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24カ国の友がトーゴに集った希望総会
24カ国の友がトーゴに集った希望総会
2025年5月15日
- 一人が立てば二人三人と続く アフリカに光る地涌のドラマ
- 一人が立てば二人三人と続く アフリカに光る地涌のドラマ
24カ国の地涌の同志が一堂に会し、アフリカ広布の新たな前進を誓い合った「アフリカ希望総会」(3日、トーゴの首都ロメで)。そのサイドストーリーと、アフリカを巡る話題を紹介する。
24カ国の地涌の同志が一堂に会し、アフリカ広布の新たな前進を誓い合った「アフリカ希望総会」(3日、トーゴの首都ロメで)。そのサイドストーリーと、アフリカを巡る話題を紹介する。
アフリカ大陸の中位年齢(人口の真ん中の年齢)は19.7歳。希望の“青年大陸”から世界広布の旭日が昇る!――24カ国の代表が一堂に会したアフリカ希望総会の参加者が記念のカメラに(3日、トーゴの首都ロメで)
アフリカ大陸の中位年齢(人口の真ん中の年齢)は19.7歳。希望の“青年大陸”から世界広布の旭日が昇る!――24カ国の代表が一堂に会したアフリカ希望総会の参加者が記念のカメラに(3日、トーゴの首都ロメで)
日本からトーゴへの直行便はない。谷川SGI(創価学会インタナショナル)理事長ら訪問団はパリでフランス総会(4月29日)に出席した後、トーゴ入りした。両国を訪れる中で、アフリカとフランスを結ぶエピソードが浮かび上がった。
アフリカ希望総会で登壇し、とりわけ大きな拍手が送られたイダ・ボドスSGI副理事長。トーゴ広布の一粒種である。
イダさんは1978年、医学博士号の取得を目指して留学中のフランスで1人目の男児を授かった。以来、朝早く息子を託児所に預けて働き、夜に迎えに行く苦闘の日々。ある日、託児所の所長に誘われた座談会に感動し、信心の実践を始めた。
この託児所の所長がシーカー・ジョーゼット・ゴメス・ドス・サントスさん。アフリカ・ベナンの出身で、“シーカーおばさん”と慕われていた。
先月、フランス壮年部長に任命されたファブリス・オリヤさんの母も、子育てに悩んでいた際、彼女から折伏を受けた。イダさんが信心を始める数年前のこと。やはり、幼いオリヤさんを託児所に預けていたという。
シーカーおばさんは「苦しむのをやめて早く題目で解決しましょう」と、力強く折伏の輪を広げる人だった。彼女は信心を貫き、昨年、パリで天寿を全うする少し前に、夫の祖国であるアフリカ・アンゴラの国籍を取得した。いつかは、アフリカのために命を使いたいと願っていたという。
70年代、トインビー博士が「創価学会は、既に世界的出来事」と評したダイナミックな広がりも、こうした草の根の対話があってこそ。イダさんは82年にトーゴに帰国。同国の広布を大きく進めていくことになる。
日本からトーゴへの直行便はない。谷川SGI(創価学会インタナショナル)理事長ら訪問団はパリでフランス総会(4月29日)に出席した後、トーゴ入りした。両国を訪れる中で、アフリカとフランスを結ぶエピソードが浮かび上がった。
アフリカ希望総会で登壇し、とりわけ大きな拍手が送られたイダ・ボドスSGI副理事長。トーゴ広布の一粒種である。
イダさんは1978年、医学博士号の取得を目指して留学中のフランスで1人目の男児を授かった。以来、朝早く息子を託児所に預けて働き、夜に迎えに行く苦闘の日々。ある日、託児所の所長に誘われた座談会に感動し、信心の実践を始めた。
この託児所の所長がシーカー・ジョーゼット・ゴメス・ドス・サントスさん。アフリカ・ベナンの出身で、“シーカーおばさん”と慕われていた。
先月、フランス壮年部長に任命されたファブリス・オリヤさんの母も、子育てに悩んでいた際、彼女から折伏を受けた。イダさんが信心を始める数年前のこと。やはり、幼いオリヤさんを託児所に預けていたという。
シーカーおばさんは「苦しむのをやめて早く題目で解決しましょう」と、力強く折伏の輪を広げる人だった。彼女は信心を貫き、昨年、パリで天寿を全うする少し前に、夫の祖国であるアフリカ・アンゴラの国籍を取得した。いつかは、アフリカのために命を使いたいと願っていたという。
70年代、トインビー博士が「創価学会は、既に世界的出来事」と評したダイナミックな広がりも、こうした草の根の対話があってこそ。イダさんは82年にトーゴに帰国。同国の広布を大きく進めていくことになる。
総会前のひととき。民族衣装をまとった各国のメンバーが思い思いに交流
総会前のひととき。民族衣装をまとった各国のメンバーが思い思いに交流
代表のメンバーが「青年部宣言」を力強く。アフリカ全土の兄弟姉妹が一つになって、広布を進めゆくことを誓った
代表のメンバーが「青年部宣言」を力強く。アフリカ全土の兄弟姉妹が一つになって、広布を進めゆくことを誓った
青年の大陸
青年の大陸
アフリカ広布を開いた草創の友の思いは、青年たちに確実に受け継がれている。
希望総会では、準備・運営に当たったトーゴ青年部の活躍が際立っていた。
同国のアクパジ青年部長は「多くの同志を迎える私たちは“池田先生の側”に立って戦おう」と決意した。そのために、先生の指導を「読んで」学び、大小の会合を運営する「実践」から学び、完璧な準備を目指した。
サチ男子部長によれば、青年部員は毎朝、各人が自宅でどれだけ題目をあげたかをSNSで共有するなどして、異体同心の団結を結び、緻密な準備を重ねたという。
総会の最初にマイクを握り「開会の言葉」を担ったババ女子部長は、先輩から“原稿を読むのではなく心を伝えるんだよ”とのアドバイスを受け、自然に言葉が出てくるようになるまで、何度も読み返し、本番に臨んだ。
トーゴのメンバーは見事な結束で、前例のない規模の希望総会を成功に導いた。
一方、他国から集った青年の決意も、トーゴのメンバーに負けじと燃え上がっていた。
カメルーンのペチャ女子部長が憂えたのは深刻な失業問題などの影響で、若者から希望が失われていること。“貧しく生まれても、心まで貧しくなってはいけない”との池田先生の言葉を胸に、今回の希望総会から、宿命転換の仏法を広げたいと意気込んでいた。ベナンのダ・フォントン青年部長は、物質的な成功だけを求める若者の安易な風潮を変え、仏法の幸福哲学を広げたいと熱く語った。
青年たちは、格別な思いを胸に、希望総会を迎えた。誰もが口をそろえたのは、何としても師の恩に応えたいとの熱願である。
アフリカ広布を開いた草創の友の思いは、青年たちに確実に受け継がれている。
希望総会では、準備・運営に当たったトーゴ青年部の活躍が際立っていた。
同国のアクパジ青年部長は「多くの同志を迎える私たちは“池田先生の側”に立って戦おう」と決意した。そのために、先生の指導を「読んで」学び、大小の会合を運営する「実践」から学び、完璧な準備を目指した。
サチ男子部長によれば、青年部員は毎朝、各人が自宅でどれだけ題目をあげたかをSNSで共有するなどして、異体同心の団結を結び、緻密な準備を重ねたという。
総会の最初にマイクを握り「開会の言葉」を担ったババ女子部長は、先輩から“原稿を読むのではなく心を伝えるんだよ”とのアドバイスを受け、自然に言葉が出てくるようになるまで、何度も読み返し、本番に臨んだ。
トーゴのメンバーは見事な結束で、前例のない規模の希望総会を成功に導いた。
一方、他国から集った青年の決意も、トーゴのメンバーに負けじと燃え上がっていた。
カメルーンのペチャ女子部長が憂えたのは深刻な失業問題などの影響で、若者から希望が失われていること。“貧しく生まれても、心まで貧しくなってはいけない”との池田先生の言葉を胸に、今回の希望総会から、宿命転換の仏法を広げたいと意気込んでいた。ベナンのダ・フォントン青年部長は、物質的な成功だけを求める若者の安易な風潮を変え、仏法の幸福哲学を広げたいと熱く語った。
青年たちは、格別な思いを胸に、希望総会を迎えた。誰もが口をそろえたのは、何としても師の恩に応えたいとの熱願である。
1960年10月14日、ニューヨークの国連本部を視察した池田先生
1960年10月14日、ニューヨークの国連本部を視察した池田先生
池田先生は会長就任5カ月後の1960年10月、初の海外指導に赴いた。同月14日、米ニューヨークの国連本部を視察し、アフリカ諸国の代表団の生き生きした姿を見て、「21世紀は、アフリカの世紀になる」との確信を抱いた。折しもその年は、トーゴを含めたアフリカ17カ国が独立を勝ち取った「アフリカの年」だった。
先生は以来、その展望を現実にすべく、アフリカ各界の知性と対話を重ね、来日した同志を抱きかかえるように励まし、折々のスピーチやエッセーなどでアフリカの人々にエールを送った。
アフリカ希望総会でトーゴの青年は“池田先生は、どの指導者よりも、アフリカの地を愛している”と叫んだ。この言葉こそ、アフリカの友の包み隠さぬ思いといえよう。
75年1月26日、グアムでのSGI発足の集いにアフリカから出席したのは3カ国。妙法の花は半世紀を経て、40カ国で咲き薫る。
先生は、かつて詩にうたった。「広布の歴史は/いつも一人から始まる/一人が立てば/必ず 二人 三人と続き/やがて澎湃たる/うねりが涌き起こる」(「西アフリカの真珠・トーゴ」)
アフリカ各国で今、青年たちが師弟の旗を持って立ち上がる。「21世紀は、アフリカの世紀」の遠望を実現すべく、ここから、アフリカの新しき地涌のドラマが始まる。
池田先生は会長就任5カ月後の1960年10月、初の海外指導に赴いた。同月14日、米ニューヨークの国連本部を視察し、アフリカ諸国の代表団の生き生きした姿を見て、「21世紀は、アフリカの世紀になる」との確信を抱いた。折しもその年は、トーゴを含めたアフリカ17カ国が独立を勝ち取った「アフリカの年」だった。
先生は以来、その展望を現実にすべく、アフリカ各界の知性と対話を重ね、来日した同志を抱きかかえるように励まし、折々のスピーチやエッセーなどでアフリカの人々にエールを送った。
アフリカ希望総会でトーゴの青年は“池田先生は、どの指導者よりも、アフリカの地を愛している”と叫んだ。この言葉こそ、アフリカの友の包み隠さぬ思いといえよう。
75年1月26日、グアムでのSGI発足の集いにアフリカから出席したのは3カ国。妙法の花は半世紀を経て、40カ国で咲き薫る。
先生は、かつて詩にうたった。「広布の歴史は/いつも一人から始まる/一人が立てば/必ず 二人 三人と続き/やがて澎湃たる/うねりが涌き起こる」(「西アフリカの真珠・トーゴ」)
アフリカ各国で今、青年たちが師弟の旗を持って立ち上がる。「21世紀は、アフリカの世紀」の遠望を実現すべく、ここから、アフリカの新しき地涌のドラマが始まる。
総会の第2部に行われた「ミニ文化祭」。青年がはつらつとダンスを披露する
総会の第2部に行われた「ミニ文化祭」。青年がはつらつとダンスを披露する
イダ・ボドスSGI副理事長
イダ・ボドスSGI副理事長
フランスのファブリス・オリヤ壮年部長
フランスのファブリス・オリヤ壮年部長