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〈SUA卒業式〉 卒業生代表のあいさつ(要旨)
〈SUA卒業式〉 卒業生代表のあいさつ(要旨)
2025年5月26日
アユ・ナカザキさん
アユ・ナカザキさん
創価教育は私たちに、「全ての人間には無限の価値がある」と教えてくれました。
違いを分断の理由にするのではなく、深い学びの契機とするためには、対話し、関わり、学び合える場を創り出す必要があり、SUAではそのような場が自然と生まれていました。ユニークで多様な視点、小規模で親密な教室環境、そしてこのキャンパスの設計そのものが、複雑さを乗り越え、つながりを理解し、互いの貢献を尊重する力を育んでくれたのです。
私は、国際関係学と環境学を専攻しました。世界が直面する喫緊の課題は、その原因の複雑さから、時に私たちを無力感や失望へと追い込みます。しかし、SUAで出あった平和の実践者たちの言葉と行動に私たちは学びました。“真の変革は、日々の地道な行動から生まれるのだ”と。
学びを支えてくださった寄付者の皆さまの真心を思う時、私たちは、たとえ自分が自分を疑ってしまう瞬間があっても、「自分たちを信じてくれている人が世界中に何百人、何千人といる」ということを、いつも思い出すことができました。
この場にはいないけれど、「心の中で共にいてくれる人々」も含めて――私たちは皆、互いにとっての「光」であったし、これからも、そうであり続けます。
創価教育は私たちに、「全ての人間には無限の価値がある」と教えてくれました。
違いを分断の理由にするのではなく、深い学びの契機とするためには、対話し、関わり、学び合える場を創り出す必要があり、SUAではそのような場が自然と生まれていました。ユニークで多様な視点、小規模で親密な教室環境、そしてこのキャンパスの設計そのものが、複雑さを乗り越え、つながりを理解し、互いの貢献を尊重する力を育んでくれたのです。
私は、国際関係学と環境学を専攻しました。世界が直面する喫緊の課題は、その原因の複雑さから、時に私たちを無力感や失望へと追い込みます。しかし、SUAで出あった平和の実践者たちの言葉と行動に私たちは学びました。“真の変革は、日々の地道な行動から生まれるのだ”と。
学びを支えてくださった寄付者の皆さまの真心を思う時、私たちは、たとえ自分が自分を疑ってしまう瞬間があっても、「自分たちを信じてくれている人が世界中に何百人、何千人といる」ということを、いつも思い出すことができました。
この場にはいないけれど、「心の中で共にいてくれる人々」も含めて――私たちは皆、互いにとっての「光」であったし、これからも、そうであり続けます。
ジョーダン・ブラボーさん
ジョーダン・ブラボーさん
私は、移民の両親の息子として、家族で初めて四年制大学を卒業することができました。コロナ禍によって、父のビジネスが閉鎖に追い込まれた時、私は家計を支えるために牧場で働き、一方で学業やスポーツにも懸命に挑み、SUAにたどり着きました。
私たち卒業生を象徴する言葉――それは「レジリエンス(困難を乗り越える力)」ではないでしょうか。コロナ禍以降、SUAで久しぶりに対面授業が再開されたのは、私たちの入学直後のことです。私たちはもう一度、人と直接関わることの価値を学び直し、SUAの対話の精神を体現するようになっていきました。
対話は教室の外にも広がりました。クラスメートが語ってくれた、それぞれの物語は、力強く、面白く、そして胸を打つものでした。その中で、私たちがここまで来られたのは、困難が「あったからこそ」であるということを、確認し合ったのです。
私たちは皆、自分自身を超えた「何か大きなもの」の一部であり、だからこそ、「勇気・慈悲・智慧」を備える「世界市民」としての責任とアイデンティティーを携えて進んでいかなければなりません。大切なことは、その気づきを行動に変えゆくことだと信じます。動き出すべき時が来るのを待つ必要はありません。その時は「今」だからです。
私は、移民の両親の息子として、家族で初めて四年制大学を卒業することができました。コロナ禍によって、父のビジネスが閉鎖に追い込まれた時、私は家計を支えるために牧場で働き、一方で学業やスポーツにも懸命に挑み、SUAにたどり着きました。
私たち卒業生を象徴する言葉――それは「レジリエンス(困難を乗り越える力)」ではないでしょうか。コロナ禍以降、SUAで久しぶりに対面授業が再開されたのは、私たちの入学直後のことです。私たちはもう一度、人と直接関わることの価値を学び直し、SUAの対話の精神を体現するようになっていきました。
対話は教室の外にも広がりました。クラスメートが語ってくれた、それぞれの物語は、力強く、面白く、そして胸を打つものでした。その中で、私たちがここまで来られたのは、困難が「あったからこそ」であるということを、確認し合ったのです。
私たちは皆、自分自身を超えた「何か大きなもの」の一部であり、だからこそ、「勇気・慈悲・智慧」を備える「世界市民」としての責任とアイデンティティーを携えて進んでいかなければなりません。大切なことは、その気づきを行動に変えゆくことだと信じます。動き出すべき時が来るのを待つ必要はありません。その時は「今」だからです。
フェリペ・ダ・シルバさん(修士課程)
フェリペ・ダ・シルバさん(修士課程)
私は、ブラジル生まれの日系3世です。両親は大学教育を受ける機会がなかったものの、懸命に働き、私に教育の大切さを教えてくれました。
2014年にブラジルの大学に進み、国際関係学と社会科学を専攻。核廃絶をテーマに研究しました。日本の創価大学で修士号を取得し、そして今、SUAの大学院10期生として、この場に立てたことを光栄に思っています。
SUAでの学びは、私の人生の中で、最も自己変革できた体験でした。理論だけでなく、実践を通じて「教育が人生をどう変えるか」ということを深く体感したのです。
少人数制の密な学びの環境の中で、私は教室での発言に対する恐れを克服し、普段は避けがちな繊細な話題にも真摯に向き合うことができました。教授の皆さんから尊重され、どんな時も自然体の自分でいられました。
教育の目的は「子どもたちの幸福」にあるという、牧口常三郎先生の理念に触発され、私たちは、生涯にわたり幸福を追求し続けます。それは自分自身のためだけではなく、他者にとっての希望と喜びの源となるためです。
世界各地で、それぞれが固有の使命を果たす中で、私たちはこれからも互いを支え合い、SUAの勇気・慈悲・智慧という価値を体現していきたいと決意しています。
私は、ブラジル生まれの日系3世です。両親は大学教育を受ける機会がなかったものの、懸命に働き、私に教育の大切さを教えてくれました。
2014年にブラジルの大学に進み、国際関係学と社会科学を専攻。核廃絶をテーマに研究しました。日本の創価大学で修士号を取得し、そして今、SUAの大学院10期生として、この場に立てたことを光栄に思っています。
SUAでの学びは、私の人生の中で、最も自己変革できた体験でした。理論だけでなく、実践を通じて「教育が人生をどう変えるか」ということを深く体感したのです。
少人数制の密な学びの環境の中で、私は教室での発言に対する恐れを克服し、普段は避けがちな繊細な話題にも真摯に向き合うことができました。教授の皆さんから尊重され、どんな時も自然体の自分でいられました。
教育の目的は「子どもたちの幸福」にあるという、牧口常三郎先生の理念に触発され、私たちは、生涯にわたり幸福を追求し続けます。それは自分自身のためだけではなく、他者にとっての希望と喜びの源となるためです。
世界各地で、それぞれが固有の使命を果たす中で、私たちはこれからも互いを支え合い、SUAの勇気・慈悲・智慧という価値を体現していきたいと決意しています。
マリーナ・イノウエさん
マリーナ・イノウエさん
私は、ロシアの極東部にあるウラジオストクという街で、ロシア人と日本人の両親のもとに生まれました。幼い頃から、自分の中に常に何か「違うものがある」と感じ、コミュニティーに溶け込むことに苦労していました。
ロシアでは自分が「日本人」のように感じられ、日本では「ロシア人」として見られていました。ですが、ここSUAでは、国籍や社会の定義ではなく、本当の自分とは何かを見つける機会に恵まれました。
出会いや経験の一つ一つが自身のユニークなアイデンティティーを形づくっていく。たくさんの交流を通して、自分のアイデンティティーが、私や私の家族が生まれた場所に強く影響される一方で、それだけが私を定義するものではないと気づいたのです。
私はロシア人と日本人の子です。でもそれだけではありません。私は娘であり、姉であり、友人であり、ダンサーであり、写真家であり、未来の教育者であり、そして今ではSUAの卒業生です。現代社会では、私たちの違いがしばしば「脅威」として扱われがちですが、私たちはその違いを、より強い絆を生み出すきっかけに変えてきました。
コミュニティーを変え、人と人を結ぶ。それは、たった一人の行動から始まります。その「一人」は――「私」であり、「あなた」なのです。
私は、ロシアの極東部にあるウラジオストクという街で、ロシア人と日本人の両親のもとに生まれました。幼い頃から、自分の中に常に何か「違うものがある」と感じ、コミュニティーに溶け込むことに苦労していました。
ロシアでは自分が「日本人」のように感じられ、日本では「ロシア人」として見られていました。ですが、ここSUAでは、国籍や社会の定義ではなく、本当の自分とは何かを見つける機会に恵まれました。
出会いや経験の一つ一つが自身のユニークなアイデンティティーを形づくっていく。たくさんの交流を通して、自分のアイデンティティーが、私や私の家族が生まれた場所に強く影響される一方で、それだけが私を定義するものではないと気づいたのです。
私はロシア人と日本人の子です。でもそれだけではありません。私は娘であり、姉であり、友人であり、ダンサーであり、写真家であり、未来の教育者であり、そして今ではSUAの卒業生です。現代社会では、私たちの違いがしばしば「脅威」として扱われがちですが、私たちはその違いを、より強い絆を生み出すきっかけに変えてきました。
コミュニティーを変え、人と人を結ぶ。それは、たった一人の行動から始まります。その「一人」は――「私」であり、「あなた」なのです。