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〈正義の旗高らかに〉第2回 「北海道の冤罪報道事件」 2025年2月21日

  • 2023年2月15日付創価新報を再掲

 想像してみてほしい。自ら運転する車に、反対車線の対向車がセンターラインを越えて猛スピードで激突。相手は亡くなったが、警察も保険会社も、死亡した相手方の過失を100%と断定したにもかかわらず、ある日突然、全国発売の週刊誌に、こちらが「衝突死させた」と犯罪者の疑惑をかけられる――。

 そんな一個人の名誉と人権を踏みにじる冤罪報道事件が、29年前、実際に起こった。その当事者が、北海道・苫小牧市に住む白山信之さんである。事故発生から、白山さんが提訴した名誉毀損裁判において最高裁で原告勝訴するまでに要した期間は3年8カ月。その間、本人や家族らの心がどれほど傷つけられ、苦しい日々を過ごしたことか。

 今回改めて、白山さん夫妻を取材し、裁判記録などを振り返ると、デマ記事を掲載した「週刊新潮」のずさんかつ無責任な報道体質と、その裏に潜む“闇の実態”が見えてくる。

事件の経緯

 衝突事故は、1994年7月21日午後6時10分ごろに起こった。
 
 場所は北海道大滝村(現・伊達市)の国道276号。日蓮正宗深妙寺(室蘭市)の大橋信明住職が運転する乗用車が、スピードの出し過ぎでカーブを正しく曲がれず道路左端の縁石に接触。とっさに急ハンドルを切って反対車線にはみ出し、たまたま対向車線を走ってきた白山さん運転の2トントラックに正面衝突した。
 
 双方の車両は大破。大橋住職は胸を強打し、約4時間後に死亡した。白山さんも翌日、病院で右足打撲、左膝打撲、腰部打撲、頸椎部外傷との診断を受ける。

警察と保険会社「住職の過失100%」

 駆け付けた警察が現場検証した結果、事故原因は「大橋氏の一方的な過失により起きたもの」と認定された。
 
 事故後に調査した住職側の保険会社によれば、路上に残されたスリップ痕が、白山車の7・1メートルに対し、大橋車は18・5メートル。このスリップ痕と車の損壊状態等から、大橋車は一般道の法定速度を優に超えていたと推定される。
 
 実際、事故車とすれ違った第三者の証言でも、住職の車が猛スピードで何台も追い越していったことが分かっている(事故の詳細も含めた白山信之さんの証言は「メモA」)。
 
 保険会社は事故原因が住職の最高速度違反によるハンドル操作ミスによるもので、過失割合は「100対0」と結論。保険金は白山さんに全額支給された。
 
 事故の翌日の新聞各紙も、「大橋さんがハンドル操作を誤ったらしい」(読売新聞)、「大橋信明さんの乗用車が対向車線にはみ出し、白山信之さんのトラックに衝突した」(毎日新聞)など、一段扱いの“ベタ記事”でありのままの事実を報じている。つまり、この事故に何ら「事件性」はなく、白山さんは事故に巻き込まれた「被害者」であると明確に結論づけられたのだ。
 
 しかし、この誰がどう見ても“決着済みの事故”が、思わぬ方向へ向かうことになる。

事故現場を案内する白山信之さん(1月)。写真から見て反対車線から大橋住職の車が猛スピードでセンターラインを越えて白山さんのトラックに正面衝突してきた
事故現場を案内する白山信之さん(1月)。写真から見て反対車線から大橋住職の車が猛スピードでセンターラインを越えて白山さんのトラックに正面衝突してきた

 事故から約1カ月後の8月22日午前10時半ごろ、「週刊新潮」の記者2人が突然、白山さんの自宅を訪れた。白山さんは仕事で不在だったため、妻の栄子さんが玄関先で応対。白山さんが午後8時ごろに帰宅するまで、一日に計4回も執拗に訪問を繰り返した。その取材姿勢は、夫妻にとって「あまりに無礼で、乱暴で、不快感しかなかった」(取材姿勢も含めた栄子さんの証言は「メモB」)。
 
 その後、「週刊新潮」(同年9月1日号)が掲載したのは、「大石寺『僧侶』を衝突死させた創価学会幹部」という大見出しの記事。事故の「被害者」を「加害者」に見立てた事実無根のデマだった。
 
 この週刊誌は当時、55万部が販売され、新聞広告や電車の中吊り広告などでトップ見出しとして大々的に掲載。不特定多数の一般大衆の目に触れることになったのである。
 
 デマ記事の大筋はこうだ。①学会と宗門は対立関係にあった②事故から数時間後に大橋住職の死をあざ笑うビラが組織的にまかれた③同住職は何者かに後ろからあおられて事故を起こしたのではないか④同住職がぶつかった相手は学会の地区部長だった――。
 
 疑惑をあおった出所不明の“怪ビラ”なるものが、学会員によってまかれた事実も、証拠も、一切ない。しかも、「週刊新潮」の取材の際、「ビラを見たことあるか」との執拗な記者の問いに対し、白山さんは明確に「見たことがない」と断言したにもかかわらず、記事では「見ました」と正反対のことが書かれた。
 
 “ビラの存在を知っていた”ことにしなければ、“事故”を“事件”として臭わせることができない。そのため、「捏造コメント」で無関係な事柄を無理やりつなぎ合わせ、学会幹部が故意に事故を起こして死亡させたとの印象を読者に抱かせようとしたのである。
 
 「なぜ、こんな記事になったのか?」――白山さんの代理人弁護士は新潮社に対して、経過説明と謝罪を求めて抗議書を送付した。それに対し、記事を書いた「週刊新潮」のデスク・門脇護(現在は門田隆将のペンネームを使用)の名で返された回答書には、抗議を「言いがかり」と決めつける文言とともに、次のような一節までつづられていた。
 
 「『事故で死んだ』当人が『事故死した』なら、相手方から見れば『事故で死なせた』となることは小学生にでも分かる理屈ではないでしょうか」――そこには、謝罪の言葉どころか、マスコミとしての責任も誠意もない。むしろ相手を見下す、開き直りとも取れる物言いだ。
 
 この屁理屈に従えば、泥棒に入られた被害者が「泥棒に金を盗ませた」とでも言うのか。門脇が法廷でも口にしたこの“珍説”は、当然、後の判決で明快に論破されることになる。
 
 「『衝突死させた』との文言は、主語が創価学会幹部であること、『衝突死』との複合語の次に、主語に対応して『させ』との使役の助動詞が使用されていることからすれば、創価学会幹部が、何らかの方法をもって、『僧侶』を衝突させ、又は、死亡させたとの趣旨を表現するのであり、創価学会幹部が大石寺『僧侶』を死亡させた加害者であるとの印象を一般読者に抱かせるものである」(札幌地裁)

デマを書いた新潮社が全面敗訴

 10月5日、白山さん夫妻は発行元の新潮社を相手取り、民事提訴。裁判の過程では、取材する前からすでにタイトルが決まっていたことなど、「週刊新潮」の無責任な報道体質が次々と明らかになった(詳細は「メモC」)。
 
 そうした渦中にあって、この「週刊新潮」のデマ記事が、あろうことか国権の最高機関である国会で取り上げられる。
 
 掲載から約1カ月後の10月11日、国会の予算委員会で自民党の代議士が、わざわざ悪意に満ちた見出しをそのまま読み上げ、学会が反社会的な団体であるかのような質問を公共の電波に流したのだ。翌日の朝日新聞が「公明党と支持母体の創価学会との関係を延々と取り上げた」と報じたように、内外に山積する日本の諸課題などそっちのけ。質問時間のほとんどを、それこそ「延々と」学会攻撃に費やした。
 
 この人権侵害発言の陰には、山崎正友という黒幕を筆頭に、驚くべき謀略の構図が存在していた(詳細は「メモD」)。
 
 1審判決は96年12月、札幌地裁で言い渡された。判決では、記事本文に加え、見出しを掲げた広告を掲載することも、記事と一体となって名誉を毀損する行為と認定。「到底公正な論評と言うことはできない」と指摘し、新潮社に110万円の損害賠償を命じた。
 
 つづく2審判決は翌97年9月、札幌高裁で。判決は「取材を完了する前に本件大見出しの内容を決定していた」と認めた上、「取材は予め決められた創価学会批判の方向に沿ってされたのではないかとの疑問は払拭できない」と、初めから結論ありきの姿勢を厳しく指摘。1審判決より踏み込んだ判断を示した。
 
 そして、「本件大見出しに記載された創価学会幹部が大石寺僧侶を衝突死させたとの事実は真実であるということはできず、また、第一審被告(=新潮社)がこれを真実であると信じたこと、及び右のように信じたことに相当の理由があったことを認めるに足りる証拠はない」と結論。1審判決を支持し、新潮社に110万円の賠償が命じられた。
 
 名誉毀損訴訟の賠償金額がまだ高騰化される前の時代。今ならもっと高額に上る可能性さえある。
 
 新潮社は不服として上告したが、98年3月に棄却。白山さんの全面勝訴が最高裁で確定したのである。

 (「北海道の冤罪報道事件」の時代背景はこちら

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