• ルビ
  • 音声読み上げ
  • シェア
  • メール
  • CLOSE

「心の傷」を抱える人に戸惑いながら寄り添う――インタビュー 一橋大学大学院特任教授 宮地尚子さん 2026年4月7日

  • 〈危機の時代を生きる 希望の哲学〉

  
 生きていく上で、心が傷つく経験は避けられないものかもしれません。それでも、ケアし合い、生きる力を支えることで、きっと人生は豊かになっていく――。精神科医で、一橋大学大学院特任教授の宮地尚子さんに、心の傷つきとケアについて聞きました。
 (聞き手=掛川俊明、小野顕一)
  

■傷ついても傷つけても、それで終わりではない

 ――宮地さんは精神科医であり、トラウマ研究の第一人者でもあります。今、日本社会における「心の傷つき」について、どのように捉えておられますか。
  
 現代は「傷つきやすい時代」と言えるのではないでしょうか。
 人間は一人では生きていけません。だから、他の人と関係をつくっていくしかないのですが、その人間関係の中で、たくさんの傷つきが生まれます。
 そもそも、生きることについては、誰もが初心者です。最初から人間関係をつむぐのが得意な人はいませんし、どれだけ科学技術が進歩しても、家族や友人との関係にまつわる悩みは、なくならないでしょう。
  
 現代社会は、急激なグローバル化やオンライン化、気候変動や災害の頻発などによって、あらゆることが予測不可能になっています。先が見えない不安は、心に大きな負荷をかけます。
 少子高齢化が進むということは、生老病死のうち「老病死」の割合が高まるということでもあります。闘病や介護に関する悩み、離別や死別といった悲しい経験が増えていきます。
  
 さらに、インターネットやSNSの影響も大きいでしょう。今、私たちは、リアルな場とオンラインという、二つのコミュニケーションの間を行き来しています。オンラインで誰かと話す際も、LINEなのか、Zoomなのか、その他のSNSなのか。人との距離の取り方が、複雑になっています。
 ネット上の匿名による発信は、時に、心ない発言や誹謗中傷にもつながります。多くの人が、SNSを使ってコミュニケーションを図っているように見えますが、実際は、本当に大事なことほど、打ち明けられずにいるのではないでしょうか。
  
 電車に乗っても、ほとんどの人がスマートフォンを見つめています。忙しそうにスマホを操作する姿は、一見すると充実しているようですが、実はとても孤独を感じている人もいます。
 あまりに忙しくて、目の前にいる人を無視してしまったり、返事が上の空になったりすることもあります。心がすり減って、つい周りの人への配慮をなくしてしまうこともあるかもしれません。思わず自分が傷つける側になってしまう可能性もあるのです。
  
 無傷のままで生きていくことはできない。けれど、傷ついたり、傷つけたりしたからといって、それで終わりではありません。絶望しないでほしいし、孤立してしまわないでほしい。傷つきに対処する方法はあるし、そこから生まれる気づきや学びもあることを知っていただきたいのです。
  

■白黒つけず、矛盾する気持ちがあっていい

 ――私たちは心の傷つきと、どのように付き合っていけばよいのでしょうか。
  
 深い傷つきや喪失を経験した時には、精神科医などの専門家の役割が大きくなります。けれど傷つきとともに日常をどう暮らしていくかという、日々の心のケアは、専門家だけに任せて済むものではありません。
 傷ついている人が、自分一人で悩んで考え続けると、行き詰まってしまうことも多い。昔と比べれば、傷つきについて話しやすくなりましたが、「いつまでも引きずらないで乗り越えよう」といった、ポジティブ思考も広まっています。それができないと「自分はダメな人間だ」と思ってしまいがちです。
  
 そんな時、パソコンやスマホになぞらえて「今は傷ついたことが“全画面表示”になっているけれど、実は他の景色もありますよね」と伝えることがあります。
 目の前の傷のことだけを考え続けると、視野狭窄になります。視線を外して窓の外を見るように、意識や見方を少し変えると、見える景色も違ってきます。
  

宮地さんの主な著書
宮地さんの主な著書

  
 具体的には、身近な人に「話してみる」ことが大切です。誰かに話を聞いてもらうと、落ち着いた気持ちになれるものです。
 その理由の一つは、私たちは、自らの体験を話すことで、自分の心情を整理できるからです。思いがけない言葉が、自分の中から出てきて、「私はここに傷ついていたんだ」「これが嫌だったんだ」と気づくこともあります。話を聞いてもらうことは、自分の傷に向き合い、それを認める時間にもなるのです。
 もう一つは、良い聞き手に出会うことで、傷ついて失われた他者への信頼感を取り戻すことができるからです。聞き手からの共鳴や共感を通して「私は一人ではない」と感じることは、回復の過程で大きな効果を発揮します。
  
 傷に対しては「向き合う」と「やり過ごす」という二つの方法を持っているのが、理想的です。
 向き合う方法では「書くこと」がおすすめです。日記やブログを書くこと、または絵などを描くことで、自分の中に傷をため込まずに表出させます。
 やり過ごす方法としては「第三者の介在」が効果的です。ここでの第三者は人間に限らず、犬や猫といったペットを飼うことも癒やしにつながります。または、ひたすら歩いたり、泳いだり、山に登ったり。5分だけでもいいから、何もせずにぼーっとする時間を持つというのもよいと思います。
  
 いつも、この人との関係に傷ついてしまう。そうした相手とは「今は距離を置こう」というのも一つの手です。相手が家族や同僚など、関係を断てない人である場合は、部分的に逃げるような感覚で、関わらない場所や時間をつくってもよいのではないでしょうか。
 その人から逃げたいという気持ちがあると同時に、その人とつながっていたいと思うこともあります。みんな白黒をつけたがりますが、人の気持ちは、好きか嫌いか、良いか悪いかなど、割り切れないことがあって当然です。矛盾する両方の気持ちを持ったままでよいと思えれば、楽になることもあると思います。
  

■解決策を「言う」よりも、ただ「聞く」方がよい

 ――身近な人が傷ついている時、そばにいる私たちは、どのように関わればよいのか、迷ってしまうこともあります。
  
 まずは、解決策やアドバイスを「言う」ことよりも、ただ軽い感じで「聞く」ぐらいの方がよいのではないでしょうか。
 「解決してあげなければ」と気負いすぎると、かえって相手の話をちゃんと聞くことができなくなったり、相手からうっとうしく感じられたりするものです。
 悩んでいる人は、そのことをずっと考えていますから、実はその人の中に、すでに自分なりの解決策が浮かんでいることもあります。「ふーん」「へえ」「そうなんだ」と聞くだけでも、そっと背中を押してあげることになるかもしれません。
  
 一方で、相手が大きな罪悪感や自責の念を抱えて、あまりに思い詰めている時には、誰かが「免責」してあげることが必要な場合もあります。
 以前、薬物依存の当事者を支援してきた、ある方の話を聞きました。彼女は、関わってきた薬物依存の人たちが、自殺や事故で亡くなることを経験し、助けられなかったことに、とてつもない罪悪感があると語りました。
 その時、私が「亡くなる時に立ち会ってもらえた、目撃してもらえたっていうことは、その人たちにとって救いだったのでしょうね」と話したら、ホッとされたようで「すごく楽になった」と言われました。
 免責は、自分一人ではできません。誰かに「そう考えなくてもいいんじゃない?」と言ってもらうことが必要なのだと思います。
  
 大切なことは、相手の選択肢を一つ増やすような関わりです。「こういう考え方もあるんじゃない?」と伝えた上で、どう捉え、何を選ぶかは、その人に任せます。
  

  
 トラウマを負った人が回復し、生活を取り戻していく際に「エンパワーメント」が重要だといわれます。その人が本来持っている力を思い出し、それをよみがえらせ、発揮することです。
 重要なのは、あくまでも自分で自分の力をよみがえらせることであって、誰かが外から力を与えるわけではないということです。
 回復の兆しは、ほんのささいなところに表れます。例えば、それまで服装を気にかけていなかった人が、少し明るい色の服を着るというようなことです。
  
 サポートする側が、あまりに強い使命感や正義感を持っていると、空回りしてしまうことがあります。自分がこの人を助けてあげなくてはという気持ちが強すぎると、相手が触れてほしくない傷にも侵入してしまいます。
 直接、傷そのものに触れるのではなく、相手が傷を抱えていることを分かった上で、ただ一緒にいるだけでよいのだと思います。
  
 話したくない時は、黙っていてもいい。声が出ないほど疲れ果てた時、言葉にできないほどつらい時は、沈黙して動かずにいる。そういう時間も大切です。
 黙ったままそばにいることが難しければ、しゃべらなくてもよい状況をつくってもいいでしょう。並んで散歩したり、ご飯を食べたり、庭いじりをしたり。何かしらの作業をしながらであれば、黙ったまま一緒にいることができます。
  
 傷について語ることは、簡単なことではありません。本人が周囲の人に望むのは、「そっとしておいてほしい」ということかもしれません。けれど、それは「離れていってほしい」という意味ではなく、むしろ「ただそばにいてほしい」という気持ちに近いと思います。
  
 心のケアの究極は、相手に寄り添い、その人のペースに合わせて、話に耳を傾けること。相手の沈黙も尊重しながら、そばにいることです。
 もちろん、どう接したらよいか、困惑することもあります。話を聞いた自分の方がショックを受けることもあるかもしれません。
 それでも、戸惑いながら、そばに寄り添い続けることには、計り知れない価値があることを忘れないでほしいのです。
  

■誰かが祈ってくれることが、どれほど心を動かすものか

 ――宗教には、人々の苦しみや悩みに寄り添い、ケアしてきた側面があります。宗教が果たすケアの役割については、どのようにお考えでしょうか。
  
 宗教に求められることはこれから増えていくのではないでしょうか。将来が見通せず、予測不能な現代社会では、祈るしかないような場面があるからです。
 近代以降、私たち人類は、全てが科学的にコントロールできるかのような幻想を持ってきました。けれど、現在の世界情勢や自然災害に目を向ければ、全てが計画通りというわけにはいかないことが分かります。
 不確実な世界の中で生きていく上では、祈りや願いが必要になる時があります。狂信的になってはいけないと思いますが、よすがとなるもの、生きる指針になるようなものを、多くの人が求めているのではないでしょうか。
  
 かつて、インドネシア・バリ島のヒンドゥー教の寺院で、祈りをささげてもらったことがあります。たまたま出会ったガイドの男性が、時間をかけて、正式なお祈りの手順を踏んで、私のために丁寧に祈禱してくれたのです。
 その時、誰かが自分のために祈ってくれることが、どれほど心を動かすものなのかを、初めて知りました。日本には、ビジネス化された祈禱は、たくさんあります。けれど、頼んだわけでも、お金を払ったわけでもないのに、誰かが純粋に心から、自分の幸せを願ってくれる。それが、どれほど「有り難い」ことか、勇気づけられることか、に気づかされたのです。
  
 跡形もなく消えてしまう傷もありますが、いつまでも忘れられない傷もあります。そういう傷は、痛くて、醜くて、みじめです。直視できなくてもいい。時には目を背け、隠してもいい。
 そうした傷は「治すもの」ではなく、「抱えたまま生きていくもの」です。傷があることを認め、その周りをそっとなぞること。傷それ自体は愛せなくても、傷を抱えた自分を愛することができたら、ふっと生きやすくなるはずです。
  
 もちろん、不要な傷つきはない方がいい。けれど、ただ明るいばかりで効率のよい人生よりも、寂しさや迷いも経験して傷つきながら、それでも生きている人生の方が、優しさや包容力、豊かさをたたえているのではないでしょうか。
 人はそうやって、ただ生きているだけで価値がある。言葉にすると単純ですが、人々が多くの傷を抱えている時、そんな単純なことが、生きる力を支え、人と人との絆を結び直してくれる。そう信じています。
  
  

  
 みやじ・なおこ 兵庫県生まれ。一橋大学大学院社会学研究科特任教授。精神科医。医学博士。1986年京都府立医科大学卒業。1993年同大学院修了。専門は文化精神医学・医療人類学・トラウマとジェンダー。医師として臨床を行いつつ、研究を続けている。著書に『傷を愛せるか 増補新版』(ちくま文庫)、『傷のあわい』(同)、『トラウマ』(岩波新書)、『学びのきほん 傷つきのこころ学』(NHK出版)、『ははがうまれる』(福音館)、『環状島=トラウマの地政学』(みすず書房)など多数。
  
  

 ●記事のご感想をこちらからお寄せください。
  
  
 ●こちらから、「危機の時代を生きる」識者インタビューの過去の連載の一部をご覧いただけます。
  
  

動画

SEIKYO CAMPUS

SEIKYO CAMPUS

SDGs✕SEIKYO

SDGs✕SEIKYO

連載まとめ

連載まとめ

Seikyo Gift

Seikyo Gift

聖教ブックストア

聖教ブックストア

デジタル特集

DIGITAL FEATURE ARTICLES デジタル特集

YOUTH

劇画

劇画
  • HUMAN REVOLUTION 人間革命検索
  • CLIP クリップ
  • VOICE SERVICE 音声
  • HOW TO USE 聖教電子版の使い方
PAGE TOP