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〈世界に魂を心に翼を――民音が開いた文化の地平〉 音楽博物館の挑戦② 2026年4月9日

  • “生きた音色”を未来につなぐ
民音創立者の池田先生が、開館直後の民音文化センターを初訪問。「古典ピアノ室」などを視察(1997年9月)
民音創立者の池田先生が、開館直後の民音文化センターを初訪問。「古典ピアノ室」などを視察(1997年9月)

 「バッハやモーツァルトが弾いた楽器の音を実際に聞けるならどんなに素敵だろう」
 「そんな夢が東京の『民音音楽博物館』で叶うことをご存じだろうか」
 声楽家の佐藤しのぶさんが、エッセーに綴った一節である。
  
 絶版となった楽譜やLPレコード、世界各地の民族楽器など、30万点を超える音楽資料を所蔵する民音音楽博物館。民間の施設としては日本最大級のコレクションを誇り、シューベルトやサン=サーンスの自筆楽譜、リストの自筆入り筆写譜、マーラー、ブラームス、メンデルスゾーンらの自筆書簡など、きわめて希少価値の高い資料を数多く収蔵する。
  
 また同館は、日本の音楽文化の歩みを物語る歴史的資料も豊富に所蔵している。明治以降に日本語で出版された音楽書の約8割を蒐集。昭和の音楽評論家で、クラシック音楽やレコード鑑賞の魅力を庶民に広めた志鳥栄八郎のレコードコレクションは5万枚を数える。
  
 さらに、日本の音楽教育に偉大な足跡を残した齋藤秀雄の遺品は950点にも及び、世界的指揮者・小澤征爾らを指導したピアノや指揮棒などが大切に保管されている。
  
 こうした貴重な所蔵品の一つ一つには、時代を超えて人から人へと受け継がれる中で刻まれてきた、数々の物語がある。

民音が所蔵しているリストの自筆入り筆写譜
民音が所蔵しているリストの自筆入り筆写譜
1台のグランドピアノ

 民音音楽博物館の2階にある「古典ピアノ室」。扉を開けると、歴史的名器が気品をたたえて並んでいる。
  
 400年も前に、イタリアで製作された「ピサ・チェンバロ」。
 現存し、実際に演奏できるのは世界でわずか4台といわれる「アントン・ワルター」。
 乳白色のボディーに繊細な金細工が施され、ピアノの貴婦人と称される「エラール」――。
  
 そうした名器が整然と並ぶ中で凛とした存在感を放つのが、漆黒に輝くスタインウェイ社製のグランドピアノである。
 このピアノは、20世紀を代表するスペインの音楽家パブロ・カザルスが愛用していたことから“カザルス・ピアノ”の愛称で呼ばれる。
  
 チェリスト、作曲家、さらには指揮者としても多彩な才能を発揮したカザルス。とりわけバッハの「無伴奏チェロ組曲」の価値を再発見し、世に広めたことで知られている。
 晩年には人道活動家としても精力的に行動し、祖国スペインのフランコ政権による独裁体制や、ナチス・ドイツの台頭に抗して、音楽を通じた平和の実現を世界に訴え続けた。
  
 「音楽という普遍的な言葉を人間を結ぶ伝達のもといにしたい」(アルバート・E・カーン編『パブロ・カザルス 喜びと悲しみ』吉田秀和・郷司敬吾訳、朝日新聞社)――カザルスが抱いたこの信念は、民音創立者である池田大作先生の“音楽の力で人と人の心を結び、平和の礎を築く”との理念とも強く響き合う。
  
 「私がカザルス・ピアノのことを知ったのは、今から30年ほど前のことです」
 そう話すのは、民音推進委員を40年にわたって務めてきた静岡・浜松市に住む中津川智恵子さん。手にしたアルバムには、民音を愛する先輩とともに「浜松を音楽の街に」との情熱を燃やし、音楽会を重ねてきた日々が収められていた。
  
 「音楽を愛する会」と名付けた手づくりの演奏会活動。名のあるピアニストがいると聞けば演奏を依頼し、遠方に住む音楽家に「ぜひ浜松に来てほしい」と直談判したことも数え切れない。「回を重ねるうち、ありがたいことに好評を博しまして」と中津川さんは、ほほ笑む。
  
 こうした活動を支えた原動力。それは、池田先生が浜松の友に贈った一首の和歌だった。
  
 「浜松の 湖上眺めて 自らの 楽器と曲で 人生歌えや」
  
 アルバムの一ページに収められた和歌を見つめつつ、中津川さんが言葉を継ぐ。「あの時は、『浜松を音楽で盛り上げるぞ!』という情熱に燃えていました。若かったこともありますが、あの情熱があったから、何でもできたんだと思います」
  
 浜松市はヤマハやカワイといった世界的楽器メーカーの本社を擁する地。その浜松で続けられてきた「音楽を愛する会」の活動は、やがて多くの人々との出会いを生み、交流の輪を広げていった。
 そうした中で出会ったのが、カザルス・ピアノを所有する音楽愛好家だった。長年にわたり交流を続ける中で、その愛好家は民音の活動に深い理解を示すように。「“音楽を通して平和を築く”との思いで行動しておられる池田先生ほど、カザルスの精神と共鳴している人はいません」と語ることもあったという。
  
 後に、カザルスが愛したピアノは、民音音楽博物館へと託されることになった。その背景には、音楽を愛する庶民によって築かれた地道な信頼の積み重ねがあった。
  
 同館を訪れれば、その生きた音色に触れることができる。

“カザルス・ピアノ”(左端)をはじめ、時代を象徴する逸品が並ぶ民音音楽博物館の「古典ピアノ室」。1日に数回、実演が行われている
“カザルス・ピアノ”(左端)をはじめ、時代を象徴する逸品が並ぶ民音音楽博物館の「古典ピアノ室」。1日に数回、実演が行われている
固定観念を破る提案

 民音音楽博物館は、前身の音楽資料館時代から、貴重な資料を一般に公開してきた。2003年には東京都から登録博物館の認可を受けた。認可にあたっては厳格な審査が行われ、都の委員会は13もの類似博物館を視察。慎重な検討を重ねた末、民音音楽博物館の価値が評価された。
  
 認可の決め手となった理由は大きく二つ。一つは、前述した和書コレクションをはじめ、所蔵する資料数が類例を見ない圧倒的な規模に達していたこと。
 もう一つは、数百年前に製作された古典ピアノが、単に保管・展示されているだけでなく、実際に演奏されている点。歴史的楽器を“生きた音”として伝える。この独自の取り組みが高く評価されたのである。
  
 なぜ民音音楽博物館で古典ピアノの実演が行われるようになったのか。その原点には、池田先生の提案があった。まだ民音の建物が東京・北新宿にあった頃のこと。展示されていた楽器の中には、ベートーベンが実際に使用したとされる「ヨハン・フリッツ」などが展示されていた。それを目にした池田先生は、そばにいた民音のスタッフにこう語りかけたという。
  
 「ピアノは演奏してこそ生きるんだ」「楽器なんだから、来た人には必ず音色を聴かせてあげよう」
  
 思いがけない言葉に、スタッフは一瞬、耳を疑った。
  
 「30年、40年経ったら、世界中から芸術家や学者が来るようになる。今のうちにしっかり勉強しておきなさい。そして世界への音楽芸術の発信基地となっていきなさい」
  
 それは、当時の展示施設の概念を超えた提案だった。「貴重だから保存する」という固定観念を打ち破り、音楽を生きた文化として人々に届ける。そこには「音楽芸術は何のためにあるのか」という、池田先生の根本的理念が表れていた。

民音音楽博物館では、古典ピアノのほか、自動演奏楽器の音色も楽しむことができる(本年2月)
民音音楽博物館では、古典ピアノのほか、自動演奏楽器の音色も楽しむことができる(本年2月)
試行錯誤の調律作業

 「モーツァルトやベートーベンの時代のピアノが日本で見られるだけでも驚くべきことですが、その音色を耳にすることができる。本当に奇跡です」
  
 そう力を込めるのは、民音音楽博物館で古典ピアノの調律を担当する中野和彦さん。調律法を究めるためドイツに渡り、“世界三大ピアノメーカー”の一つ、ベヒシュタイン社でグランドピアノの製造に携わった経歴を持つ。クラシック音楽が生まれたヨーロッパでピアノと向き合ってきたからこそ、古典ピアノの価値と希少性を深く実感する。
  
 言うまでもなく、ピアノの調律は、微妙な音程を聞き分けながら行う繊細な作業である。一般的な音律である平均律において、1オクターブを1200セントとする音程の単位の中で、中野さんが追求するのは誤差0・1セント未満という精度。そこに音色と響きの調和を取っていくという、まさに職人の領域だ。
  
 その上、古典ピアノは、現代ピアノに比べて重量がおよそ4分の1ほどしかない。構造も華奢で繊細なため、調律には、より慎重な作業が求められる。「ご存じの通り、ピアノは内部に張られた弦を、鍵盤に連動したハンマーが叩くことで音を出します。古典ピアノは長い年月を経た木材でできているため、弦の張力を上げ過ぎると楽器そのものが歪んでしまうんです」
  
 中野さんが同館で調律を担当するようになって3年。当初は調律を終えても、翌朝には20~30セントも音程が下がってしまっていたという。
 室内の温度や湿度の管理はもちろん、楽器に無理な負荷をかけない張力の限界を探り、木材が張力に馴染む微妙な力加減を身体の感覚として培ってきた。
  
 「確かに大変ではありますが、それ以上に楽しくて仕方がないんです。古典ピアノは、何百年も前の先達が生活を豊かにしようと知恵を尽くして生み出した楽器です。その生きた音色を届けるお手伝いができ、調律師として、これほど幸せな仕事はありません」
  
 笑みを見せた中野さんは、一呼吸置いて、こう続けた。
 「同時に実感するのは、音楽文化の進化の歩みを、幾台もの古典ピアノを通して体感できる場所――それがこの民音音楽博物館だということです。こうした活動を力強く支えてくださっている民音推進委員、賛助会員の皆様への感謝は尽きません」
  
 音楽を民衆の手に――。
  
 民音創立者の理念は、民音に関わる多くの人々の情熱と挑戦によって受け継がれてきた。
 その思いは今もなお、生きた音色とともに響き続けている。

調律のひとこま。古典ピアノには綿密な調整が欠かせない(今月6日)
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