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〈チャレンジャー 信仰体験〉 “地元専属AD”あふれる下町愛
〈チャレンジャー 信仰体験〉 “地元専属AD”あふれる下町愛
2025年8月31日
- ミッション 商店街を盛り上げろ
- ミッション 商店街を盛り上げろ
愛する「ジョイフル三の輪商店街」で、廣瀬さんがにっこり
愛する「ジョイフル三の輪商店街」で、廣瀬さんがにっこり
【東京都荒川区】路面電車に沿って、400メートルほどのアーケードが伸びる。大正時代から続くという「ジョイフル三の輪商店街」は、今も80軒の店舗がひしめき合う。昭和レトロの風合いに魅せられ、映画「万引き家族」をはじめ、ドラマや街ブラ番組など、ロケの依頼がひっきりなし。
ここで活躍するのが、廣瀬律子さん(56)=地区女性部長=だ。といっても、番組に出演するわけでも、カメラを構えるわけでもない。
廣瀬さんは、ロケの連絡を一手に受け、依頼者の要望を商店主に伝え、撮影現場へ帯同する……。さながら、地元専属のAD(アシスタント・ディレクター)のよう。
「また来たい!と言ってもらえると、何だか誇らしくなるんです」
【東京都荒川区】路面電車に沿って、400メートルほどのアーケードが伸びる。大正時代から続くという「ジョイフル三の輪商店街」は、今も80軒の店舗がひしめき合う。昭和レトロの風合いに魅せられ、映画「万引き家族」をはじめ、ドラマや街ブラ番組など、ロケの依頼がひっきりなし。
ここで活躍するのが、廣瀬律子さん(56)=地区女性部長=だ。といっても、番組に出演するわけでも、カメラを構えるわけでもない。
廣瀬さんは、ロケの連絡を一手に受け、依頼者の要望を商店主に伝え、撮影現場へ帯同する……。さながら、地元専属のAD(アシスタント・ディレクター)のよう。
「また来たい!と言ってもらえると、何だか誇らしくなるんです」
取材中、着信が何件も。いつでもメモを取れるよう、どこに行くにもノートは必須
取材中、着信が何件も。いつでもメモを取れるよう、どこに行くにもノートは必須
商店街愛の源は母にある。
近所への「ちょっとお裾分け」が高じて、廣瀬さんが20歳の時、商店街に惣菜店を構えた。「1個オマケ」が口癖。買い物から帰ってこない母を捜しに行けば、他の店を手伝っていたことも。
そんな母の背中が、廣瀬さんの道しるべ。
「でも、愛だけではできない仕事です。お題目が欠かせません」
1992年(平成4年)、夫の転勤で大阪へ移り住む廣瀬さんに、いとこが信心を教えてくれた。どんな話も「池田先生はな」と、師匠へ導いてくれる大阪の同志たち。聖教新聞を隅々まで読むうち、先生の温かさに包まれる思いがした。
2年後、御本尊を抱き締め荒川へ。久しぶりに、母娘で惣菜店に立つ。「懐かしいね、この感じ」。触れ合いの中で古里を感じた。
なじみの店主から声をかけられたのは、2020年(令和2年)の秋。「商店街の事務所を手伝ってほしい」。何をするのかは分からなかったが、所々シャッターが目立つようになった頃。役に立てるならと、二つ返事で引き受けた。
商店街愛の源は母にある。
近所への「ちょっとお裾分け」が高じて、廣瀬さんが20歳の時、商店街に惣菜店を構えた。「1個オマケ」が口癖。買い物から帰ってこない母を捜しに行けば、他の店を手伝っていたことも。
そんな母の背中が、廣瀬さんの道しるべ。
「でも、愛だけではできない仕事です。お題目が欠かせません」
1992年(平成4年)、夫の転勤で大阪へ移り住む廣瀬さんに、いとこが信心を教えてくれた。どんな話も「池田先生はな」と、師匠へ導いてくれる大阪の同志たち。聖教新聞を隅々まで読むうち、先生の温かさに包まれる思いがした。
2年後、御本尊を抱き締め荒川へ。久しぶりに、母娘で惣菜店に立つ。「懐かしいね、この感じ」。触れ合いの中で古里を感じた。
なじみの店主から声をかけられたのは、2020年(令和2年)の秋。「商店街の事務所を手伝ってほしい」。何をするのかは分からなかったが、所々シャッターが目立つようになった頃。役に立てるならと、二つ返事で引き受けた。
「この前はありがとねー!」。撮影協力のお礼から、話に花が咲く
「この前はありがとねー!」。撮影協力のお礼から、話に花が咲く
いろんな仕事の中で、最も面食らったのは“ロケ担当”。昼夜を問わない依頼の電話。撮影現場での予定変更は当たり前。依頼者と店主の間で板挟みになることもしょっちゅうだ。
「大変なことを挙げればキリがない。人間修行の連続です」
池田先生の言葉が、いつだって勇気をくれる。
「『忙しい』中で、どうやって、自分自身を励まし、元気づけながら、日々、新たに前進していくか。ここに人生の勝負がある」
この商店街が、人生の晴れの舞台。題目を唱えるたびに、街のみんなの声と顔が浮かんでくる。
「元気だったー?」から始まる接客。お客は「聞いてくれる?」と身の上話。結局、30分が過ぎていたと、店主は笑って教えてくれた――。
この街への愛、損得を超えて人を大切にする心を持っているのは、母だけじゃなかった。
「この優しさを知ってほしいんです」。次第に「廣瀬さんじゃなきゃダメなんだよ」と、周囲に味方が増えていく。母も信心を始め、共に地域のために祈り、動くように。
いろんな仕事の中で、最も面食らったのは“ロケ担当”。昼夜を問わない依頼の電話。撮影現場での予定変更は当たり前。依頼者と店主の間で板挟みになることもしょっちゅうだ。
「大変なことを挙げればキリがない。人間修行の連続です」
池田先生の言葉が、いつだって勇気をくれる。
「『忙しい』中で、どうやって、自分自身を励まし、元気づけながら、日々、新たに前進していくか。ここに人生の勝負がある」
この商店街が、人生の晴れの舞台。題目を唱えるたびに、街のみんなの声と顔が浮かんでくる。
「元気だったー?」から始まる接客。お客は「聞いてくれる?」と身の上話。結局、30分が過ぎていたと、店主は笑って教えてくれた――。
この街への愛、損得を超えて人を大切にする心を持っているのは、母だけじゃなかった。
「この優しさを知ってほしいんです」。次第に「廣瀬さんじゃなきゃダメなんだよ」と、周囲に味方が増えていく。母も信心を始め、共に地域のために祈り、動くように。
母・覚前三枝子さんがオープンした「惣菜の店 きく」は、現在も大人気。店主となった弟・覚前伸二さん(左端)が「一個オマケね」とお客にサービス。母の心も継いでいる
母・覚前三枝子さんがオープンした「惣菜の店 きく」は、現在も大人気。店主となった弟・覚前伸二さん(左端)が「一個オマケね」とお客にサービス。母の心も継いでいる
廣瀬さんが商店街を歩くと、あっちにあいさつ、こっちにお礼と、なかなか前に進めない。その間もロケの依頼電話が何度も鳴る。忙しさより、喜びが上回る。
「できることは何でもやりたい」
数えてみたところ、昨年の撮影は実に121回だったとか。今年は、街が舞台の映画も公開された。縁の下のその下で、街を支える廣瀬さん。
最近、街の仲間と、途方もない夢を見つけた。
「いつの日か、トム・クルーズにアーケードの上を走ってほしい」。そのミッションはインポッシブル(不可能)とは思えない?
廣瀬さんが商店街を歩くと、あっちにあいさつ、こっちにお礼と、なかなか前に進めない。その間もロケの依頼電話が何度も鳴る。忙しさより、喜びが上回る。
「できることは何でもやりたい」
数えてみたところ、昨年の撮影は実に121回だったとか。今年は、街が舞台の映画も公開された。縁の下のその下で、街を支える廣瀬さん。
最近、街の仲間と、途方もない夢を見つけた。
「いつの日か、トム・クルーズにアーケードの上を走ってほしい」。そのミッションはインポッシブル(不可能)とは思えない?
この街で撮影が多い理由とは――。「アーケードやレトロな店構えも魅力ですけど、やっぱり“人の良さ”じゃないかなあ。人情味が一番! だって下町ですから」
この街で撮影が多い理由とは――。「アーケードやレトロな店構えも魅力ですけど、やっぱり“人の良さ”じゃないかなあ。人情味が一番! だって下町ですから」