山本周五郎の短編「武家草鞋」には清廉に生きる藩士・伝三郎の苦悩が描かれている。卑賤な世間に疲れて江戸を離れた伝三郎は山村で行き倒れ、老人に助けられる。老人の家で世話になる間、仕事をすることにした▼覚えのあるわらじを作り、問屋に納める。“とても丈夫”と評判を呼ぶが、問屋から“丈夫だと数が売れず、もうからない”と言われ、失望する。次に日雇いの仕事を始めるが周囲からけちが付いた。“そんなに精を出されたら、こっちの手抜きがばれる”▼正しい行為が逆に疎んじられる。そんな浅ましい世間の現実は今もあるだろう。物語では伝三郎の嘆きに老人が同情しつつ語る。“人間の集まりである世間はあなた自身から始まるもの”と▼人や環境に左右されず、“自分がどうあるか”という生き方から全ては始まるとも解釈できよう。これは仏法の「依正不二」の法理に通じる。わが一念で環境は変わる。一念が強く、深くなるほど他者の存在の意味、環境の見え方も変わっていく▼だからこそ問われるのは“自分はどう生きるのか”という信念と、それを貫く姿勢である。どこまでも信心根本に物事を正しく捉え、不屈の一念で現実の世間を生き抜く。ここに大満足の人生を築く道がある。(代)
山本周五郎の短編「武家草鞋」には清廉に生きる藩士・伝三郎の苦悩が描かれている。卑賤な世間に疲れて江戸を離れた伝三郎は山村で行き倒れ、老人に助けられる。老人の家で世話になる間、仕事をすることにした▼覚えのあるわらじを作り、問屋に納める。“とても丈夫”と評判を呼ぶが、問屋から“丈夫だと数が売れず、もうからない”と言われ、失望する。次に日雇いの仕事を始めるが周囲からけちが付いた。“そんなに精を出されたら、こっちの手抜きがばれる”▼正しい行為が逆に疎んじられる。そんな浅ましい世間の現実は今もあるだろう。物語では伝三郎の嘆きに老人が同情しつつ語る。“人間の集まりである世間はあなた自身から始まるもの”と▼人や環境に左右されず、“自分がどうあるか”という生き方から全ては始まるとも解釈できよう。これは仏法の「依正不二」の法理に通じる。わが一念で環境は変わる。一念が強く、深くなるほど他者の存在の意味、環境の見え方も変わっていく▼だからこそ問われるのは“自分はどう生きるのか”という信念と、それを貫く姿勢である。どこまでも信心根本に物事を正しく捉え、不屈の一念で現実の世間を生き抜く。ここに大満足の人生を築く道がある。(代)