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〈連載 三代会長の精神に学ぶ〉第57回 戸田先生「第15回秋季総会」での講演㊤ 2026年5月4日

  • 《歴史を創るは この船たしか》
  • 物質文明の発達がもたらした功罪
  • 問題解決の道開く宗教の役割が重要に

戸田先生 「第15回秋季総会」での講演 (1956年11月)

 今日の物質文明というものは、ひじょうに、極度までといっていいほど進んでおります。私は地方へ行くたびに、それを強く感ずるのであります。大阪へ飛行機で行けば、一時間四十分、北海道まででも三時間、また汽車に乗って大阪にまいりましても、朝乗って夕方に着く。まことに便利な世界になったものだと思うのであります。
 また、家庭的にみましても、電気せんたく機、あるいはラジオ、テレビ……。これを、今から百年前の人がとつぜんに現れて、この物質文明の世界へきたとしましたならば、どれくらい驚くことでありましょう。また、百年前の人に今の世界の話をしましたならば、さぞや、おとぎ話の国のことのように思うてうらやましがったであろうと思うのであります。
 しかるに、人類の幸福は、物質文明によってなされたでありましょうか。いな、むしろ幸福の総量は、減っているとしか考えられないのであります。かえって、物質文明のおかげによって、悲劇がずいぶん生まれているのです。また瞋、怒ることです、また貪、むさぼりです、また癡、おろかさ、あるいは自慢、あるいは疑い、こういうような、われわれに不幸をもたらすわれわれの生命の作用が、ひとつも解決されてはおりません。これは、なにによることであろうか。
 すなわち、物質文明もわれわれに幸福をもたらすと同時に、このわれわれの心の状態における幸福をもたらすものは、宗教でなければならないのであります。それは迷信や、観念的な宗教でなく、ただ修養的な宗教でもありません。そういうもののみが日本にあるがゆえに、ほんとうの幸福というものを、日本民衆はつかめないのであります。いな、世界じゅうがそうなのであります。(中略)
 (人類に幸福を与える宗教は)観念論でもなく、迷信でもなく、修養的でもありません。生きた宗教、生活にとけこみ、生活ににじむ宗教であります。だが、これを日本の民衆に、どうして納得させるかということが問題なのであります。
 これは、皆さまの清き信心よりいずるところの体験による以外にはないのです。
 (『戸田城聖全集』第4巻)

広宣流布大誓堂の北側広場にある戸田先生の歌碑。池田先生の筆による文字で和歌が刻まれている。敷地内に学会本部があった時代に建立されたもので、1977年5月、池田先生が出席し除幕式が行われた
広宣流布大誓堂の北側広場にある戸田先生の歌碑。池田先生の筆による文字で和歌が刻まれている。敷地内に学会本部があった時代に建立されたもので、1977年5月、池田先生が出席し除幕式が行われた

 日本や世界各地から同志が集い、連日、誓願勤行会が行われている東京・信濃町の広宣流布大誓堂――。その北側広場に、戸田先生の歌碑がある。
 「妙法の
   広布の旅は
    遠けれど
   共に励まし
    とも共に征かなむ」
 1955年1月、新年の出発に際して詠まれた和歌だ。
 この年、戸田先生は首都圏をはじめ、静岡、大阪、高知、宮城、北海道、山梨、愛知、新潟、福岡に赴いて友を励ました。
 1956年には、前年に訪れた各県の再訪に加え、兵庫、秋田、岡山、京都、福島を訪問。福島では郡山駅のホームで激励を行うなど、激闘の日々を重ねる中で、創価学会の陣容は50万世帯にまで拡大したのである。
 こうした拡大が成し遂げられた背景には、戸田先生や池田先生をはじめ、多くの同志の広宣流布への情熱とともに、ひとかたならぬ労苦があったことは言うまでもない。その上で時代環境の変化として、交通網の整備が進んだことが後押しになった面があると言えよう。
 戸田先生の出版社に池田先生が入社した1949年には、東京と大阪を約9時間で結ぶ特急が走るようになった。
 また戸田先生が第2代会長に就任した1951年には、東京の羽田空港と関西の伊丹空港と福岡の板付空港を結ぶ路線や、羽田空港と北海道の千歳空港を結ぶ路線の運行が始まった。
 戸田先生はこれらの路線を活用して、1954年8月には、5日に羽田空港から伊丹空港に向かい、大阪で指導を行った後、7日から福岡での指導に臨み、9日に空路で帰京。また10日に池田先生と共に羽田空港から千歳空港に向かい、札幌、函館、小樽、旭川、岩見沢で会合などに出席した後、厚田村にも立ち寄り、20日に東京に戻るということもあったのである。
 疲労を押して広布の指揮を執った戸田先生は、よく池田先生にこう語っていたという。
 「仏は『未曽暫癈』と仰せだから、仏法を弘めゆく私も、休むわけにはいかないのだ」
 法華経寿量品にあるこの言葉を胸に、戸田先生は交通手段を駆使しながら、日本各地の友のもとへ足を運んだのだ。

1956年11月、全国から約6万人の同志が集い、東京の後楽園スタジアム(当時)で行われた第15回秋季総会。その5年前(1951年5月)、戸田先生が第2代会長に就任した時の学会員は実質3000人ほどだったが、信心の歓喜の波動が各地に広がる中、わずか5年の間に50万世帯にまで拡大した
1956年11月、全国から約6万人の同志が集い、東京の後楽園スタジアム(当時)で行われた第15回秋季総会。その5年前(1951年5月)、戸田先生が第2代会長に就任した時の学会員は実質3000人ほどだったが、信心の歓喜の波動が各地に広がる中、わずか5年の間に50万世帯にまで拡大した

 戸田先生は1956年7月、豊島公会堂(当時)で「新池殿御消息」の講義をした際、鎌倉時代や江戸時代と現代を比較して、こう述べたことがあった。
 「広宣流布の時について、いろいろ、かれこれいいますが、大聖人様の時代にあれだけ弘まったということは、たいへんなことです」
 「江戸時代のことを考えてみますと、江戸を折伏するのだって、容易なことではない」
 「(例えば江戸時代に現在の状況を当てはめて)豊島公会堂に集まるといったって、みなさんがお出でになったところは、相当遠いところです。そこから歩いてくるとしたら、いったいどういうことでしょうか。夜の八時なり、七時半ごろまで、ここで話し合って帰られるとすると、帰宅されるのは夜明けごろになってしまいます。それから、これだけの人が集まって話し合っても、なかなかこれだけ集まる場所がない。真っ暗で、たとえロウソクをつけてやるとしても、たいへんなことです」と。
 その上で戸田先生は、交通の便の発達を含めた「あらゆる文明の進んでいる度合」が、広宣流布の伸展にも大きく関係していることを強調したのだ。
 文明の発達によって時間的な距離が縮まったのは日本国内だけでなく、世界の国々とのつながりにも言えることである。
 1956年の年頭に、戸田先生は次の和歌を詠んだ。
 「雲の井に
   月こそ見んと
    願いてし
   アジアの民に
    日をぞ送らん」
 そして、聖教新聞の新年号を、インドのネルー首相、フィリピンのマグサイサイ大統領、中国の周恩来総理などアジア諸国の指導者ら10人に、書簡を添えて送付する形で贈呈した。
 “聖教新聞を日本中、世界中の人に読ませたい”というのが戸田先生の熱願だった。その世界的な先駆けとして、創刊(1951年4月)から5周年を前に、アジア各国の指導者に新聞が届けられたのである。
 このように時間的な距離が縮まっていく一方で、1950年代は文明の発達による負の側面として、人類全体を破滅に導きかねない兵器の開発競争が進んだ時期でもあった。アメリカとソ連が、原爆の破壊力をはるかに上回る水爆の実験を実施するようになっていたのだ。
 そうした中で戸田先生は、1956年11月に行われた学会の秋季総会で警鐘を鳴らした。
 “物質文明の発達だけでは、人類に幸福をもたらすことはできない。物質文明の問題と同時に、生命に関わる根本的な課題に目を向ける必要がある”と訴えたのである。(㊦に続く)

 <語句解説>
 板付空港 現在の福岡空港。戦後、米軍の管理下で運用される中、1951年10月に日本の民間航空の国内線が就航。その後、日本に返還され、72年4月に改称した。

 未曽暫癈 法華経の寿量品にある文で、仏の行いは瞬時もたゆむことがないことを表した言葉。

 マグサイサイ フィリピンの政治家で、1954年に大統領に就任。死後、その名を冠した賞が創設され、社会貢献などに尽くしてきた個人や団体が顕彰されてきた。

 水爆 重水素の原子核融合反応を利用した核兵器。水爆実験による地球規模の放射能汚染に対する憂慮が高まり、実験禁止を求める運動が広がる中、1963年に部分的核実験停止条約が締結された。

※次回(第58回)は5月5日に配信予定

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