山本周五郎は作家になる前、雑誌記者だった。ある時、植物学者の牧野富太郎博士のもとを訪れた。その際、「雑草」と口走った周五郎に博士は言った。「世の中に“雑草”という草は無い。どんな草にだって、ちゃんと名前がついている」(木村久邇典著『周五郎に生き方を学ぶ』実業之日本社)▼「雑」の意味の一つに「区別しにくい事柄を集めたもの」とある。ただ“区別しにくい”と感じるのは事柄そのものの実態よりも、見る側の問題という場合がある▼雑草だと思ったが、調べてみたら薬草だった。雑談のつもりが、じっくり話す中で相手の真情が深く理解できた。“雑”の中にも丁寧に向き合うことで見えてくる真実がある▼これは人間関係も同じだ。「最近の若者ときたら……」「決まって大人たちは……」「だいたい、ああいう人たちは……」と十把ひとからげにしては判断を誤ってしまう。仏法では各人の個性や使命を重んじる「桜梅桃李」の法理を教える。一人一人と誠実に接し、互いに切磋琢磨することで自分らしさと自己の可能性を開花していける▼雑に扱わず、「丁寧に見る」とは、対象を精密に観察、分析することだけではない。「尊重」という思いを基調に向き合うことだろう。(城)
山本周五郎は作家になる前、雑誌記者だった。ある時、植物学者の牧野富太郎博士のもとを訪れた。その際、「雑草」と口走った周五郎に博士は言った。「世の中に“雑草”という草は無い。どんな草にだって、ちゃんと名前がついている」(木村久邇典著『周五郎に生き方を学ぶ』実業之日本社)▼「雑」の意味の一つに「区別しにくい事柄を集めたもの」とある。ただ“区別しにくい”と感じるのは事柄そのものの実態よりも、見る側の問題という場合がある▼雑草だと思ったが、調べてみたら薬草だった。雑談のつもりが、じっくり話す中で相手の真情が深く理解できた。“雑”の中にも丁寧に向き合うことで見えてくる真実がある▼これは人間関係も同じだ。「最近の若者ときたら……」「決まって大人たちは……」「だいたい、ああいう人たちは……」と十把ひとからげにしては判断を誤ってしまう。仏法では各人の個性や使命を重んじる「桜梅桃李」の法理を教える。一人一人と誠実に接し、互いに切磋琢磨することで自分らしさと自己の可能性を開花していける▼雑に扱わず、「丁寧に見る」とは、対象を精密に観察、分析することだけではない。「尊重」という思いを基調に向き合うことだろう。(城)