1995年11月8日、池田先生ご夫妻はシンガポールの青年友好芸術祭に出席。演目の一つ一つに惜しみない拍手を送った(インドア・スタジアムで)
1995年11月8日、池田先生ご夫妻はシンガポールの青年友好芸術祭に出席。演目の一つ一つに惜しみない拍手を送った(インドア・スタジアムで)
代表幹部会の活動報告に立ったのは、女子部部長の唐雪柔さん。一対一の地道な対話で全地区に地区リーダーが誕生した模様と、題目根本に学業に挑み抜き、本年、南洋理工大学で修士号を取得した歓喜のドラマを発表した。
その姿をひときわ輝く瞳で見つめていたのは、父の唐来明さんである。池田先生の1995年のシンガポール訪問時、男子部だった来明さんは、運営役員として師弟の歴史を築いた一人だ。
師との誓いを果たすため、社会で勝利の実証を示そうと、働きながら勉学に挑戦。2022年にイギリス・グラスゴー大学で博士号を取得し、現在は同大学のシンガポール校で教壇に立つ。多忙の合間を縫い、SGSでは区長として対話の最前線を駆ける。
「後継のわが子が、広布のために活躍する姿は何よりもうれしいです」――会合後、来明さんは感激の面持ちで喜びを述べた。
幹部会では、SGSの呉理事長が、先生が1995年の訪問の折に語った“第一にも、第二にも、第三にも仲良く、進んでほしい。そして、家庭を、友人を、社会を大切にしながら、無限の希望に生き抜いてほしい”との言葉を通し、師の心に直結した団結で、良き市民の模範を示そうと力説した。
創価新世紀オーケストラが、学会歌「青年よ広布の山を登れ」を演奏。フィリピンのロナルド・ヘルナンデス副理事長、台湾の呉青蓉婦人部長、香港の顔世芳理事長があいさつした。
活動報告の後、青年部が南アジアの愛唱歌「We Carry On-One with Sensei!」の合唱を披露すると、会場から喝采がわき起こった。
永石総合女性部長は、学会創立100周年へ、勇気の信心で共々に世界広布の大道を進もうと語った。
原田会長は、世界の数々の大学・学術機関で講演してきた池田先生の行動を述懐。そこには「恩師・戸田城聖先生を宣揚する」との確固たる誓願があったと強調した。
次いで、かつて池田先生が随筆に“戸田先生から授けられた智慧の妙薬の一滴一滴から、いかにして限りなく価値創造の大海を広げていくか。これが、弟子の戦いであり、使命であると、私は心に決めてきた”と記した歴史を紹介。師から学んだ一つ一つの智慧を余すことなく受け継ぎ、人類の共生と世界の平和を築こうと訴えた。そして、師弟に生き抜き、シンガポール、またアジアに、自他共の幸福の花を一段と大きく咲き薫らせようと呼びかけた。
代表幹部会の活動報告に立ったのは、女子部部長の唐雪柔さん。一対一の地道な対話で全地区に地区リーダーが誕生した模様と、題目根本に学業に挑み抜き、本年、南洋理工大学で修士号を取得した歓喜のドラマを発表した。
その姿をひときわ輝く瞳で見つめていたのは、父の唐来明さんである。池田先生の1995年のシンガポール訪問時、男子部だった来明さんは、運営役員として師弟の歴史を築いた一人だ。
師との誓いを果たすため、社会で勝利の実証を示そうと、働きながら勉学に挑戦。2022年にイギリス・グラスゴー大学で博士号を取得し、現在は同大学のシンガポール校で教壇に立つ。多忙の合間を縫い、SGSでは区長として対話の最前線を駆ける。
「後継のわが子が、広布のために活躍する姿は何よりもうれしいです」――会合後、来明さんは感激の面持ちで喜びを述べた。
幹部会では、SGSの呉理事長が、先生が1995年の訪問の折に語った“第一にも、第二にも、第三にも仲良く、進んでほしい。そして、家庭を、友人を、社会を大切にしながら、無限の希望に生き抜いてほしい”との言葉を通し、師の心に直結した団結で、良き市民の模範を示そうと力説した。
創価新世紀オーケストラが、学会歌「青年よ広布の山を登れ」を演奏。フィリピンのロナルド・ヘルナンデス副理事長、台湾の呉青蓉婦人部長、香港の顔世芳理事長があいさつした。
活動報告の後、青年部が南アジアの愛唱歌「We Carry On-One with Sensei!」の合唱を披露すると、会場から喝采がわき起こった。
永石総合女性部長は、学会創立100周年へ、勇気の信心で共々に世界広布の大道を進もうと語った。
原田会長は、世界の数々の大学・学術機関で講演してきた池田先生の行動を述懐。そこには「恩師・戸田城聖先生を宣揚する」との確固たる誓願があったと強調した。
次いで、かつて池田先生が随筆に“戸田先生から授けられた智慧の妙薬の一滴一滴から、いかにして限りなく価値創造の大海を広げていくか。これが、弟子の戦いであり、使命であると、私は心に決めてきた”と記した歴史を紹介。師から学んだ一つ一つの智慧を余すことなく受け継ぎ、人類の共生と世界の平和を築こうと訴えた。そして、師弟に生き抜き、シンガポール、またアジアに、自他共の幸福の花を一段と大きく咲き薫らせようと呼びかけた。