選挙結果から考える、中間集団のこれから〈社会学者・富永京子さんとイドバタ会議〉
選挙結果から考える、中間集団のこれから〈社会学者・富永京子さんとイドバタ会議〉
2026年2月24日
- インタビュー 立命館大学 富永京子准教授
- インタビュー 立命館大学 富永京子准教授
池田華陽会・ヤング白ゆり世代の読者と共につくりあげる連載「社会学者・とみながさんとイドバタ会議」。今回は、2月8日に行われた第51回衆議院選挙を受けて、池田華陽会の記者と富永京子さん(立命館大学准教授)が語り合いました。
新党「中道改革連合」の結成を手がかりに、公明党と立憲民主党を支えてきた創価学会と労働組合という二つの中間集団の役割をどう捉えるのか。選挙前から中間集団同士の関係に注目してきた富永さんと共に考えていきます。
富永准教授が本紙1月29日付に寄せた、連載「時評 いまを読む」はこちらから読めます。
池田華陽会・ヤング白ゆり世代の読者と共につくりあげる連載「社会学者・とみながさんとイドバタ会議」。今回は、2月8日に行われた第51回衆議院選挙を受けて、池田華陽会の記者と富永京子さん(立命館大学准教授)が語り合いました。
新党「中道改革連合」の結成を手がかりに、公明党と立憲民主党を支えてきた創価学会と労働組合という二つの中間集団の役割をどう捉えるのか。選挙前から中間集団同士の関係に注目してきた富永さんと共に考えていきます。
富永准教授が本紙1月29日付に寄せた、連載「時評 いまを読む」はこちらから読めます。
“努力”と“結果”をどう受け止めるか
“努力”と“結果”をどう受け止めるか
――今回の衆議院選挙では、自民党が躍進し、中道改革連合は公示前の議席数を大きく減らす結果となりました。社会運動や中間集団の研究者として、今回の結果をどのように見ていますか。
個人的には、労働組合や創価学会の皆さんと関わりがあるだけに、今回の中道改革連合の結成は“友達同士が仲良くなった”ような感覚で、素直にうれしかったです。だからこそ、結果はとても残念でした。
ただ、今回の選挙はあくまで「出発点」だと考えています。中間集団の強みは、違う立場や属性の人たちが、時間をかけて関係を築いていけることにあります。急な解散、短期間の選挙戦という条件の中で出た結果だけで、その可能性まで否定してしまうのは早いのではないでしょうか。
選挙結果はもちろん大切ですが、選挙だけが社会を変えてきたわけではありません。むしろ、草の根の連帯が積み重なって社会を動かしてきた事例は数多くあります。中間集団の皆さんは、そうした「生活の延長線上に政治がある」という感覚を、日々の活動の中で実感しているはずです。
――池田華陽会の中には、「自分がもっと頑張れていたら……」と悔しがっていたメンバーもいました。
そうした思いが生まれるのは、自然なことだと思います。信念に基づく社会参加として、選挙を真剣に受け止めてきたからこそ、「自分の取り組みは十分だったのか」と自らを振り返ってしまう。その姿勢そのものに、私は誠実さを感じます。
ただ、ここで一度立ち止まって考えたいのは、“努力”と“結果”を全て一直線に結びつける必要があるのか、という点です。
結果を非合理に感じたとしても因果関係で捉えたくなるのは、社会運動の現場でもよくあることです。デモに何万人集まったからといって、必ず政策が変わるわけではない。それでも人は意味を見い出そうとします。問題は、その捉え方が「自己責任」に傾いてしまうことです。「頑張らなかったから負けた」「動員できなかったから変えられなかった」と考え始めると、せっかくの運動や営みが、自分を追い込む装置になってしまいかねません。
今回の選挙は、急な解散という条件のもとで行われました。その“ゲームのつくり方”自体をきちんと指摘する視点も必要です。そうした前提を無視して、全てを個人の努力不足に帰す必要はありません。
昨年末の「イドバタ会議」の「若者と祈り」をテーマとした回で、池田華陽会の方々と語り合いました。その中で、創価学会の皆さんが、“祈り”を通して新たな気づきや前向きな視点を見いだしていることを知りました。そんな皆さんだからこそ、過度な自己責任へと陥らないようにしてほしいと思います。
――今回の衆議院選挙では、自民党が躍進し、中道改革連合は公示前の議席数を大きく減らす結果となりました。社会運動や中間集団の研究者として、今回の結果をどのように見ていますか。
個人的には、労働組合や創価学会の皆さんと関わりがあるだけに、今回の中道改革連合の結成は“友達同士が仲良くなった”ような感覚で、素直にうれしかったです。だからこそ、結果はとても残念でした。
ただ、今回の選挙はあくまで「出発点」だと考えています。中間集団の強みは、違う立場や属性の人たちが、時間をかけて関係を築いていけることにあります。急な解散、短期間の選挙戦という条件の中で出た結果だけで、その可能性まで否定してしまうのは早いのではないでしょうか。
選挙結果はもちろん大切ですが、選挙だけが社会を変えてきたわけではありません。むしろ、草の根の連帯が積み重なって社会を動かしてきた事例は数多くあります。中間集団の皆さんは、そうした「生活の延長線上に政治がある」という感覚を、日々の活動の中で実感しているはずです。
――池田華陽会の中には、「自分がもっと頑張れていたら……」と悔しがっていたメンバーもいました。
そうした思いが生まれるのは、自然なことだと思います。信念に基づく社会参加として、選挙を真剣に受け止めてきたからこそ、「自分の取り組みは十分だったのか」と自らを振り返ってしまう。その姿勢そのものに、私は誠実さを感じます。
ただ、ここで一度立ち止まって考えたいのは、“努力”と“結果”を全て一直線に結びつける必要があるのか、という点です。
結果を非合理に感じたとしても因果関係で捉えたくなるのは、社会運動の現場でもよくあることです。デモに何万人集まったからといって、必ず政策が変わるわけではない。それでも人は意味を見い出そうとします。問題は、その捉え方が「自己責任」に傾いてしまうことです。「頑張らなかったから負けた」「動員できなかったから変えられなかった」と考え始めると、せっかくの運動や営みが、自分を追い込む装置になってしまいかねません。
今回の選挙は、急な解散という条件のもとで行われました。その“ゲームのつくり方”自体をきちんと指摘する視点も必要です。そうした前提を無視して、全てを個人の努力不足に帰す必要はありません。
昨年末の「イドバタ会議」の「若者と祈り」をテーマとした回で、池田華陽会の方々と語り合いました。その中で、創価学会の皆さんが、“祈り”を通して新たな気づきや前向きな視点を見いだしていることを知りました。そんな皆さんだからこそ、過度な自己責任へと陥らないようにしてほしいと思います。
“しがらみ”が社会を変えてきた?
“しがらみ”が社会を変えてきた?
――今回の衆院選では、いわゆる「推し活選挙」とも言われるように、政策や支持団体よりも、政治家個人の発信やキャラクターに共感が集まる傾向が見られました。こうした動きをどう見ていますか。
各政党を支持する若者世代の方々と話していて印象的だったのは、「しがらみ」への忌避感です。「しがらみなく、自分の言葉で発言できる政治家こそが良い」という感覚が、広く共有されているように思います。「しがらみ=既得権益=おじさん=悪」といった、単純化された図式でしょうか。
その一方で、「独立独歩で、既得権益を蹴散らしてきました!」というストーリーは、たしかに爽快で、魅力的に映ります。誰にも縛られず、自分の判断だけで動ける姿は、自由で軽やかです。
ただ、よく考えてみると、しがらみのない人など実際には存在しませんし、しがらみが必ずしも悪いものとも言い切れません。私たちが今、享受している社会制度の多くは、むしろ敬遠されがちな「しがらみ」の中から生まれてきたともいえます。
労働組合や地域団体、宗教団体といった中間集団のような人間関係があったからこそ、生活の不便さや不公平さが声として集まり、制度や行政サービスは少しずつ改善されてきました。そこでは、意見の違いや調整の面倒さを抱え込みながらも、関係を絶たずに続けていく努力が重ねられてきました。その積み重ねが、社会を動かしてきたのです。
しがらみとは、単なる足かせではありません。問題や責任を一人に押し付けず、関係の中で分け合いながら、他者の生活やその先の社会を考えていくためのつながりです。その事実に、改めて目を向けてほしいと思います。
――“しがらみ”嫌いは、どこから来ているのでしょうか。
背景には、一人一人が主体的に判断し、問題を自己完結的に解決する生き方が良しとされるといった風潮があると思います。例えば、公園の遊具が少なければ行政に働きかけるより、お金を払ってテーマパークに行く。誰かと交渉したり、合意をつくったりするよりも、自分で解決する方が合理的だと感じられる場面が増えてきました。
その一方で、JTC(Japanese Traditional Companyの略、日本型伝統企業を指すネットスラング)という言葉に象徴されるように、組織そのものに対して「古臭い」「権威主義的」「意思決定が遅い」といった否定的なイメージが広がっています。中間集団も、そうした視線の延長線上で見られているのではないでしょうか。
結果として、支持団体との調整を重ねながら発言する政治家よりも、自分の考えをストレートに語る政治家の方が魅力的に映るようになる。昨今の選挙で、本人の意図かは分かりませんが、支持団体の存在をあえて前面に出さない議員が増えているように感じるのも、こうした価値観の変化と無関係ではないと思います。
――今回の衆院選では、いわゆる「推し活選挙」とも言われるように、政策や支持団体よりも、政治家個人の発信やキャラクターに共感が集まる傾向が見られました。こうした動きをどう見ていますか。
各政党を支持する若者世代の方々と話していて印象的だったのは、「しがらみ」への忌避感です。「しがらみなく、自分の言葉で発言できる政治家こそが良い」という感覚が、広く共有されているように思います。「しがらみ=既得権益=おじさん=悪」といった、単純化された図式でしょうか。
その一方で、「独立独歩で、既得権益を蹴散らしてきました!」というストーリーは、たしかに爽快で、魅力的に映ります。誰にも縛られず、自分の判断だけで動ける姿は、自由で軽やかです。
ただ、よく考えてみると、しがらみのない人など実際には存在しませんし、しがらみが必ずしも悪いものとも言い切れません。私たちが今、享受している社会制度の多くは、むしろ敬遠されがちな「しがらみ」の中から生まれてきたともいえます。
労働組合や地域団体、宗教団体といった中間集団のような人間関係があったからこそ、生活の不便さや不公平さが声として集まり、制度や行政サービスは少しずつ改善されてきました。そこでは、意見の違いや調整の面倒さを抱え込みながらも、関係を絶たずに続けていく努力が重ねられてきました。その積み重ねが、社会を動かしてきたのです。
しがらみとは、単なる足かせではありません。問題や責任を一人に押し付けず、関係の中で分け合いながら、他者の生活やその先の社会を考えていくためのつながりです。その事実に、改めて目を向けてほしいと思います。
――“しがらみ”嫌いは、どこから来ているのでしょうか。
背景には、一人一人が主体的に判断し、問題を自己完結的に解決する生き方が良しとされるといった風潮があると思います。例えば、公園の遊具が少なければ行政に働きかけるより、お金を払ってテーマパークに行く。誰かと交渉したり、合意をつくったりするよりも、自分で解決する方が合理的だと感じられる場面が増えてきました。
その一方で、JTC(Japanese Traditional Companyの略、日本型伝統企業を指すネットスラング)という言葉に象徴されるように、組織そのものに対して「古臭い」「権威主義的」「意思決定が遅い」といった否定的なイメージが広がっています。中間集団も、そうした視線の延長線上で見られているのではないでしょうか。
結果として、支持団体との調整を重ねながら発言する政治家よりも、自分の考えをストレートに語る政治家の方が魅力的に映るようになる。昨今の選挙で、本人の意図かは分かりませんが、支持団体の存在をあえて前面に出さない議員が増えているように感じるのも、こうした価値観の変化と無関係ではないと思います。
――選挙に関する報道では、「組織票」という表現をよく目にしました。
「しがらみ」と同様、ネガティブな表現として使われた感じがします。中間集団の特徴は、「動員」が伴う点にあります。ある意味では半強制的な仕組みがあるからこそ、価値観の異なる人同士が共同できる。それが中間集団の強みでもあります。
しかし、「組織票」と一言で言っても、その中身を作っているのは、日々積み重ねられてきた信頼関係です。今回の選挙では、その関係性を醸成するには、あまりにも時間が足りなかったとも言えるでしょう。
創価学会の皆さんは、一対一の対話を大切にしてきました。話し合いを重ね、納得の上で行動してきた方も多いはずです。
――選挙に関する報道では、「組織票」という表現をよく目にしました。
「しがらみ」と同様、ネガティブな表現として使われた感じがします。中間集団の特徴は、「動員」が伴う点にあります。ある意味では半強制的な仕組みがあるからこそ、価値観の異なる人同士が共同できる。それが中間集団の強みでもあります。
しかし、「組織票」と一言で言っても、その中身を作っているのは、日々積み重ねられてきた信頼関係です。今回の選挙では、その関係性を醸成するには、あまりにも時間が足りなかったとも言えるでしょう。
創価学会の皆さんは、一対一の対話を大切にしてきました。話し合いを重ね、納得の上で行動してきた方も多いはずです。
中間集団の持つポテンシャルとは?
中間集団の持つポテンシャルとは?
――創価学会として大切な価値を残しつつ、世間の“中間集団嫌い”をどう乗り越えていけばいいかは考えたいところです。
創価学会に限らず、歴史ある団体はどうしてもJTC的なイメージで見られがちです。それ自体は非常にもったいないので、改善が必要な部分には、きちんと手を付けることが大切だと思います。
その上で、中間集団には、他にはない価値があります。それが「公共性」です。
よく、社会運動や政治の話題になると、「中間集団と利益団体って何が違うの?」と聞かれます。「利益団体」とは、自分たちの利益だけを考える集団です。一方で「中間集団」とは、自分たち以外の、より広い範囲の利害を構想できる組織です。労働組合であれば「全ての働く人」、生活クラブであれば「生活する者」という言葉が掲げられています。信仰を基盤としながら、多様な人々の暮らしの悩みや願いに向き合ってきた創価学会については、言うまでもないでしょう。
問題は、こうした公共的な意図が、必ずしも外部に十分伝わっていない点です。結束の強い組織ほど、活動や会話は同じメンバーの間で進みやすく、前提や背景を外部に説明する機会が少なくなりがちです。労働組合で専門用語が多く使われるのも、内側では合理的でも、外からは分かりにくい一例です。
その結果、外部からは内側の論理だけが前面に出て見え、「何を目指している団体なのか」が伝わりにくくなる。そこに距離や違和感を覚える人が出てくるのも無理はありません。
――創価学会として大切な価値を残しつつ、世間の“中間集団嫌い”をどう乗り越えていけばいいかは考えたいところです。
創価学会に限らず、歴史ある団体はどうしてもJTC的なイメージで見られがちです。それ自体は非常にもったいないので、改善が必要な部分には、きちんと手を付けることが大切だと思います。
その上で、中間集団には、他にはない価値があります。それが「公共性」です。
よく、社会運動や政治の話題になると、「中間集団と利益団体って何が違うの?」と聞かれます。「利益団体」とは、自分たちの利益だけを考える集団です。一方で「中間集団」とは、自分たち以外の、より広い範囲の利害を構想できる組織です。労働組合であれば「全ての働く人」、生活クラブであれば「生活する者」という言葉が掲げられています。信仰を基盤としながら、多様な人々の暮らしの悩みや願いに向き合ってきた創価学会については、言うまでもないでしょう。
問題は、こうした公共的な意図が、必ずしも外部に十分伝わっていない点です。結束の強い組織ほど、活動や会話は同じメンバーの間で進みやすく、前提や背景を外部に説明する機会が少なくなりがちです。労働組合で専門用語が多く使われるのも、内側では合理的でも、外からは分かりにくい一例です。
その結果、外部からは内側の論理だけが前面に出て見え、「何を目指している団体なのか」が伝わりにくくなる。そこに距離や違和感を覚える人が出てくるのも無理はありません。
――何かの集団や組織に所属すると、「外からどう見えるか」という視点はなかなか持ちづらいように思います。
だからこそ、異なる中間集団が重なり合う動きには大きな意味があると思います。別々の文脈で活動してきた人たちが出会い、対話を重ねることは、公共に対する想像力を広げるきっかけになります。
「イドバタ会議」の連載を通して感じるのは、創価学会には、組織の中で不満や悩みを率直に語り合える、いわば“ガス抜き”の場があるという点です。違和感を抱えたまま黙り込むのではなく、言葉にできる場があることは、組織が内に閉じこもるのを防ぐ一つの支えになっているように思います。
――2023年3月には、創価学会は他団体と協力し、核兵器廃絶や気候危機といった社会課題をテーマにした「未来アクションフェス」が実施されました。
そうした取り組みは今後、ますます重要になると思います。若者世代と話していても、今の社会にどこか引っかかりを覚えている人が少なくありません。その声をすくい上げ、対話につなげていく役割が求められています。
信仰を基盤にし、地域に根ざしたネットワークを持つ創価学会だからこそ、立場の異なる人たちが対話を続けていく力を支えることができるはずです。
中間集団の価値が問われるのは、すぐに答えの出ない問題を前にしても、対話を手放さずにいられるかどうか。その力が、これからの社会でどれほど必要とされているのかを、今回の選挙を通して、多くの人たちが感じているのではないでしょうか。
――何かの集団や組織に所属すると、「外からどう見えるか」という視点はなかなか持ちづらいように思います。
だからこそ、異なる中間集団が重なり合う動きには大きな意味があると思います。別々の文脈で活動してきた人たちが出会い、対話を重ねることは、公共に対する想像力を広げるきっかけになります。
「イドバタ会議」の連載を通して感じるのは、創価学会には、組織の中で不満や悩みを率直に語り合える、いわば“ガス抜き”の場があるという点です。違和感を抱えたまま黙り込むのではなく、言葉にできる場があることは、組織が内に閉じこもるのを防ぐ一つの支えになっているように思います。
――2023年3月には、創価学会は他団体と協力し、核兵器廃絶や気候危機といった社会課題をテーマにした「未来アクションフェス」が実施されました。
そうした取り組みは今後、ますます重要になると思います。若者世代と話していても、今の社会にどこか引っかかりを覚えている人が少なくありません。その声をすくい上げ、対話につなげていく役割が求められています。
信仰を基盤にし、地域に根ざしたネットワークを持つ創価学会だからこそ、立場の異なる人たちが対話を続けていく力を支えることができるはずです。
中間集団の価値が問われるのは、すぐに答えの出ない問題を前にしても、対話を手放さずにいられるかどうか。その力が、これからの社会でどれほど必要とされているのかを、今回の選挙を通して、多くの人たちが感じているのではないでしょうか。
●最後までお読みいただき、ありがとうございます。ご感想はこちらからお寄せください。
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〈お知らせ〉「とみながさんと“恋愛”イドバタ会議」を開催します!
〈お知らせ〉「とみながさんと“恋愛”イドバタ会議」を開催します!
恋愛、キャリア、結婚……信仰と生活が切り離せない私たちだからこそ突き当たる悩みを富永さんと語り合ってみませんか?
対面とオンラインの同時開催。オンラインで聞くだけの参加も歓迎です。
〈イベント詳細〉
【日時】2026年3月18日(水)午後7時~予定(1時間半程度)
【パネリスト】立命館大学准教授 富永京子さん
【開催形式】対面・オンライン
【対面会場】東京都内
【参加方法】お申し込みはこちらから
(対面参加者は限定20人。応募が多い場合は抽選になります)
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対面とオンラインの同時開催。オンラインで聞くだけの参加も歓迎です。
〈イベント詳細〉
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【対面会場】東京都内
【参加方法】お申し込みはこちらから
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〈大募集〉“恋愛・結婚”のモヤモヤエピソードを募集します!
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恋愛、結婚、片思い、パートナーの悩み……どんなモヤモヤでも構いません。
現在進行形で悩んでいること、今振り返ると悩んでいたと感じること、みなさまからのエピソードをお待ちしています!
エピソードはこちらにお寄せください。
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