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ICAN事務局長 メリッサ・パーク氏が講演(要旨)―長崎平和学講座から―
ICAN事務局長 メリッサ・パーク氏が講演(要旨)―長崎平和学講座から―
2025年10月9日
- 核なき世界へ 行動こそ無力感の“解毒剤”
- 核なき世界へ 行動こそ無力感の“解毒剤”
長崎平和学講座が1日、長崎市の長崎原爆資料館で行われ、ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)のメリッサ・パーク事務局長が講演した。要旨を掲載する。
長崎平和学講座が1日、長崎市の長崎原爆資料館で行われ、ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)のメリッサ・パーク事務局長が講演した。要旨を掲載する。
アインシュタインは“第3次世界大戦がどんな武器で戦われるかは分からない。しかし第4次大戦は棒と石で戦われるだろう”と語ったとされています。
人類がこれまで作り出した兵器の中で、核兵器は地球上の命あるもの全てを破壊しうる唯一の兵器です。学術誌「ネイチャー・フード」で報告された研究では、世界の核兵器の一部を使用する限定的な核戦争でさえ、爆風・やけど・放射線による死者が数百万人に達するとしています。さらに、火災旋風によって膨大な量のすすが成層圏に放出され、太陽光を遮断し、農業の崩壊と“核の冬”により20億人以上の餓死を招くと伝えています。
つまり核兵器は人類と地球の安全保障に関わる問題であり、少数の国の安全保障上の特権として扱われるべきものではないのです。
本年7月、私はアメリカのニューメキシコ州にいました。1945年7月にアメリカがトリニティ実験で史上初めて核爆弾を爆発させてから、80年を迎えたからです。そこは、一部の人々が主張するような不毛の砂漠ではありませんでした。先住民族や地域住民が暮らし、豊かな動植物の営みがありました。
放射性降下物は全米46州に広がり、カナダやメキシコまで到達しました。近隣地域には警告さえなく、ダウンウィンダーズ(風下住民)と呼ばれる地域住民やウラン採掘に関わる労働者、核廃棄物にさらされた人々は、何世代にもわたるがんや病、そして政府の沈黙に直面してきました。
そして、このトリニティ実験が広島と長崎への原爆投下につながり、さらに多くの被害をもたらしました。
西側諸国の人々の多くは、原爆投下が軍事的に必要であり、道義的に正当化されると見なしています。これは非常に効果的なプロパガンダと、人的被害に対する認識不足によるものです。広島と長崎への原爆投下が第2次世界大戦に終結をもたらしたわけではありません。ソ連による宣戦布告が、日本の降伏を決定的なものにしたとする証言もあります。
広島と長崎への原爆投下はトリニティ実験と同様、一般市民を対象とした実験であり、露骨な力の誇示であり、後に東西冷戦へと発展する事態の口火となったのです。
アインシュタインは“第3次世界大戦がどんな武器で戦われるかは分からない。しかし第4次大戦は棒と石で戦われるだろう”と語ったとされています。
人類がこれまで作り出した兵器の中で、核兵器は地球上の命あるもの全てを破壊しうる唯一の兵器です。学術誌「ネイチャー・フード」で報告された研究では、世界の核兵器の一部を使用する限定的な核戦争でさえ、爆風・やけど・放射線による死者が数百万人に達するとしています。さらに、火災旋風によって膨大な量のすすが成層圏に放出され、太陽光を遮断し、農業の崩壊と“核の冬”により20億人以上の餓死を招くと伝えています。
つまり核兵器は人類と地球の安全保障に関わる問題であり、少数の国の安全保障上の特権として扱われるべきものではないのです。
本年7月、私はアメリカのニューメキシコ州にいました。1945年7月にアメリカがトリニティ実験で史上初めて核爆弾を爆発させてから、80年を迎えたからです。そこは、一部の人々が主張するような不毛の砂漠ではありませんでした。先住民族や地域住民が暮らし、豊かな動植物の営みがありました。
放射性降下物は全米46州に広がり、カナダやメキシコまで到達しました。近隣地域には警告さえなく、ダウンウィンダーズ(風下住民)と呼ばれる地域住民やウラン採掘に関わる労働者、核廃棄物にさらされた人々は、何世代にもわたるがんや病、そして政府の沈黙に直面してきました。
そして、このトリニティ実験が広島と長崎への原爆投下につながり、さらに多くの被害をもたらしました。
西側諸国の人々の多くは、原爆投下が軍事的に必要であり、道義的に正当化されると見なしています。これは非常に効果的なプロパガンダと、人的被害に対する認識不足によるものです。広島と長崎への原爆投下が第2次世界大戦に終結をもたらしたわけではありません。ソ連による宣戦布告が、日本の降伏を決定的なものにしたとする証言もあります。
広島と長崎への原爆投下はトリニティ実験と同様、一般市民を対象とした実験であり、露骨な力の誇示であり、後に東西冷戦へと発展する事態の口火となったのです。
1945年以降、核保有国は“実験”と称して、2000発以上の核兵器を世界中で爆発させてきました。そのほとんどは、先住民族や植民地化されたコミュニティーとその環境を標的としたものです。特に、54年3月にマーシャル諸島で実施されたアメリカによるキャッスル作戦のブラボー実験は、現地住民と環境に甚大な被害をもたらしました。
この爆発で多くの日本人も被害に遭いました。第五福竜丸の船員の死亡は大きく報じられ、核兵器がもたらす壊滅的な人道的・環境的被害、特に放射線の致死的かつ潜行的な影響が世間の注目を集めることとなりました。
世界中の被爆者たちは、何世代にもわたりがんや先天性の異常、その他の放射線関連の疾患と差別、恒久的な祖国の汚染を経験しながら、受けた被害に対する認識や認可、医療支援、補償、そして情報へのアクセスを求めて戦ってきたのです。
7月のニューメキシコと8月の日本での行事は、80年前の出来事を、現在とほとんど関係のない歴史として追悼するために行われたのではありません。今なお続く、人々と環境に対する被害に思いをはせるためのものでした。核がもたらした被害への道義的責任と真の人間の安全保障は、この非人道的な兵器を廃絶することによってのみ実現できるというのが、被爆者のメッセージなのです。
核兵器を保有する国が主張している「核兵器の抑止力が世界の安全を守る」という物語は、危険なうそです。
今年だけで五つの核保有国が関与する紛争や対立が発生しています。軍備管理協定はほぼ完全に崩壊し、新たな核軍拡競争が進行中であるともいえます。
こうした中で日本が別の道へ進むことは可能であり、かつ不可欠です。それは武器や戦争より平和と外交への投資を優先し、人々と環境へのさらなる被害を回避する道です。日本が長年、自称してきた核軍縮の擁護者となるためには、核の危険を永続させる行動への加担を終わらせる必要があります。その最も明白な第一歩は、核兵器禁止条約に署名し、批准することです。
私たちは誰もが、核戦争により愛する人や物を失う危険にさらされています。だからこそ私たちには、行動を起こす権利だけでなく義務があるのです。
政府に核禁条約への参加を促すために誰にでもできることがあります。例えば地方議員に連絡し、党内会議や議会で核禁条約を取り上げるよう要求すること。銀行や大学などに核兵器関連の投資からの撤退を求めたり、核軍縮に取り組む団体への参加や寄付をしたりすること。自分の住む都市に対して、核禁条約を支持するよう自国政府に求める「ICANシティーズ・アピール」への参加を働きかけることもできます。
行動こそ無力感への“解毒剤”です。アフリカのことわざに、こうあります。「自分は何も変えられない小さな存在だと思う人は、蚊のいるテントで一夜を明かしたことがないのだ」――と。
◇
私はかつて国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)に勤務していました。ある8月初めの夕べ、私はガザの港で行われた広島、長崎の追悼式典に出席しました。
数百人のパレスチナの子どもたちが、ろうそくをともした小さな紙の船を作り、港に浮かべました。日常的に爆撃に遭っている子どもたちが別の時代と場所で爆撃に遭った子どもたちをしのんでいると思った時、その光景が格別に美しく映り、胸を打たれました。
今年、広島と長崎で被爆者にお会いし、今や80代や90代になった彼ら、彼女らこそ、あの時、ガザの子どもたちが心を寄せていた子どもたちなのだと気づきました。
偉大な平和活動家であり、SGI会長である池田大作氏の英知を借りれば、核兵器を正当化する思考回路と、子どもを含む罪のない他者を殲滅することを辞さない思考回路は同根であり、大量虐殺の実行と助長を正当化しているのです。
世界は今、岐路に立っています。一方の道は分極化、対立、軍事化、核の拡散へと続いています。これは破滅へ向かう一方通行の下降スパイラルです。
しかし核禁条約の存在は、人類がそれとは異なる考え方をする能力を有していることを証明しています。対立よりも対話、軍事よりも外交、拡散よりも軍縮を選ぶ能力を、私たちは持っています。人間は地球とお互いを尊重する新たな未来を創造していく能力を備えているのです。
歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリ氏は、自己破壊から自己創造へと方向転換を可能にする人間の想像力について語っています。思えば、人間が創造したあらゆるものは、誰かが想像したところから生まれたものです。
科学者たちは核爆弾を想像し、それを作り出しました。そして私たちは今、核兵器の終焉を想像し、核禁条約を通じてそれを現実のものにしていく段階にいるのです。
1945年以降、核保有国は“実験”と称して、2000発以上の核兵器を世界中で爆発させてきました。そのほとんどは、先住民族や植民地化されたコミュニティーとその環境を標的としたものです。特に、54年3月にマーシャル諸島で実施されたアメリカによるキャッスル作戦のブラボー実験は、現地住民と環境に甚大な被害をもたらしました。
この爆発で多くの日本人も被害に遭いました。第五福竜丸の船員の死亡は大きく報じられ、核兵器がもたらす壊滅的な人道的・環境的被害、特に放射線の致死的かつ潜行的な影響が世間の注目を集めることとなりました。
世界中の被爆者たちは、何世代にもわたりがんや先天性の異常、その他の放射線関連の疾患と差別、恒久的な祖国の汚染を経験しながら、受けた被害に対する認識や認可、医療支援、補償、そして情報へのアクセスを求めて戦ってきたのです。
7月のニューメキシコと8月の日本での行事は、80年前の出来事を、現在とほとんど関係のない歴史として追悼するために行われたのではありません。今なお続く、人々と環境に対する被害に思いをはせるためのものでした。核がもたらした被害への道義的責任と真の人間の安全保障は、この非人道的な兵器を廃絶することによってのみ実現できるというのが、被爆者のメッセージなのです。
核兵器を保有する国が主張している「核兵器の抑止力が世界の安全を守る」という物語は、危険なうそです。
今年だけで五つの核保有国が関与する紛争や対立が発生しています。軍備管理協定はほぼ完全に崩壊し、新たな核軍拡競争が進行中であるともいえます。
こうした中で日本が別の道へ進むことは可能であり、かつ不可欠です。それは武器や戦争より平和と外交への投資を優先し、人々と環境へのさらなる被害を回避する道です。日本が長年、自称してきた核軍縮の擁護者となるためには、核の危険を永続させる行動への加担を終わらせる必要があります。その最も明白な第一歩は、核兵器禁止条約に署名し、批准することです。
私たちは誰もが、核戦争により愛する人や物を失う危険にさらされています。だからこそ私たちには、行動を起こす権利だけでなく義務があるのです。
政府に核禁条約への参加を促すために誰にでもできることがあります。例えば地方議員に連絡し、党内会議や議会で核禁条約を取り上げるよう要求すること。銀行や大学などに核兵器関連の投資からの撤退を求めたり、核軍縮に取り組む団体への参加や寄付をしたりすること。自分の住む都市に対して、核禁条約を支持するよう自国政府に求める「ICANシティーズ・アピール」への参加を働きかけることもできます。
行動こそ無力感への“解毒剤”です。アフリカのことわざに、こうあります。「自分は何も変えられない小さな存在だと思う人は、蚊のいるテントで一夜を明かしたことがないのだ」――と。
◇
私はかつて国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)に勤務していました。ある8月初めの夕べ、私はガザの港で行われた広島、長崎の追悼式典に出席しました。
数百人のパレスチナの子どもたちが、ろうそくをともした小さな紙の船を作り、港に浮かべました。日常的に爆撃に遭っている子どもたちが別の時代と場所で爆撃に遭った子どもたちをしのんでいると思った時、その光景が格別に美しく映り、胸を打たれました。
今年、広島と長崎で被爆者にお会いし、今や80代や90代になった彼ら、彼女らこそ、あの時、ガザの子どもたちが心を寄せていた子どもたちなのだと気づきました。
偉大な平和活動家であり、SGI会長である池田大作氏の英知を借りれば、核兵器を正当化する思考回路と、子どもを含む罪のない他者を殲滅することを辞さない思考回路は同根であり、大量虐殺の実行と助長を正当化しているのです。
世界は今、岐路に立っています。一方の道は分極化、対立、軍事化、核の拡散へと続いています。これは破滅へ向かう一方通行の下降スパイラルです。
しかし核禁条約の存在は、人類がそれとは異なる考え方をする能力を有していることを証明しています。対立よりも対話、軍事よりも外交、拡散よりも軍縮を選ぶ能力を、私たちは持っています。人間は地球とお互いを尊重する新たな未来を創造していく能力を備えているのです。
歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリ氏は、自己破壊から自己創造へと方向転換を可能にする人間の想像力について語っています。思えば、人間が創造したあらゆるものは、誰かが想像したところから生まれたものです。
科学者たちは核爆弾を想像し、それを作り出しました。そして私たちは今、核兵器の終焉を想像し、核禁条約を通じてそれを現実のものにしていく段階にいるのです。