• ルビ
  • 音声読み上げ
  • シェア
  • メール
  • CLOSE

〈Seikyo Gift〉 命きらめく「風光」の物語 骨髄異形成症候群を越えて〈生きるよろこび 信仰体験〉 2026年10月31日

  • 母はいつも明かりを灯してくれた
お客との語らい。吉田さん㊥は、「一緒に癒やしの時を過ごして、少しでも心軽くなってもらえたら」と
お客との語らい。吉田さん㊥は、「一緒に癒やしの時を過ごして、少しでも心軽くなってもらえたら」と

 【北海道森町】かためのプリンと、深煎りのコーヒーは、どこか懐かしく、心をほっと落ち着かせてくれる。地域のフリースペースで、不定期で営業している「喫茶室 風光」。その店名には、“訪れた人に、光のような温かい風が舞い込みますように”との思いが込められている。店主の吉田楓さん(30)=副白ゆり長=が、そう願うには理由がある。自身、「骨髄異形成症候群」と闘ってきた経験があるから――。(9月1日付)

 小学生の頃、授業中によく頭やおなかが痛くなった。「次の体育の授業が嫌だからかな?」。それぐらいに思っていたが、年月を重ねるにつれ、めまいや貧血の症状も出るように。2カ月に1回の血液検査のたびに、ヘモグロビンの数値が低下したが、病名は分からないまま。21歳の時、月1回の輸血が必要になった。

 2018年(平成30年)、保育士として働いていた吉田さんは、高熱が続き入院。免疫力の低下から感染症にかかりやすく、退職せざるを得なかった。

 詳しい検査の結果、血液のがんの一種である「骨髄異形成症候群」であることが判明した。骨髄の造血幹細胞に異常が起こり、正常な血液がうまく造れなくなる疾患。吉田さんの場合、医師の説明では“白血病に移行する可能性もあり、いずれ造血幹細胞移植が必要”だという。当時22歳。「自分が病気なんて」。見えない未来と、移植への恐怖に、泣き崩れるしかなかった。

 次第に、吉田さんの体は輸血による副作用で、動悸や強い倦怠感に襲われるようになった。仕事や旅行、好きなことに夢中な友人の話を耳にしては、「自分だけ時間が止まっているような感覚がした」。

 家のふすまの向こうからはいつも、母・陽子さん(56)=副白ゆり長=や、祖父・山口賢造さん(87)=副支部長=の力強い題目の声が聞こえた。「この信心で治らないはずがないよ」との確信の励ましは、吉田さんの沈んだ心を少しずつ引き上げてくれた。「毎日祈ってるからね」と声をかけてくれる婦人部(当時)の先輩の姿にも、“人のためにここまでできるのか”と胸が熱くなった。

 御本尊に題目を唱えると、勇気がふつふつと湧いてきた。叔母・里村香織さん(54)=支部副女性部長=も、自身の闘病体験を通して、温かく寄り添ってくれた。“一人じゃないんだ”と思えた。だんだんと、“私は絶対に大丈夫”との強気の祈りに変わっていく。「題目と共に駆け抜けた感覚だった」。病の宣告から3年。はらが決まった。“移植をして、生き抜いてみせる!”

 22年(令和4年)2月、ドナーが見つかった。造血幹細胞移植の前処置として、5日間連続で強い抗がん剤が投与された。

 強い吐き気などの激しい副作用。放射線照射による治療にも耐え抜き、移植の日を迎えた。

 無菌室の真っ白な壁に囲まれ、高熱でもうろうとする意識の中で、心細さが募った。“いつここから出られるのかな……”。そんな時、電話が鳴った。陽子さんからだった。「ねえ、窓を見て!」。母の呼びかけにカーテンを開けると、駐車場から母と叔母が、こちらを見上げて大きく手を振っているのが見えた。電話口から聞こえた。「『冬は必ず春となる』(新1696・全1253)だからね!」。吉田さんは母の姿を見つめながら、幼い頃の記憶をたどっていた。

 両親が離婚したのは5歳の時だった。母は朝から晩まで、働きに出た。それでも、姉と吉田さんの誕生日には必ず家で「ハッピーバースデー」を歌ってくれた。ろうそくに照らされた母の笑顔。そのほほ笑みが、いつも吉田さんの心の奥に、明かりを灯してくれていたのだと、今、気が付いた。

無菌室での闘病中(2022年3月、本人提供)
無菌室での闘病中(2022年3月、本人提供)

 ふと、無菌室のカレンダーに視線を移した。“明日は来る。必ず、明るい未来がやって来る”。そう確信できた。

 数日後、吉田さんは母のスマートフォンに、1枚の写真を送った。抗がん剤の副作用で髪が抜けた自分の姿。“私は元気だよ”。心配性の母にそんな思いを込めて、“変顔”でシャッターボタンを押した。

 10日間で無菌室を出ることができ、1カ月ほどで退院。移植したドナーの免疫細胞が患者の体を攻撃する「移植片対宿主病(GVHD)」により、体中に発疹ができたり、大好きな食事の味も分からなくなったりした。

 苦しみの中で、池田先生の詩が心を前向きにさせてくれた。

 「君は/苦しくても/楽しみを与える/力を持っている。/暗くても/必ず新しいものに変えゆく/勝利を持っている」

 退院から半年後、学童保育の仕事に復帰した。学会活動でも恩返しの思いで、池田華陽会のリーダーとして、友の元を訪ねた。足を運ぶほどに、心が通じ合えることがうれしくなる。同志と共に華陽の集いをつくり上げていく時間は財。「学会って、自分が輝ける場所なんだよ」。そう人を励ます中で、自分自身もまた、前へ進む力をもらっていた。

闘病の冬を越えた退院後、陽子さんと桜を見に行った(22年5月、本人提供)
闘病の冬を越えた退院後、陽子さんと桜を見に行った(22年5月、本人提供)

 命は限りあるもの――。病を通してそう実感したからこそ“後悔のないよう自分らしく生きよう”と思い立った。

 転職し、実家を出て森町に移住。昨年5月、「喫茶室 風光」の営業を開始した。

 今年6月のメニューには「まだ名前のないオムライス」という一品がある。幼い頃、忙しい母が作り置きしてくれたオムライスの思い出から、ひらめいた。

 そんなほっとする“物語”を感じてもらいながら、訪れた人の心がほどける居場所をつくりたい。そう思い、始めた喫茶店。現在、3カ月に1回の定期検診に通い、就労支援の仕事の傍ら、メニューの試作に取り組む日々を送っている。

 7月の営業日、陽子さんが初めて「風光」を訪れた。

 プリンを口に運ぶと、「味はまだ私が負けてないかな」としたり顔。そして娘の世界観が詰まった店内を静かに見回し、お客の輪の中で楽しそうに語らう吉田さんの姿に目を細めた。

 昔から一人でいることが多かったわが子。今、夢中にやりたいことをして、自分が知らない誰かと笑顔を交わしている。娘は確かに、前に進んでいた。あの日、病室の窓から母の姿を見つめた娘を、今度は母が見つめていた。「病気を乗り越えて、人を大切にする芯のある子になった」

 吉田さんには、「自分の店を持ちたい」という夢がある。こだわりのメニューで喜んでもらうことが、今の生きがい。お客への思いを込めて、コーヒーをゆっくりとドリップした。

母・陽子さん㊧と笑顔で
母・陽子さん㊧と笑顔で

動画

創価大学駅伝部
特設ページ

創価大学駅伝部特設ページ

「青春対話」
連載開始30周年

「青春対話」連載開始30周年

SEIKYO CAMPUS

SEIKYO CAMPUS

SDGs✕SEIKYO

SDGs✕SEIKYO

連載まとめ

連載まとめ

Seikyo Gift

Seikyo Gift

聖教ブックストア

聖教ブックストア

デジタル特集

DIGITAL FEATURE ARTICLES デジタル特集

YOUTH

劇画

劇画
  • HUMAN REVOLUTION 人間革命検索
  • CLIP クリップ
  • VOICE SERVICE 音声
  • HOW TO USE 聖教電子版の使い方
PAGE TOP