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演劇やると、変われるじゃん!――ルポ 東京・創価高校「鳳友祭」 2026年10月8日
- 3年6組「レ・ミゼラブル」の舞台を追って
赤い幕が下りていきます。拍手。歓声。目頭を押さえる人。東京・創価学園の池田講堂1130席が全て埋まり、立ち見の姿もありました。9月26、27の両日に行われた、創価高校の学園祭「鳳友祭」。同校では2023年から毎年、1・2年生は各教室で、3年生は講堂で、全クラスが演劇を上演してきました。今年の大トリを飾ったのが、3年6組の演じるビクトル・ユゴー原作「レ・ミゼラブル」です。なぜ、全校挙げて演劇に取り組むのか。演劇は、高校生の何を変えるのか。一つの舞台ができるまでを追いました。(取材=大宮将之)
※鳳友祭の演劇の様子を伝えるショート動画(創価学園制作)は、こちらから。
9月16日の水曜日、午前8時55分。チャイムが響くと、3年6組の生徒は教室にスペースをつくり、台本を手に劇中盤の動きを確認し始めました。
「ここで、ジャン・バルジャンが入って……」「そこでジャベールが追いかけるから……」「コゼットは……」。廊下では、小道具担当の生徒たちが手を動かしています。
創価高校では学園祭が近づくと、朝の40分を劇の準備に充てます。その時間を捻出するため、普段は50分の授業を45分に縮めます。
授業時間を削るのは、大変では? クラス担任に尋ねると「はい(笑)。でも、それだけの意味があるんです」。演劇は対話力などの「非認知能力」を育む学びの一環であり、何より創価教育が日常的に培う人間性が色濃く表れるからです。
創価教育の創始者・牧口常三郎先生は、教育の目的を「子どもの幸福」に置きました。幸福は一人だけで完結しません。“真の幸福は社会の一員として公衆と苦楽を共にする中にある。だから「自他共に、個人と全体との、共存共栄を為し得る人格」に引き上げるのが教育だ”と訴えたのです。
演劇も一人では成立しません。脚本、役者、演出、衣装、音響、照明、道具制作、広報……異なる役割を担う一人一人が力と知恵を結集し、一つの舞台を創り出す。演劇が「社会の縮図」と呼ばれるゆえんです。
とはいえ、実際の社会には価値観の異なる相手もいるでしょう。時に「なぜ、そんなことをするのか」と理解できない人とも出会います。ジャベール役を担った生徒は、まさにそんな人物と向き合いました。
舞台は19世紀フランス。一切れのパンを盗んだ主人公ジャン・バルジャンは、19年服役した後、ある司教との出会いを機に人生を立て直します。一方、警官ジャベールは「法こそ正義」と信じ、過去を隠して生きるバルジャンを猟犬のように追い続けます。
しかし、自分を殺すこともできたバルジャンに命を救われて――悪人と信じてきた相手から慈悲を受け、「法に背く者は悪」という自らの正義が揺らぎます。その矛盾と葛藤に耐えきれず、自死を選んでしまう……。
どうしてそこまで? ジャベール役の生徒は理解できませんでした。それでも「分からない」で終わらせず、なぜ彼はそう生き、追い詰められたのかを考え続けました。「演じよう」というより「なりきろう」と。
同情や共感を意味する英語「sympathy(シンパシー)」に対し、自分と異なる他者が何を感じ、この世界をどう見ているかを想像し、理解しようとすることを「empathy(エンパシー)」といいます。演劇は後者――「分からない誰かを、分かろうとする力」を育む営みでもあるのでしょう。
大長編「レ・ミゼラブル」を50分間の脚本に凝縮する中で、3年6組が掲げたテーマは「誰もが変わる力を持っている」。劇づくりを通し、つかんだ確信でもありました。
人間関係に悩んでいた生徒が、人と人とをつなぐクラス責任者になりました。「私は演技も下手だし、機械にも弱いし」と言っていた生徒が、全体を調整する監督を務めました。
「自分なんて」と一歩引いていた人が、そんな「自分だから」こそと一歩を踏み出す。「変われるじゃん!」――そう思えるまでには、「君だから」と信じてくれた誰かがいたのです。
創立者・池田大作先生がそうでした。「人生は劇のようなものだ。主役は『自分』、『今いるその場』が使命の舞台だ。だれでも、自分にしかできない使命がある。必ずある」と、励まし続ける人でした。
その信頼の心は教師から生徒へ、生徒から生徒へ受け継がれています。
「君にやってほしい」「君がいてくれるから」。そう声をかけ合う中で、自分も気づいていなかった一面や力を発見する。そこに創価高校ならではの演劇の価値が生まれるのかもしれません。
近接する白梅学園高校の武内彰校長は25日の公開リハーサルを鑑賞し、「ものすごいエネルギーを感じました」。
前任の都立日比谷高校でも統括校長として、全クラスが演劇を行う文化祭を見てきました。「自分たちの持てる全てを出し切る体験は、なかなかできることじゃない」。その思い出と絆は「ずっと残っていく」と明言します。
迎えた「鳳友祭」当日。生徒たちが手がけたパンフレットを開き、「この劇、面白そう!」と語り合う親子連れ。協賛企業の広告も生徒自らが地域を歩いて掲載を募ったと聞き、「すごいね!」と顔を見合わせる来場者もいました。
教室で、講堂で、繰り広げられる青春の劇また劇。かつて不登校だったわが子が、かけがえのない仲間たちに支えられ、“不登校の経験を意味あるもの”にして舞台に立つ。その姿に「涙しました」と話す保護者も。
いよいよ大トリの「レ・ミゼラブル」です。時代考証を重ねて作った小道具、「人物像が伝わるように」こだわり抜いた衣装が、物語にリアリティーを吹き込んでいました。音響が、照明が、言葉にできない思いを表現していました。
フィナーレは、3年6組全員による「民衆の歌」の大合唱。「一人一人が主人公」――その心の叫びに、講堂全体が震えるよう。
幕が下りました。その内側で抱き合う友、友、友。客席から「ブラボー!」の歓呼が。
生徒たちが整列します。
幕の向こうに深々と一礼して――。
「ありがとうございました!」
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