〈社会学者・とみながさんとイドバタ会議〉 社会学者が「任用試験」を勉強してみた!
〈社会学者・とみながさんとイドバタ会議〉 社会学者が「任用試験」を勉強してみた!
2026年5月30日
- “試験”がなぜ、「連帯」と「寛容」を生むのか
- “試験”がなぜ、「連帯」と「寛容」を生むのか
池田華陽会・ヤング白ゆり世代と共につくる連載「社会学者・とみながさんとイドバタ会議」。今回のテーマは「任用試験」です。6月7日に実施される教学部任用試験(仏法入門)を、社会運動の視点から深掘りしたらどのように見えるのでしょうか。20代・30代の女性読者2人と、社会学者で立命館大学准教授の富永京子さんが率直に語り合いました。
池田華陽会・ヤング白ゆり世代と共につくる連載「社会学者・とみながさんとイドバタ会議」。今回のテーマは「任用試験」です。6月7日に実施される教学部任用試験(仏法入門)を、社会運動の視点から深掘りしたらどのように見えるのでしょうか。20代・30代の女性読者2人と、社会学者で立命館大学准教授の富永京子さんが率直に語り合いました。
――任用試験の試験範囲を学んでみていかがでしたか。
富永 日本社会にはいろんな試験がありますが、学会の任用試験には、さまざまな“要素”が詰まっていて面白い。
「日蓮大聖人の御生涯」は宗教史の授業に近く、「創価学会の歴史」は現代史でもあり、会員が組織の歴史を学ぶという意味では、愛着や帰属心を高める「企業研修」にも近い。
その上で興味深いのは、会員ではない私でも受験できるという点です。宗教の試験としては珍しいのではないでしょうか。
――実際に受験したお二人は、どのような思い出がありますか?
らおん 近所の女子部(当時)のお姉さんが当日まで何回も教えてくれました。毎回お菓子を用意して迎えてくれて、教学以外のいろんな話を聞けて楽しかったのを覚えています。
みりー 私の場合は、“一夜漬け”に近かったかな(笑)。その反省から、4年前に友人が受験してくれた時は、何回も近所のファミレスで一緒に勉強しました。
――任用試験の試験範囲を学んでみていかがでしたか。
富永 日本社会にはいろんな試験がありますが、学会の任用試験には、さまざまな“要素”が詰まっていて面白い。
「日蓮大聖人の御生涯」は宗教史の授業に近く、「創価学会の歴史」は現代史でもあり、会員が組織の歴史を学ぶという意味では、愛着や帰属心を高める「企業研修」にも近い。
その上で興味深いのは、会員ではない私でも受験できるという点です。宗教の試験としては珍しいのではないでしょうか。
――実際に受験したお二人は、どのような思い出がありますか?
らおん 近所の女子部(当時)のお姉さんが当日まで何回も教えてくれました。毎回お菓子を用意して迎えてくれて、教学以外のいろんな話を聞けて楽しかったのを覚えています。
みりー 私の場合は、“一夜漬け”に近かったかな(笑)。その反省から、4年前に友人が受験してくれた時は、何回も近所のファミレスで一緒に勉強しました。
富永 試験の内容自体が帰属心を高めるのは当然として、地域の方や友人とみんなで勉強会をすることで、人と人のつながりができる「紐帯」の機能も果たしている。そこにも面白さがありますね。
また、特に女性にとって大事な視点として、ライフステージの変化で悩むことが多いですよね。
恋愛や出産、子育てなど人生の転機に、信仰を学んでいくことで、「右往左往しないで自分らしくいよう」と思える場面があるのではないでしょうか。
みりー 私自身、日々の学会活動など信仰を実践する中で、“祈りってなぜ、かなわないんだろう”“頑張っているのに報われない”と感じた時もありました。しかし任用試験で「信行学」について学んで、この三つをバランスよく実践していけばいいんだと理解できました。
らおん 私は学会3世なので、自分が実践している信仰、所属している団体は一体何ものなのかという「謎解き」のような感覚で受験し、自分の「立ち返る場所」という感覚が芽生えました。「学」がないと、何のために信仰しているのか、目標を見失ってしまいます。
富永 熱心に活動しているからといってその活動の目的や理念を分かっているかというと、それは違ったりしますよね。動いていればある程度周りからも認められるし。
ただ、それだけだと、自分が何者か、何のために所属しているのか分からなくなってしまう。そういう時に勉強すると、自己理解が進みます。
富永 試験の内容自体が帰属心を高めるのは当然として、地域の方や友人とみんなで勉強会をすることで、人と人のつながりができる「紐帯」の機能も果たしている。そこにも面白さがありますね。
また、特に女性にとって大事な視点として、ライフステージの変化で悩むことが多いですよね。
恋愛や出産、子育てなど人生の転機に、信仰を学んでいくことで、「右往左往しないで自分らしくいよう」と思える場面があるのではないでしょうか。
みりー 私自身、日々の学会活動など信仰を実践する中で、“祈りってなぜ、かなわないんだろう”“頑張っているのに報われない”と感じた時もありました。しかし任用試験で「信行学」について学んで、この三つをバランスよく実践していけばいいんだと理解できました。
らおん 私は学会3世なので、自分が実践している信仰、所属している団体は一体何ものなのかという「謎解き」のような感覚で受験し、自分の「立ち返る場所」という感覚が芽生えました。「学」がないと、何のために信仰しているのか、目標を見失ってしまいます。
富永 熱心に活動しているからといってその活動の目的や理念を分かっているかというと、それは違ったりしますよね。動いていればある程度周りからも認められるし。
ただ、それだけだと、自分が何者か、何のために所属しているのか分からなくなってしまう。そういう時に勉強すると、自己理解が進みます。
思い出になる「エモさ」の正体
思い出になる「エモさ」の正体
――社会運動の中にも「任用試験」に近い取り組みはあるのでしょうか。
富永 読書会のような取り組みは盛んに行われています。つまり、社会運動をやっている人は、基本的に勉強は好きなんですが、「試験」はあまり好まない(笑)。創価学会は学びが「試験」として展開されていることに、「日本社会っぽさ」を感じます。どちらかというと、中学・高校受験に近い感覚でしょうか。友達や仲間と学び合うことが思い出になるという「エモさ」があります。一緒に頑張って勉強したことが、後々まで良いつながりになっていくのでしょうね。
また、試験勉強なので黙々とできるところも良い。社会運動をやっている人は、議論したがる人が多いんです。試験勉強が基礎練習だとしたら、応用編を好む。それは、自分は弁が立たないという自覚がある人にとっては、ハードルが高い。その点、黙々と進められる任用試験は、無理に話さなくてもいい。手芸みたいで参加しやすい。
――社会運動の中にも「任用試験」に近い取り組みはあるのでしょうか。
富永 読書会のような取り組みは盛んに行われています。つまり、社会運動をやっている人は、基本的に勉強は好きなんですが、「試験」はあまり好まない(笑)。創価学会は学びが「試験」として展開されていることに、「日本社会っぽさ」を感じます。どちらかというと、中学・高校受験に近い感覚でしょうか。友達や仲間と学び合うことが思い出になるという「エモさ」があります。一緒に頑張って勉強したことが、後々まで良いつながりになっていくのでしょうね。
また、試験勉強なので黙々とできるところも良い。社会運動をやっている人は、議論したがる人が多いんです。試験勉強が基礎練習だとしたら、応用編を好む。それは、自分は弁が立たないという自覚がある人にとっては、ハードルが高い。その点、黙々と進められる任用試験は、無理に話さなくてもいい。手芸みたいで参加しやすい。
「大白蓮華」4月号に任用試験の範囲が掲載されている
「大白蓮華」4月号に任用試験の範囲が掲載されている
みりー 私の友人は、実家の信仰と比較して、「ここは私の信仰と違うね」と話してくれました。お互いの信仰の共通点も見つかって新鮮でした。
富永 それは面白いですね。もっといろんな宗教的背景を持った人と学び合ったら視座が高まりそうです。社会運動でも勉強会は頻繁にありますが、学べば学ぶほどテキストの独自解釈が進むので「一人一派」になってしまいがちです。その結果、同じ運動の中でも他者との連帯がしづらくなってしまう面があります。任用試験の教材を読みましたが、「学び」として体系化されているから、連帯が生まれやすい。また、体系化・明文化されているからこそ、反論や異なる思想にも寛容になれるんだと感じました。
みりー 私の友人は、実家の信仰と比較して、「ここは私の信仰と違うね」と話してくれました。お互いの信仰の共通点も見つかって新鮮でした。
富永 それは面白いですね。もっといろんな宗教的背景を持った人と学び合ったら視座が高まりそうです。社会運動でも勉強会は頻繁にありますが、学べば学ぶほどテキストの独自解釈が進むので「一人一派」になってしまいがちです。その結果、同じ運動の中でも他者との連帯がしづらくなってしまう面があります。任用試験の教材を読みましたが、「学び」として体系化されているから、連帯が生まれやすい。また、体系化・明文化されているからこそ、反論や異なる思想にも寛容になれるんだと感じました。
戦後から今へ「平等化」の装置
戦後から今へ「平等化」の装置
――創価学会では、1951年に戸田城聖第2代会長が就任し、その翌年の52年に『日蓮大聖人御書全集』が刊行。そして同じ年、第1回の教学部任用試験が実施されました。
富永 まだ終戦から7年、学ぶ機会を得られなかった人々は、学びを渇望していた。「学ぶ」ということ自体が多くの人にとって希望でもあった。そんな時代に、「学ぶ土台」を整え「誰もが学べる仕組み」を作ったことは、重要な取り組みです。
みりー 「誰もが学べる」「同じ教材」で「同じ試験を受けられる」、その上で「任用」される、そこに大きな意味があったんですね。
富永 「試験」というシステムを、エリート化してしまった現代の私たちは「能力主義だ、詰め込み教育だ」と批判するわけです。しかし、任用試験が始まった当時は、どんな立場の人でも同じように試験を受けられることは、大きな社会の進歩だった。平等化の装置として機能した任用試験は、社会運動のレパートリーとしても、かなり独自性が高いと思います。
――現代では「タイパ」「コスパ」が重視され、欲しい情報もYouTubeやSNS、生成AIなどで、コスパよく細切れで手に入る時代です。逆に、「体系的に学ぶ」機会は減っているように感じます。
富永 「すぐに役に立つ情報が良い」という価値観、「すぐ役に立たないことは悪」のような考え方が蔓延しています。ただ、それが本当に「意味がないこと」かどうかは、当人の目からは分かりません。任用試験は改めて、「体系的に学ぶ」「人とつながる」「自分を理解する」という古くて新しい学びの形を提示しているように思います。
らおん 高校時代に任用試験を受験して、検定試験のように、入試に役立つことはありませんでしたが、地域の座談会で先輩方の話していることは理解できるようになりました。
富永 それは、一見すぐに役に立たないように見えて、一番役に立っているということです。周りの人が話している内容が理解できるようになる。逆にコスパがいい(笑)。入会はしなくても、信仰の理解を共有するために「任用試験」を受験する。スポーツでいう「サポーター」や、自分は当事者ではないけれどLGBTQ(性的マイノリティー)の人たちを理解・支援している「アライ(Ally)」のような存在が、この任用試験を通して増えたらいいなと思っています。
――創価学会では、1951年に戸田城聖第2代会長が就任し、その翌年の52年に『日蓮大聖人御書全集』が刊行。そして同じ年、第1回の教学部任用試験が実施されました。
富永 まだ終戦から7年、学ぶ機会を得られなかった人々は、学びを渇望していた。「学ぶ」ということ自体が多くの人にとって希望でもあった。そんな時代に、「学ぶ土台」を整え「誰もが学べる仕組み」を作ったことは、重要な取り組みです。
みりー 「誰もが学べる」「同じ教材」で「同じ試験を受けられる」、その上で「任用」される、そこに大きな意味があったんですね。
富永 「試験」というシステムを、エリート化してしまった現代の私たちは「能力主義だ、詰め込み教育だ」と批判するわけです。しかし、任用試験が始まった当時は、どんな立場の人でも同じように試験を受けられることは、大きな社会の進歩だった。平等化の装置として機能した任用試験は、社会運動のレパートリーとしても、かなり独自性が高いと思います。
――現代では「タイパ」「コスパ」が重視され、欲しい情報もYouTubeやSNS、生成AIなどで、コスパよく細切れで手に入る時代です。逆に、「体系的に学ぶ」機会は減っているように感じます。
富永 「すぐに役に立つ情報が良い」という価値観、「すぐ役に立たないことは悪」のような考え方が蔓延しています。ただ、それが本当に「意味がないこと」かどうかは、当人の目からは分かりません。任用試験は改めて、「体系的に学ぶ」「人とつながる」「自分を理解する」という古くて新しい学びの形を提示しているように思います。
らおん 高校時代に任用試験を受験して、検定試験のように、入試に役立つことはありませんでしたが、地域の座談会で先輩方の話していることは理解できるようになりました。
富永 それは、一見すぐに役に立たないように見えて、一番役に立っているということです。周りの人が話している内容が理解できるようになる。逆にコスパがいい(笑)。入会はしなくても、信仰の理解を共有するために「任用試験」を受験する。スポーツでいう「サポーター」や、自分は当事者ではないけれどLGBTQ(性的マイノリティー)の人たちを理解・支援している「アライ(Ally)」のような存在が、この任用試験を通して増えたらいいなと思っています。
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