広島での「希望の選択」シンポジウムから㊦
広島での「希望の選択」シンポジウムから㊦
2025年9月11日
SGIとアメリカ・核時代平和財団が共催する「希望の選択」シンポジウムの公開イベントが8月24日、広島市の広島国際会議場で開催された。ここでは、シンポジウムの登壇者の話の要旨を紹介する。(㊤は9日付に掲載)
SGIとアメリカ・核時代平和財団が共催する「希望の選択」シンポジウムの公開イベントが8月24日、広島市の広島国際会議場で開催された。ここでは、シンポジウムの登壇者の話の要旨を紹介する。(㊤は9日付に掲載)
被爆の実相を伝える平和記念公園。手前が原爆ドーム(8月)
被爆の実相を伝える平和記念公園。手前が原爆ドーム(8月)
核兵器をなくす日本キャンペーン コーディネーター 浅野英男氏
核兵器をなくす日本キャンペーン コーディネーター 浅野英男氏
私の所属する「核兵器をなくす日本キャンペーン」の活動は主に二つの側面に焦点を当てています。
一つは、市民に働きかけ、核兵器禁止条約と核兵器廃絶への支持を広げることです。もう一つは、日本が核兵器禁止条約に参加するための政治的な議論を促進し、国会議員や政府関係者と定期的に対話を行うことです。
これらの経験から、対話の重要性を実感しています。歴史を振り返れば、キューバ危機(1962年)においても、核戦争を防いだのは、対話と外交による努力でした。核兵器禁止条約が実現したのも、被爆者や世界中の市民社会のたゆまぬ努力のおかげでした。
さらに、若い世代が政策の議論に関与することが、非常に重要だと考えています。青年の未来志向のビジョンと声が、かつてないほど必要とされているからです。
核兵器のない世界を実現するため、市民社会による緊急の行動が今、求められています。若者として、この変革を実現するために、政策決定の場に積極的に関与し、未来への希望を具体化していく決意です。
私の所属する「核兵器をなくす日本キャンペーン」の活動は主に二つの側面に焦点を当てています。
一つは、市民に働きかけ、核兵器禁止条約と核兵器廃絶への支持を広げることです。もう一つは、日本が核兵器禁止条約に参加するための政治的な議論を促進し、国会議員や政府関係者と定期的に対話を行うことです。
これらの経験から、対話の重要性を実感しています。歴史を振り返れば、キューバ危機(1962年)においても、核戦争を防いだのは、対話と外交による努力でした。核兵器禁止条約が実現したのも、被爆者や世界中の市民社会のたゆまぬ努力のおかげでした。
さらに、若い世代が政策の議論に関与することが、非常に重要だと考えています。青年の未来志向のビジョンと声が、かつてないほど必要とされているからです。
核兵器のない世界を実現するため、市民社会による緊急の行動が今、求められています。若者として、この変革を実現するために、政策決定の場に積極的に関与し、未来への希望を具体化していく決意です。
核時代平和財団 インターン バレリヤ・ジェリェブツォバ氏
核時代平和財団 インターン バレリヤ・ジェリェブツォバ氏
高校の授業で核兵器の開発者について学んだことをきっかけに、核軍縮に関心を持つようになりました。
人類史上最大規模の核兵器を開発した彼は、核戦争を「人類の集団自殺」とまで呼び、残りの人生を反核運動、そして、核軍拡競争の終結を訴えることにささげました。科学者は常に自分の発明を誇りに思うものだと信じていたので、この話を聞いて大変驚きました。この話を通し、核兵器がいかに強力で残酷な兵器であるかを認識するようになったのです。
以前、核時代平和財団の活動の一環として、核兵器に関する国連の会議に出席する機会がありました。その際に、各国の代表者が核抑止論を支持している姿を見ました。もし市民からの真剣な反対があれば、政府は核兵器に依存できなくなるでしょう。核廃絶のためのより広範な運動を鼓舞するためには、市民の無関心の壁を打ち破り、その使用を擁護する人々の信念に異議を唱える必要があります。
私自身、教育や文化を通して、核兵器廃絶を支持する市民の声を広げていきたいと思います。
高校の授業で核兵器の開発者について学んだことをきっかけに、核軍縮に関心を持つようになりました。
人類史上最大規模の核兵器を開発した彼は、核戦争を「人類の集団自殺」とまで呼び、残りの人生を反核運動、そして、核軍拡競争の終結を訴えることにささげました。科学者は常に自分の発明を誇りに思うものだと信じていたので、この話を聞いて大変驚きました。この話を通し、核兵器がいかに強力で残酷な兵器であるかを認識するようになったのです。
以前、核時代平和財団の活動の一環として、核兵器に関する国連の会議に出席する機会がありました。その際に、各国の代表者が核抑止論を支持している姿を見ました。もし市民からの真剣な反対があれば、政府は核兵器に依存できなくなるでしょう。核廃絶のためのより広範な運動を鼓舞するためには、市民の無関心の壁を打ち破り、その使用を擁護する人々の信念に異議を唱える必要があります。
私自身、教育や文化を通して、核兵器廃絶を支持する市民の声を広げていきたいと思います。
SGIユース 森井爽氏
SGIユース 森井爽氏
広島の平和記念公園の近くで生まれ育ち、幼い頃から原爆の悲惨な現実を学び、被爆者の方々から話を伺う機会に恵まれました。
特に印象に残っているのは、あるアメリカの学生が被爆者の方に「アメリカ人を恨んでいませんか」と尋ねた際、「もう恨みは手放した」と答えられていたことです。被爆者の方々が大変な苦痛を乗り越え、このような悲劇が二度と起こらないよう、たゆまぬ努力を続けていることに、深く感動しました。
大学時代には、創価学会学生部のメンバーとして、平和意識調査に携わりました。調査を通じ、被爆体験が被爆地以外では共有されにくい現実に危機感を覚え、自分自身も何か行動を起こしたいと考えるようになりました。
そこで意識啓発の一環として、大学祭で平和展示を企画。来場者が被爆者の証言を聞く機会を設けました。また、来場者が平和への思いをつづるコーナーを用意し、行動を起こすきっかけにすることができました。平和を願う若者の力が、未来を変える原動力になると信じ、平和を願う連帯を広げていきます。
広島の平和記念公園の近くで生まれ育ち、幼い頃から原爆の悲惨な現実を学び、被爆者の方々から話を伺う機会に恵まれました。
特に印象に残っているのは、あるアメリカの学生が被爆者の方に「アメリカ人を恨んでいませんか」と尋ねた際、「もう恨みは手放した」と答えられていたことです。被爆者の方々が大変な苦痛を乗り越え、このような悲劇が二度と起こらないよう、たゆまぬ努力を続けていることに、深く感動しました。
大学時代には、創価学会学生部のメンバーとして、平和意識調査に携わりました。調査を通じ、被爆体験が被爆地以外では共有されにくい現実に危機感を覚え、自分自身も何か行動を起こしたいと考えるようになりました。
そこで意識啓発の一環として、大学祭で平和展示を企画。来場者が被爆者の証言を聞く機会を設けました。また、来場者が平和への思いをつづるコーナーを用意し、行動を起こすきっかけにすることができました。平和を願う若者の力が、未来を変える原動力になると信じ、平和を願う連帯を広げていきます。
核時代平和財団 コミュニケーション・メディアコーディネーター ケネス・チウ氏
核時代平和財団 コミュニケーション・メディアコーディネーター ケネス・チウ氏
核時代平和財団の活動を通じて感じたことは、核兵器の使用と実験は多くの人々を苦しめるだけでなく、その影響が、環境にも刻み込まれていくということです。放射線は土地、空気、水を汚染しただけでなく、がんや先天性異常などの健康被害を人体に及ぼしました。さらに、多くの人々は故郷からの移住を余儀なくされたのです。
このように、かつて核実験が行われたマーシャル諸島などの地域に住む先住民らは、核実験と気候変動という二つの危機に直面し、より深刻な被害を受けています。太平洋では海面上昇が核廃棄物貯蔵施設を脅かしており、異常気象によって放射性物質が海洋流出する危険性があります。干ばつや洪水も、これらの地域の危険な状況を一層深刻にしています。
人々の生きる権利を守るため、現地の若者が声を上げ、私たちに行動を求めています。その要求に応える責任は、若者だけでなく、全ての世代にあるのではないでしょうか。
これからも、国境を超えて多くの人と連帯しながら、核兵器廃絶への歩みを進めてまいります。
核時代平和財団の活動を通じて感じたことは、核兵器の使用と実験は多くの人々を苦しめるだけでなく、その影響が、環境にも刻み込まれていくということです。放射線は土地、空気、水を汚染しただけでなく、がんや先天性異常などの健康被害を人体に及ぼしました。さらに、多くの人々は故郷からの移住を余儀なくされたのです。
このように、かつて核実験が行われたマーシャル諸島などの地域に住む先住民らは、核実験と気候変動という二つの危機に直面し、より深刻な被害を受けています。太平洋では海面上昇が核廃棄物貯蔵施設を脅かしており、異常気象によって放射性物質が海洋流出する危険性があります。干ばつや洪水も、これらの地域の危険な状況を一層深刻にしています。
人々の生きる権利を守るため、現地の若者が声を上げ、私たちに行動を求めています。その要求に応える責任は、若者だけでなく、全ての世代にあるのではないでしょうか。
これからも、国境を超えて多くの人と連帯しながら、核兵器廃絶への歩みを進めてまいります。