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〈識者が見つめるSOKAの現場〉 寄稿 「変わりゆく社会の中で」を巡って㊤ 2023年8月2日

  • 東京大学大学院 開沼博 准教授

 学会員の「価値創造の挑戦」を追う連載「SOKAの現場」では、「変わりゆく社会の中で」をテーマに、取材ルポを2回にわたって掲載した(7月1日、8日)。それに連動して、社会学者の開沼博氏が、ルポの現場となった茨城県つくば市と東京・赤坂を6月下旬に訪れ、学会員を取材した。学術や医療、ビジネスなど、変化と競争の激しい世界で奮闘する友は、なぜ信仰を選び取っているのか――。開沼氏が考察した「寄稿」を、上下に分けて掲載する。(㊦は3日付で掲載予定)

社会の共通課題

 かつての日本には、「貧・病・争」に代表されるような分かりやすい問題が、社会の共通課題として存在し、多くの人々の生活を脅かしていました。ゆえに、それらを乗り越えることが、そのまま人々の幸福感に結び付いていた。
 しかし、日本が自由や豊かさを享受した現代において、貧・病・争のような目に見える問題は減りました。乗り越えるべきだった眼前の課題がないのであれば、人々が求める幸福もまた、かたちを変えているはずです。ではそれは、どのような幸福なのか。そこに信仰は、どのような役割を果たしているのか。
 
 今回、お会いしたのは、つくば市の学術部、ドクター部の皆さんや、東京・赤坂で厳しい競争社会を生き抜く学会員です。社会的に成功を収め、一見、貧・病・争とは無縁のように思える人たちであり、また、宗教とは対極に位置付けて捉える人もいるだろう、科学的・経済的合理性の追求を日常としている人たちでもあります。
 私のような外部の者からすれば、一見、宗教との接点が見えにくいようにも思える人たち。彼らが信仰に向き合い、各々の領域で活躍を続ける原動力を探るべく、取材に伺いました。(つくば市を舞台とするルポ㊤は7月1日付を参照)

反発を“バネ”に

 近代化が成熟すればするほど、宗教的なものは社会から衰退していくというのは、社会学の基本をなす前提です。近代化の象徴である医療や科学は、宗教とは“相いれない”と考える人も多い。つくば市で長年、地域医療に尽くす竹島徹さんも、入会前は、そうした思いを持っていたと語っていました。
 
 <竹島さんは妻・紀美子さんの紹介で入会した。1988年につくばセントラル病院を開設し、現在は理事長・名誉院長を務める>
 
 入会前、信心の話を聞くたびに、竹島さんは「医学を否定するのか」と怒ったといいます。しかし、連れられて参加した座談会で、悩みや課題を抱えながらも前向きに生きる学会員の姿に圧倒され、そこから、医師の仕事と仏法との接点を見いだし、学び深めていきました。
 その真剣さも、そこに見いだす意義も、医学の道を究めてきたがゆえのものでしょう。一つの道における向学の人が、仏法を体得していくスピードも速いというのは、理解できることです。例えば、竹島さんは、生理学などにおける「ホメオスタシス」(※1)は、はるか以前に説かれた仏法の「妙の三義」(※2)によって説明されている、と語っていました。
 
 当初は反発していた人が、心から納得して信仰の道を選んだ時、その反発すらも“バネ”に変えて急速に信心を深めていく。竹島さんが、「病院の経営が傾いた時も、祈って全てを乗り越えました」と、合理性では説明できないような喜びの体験を語っていたのが印象的でした。

 (※1)外部の環境の変化を受けても、体内が一定の状態を保とうとする調節機能。
 (※2)妙法蓮華経の「妙」の一字にそなわる働き。「具足・円満」「開く」「蘇生」の三義のこと。

開沼准教授(右端)がつくば文化会館へ。(右から左に)竹島徹さん・妻の紀美子さん、金子剛さん・妻の洋子さんと
開沼准教授(右端)がつくば文化会館へ。(右から左に)竹島徹さん・妻の紀美子さん、金子剛さん・妻の洋子さんと

 同じく医師である金子剛さんも、創価学会の活動の意義を、医学的な視点から明快に語ってくれました。
 
 <金子さんは、2020年から、つくばセントラル病院の病院長。竹島さんの長女である妻・洋子さんは同病院の副院長を務める>
 
 例えば、会合などで外出する際に、身支度をしたり、何を話そうかと頭を使って考えたりすることは、多くの人にとって生きがいとなり、心身の健康を保つことにもつながっているはずです、と。非科学的だと思われがちな宗教にも、科学的な理由付けが可能な部分があることの具体例であると感じました。
 
 つまり、デイケアのような機能が、学会内にあると見ることもできる。外出を促し、会話し、手作業などをするサービスとしてのデイケアは、比較的近年になって、高齢者等に向けて広く提供され始めた福祉サービスですが、それより前から、学会内には、自然発生的にそうした仕組みが存在してきた。日頃の活動を通して、学会は、心身の健康の促進はもちろん、孤立や孤独死といった、急増する社会課題への対処となり得る機能を、長年、守り続けてきたということです。
 
 1年前からがんを患っていた人でも、気持ちが落ち込むのは、それを宣告された時からだといいます。つまり、元からある「病」に「気」持ちが合わさって、「病気」になる。
 この例え話を通して、金子さんは、病気の「病」を治すのが医師の仕事である一方で、「気」へのケアのプラスになるのが信仰であると言っています。相いれないのではなく、互いが互いを補うものとしての、科学と宗教の関係性を表現しています。

持続と粘り強さ

 医療や研究で、ただでさえ多忙な人たちが学会活動に時間を割くのは、そこにどんな価値を見いだしているからか。藤田克英さんの答えは明快でした。
 
 <藤田さんは日本最大級の公的研究機関で主任研究員として働く。学会の組織では支部長を務める>
 
 「人間としてもっと成長し、自分を高めていきたい。これが私の本源的な思いです。心から尊敬できる人に出会える学会活動が、自分を磨く場になっています」と、藤田さんは語ります。
 信仰の原点となっていたのは、座談会でした。研究者同士が集まる組織にも所属してきましたが、学会の座談会ほど、多様な人が垣根なく、何でも語り合える空間はない、と。アメリカ留学時に参加した座談会でも、人種や職種を超えてメンバーがいた。人種別に分かれることが多いキリスト教の教会と比べて、その多様性に驚き、感動したといいます。
 
 座談会を中心とする学会活動に活力を得て、藤田さんは研究の分野でも、苦労を重ねて奮闘してきました。30歳で会社を辞めて大学院に進学し、45歳で現在の職場に採用されるなど、遠回りのように思えた研究生活も、人生を懸けて探究したいテーマと巡り合えたことが「信心の功徳です」と。信仰を通して、ぶれない「自分の軸」を築いたことが、研究者として生き抜く力になってきたのだと感じました。
 
 学問には各々の領域に知の体系がある。研究者はそれを、「学問の軸」として常に参照する。同時に「人生の軸」を信仰に見いだした。この二つの軸が相互に作用しているという構図が見えました。

藤田克英さんの取材
藤田克英さんの取材

 アンドリュー・ウタダさんも、学会活動が研究者としての自分を支えてくれたと語る一人です。
 
 <ウタダさんはアメリカ出身。物理学を専攻し、ハーバード大学大学院で博士号を取得。フランスやアメリカの企業で研究した後、2016年に研究者として来日した>
 
 科学では、実験で出た結果を重視し、その中で生まれた法則を信じます。一方、仏法もまた、法則を信じて実践する中で結果が出る。ウタダさんは、科学と信仰に深い共通性を見いだしていました。
 研究の成果が表れるのは、一朝一夕ではありません。それでも粘り強く追究を続けていく先に、初めて、思っていた通りの結果が出ます。努力が報われないこともある世界で、成果が出るまで挑戦をやめない持続と粘り強さの源泉が、信仰だった。「学会活動に励むことが、自分自身を保ってくれた」と、ウタダさんは言っていました。

アンドリュー・ウタダさんの取材
アンドリュー・ウタダさんの取材
理解と納得を力に変え
自然体で地域に尽くす

 つくば市で取材した方々の多くが、池田SGI会長と自分という師弟関係を、さまざまな角度から話してくれました。その一人が、久保川達也さんです。
 
 <久保川さんは数理統計学の世界的な研究者。国立大学で教壇に立つ傍ら、学会では県総合長、総茨城学術部長を務める>
 
 学者は一人で研究にこもりがちで、気持ちが弱ることもある。久保川さんも、学生の頃、入会前は、自分に自信を持てずにいたといいます。その中で信仰に出あい、人のために行動することに喜びを感じるようになっていった。それと同時に、学術の世界でありがちな「ゼロかイチか」の視野を広げ、苦難を前に、すぐには解決できなくとも負けないといった“中道的な”生き方を磨いていった。
 そうした学びが学問にも生かされたからこそ、学会活動の最前線を走りながら、これまで約170本もの論文を執筆してこられたのでしょう。
 
 その久保川さんは、池田会長が学会員に対してそうであるように、学生たちを“自分以上の人材に”と日々、祈り、親身になって励ましている、と。事実、久保川さんの元から、多くの優秀な研究者たちが育っています。
 学術の世界で、師弟関係を結ぶことは自然なことです。一方で、仏法でも師弟関係を大切にしています。異なるもののように見える二つの師弟関係を、どちらも等しく大切にしている久保川さんの姿は、印象的でした。

久保川達也さんの取材
久保川達也さんの取材

 一方、淀縄聡さんは、壮年部で行っている小説『新・人間革命』の勉強会を通じて、池田会長の存在を身近に感じていました。
 
 <淀縄さんは個人医院の副院長。内科と外科の全般的な診療に従事し、土日は訪問診療にも携わる。多忙な中でも、地区部長として訪問・激励に歩く>
 
 『新・人間革命』は、日本や世界の時代背景とともに、学会の発展を描いた小説です。そこでは「歴史も文学も哲学も学べる」と、淀縄さんは言います。世界が変動する中で、池田会長がどんな国で誰と会い、どのように人を励ましてきたのかを知ることで、日々の学会活動が大切な理由にも「納得がいった」と。
 入会前は自身にも学会への偏見があったと言う淀縄さん。「納得」を大切に訪問・激励や仏法対話など、一つ一つ、なぜやるのかを自分で考え、実践に移していた。同時に、自分にはできないと思うことがあれば相談した。周囲も無理強いはしなかった。いわゆる盲信とは全く違う現場感覚を、淀縄さんだけでなく、周囲の皆も持っているのだと感じました。
 
 その積み重ねが、今、淀縄さんの信仰の基盤となっている。かつては固辞したという地区部長の就任も、コロナ禍での活動形態の変化も助けとなり、喜んで受け入れた。今も自然体で、地域の激励に歩いているといいます。理解と納得を深める中で、“学会活動のキャパシティー”が広がったようにも見えました。

淀縄聡さんの取材
淀縄聡さんの取材
師弟は千差万別

 納得のいく信仰を持ち、師匠を持つことが、人生を豊かにしていく。これが、今回取材した方々の話に共通していた価値観でした。でもその師弟の捉え方は、久保川さんや淀縄さんの例を見ても分かるように、多様であり千差万別です。
 池田会長との直接の出会いを転機とする人もいれば、著作を通して師弟に迫っていった人もいる。あるいは、身近で尊敬する誰かの存在が、池田会長を深く知るきっかけになったりもしていました。遠距離からもあれば、近距離からもある。
 
 外からはなかなか伺いしれないような、創価学会内部にある仏法の師弟。その内実は、人によって伸び縮みするような柔軟さを持ちながらも、多様で重層的な関係性であることを、理解することができました。

<プロフィル>

 かいぬま・ひろし 1984年、福島県いわき市生まれ。東京大学大学院情報学環・学際情報学府准教授。専門は社会学。『漂白される社会』『日本の盲点』など著書多数。

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 kansou@seikyo-np.jp
 ファクス 03-5360-9613

 こちらから、「SOKAの現場」の過去の連載をご覧いただけます(電子版有料会員)。

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