〈ライフウオッチ〉 ルポ 就職氷河期世代と信仰③
〈ライフウオッチ〉 ルポ 就職氷河期世代と信仰③
2025年11月1日
家電量販店で契約社員として勤務する荒木洋子さん(広島県呉市で)
家電量販店で契約社員として勤務する荒木洋子さん(広島県呉市で)
1990年代半ばから2000年代前半にかけての、雇用環境が厳しい時期に就職活動を行った「就職氷河期世代」。
この世代が抱える苦しさは、単に「就職が大変だった」というだけではなく、40・50代になった今もなお「大変であり続けている」ところにあります。
どのような苦悩と向き合ってきたのか。その時、信仰は何をもたらしたのか。一人の女性部員の歩みを追いました。(記事=中谷光昭)
1990年代半ばから2000年代前半にかけての、雇用環境が厳しい時期に就職活動を行った「就職氷河期世代」。
この世代が抱える苦しさは、単に「就職が大変だった」というだけではなく、40・50代になった今もなお「大変であり続けている」ところにあります。
どのような苦悩と向き合ってきたのか。その時、信仰は何をもたらしたのか。一人の女性部員の歩みを追いました。(記事=中谷光昭)
■非正規の苦悩
■非正規の苦悩
バブルが崩壊し、企業が採用人数を絞ったことで、就職氷河期世代は、就活で大変な苦戦を強いられた。
人件費を抑えるために、企業が非正規雇用の枠を増やしたことで、多くがパートやアルバイト、派遣・契約社員として働かざるを得なくなった。
非正規での勤務は正社員に比べて賃金が低く、福利厚生も最低限な場合が多い。不安定な雇用形態のため、昇進・昇給の機会も乏しく、長期的にも不利な立場に置かれた。
結婚や出産に悩み、マイホームの購入を泣く泣く断念した人も少なくない。介護や子育て、低年金など将来に不安を抱える人もいる。
苦労に苦労を重ねた、就職氷河期世代。だが社会の目は冷たかった。
「『自己責任』の一言で片づけられることも珍しくはありませんでした」と、第一生命経済研究所首席エコノミストの永濱利廣氏が指摘するように、冷酷な自己責任論が蔓延していた。
そうした苦悩は、40・50代になった今も続いている。
就職氷河期世代の中で、「正社員として働きたい」と望むもかなわず、非正規として働く人(不本意非正規)は約35万人もいる。広島県の荒木洋子さん(呉平和圏、地区女性部長)も、その一人だ。
バブルが崩壊し、企業が採用人数を絞ったことで、就職氷河期世代は、就活で大変な苦戦を強いられた。
人件費を抑えるために、企業が非正規雇用の枠を増やしたことで、多くがパートやアルバイト、派遣・契約社員として働かざるを得なくなった。
非正規での勤務は正社員に比べて賃金が低く、福利厚生も最低限な場合が多い。不安定な雇用形態のため、昇進・昇給の機会も乏しく、長期的にも不利な立場に置かれた。
結婚や出産に悩み、マイホームの購入を泣く泣く断念した人も少なくない。介護や子育て、低年金など将来に不安を抱える人もいる。
苦労に苦労を重ねた、就職氷河期世代。だが社会の目は冷たかった。
「『自己責任』の一言で片づけられることも珍しくはありませんでした」と、第一生命経済研究所首席エコノミストの永濱利廣氏が指摘するように、冷酷な自己責任論が蔓延していた。
そうした苦悩は、40・50代になった今も続いている。
就職氷河期世代の中で、「正社員として働きたい」と望むもかなわず、非正規として働く人(不本意非正規)は約35万人もいる。広島県の荒木洋子さん(呉平和圏、地区女性部長)も、その一人だ。
荒木さん
荒木さん
荒木さんは県内の短期大学を卒業後、自動車部品会社に就職した。
日中友好の橋を架けた池田大作先生の平和行動に続こうと、2年で退職し、中国の復旦大学に入学。4年間で学士号を取得し、中国語を生かせる日本企業の求人を探した。
だが、当時(1999年)はアジア通貨危機と日本列島総不況の影響などで景気は冷え込み、就職率や求人倍率はぐんと下がっていた。
荒木さんは、短大・就職・大学と経ていたため、就活時は27歳。中途採用枠となり、門戸は限りなく狭かった。
「エントリーシートを出しても返信がないことが多く、ことごとくダメでした」
仕事が見つからず、大学院に進むも、授業のレベルの高さに圧倒され、研究を断念。ちょうどその頃、日本の企業から正規雇用の話があり、上海駐在の仕事に就いた。
いざ始まると、想像をはるかに超える過酷な労働環境。住み込みで、ほぼ休みなく働いても「初任給は驚くほど低く、福利厚生も整っていませんでした」。連日のサービス残業で心身共に限界を迎え、顔面神経まひも発症した。
「できることなら、すぐにでも退職したかった。でも辞めても、次の仕事が見つかる保証はありません。仕事が見つからない苦しさ、情けなさを嫌というほど経験してきましたから。転職先が見つかるまでは、苦しいけど、生きていくために耐えようと腹をくくったんです」
東京に本社を置く貿易会社への転職が決まった頃には、12年の月日が流れ、荒木さんは39歳になっていた。
心機一転、ようやくたどり着いた新天地。だが2年後、荒木さんが担当していた事業を会社が手放すことになり、退職を余儀なくされる。
「自分の時間を犠牲にして寝ても覚めても仕事に打ち込んできました。恋愛や結婚のことを考える余裕もなかったくらい、懸命に働いてきた自負があります。それでも、巡り合わせが悪かったのか、気付いたら、心も体もボロボロになっていました」
荒木さんは県内の短期大学を卒業後、自動車部品会社に就職した。
日中友好の橋を架けた池田大作先生の平和行動に続こうと、2年で退職し、中国の復旦大学に入学。4年間で学士号を取得し、中国語を生かせる日本企業の求人を探した。
だが、当時(1999年)はアジア通貨危機と日本列島総不況の影響などで景気は冷え込み、就職率や求人倍率はぐんと下がっていた。
荒木さんは、短大・就職・大学と経ていたため、就活時は27歳。中途採用枠となり、門戸は限りなく狭かった。
「エントリーシートを出しても返信がないことが多く、ことごとくダメでした」
仕事が見つからず、大学院に進むも、授業のレベルの高さに圧倒され、研究を断念。ちょうどその頃、日本の企業から正規雇用の話があり、上海駐在の仕事に就いた。
いざ始まると、想像をはるかに超える過酷な労働環境。住み込みで、ほぼ休みなく働いても「初任給は驚くほど低く、福利厚生も整っていませんでした」。連日のサービス残業で心身共に限界を迎え、顔面神経まひも発症した。
「できることなら、すぐにでも退職したかった。でも辞めても、次の仕事が見つかる保証はありません。仕事が見つからない苦しさ、情けなさを嫌というほど経験してきましたから。転職先が見つかるまでは、苦しいけど、生きていくために耐えようと腹をくくったんです」
東京に本社を置く貿易会社への転職が決まった頃には、12年の月日が流れ、荒木さんは39歳になっていた。
心機一転、ようやくたどり着いた新天地。だが2年後、荒木さんが担当していた事業を会社が手放すことになり、退職を余儀なくされる。
「自分の時間を犠牲にして寝ても覚めても仕事に打ち込んできました。恋愛や結婚のことを考える余裕もなかったくらい、懸命に働いてきた自負があります。それでも、巡り合わせが悪かったのか、気付いたら、心も体もボロボロになっていました」
■心に染みた母の言葉
■心に染みた母の言葉
荒木さんの傷ついた心に、故郷の母(鈴子さん)の言葉が染みた。「仕事が見つからんでも、(広島の実家に)帰っておいで。信心を根本にしないと、何をやったってうまくいかないよ」。気付けば、仕事に追われ、学会活動から遠ざかっていた。
「母に言われて、ふと考えたんです。“私は、何のために生きているんだろう。仕事をして、疲れて帰って、寝て起きての繰り返し。このままで本当にいいのかな。幸せになれるのかな”って」
荒木さんは、広島に戻ることを決めた。悔しさを抱え、42歳で帰る故郷の景色は、どこか色あせて見えた。
就職氷河期という時代の波に翻弄された。荒波にもがきながら、生きるために精いっぱい働いた。“もっと頑張らなくちゃ”と自分を責め、“周りからの評価を得たい”と自分を追い込み、走り続けてきた。
「仕事が見つからんでも、帰っておいで」――その母の一言で、荒木さんはようやく、背負い続けた重荷を降ろすことができた。
荒木さんだけではない。就職氷河期世代は、一般的にも「実直で真面目な人が多い」と言われる。不安定な立場で働いてきたからか「ミスをしないように」「信頼されるように」と、誠実で几帳面な働き方を心がけ、たとえ理不尽な扱いを受けても、黙々と、地道に働く人が多いという。
就職氷河期世代の人口は、約2000万人。東京大学社会科学研究所の近藤絢子教授は「日本の人口の6分の1にあたるこの世代」が、十分に能力を発揮できない環境が続けば、社会的にも経済的にも「大きな損失」につながると懸念を示している。
荒木さんの傷ついた心に、故郷の母(鈴子さん)の言葉が染みた。「仕事が見つからんでも、(広島の実家に)帰っておいで。信心を根本にしないと、何をやったってうまくいかないよ」。気付けば、仕事に追われ、学会活動から遠ざかっていた。
「母に言われて、ふと考えたんです。“私は、何のために生きているんだろう。仕事をして、疲れて帰って、寝て起きての繰り返し。このままで本当にいいのかな。幸せになれるのかな”って」
荒木さんは、広島に戻ることを決めた。悔しさを抱え、42歳で帰る故郷の景色は、どこか色あせて見えた。
就職氷河期という時代の波に翻弄された。荒波にもがきながら、生きるために精いっぱい働いた。“もっと頑張らなくちゃ”と自分を責め、“周りからの評価を得たい”と自分を追い込み、走り続けてきた。
「仕事が見つからんでも、帰っておいで」――その母の一言で、荒木さんはようやく、背負い続けた重荷を降ろすことができた。
荒木さんだけではない。就職氷河期世代は、一般的にも「実直で真面目な人が多い」と言われる。不安定な立場で働いてきたからか「ミスをしないように」「信頼されるように」と、誠実で几帳面な働き方を心がけ、たとえ理不尽な扱いを受けても、黙々と、地道に働く人が多いという。
就職氷河期世代の人口は、約2000万人。東京大学社会科学研究所の近藤絢子教授は「日本の人口の6分の1にあたるこの世代」が、十分に能力を発揮できない環境が続けば、社会的にも経済的にも「大きな損失」につながると懸念を示している。
荒木さん(左から2人目)が「無敵の笑顔」「無敵の生命力」と憧れる女性部の先輩たち
荒木さん(左から2人目)が「無敵の笑顔」「無敵の生命力」と憧れる女性部の先輩たち
故郷に帰り、心にも時間にも少しの余白をつくれた荒木さんは、来し方を振り返り、自分の将来を考えた。
「何のための人生か」「幸福とは何か」――その答えを求め、池田先生の本をむさぼるように読んだ。
先生はかつて、語った。
「『生命の因果』『人生の幸、不幸』――これらについて人が真剣に考え始めるのは、多くの場合、自身が切実な不幸にあったときではないだろうか。何事もない安穏なときには、なかなか人生の重大事には思いいたらない。その意味でも、苦難こそ、より深き人生への大切なステップなのである。また、そうしていかなければならない」(1988年4月29日、全国青年部幹部会でのスピーチ)
今、直面している苦難を、「より深い幸せ」を味わうための跳躍台にしたい。でも、どうすれば――。先生の言葉に、その答えがあった。
「社会的に成功し、名声を得ることは、一つの現象としてはよいことです。しかし、無名であっても、人々のために尽くす人生が尊い。自分自身で『だれも評価はしてくれないが、自分は満足した』と言える自分をつくれた人が、本当の大勝利者なのです。諸君は、そういう『本質』を見抜ける人であってもらいたい」(『青春対話』)
先生が教えてくれた「無名であっても、人々のために尽くす人生」――荒木さんの胸には、母や女性部の先輩方、創価家族の姿が浮かんだ。
どんな時も親身になって、支えてくれた人たち。苦悩を包み込んでくれた笑顔。試練を笑い飛ばすほどの生命力。母や女性部の先輩方からは、人生の幾春秋を楽しむ強さ、心の器の大きさを感じた。
そして、その強さは、学会活動を通して、他者のために尽くす中で、鍛え上げられるのではないかと思った。
故郷に帰り、心にも時間にも少しの余白をつくれた荒木さんは、来し方を振り返り、自分の将来を考えた。
「何のための人生か」「幸福とは何か」――その答えを求め、池田先生の本をむさぼるように読んだ。
先生はかつて、語った。
「『生命の因果』『人生の幸、不幸』――これらについて人が真剣に考え始めるのは、多くの場合、自身が切実な不幸にあったときではないだろうか。何事もない安穏なときには、なかなか人生の重大事には思いいたらない。その意味でも、苦難こそ、より深き人生への大切なステップなのである。また、そうしていかなければならない」(1988年4月29日、全国青年部幹部会でのスピーチ)
今、直面している苦難を、「より深い幸せ」を味わうための跳躍台にしたい。でも、どうすれば――。先生の言葉に、その答えがあった。
「社会的に成功し、名声を得ることは、一つの現象としてはよいことです。しかし、無名であっても、人々のために尽くす人生が尊い。自分自身で『だれも評価はしてくれないが、自分は満足した』と言える自分をつくれた人が、本当の大勝利者なのです。諸君は、そういう『本質』を見抜ける人であってもらいたい」(『青春対話』)
先生が教えてくれた「無名であっても、人々のために尽くす人生」――荒木さんの胸には、母や女性部の先輩方、創価家族の姿が浮かんだ。
どんな時も親身になって、支えてくれた人たち。苦悩を包み込んでくれた笑顔。試練を笑い飛ばすほどの生命力。母や女性部の先輩方からは、人生の幾春秋を楽しむ強さ、心の器の大きさを感じた。
そして、その強さは、学会活動を通して、他者のために尽くす中で、鍛え上げられるのではないかと思った。
■40代で再就職
■40代で再就職
仕事と学会活動を両立できる職場への転職を祈り、短期の仕事をしながら、あらゆる求人に飛び込んだ。
工場勤務の面接では「この職歴で、本当にうちで働けると思ってるの!?」と、履歴書を突き返された。
20代の大卒ばかりが集う企業の合同説明会に行けば、「40代でリクルートスーツを着ている私は、完全に周りから浮いていて、あからさまに笑われてしまいました」。
悔しさをのみ込み、笑顔を絞り出す。面接では毅然と胸を張り、年下の面接官にも誠実を貫いた。
三日三晩、寝る間も惜しんで勉強し、SPI試験(企業の採用選考で利用される適性検査)も好成績で突破した。
ついに、家電量販店から「中国人観光客が増えているので、語学を生かしてもらいたい」と採用通知が届いた。
年齢を理由に「契約社員」としての雇用。望んでいた事務職ではなく、文具コーナーの店舗販売業務を命じられた。
それでも、荒木さんに逡巡はなかった。「この仕事なら、学会活動する時間もつくれる」と喜びで受け止めた。
時を同じくして、地区女性部長の任を受けた。重責に不安もあったが、「大丈夫よ! 何かあったら頼りなさい」と、女性部の先輩たちが慈愛で包んでくれた。同志の訪問・激励に歩き、地区座談会の企画にも工夫を凝らした。
「『座談会、楽しかった』『いつも気にかけてくれて、ありがとう』と皆さんが喜んでくださると、うれしくて。人の幸せを願って動くと、こんなにも喜びや生きがいを感じるんだと知りました」
同志の顔を思い浮かべ、健康と幸福を祈る。同志のもとへ歩みを重ね、信頼を育む。そんな日常に充実を感じた。
仕事と学会活動を両立できる職場への転職を祈り、短期の仕事をしながら、あらゆる求人に飛び込んだ。
工場勤務の面接では「この職歴で、本当にうちで働けると思ってるの!?」と、履歴書を突き返された。
20代の大卒ばかりが集う企業の合同説明会に行けば、「40代でリクルートスーツを着ている私は、完全に周りから浮いていて、あからさまに笑われてしまいました」。
悔しさをのみ込み、笑顔を絞り出す。面接では毅然と胸を張り、年下の面接官にも誠実を貫いた。
三日三晩、寝る間も惜しんで勉強し、SPI試験(企業の採用選考で利用される適性検査)も好成績で突破した。
ついに、家電量販店から「中国人観光客が増えているので、語学を生かしてもらいたい」と採用通知が届いた。
年齢を理由に「契約社員」としての雇用。望んでいた事務職ではなく、文具コーナーの店舗販売業務を命じられた。
それでも、荒木さんに逡巡はなかった。「この仕事なら、学会活動する時間もつくれる」と喜びで受け止めた。
時を同じくして、地区女性部長の任を受けた。重責に不安もあったが、「大丈夫よ! 何かあったら頼りなさい」と、女性部の先輩たちが慈愛で包んでくれた。同志の訪問・激励に歩き、地区座談会の企画にも工夫を凝らした。
「『座談会、楽しかった』『いつも気にかけてくれて、ありがとう』と皆さんが喜んでくださると、うれしくて。人の幸せを願って動くと、こんなにも喜びや生きがいを感じるんだと知りました」
同志の顔を思い浮かべ、健康と幸福を祈る。同志のもとへ歩みを重ね、信頼を育む。そんな日常に充実を感じた。
同志との和やかな語らい。笑顔がはじける(広島・呉平和会館で)
同志との和やかな語らい。笑顔がはじける(広島・呉平和会館で)
■接客の王様「アラキング」
■接客の王様「アラキング」
学会活動を通して、荒木さんは、自身の変化を感じた。
「地区女性部長として、同志の皆さんから信頼いただけるようになりたいと、訪問・激励を重ねました。お一人お一人の思いを伺う中で、次第に心を開いて悩みを打ち明けてくださる方も増えてきたんです。その経験が職場でも生かされました」
上司や同僚との信頼関係はもとより、「一期一会のお客さまにも真心が届くように、相手の話に耳を傾け、言葉使いに注意を払うなど、丁寧な応対を心がけました」。
荒木さんのレジには、自然とお客さんが集まり、高額商品も次々に売れた。毎月の売り上げ目標も、ことごとく達成。荒木さんの働きぶりに同僚からの信頼が集まり、“荒木さんは接客の王様”との敬意を込め、「アラキング」と呼ばれるようになった。
気付けば、契約社員でありながら、勤続年数は8年を超えた。今春からは、荒木さんの担当エリアが大幅に広がり、文具だけでなく、電化製品全般の販売も任されるようになった。宣伝用のSNSの発信も担っている。
学会活動を通して、荒木さんは、自身の変化を感じた。
「地区女性部長として、同志の皆さんから信頼いただけるようになりたいと、訪問・激励を重ねました。お一人お一人の思いを伺う中で、次第に心を開いて悩みを打ち明けてくださる方も増えてきたんです。その経験が職場でも生かされました」
上司や同僚との信頼関係はもとより、「一期一会のお客さまにも真心が届くように、相手の話に耳を傾け、言葉使いに注意を払うなど、丁寧な応対を心がけました」。
荒木さんのレジには、自然とお客さんが集まり、高額商品も次々に売れた。毎月の売り上げ目標も、ことごとく達成。荒木さんの働きぶりに同僚からの信頼が集まり、“荒木さんは接客の王様”との敬意を込め、「アラキング」と呼ばれるようになった。
気付けば、契約社員でありながら、勤続年数は8年を超えた。今春からは、荒木さんの担当エリアが大幅に広がり、文具だけでなく、電化製品全般の販売も任されるようになった。宣伝用のSNSの発信も担っている。
心に刻んだ『人生抄』の一節
心に刻んだ『人生抄』の一節
荒木さんは語る。
「世法から見れば、私は給料は低いし、ボーナスもない。結婚もしてないから『負け組』と言われるかもしれません。一緒に暮らす母の病も心配ですし、非正規だから、いつ契約が切られるか分かりません。年金も少ないから、老後の不安もないわけではありません」と。
だが、荒木さんは朗らかな表情で、こう言葉を紡いだ。
「でも、強がりでも何でもなく、私は今、心から“自分は幸せだ”と思えるんです。だって、私には、より深い人生を指し示してくれる人生の師匠がいる。どんな苦難に襲われても、絶対の信頼を寄せる信仰がある。どんな時も私を信じ、味方でいてくれる同志がいる。境遇や収入で得られる“幸せ”は失えば消えてしまう。でも、私の幸せは奪われることがありません。私は今、より深い人生、より深い幸せを味わっていると思うんです」
荒木さんは今、53歳。人生100年時代の折り返し地点に立ち、池田先生の言葉をかみ締める。
「人生は最後の一瞬まで、建設の連続でありたい。この心構えを生涯もちつづけたかどうかが、その人の人生の価値を決定するといっても過言ではない」(『人生抄』)。
人生の最後に「大満足の人生だった!」と勝ち鬨を上げる自分の姿を確信しながら、荒木さんはきょうも、使命の道を歩む。
荒木さんは語る。
「世法から見れば、私は給料は低いし、ボーナスもない。結婚もしてないから『負け組』と言われるかもしれません。一緒に暮らす母の病も心配ですし、非正規だから、いつ契約が切られるか分かりません。年金も少ないから、老後の不安もないわけではありません」と。
だが、荒木さんは朗らかな表情で、こう言葉を紡いだ。
「でも、強がりでも何でもなく、私は今、心から“自分は幸せだ”と思えるんです。だって、私には、より深い人生を指し示してくれる人生の師匠がいる。どんな苦難に襲われても、絶対の信頼を寄せる信仰がある。どんな時も私を信じ、味方でいてくれる同志がいる。境遇や収入で得られる“幸せ”は失えば消えてしまう。でも、私の幸せは奪われることがありません。私は今、より深い人生、より深い幸せを味わっていると思うんです」
荒木さんは今、53歳。人生100年時代の折り返し地点に立ち、池田先生の言葉をかみ締める。
「人生は最後の一瞬まで、建設の連続でありたい。この心構えを生涯もちつづけたかどうかが、その人の人生の価値を決定するといっても過言ではない」(『人生抄』)。
人生の最後に「大満足の人生だった!」と勝ち鬨を上げる自分の姿を確信しながら、荒木さんはきょうも、使命の道を歩む。
〈参考文献〉近藤絢子著『就職氷河期世代』中公新書、永濱利廣著『就職氷河期世代の経済学』日本能率協会マネジメントセンター。
〈参考文献〉近藤絢子著『就職氷河期世代』中公新書、永濱利廣著『就職氷河期世代の経済学』日本能率協会マネジメントセンター。
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「今が一番充実している」と語る荒木さん
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9月27日付のルポ「就職氷河期世代と信仰」はこちらから
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