝言を託して熱演をたたえた。
 
 同園の署名簿には「全世界の少年少女の/夢とロマン/“平和”の“金の城”の/永遠の栄光を祈りつつ」と記帳している。
 
 翌日には礼状を送り、多くの若い社員が礼儀正しくはつらつと、自らの仕事に誇りと責任を持って働く姿を絶賛。新たなる文化を創造し、未来の少年少女たちの豊かな心を育みゆく同園の限りない発展を強く念願した。礼状は運営会社・オリエンタルランドの社内報に全文が掲載された。
 
 故郷や祖国を離れて暮らす創価学園の寮生・下宿生、創価大学の留学生が東京ディズニーランドに招待され、思い出を刻んだこともある。
 
 また先生は、生涯で20作品以上の創作童話・物語を発表し、少年少女たちを励ましてきた。それらの作品はこれまで世界の23言語で翻訳・出版され、アニメは26カ国・地域でテレビ放送されている。
 
 2005年には、子ども向け番組に貢献した人物に贈られる「東南アジア子どもテレビ基金会」(当時)の「アナック(子ども)・テレビ放送賞」を受賞。同基金会のローセス会長は、先生を「想像を超えた世界に子どもたちを連れて行き、楽しさと喜びを与える“アジアのウォルト・ディズニー”です!」と称賛した。
 
 ディズニーの人生や言葉を通して、先生が残した指針にこうある。
 
 「大いなる夢に向かって彼は突き進んだ。つねに挑戦者だった。心には『開拓精神』――『フロンティア・スピリット』が燃えていた。ここに、新たな時代を切り開く原動力があったと私は思う。(中略)
 
 希望はつねに前にある。栄光は前進し続けるなかにある。ともどもに悔いなく、最高の勝利の人生を飾ってまいりたい」(05年7月16日、各部合同協議会でのスピーチ)
 
 「ディズニーの言葉を贈りたい。『人生で経験したすべての逆境、トラブル、障害が、私をまっすぐにし、強くしてくれた』
 
 思いもかけない試練、障害があるからこそ、人間は成長できる。強敵に勝ってこそ、人は強くなる。どんな困難も、『よし来た!』『宿命転換のチャンスだ!』ととらえ、強き心で挑戦していけば、自分が得をする。さらに価値ある人生を築いていくことができるのである。
 
 どうか全員が『健康』で、『勝利』の人生を歩んでいただきたい」(同年8月17日、代表幹部研修会でのスピーチ)
 
 未来部躍進月間もたけなわ。猛暑に負けず、後継の友と“次なる飛翔”を誓い合う夏にしよう。

創価大学のヴォーカルグループが東京ディズニーランドのイベントに出演(2010年8月、千葉・浦安市内で)
創価大学のヴォーカルグループが東京ディズニーランドのイベントに出演(2010年8月、千葉・浦安市内で)

【引用・参考】ボブ・トマス著『ウォルト・ディズニー』玉置悦子・能登路雅子訳(講談社)、グリーン夫妻著『魔法の仕掛人 ウォルト・ディズニー』山口和代訳(ほるぷ出版)、『ウォルト・ディズニー 夢をかなえる100の言葉』(ぴあ)、『ウォルト・ディズニーがくれた夢と勇気の言葉160』高橋康子訳(同)ほか

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