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〈特別インタビュー〉 「政治と宗教の関わり」の正しい理解 2022年9月12日

  • 東洋哲学研究所所長/創価大学名誉教授 桐ヶ谷章さん

 7月に起きた安倍元首相の銃撃事件を機に、政治と宗教の関係性がクローズアップされている。宗教法を専門とする桐ヶ谷章さんに聞いた。(「第三文明」10月号から)
 

1942年、神奈川県生まれ。東京大学大学院法学政治学研究科修士課程修了。専門は憲法・宗教法。創価大学法学部長・法科大学院研究科長・副学長、宗教法学会監事・理事・常務理事等を歴任。現在東洋哲学研究所所長・代表理事。弁護士(東京弁護士会)。著書に『宗教団体の政治活動』『政教分離の日米比較』『憲法20条――その今日的意義を問う』など
 
1942年、神奈川県生まれ。東京大学大学院法学政治学研究科修士課程修了。専門は憲法・宗教法。創価大学法学部長・法科大学院研究科長・副学長、宗教法学会監事・理事・常務理事等を歴任。現在東洋哲学研究所所長・代表理事。弁護士(東京弁護士会)。著書に『宗教団体の政治活動』『政教分離の日米比較』『憲法20条――その今日的意義を問う』など  
旧統一教会問題は政治と宗教の問題ではない

 ――安倍晋三元首相の銃撃事件では、犯行動機が旧統一教会(現・世界平和統一家庭連合)への怨恨であり、かつ同教団が複数の政治家に働きかけを行っていたことから、政治と宗教の関わりに対して疑念の目が向けられています。桐ヶ谷さんは、現在の状況をどのようにご覧になっていますか。
 
 桐ヶ谷章 まず、今回の事件を「政治」と「宗教」の関わりについての問題と捉えるのは、問題の本質を理解していないと言わざるを得ません。今回の問題は、「一部の政治家」と「反社会的活動を長年継続する団体」(トラブル団体)との関わりにすぎないのです。
 
 この問題に詳しい「全国霊感商法対策弁護士連絡会」の紀藤正樹弁護士も、「旧統一教会は反社会的活動を長年継続する団体であり、霊感商法を行う団体と政治家の関わりの問題と捉えるべきだ」とし、この問題を「政治と宗教の関わり」の一般論で検討すると間違う旨、テレビ番組等で語っています。
 

政教分離原則とは

 ――それにもかかわらず、この問題を契機に「政治と宗教の関わり」が取り沙汰され、それと絡めて「政教分離」という言葉が頻繁に使われています。そこで、「政教分離」とはどのような原則なのか、教えてください。
 
 桐ヶ谷 「政教分離」とは、「信教の自由」を国家の制度的な側面から保障する原則です。国家が特定の宗教や宗教団体に特権を与えたり、圧迫・干渉を加えたりすることなどを禁じています。つまり、国家の「非宗教性」や「宗教的中立性」を規定しているのです。
 
 ――どのようにして確立してきたのでしょうか。
 
 桐ヶ谷 ヨーロッパの歴史をひもとけば、強大な国家権力とカトリック等の宗教的権威が結び付いて国民を全人格的に支配し、人権を蹂躙してきた歴史があります。その桎梏(自由や人権の厳しい束縛)から解放されるということが、近代市民革命の大きな目的でした。
 
 そのために国家権力と宗教的権威を切り離し、信教の自由を獲得することが、まず行われました。それが「信教の自由は人権獲得の歴史の中において、先駆的・中核的役割を果たしてきた」(ドイツの法学者ゲオルグ・イェリネック)と言われるゆえんです。このように「人権」とりわけ「信教の自由」を確実に保障するための国家の仕組み・制度として確立してきたのが、「政教分離原則」なのです。
 

 ――では、日本における政治と宗教の歴史を教えてください。
 
 桐ヶ谷 日本の近現代史においても、明治新政府が発足(1868年)すると、彼らは旧幕府勢力を一掃し、天皇中心の国家体制を築くことを目的に、仏教国教化政策(寺請制度)を廃止し、天皇およびその先祖を祀る伊勢神宮を筆頭とした「神社神道」を国教化する政策へとかじを切りました。
 
 そして、89年に「大日本帝国憲法」(明治憲法)が発布されます。当時の日本は欧米列強と対等に渡り合うために、近代的な憲法典の制定が必要だったのです。その体裁を保つための一環として、第28条で一応は信教の自由も保障しました。ただし、「国の安寧秩序を妨げず臣民(天皇の臣下)の義務に背かない限りにおいて」との留保が付けられたのです。
 
 そして明治政府は、この留保を巧妙に活用し、神社を特別扱いにしていきます。例えば、神社に公的法人格を与え、神職に公務員の地位を与えました。そして、祝日に神社へ参拝するのは、「臣民の義務」であるとの社会的空気を醸成し、果ては伊勢神宮の「神宮大麻」(神札)を拝むことを国民に義務付けたのです。
 
※1 大日本帝国憲法第28条
日本臣民ハ安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務ニ背カサル限ニ於テ信教ノ自由ヲ有ス
 

 ――そうした状況の中で、神社以外の宗教団体は、どのように扱われたのでしょうか。
 
 桐ヶ谷 政府は「宗教団体法」と「治安維持法」を巧みに操り、いわばアメとムチで宗教を統制・弾圧してきました。紙幅の都合で細かいことは割愛しますが、宗教団体法で宗教団体を巧みに統制し、治安維持法で気に入らない宗教団体を徹底的に弾圧したのです。実際、創価学会の牧口常三郎初代会長、戸田城聖第2代会長も「神札を受けない」との口実で逮捕され、牧口会長は獄死しています。
 
 このように国家は、宗教団体を完全にその管理下に置き、信教の自由が徹底的に侵害・弾圧されたのです。それに伴い「思想・良心の自由」「言論の自由」「学問の自由」等の精神的自由も弾圧され、民主主義は崩壊し、軍部の独裁政治によって戦争に突き進むという悲惨な歴史をたどりました。
 

信教の自由確立への歩み

 ――やがて日本は終戦(1945年)を迎えるわけですが、アメリカ主導のGHQ(連合国軍総司令部)がどんな宗教政策を行ったのか教えてください。
 
 桐ヶ谷 軍部による思想・言論統制や宗教弾圧が、未曽有の戦禍の遠因であるとの観点から、進駐後間もなく「基本指令」「神道指令」を発令するなど、徹底的な国家神道の解体と政教分離の推進を図り、信教の自由をはじめ諸人権の保障を指示したのです。
 
 先に述べた治安維持法や宗教団体法も廃止され、経過的措置としての「宗教法人令」(45年)を経て、信教の自由を基本理念とする「宗教法人法」(51年)の制定に至りました。
 
 また、46年には日本国憲法が制定され、その第20条に「信教の自由」が明記されました。その内容には、①内心における信仰の自由②それを外部に表現する宗教的行為の自由③宗教結社の自由が含まれます。
 
※2 日本国憲法第20条
信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
二.何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
三.国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。
 

 ――「自分は無宗教だから、信教の自由など関係ない」という意見を耳にすることがありますが、この点についてはどのようにお考えですか。
 
 桐ヶ谷 信教の自由の中には、「信仰しない自由」も含まれており、決して無宗教の人と無縁なものではありません。また、先に述べたとおり、あらゆる精神の自由の先駆的・中核的部分が信教の自由ですので、無宗教の人にも密接に関係する重要な人権なのです。
 

宗教者・宗教団体の政治活動

 ――ところで、政治と宗教の関わりを論ずる際に、「宗教者や宗教団体が政治活動をすることは、政教分離原則によって許されない」と主張する人がいますが……。
 
 桐ヶ谷 それは、政教分離の誤った理解の典型例と言えます。
 
 まず、信教の自由の内容には、宗教的信念に基づいて社会的にさまざまな活動をする自由も含まれます。その一環として、政治活動をする自由や団体を結成して活動する自由も保障されているのです。インド独立の父マハトマ・ガンジーが、「宗教は、人類すべての活動の『根』にあるべきもの。政治と宗教を切り離し、別個に存在することはできない」旨語っているとおり、政治活動は、宗教を持つ者の信念の発露としてのもろもろの営みの一つと言えます。
 
 すなわち、宗教者・宗教団体が政治活動をすることは、まぎれもなく憲法上の権利です。そして、これらの自由を含む信教の自由を制度の面から支えているのが政教分離原則なのです。その政教分離原則を引き合いに出して、宗教者・宗教団体の政治活動を禁止しようとすることは、本末転倒も甚だしい話だと言えます。
 

 ――そのほかの憲法条項から見た場合はどうでしょうか。
 
 桐ヶ谷 こうした考え方は、すべての国民が有する参政権について宗教を理由に認めないということであり、「法の下の平等」に反し、「思想及び良心の自由」「集会・結社及び表現の自由」など民主主義社会の最重要基盤であり、国民の最も大切な基本的人権を真っ向から否定することになります。
 
 「共産主義」や「友愛主義」など宗教と関係ない主義・主張を掲げる者や団体は、政治活動が許されるのに、宗教的信念から発する「平和主義」「人間主義」等を掲げる宗教者や宗教団体は、政治活動が禁止されるのかという問題です。そんなことは、憲法の前記諸規定から見ても断じて許されません。
 
※3 日本国憲法第14条
すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
 
※4 日本国憲法第19条
思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。
 
※5 日本国憲法第21条
集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。 
 

 ――一方、そうした政治活動が憲法20条1項の「いかなる宗教団体も(中略)政治上の権力を行使してはならない」に反するのではないか、と見る向きもあります。
 
 桐ヶ谷 それは憲法をあえてねじ曲げて解釈した議論です。ここでいう「政治上の権力」とは、国家が保有する立法権・課税権・裁判権・公務員の任免権等の統治的権力を指します。政教分離原則の一環として政府や地方自治体が、特定の宗教団体に対し、こうした権限を与えることを禁じた条項なのです。
 
 従って、宗教者・宗教団体が政治活動をすることとは、全く関係ありません。これが学説上の通説でもあります。
 

支援活動は? 政権に入った場合は?

 ――今まで述べられてきた政治活動の中には、選挙における政党支援活動も含まれるのでしょうか。
 
 桐ヶ谷 当然です。主義主張や考え方を政治に反映するために政党支援をすることは、政治活動の重要な部分です。
 

 ――それでは、「宗教団体が支援する政党が政権に参加することは、『政治上の権力行使』に当たるのではないか」との意見については?
 
 桐ヶ谷 今まで述べてきたのと同じ理由で、全く問題ありません。政党である以上、政権を目指すのは当然です。もし、そのような政党を支援することが許されないとするならば、宗教者・宗教団体は、政権を目指さない政党、すなわち不完全な政党しか支援できないことになり、これも先に挙げた憲法の諸規定に反することになります。
 
 以上に述べてきた見解は、憲法の制定当時から今日に至るまで、政府の一貫した見解で、学説上もほぼ確定しています。
 
 もちろん、政府が宗教に関与することは絶対に許されません。この点、宗教法人法改正(1995年)の際の「宗教法人等に関する特別委員会」で、創価学会の秋谷栄之助会長(当時)は同会の基本的姿勢として、①国家権力を使って布教しない②国から特別の保護や特権を求めない③支持する政党や候補者が宗教的中立であることを求める――と明言しています。よって、創価学会の支援する政党が政権を担っても、政教分離原則に反する懸念は全くありません。
 
※6 金森徳次郎国務大臣(1946年)
「(憲法20条は)宗教団体の政治活動を禁止する規定ではない」
 
※7 大森政輔内閣法制局長官(1999年)
「宗教団体が支援している政党が政権に参加しても、憲法の政教分離の原則に違反しない」
 

アメリカにおける政教分離

 ――ところで、アメリカでは、政教分離をどのように確保しているのでしょうか。
 
 桐ヶ谷 1971年に制定された「合衆国憲法修正第1条」に、「国教樹立の禁止条項」と「宗教の自由活動条項」が規定されています。ここでいう「国教樹立」とは、国家が特定の宗教団体を優遇したり冷遇したりすることで、国家のそうした行為を禁止するという、国家の非宗教性、宗教的中立性(政教分離原則)を規定したものです。
 
 なおアメリカでは、宗教者や宗教団体が政治活動できることは、当然のこととされています。例えば、憲法学を代表する学者の一人であるローレンス・トライブは、修正第1条の国教樹立禁止条項について、「教会と国家の壁は、直接的にでもあれ、間接的にでもあれ、宗教を政治から締め出すものではない」と指摘しています。
 

 ――ほかに、「宗教法人が非課税なのはおかしい。法の下の平等や納税の義務(第30条)に反するのではないか」と見る人もいます。
 
 桐ヶ谷 それは宗教団体を目の敵にする人たちが、盛んに言っているだけです。世の中には、多数の非営利活動法人が存在します。いわゆるNPO団体のほか、学校法人、社会福祉法人、一般および公益の社団・財団法人などが存在し、宗教法人もこの中に含まれます。細かい税制の話は紙幅の関係で避けますが、これら非営利法人に税制上の優遇があるのは、当該団体が公共の利益に資すると期待されているからです。
 
 そうした多様な法人のうち、宗教法人のみを問題視することこそ、法の下の平等に反するのではないでしょうか。
 

国家による宗教管理は断固阻止すべき

 ――かつて、オウム真理教が地下鉄サリン事件をはじめ、さまざまな反社会的行動を行った時(1995年)、宗教法人法の改正がなされました。今回も何らかの動きが考えられるでしょうか。
 
 桐ヶ谷 あの時は、「こうしたテロ等が起こるのは、宗教法人法に欠陥があるから」との議論が巻き起こり、「もっと宗教団体を管理・規制できるように改正せよ」という世論が醸成されました。その後、「創価学会の身体検査をするために改正するのだ」などと一部の勢力が本音を漏らしたりして、政争の具となり、挙げ句の果てに手続きもなおざりにして、拙速に改正してしまったのです。それに便乗して、宗教団体の活動を規制する法律を制定しようというような動きも出ていました。
 
 危険なのは、今回のような異常事態が発生すると、それに乗じて世論を煽動し、宗教団体を国家の管理下に置こうとする動きが生ずることです。国家が宗教を管理する時、人権は侵害され、国家は破滅に向かいます。
 
 私たち日本人は、国家神道の強制から太平洋戦争、敗戦に至るという苦く悲しい歴史を体験しています。その惨劇を繰り返さないためにも、信仰を持つ、持たないにかかわらず、あらゆる人に「信教の自由」を守ることの重要性を知ってほしいと思います。

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