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電子版連載〈WITH あなたと〉 #身体障がい #アスリート/全日本パラ卓球で優勝 2024年11月23日

  • 20年の競技生活でつかんだ「自分らしさ」
10:21

 先天性の脳性まひのため、両手と両脚が思うように動かないアスリートを紹介します。卓球を始めて20年。青年は、健常者の大会にも、障がい者の大会にも挑戦し続けてきました。それは「自分らしさ」とは何であるかを知る歩みでもありました。(取材=野呂輝明、橋本良太)

自分の価値を認めることができた10代

 本年9月27日から29日にかけて行われた、「第16回全日本パラ卓球選手権大会(肢体の部)」。立位男子シングルスクラス8で、宿野部拓海さん=大分市、男子部本部長(部長兼任)=が、自身12年ぶりとなる優勝を果たした。
 同大会は、「車椅子」5クラスと「立位」6クラスに分かれており、数字が小さいほど障がいが重い。また、同大会の結果が次年度の日本代表メンバーの選考に関わるとともに、原則としてクラス1からクラス10までの各優勝者は、国際大会出場資格を得る。宿野部さんは語った。
 「今回の優勝で、自分の生き方や競技への向き合い方について、手応えをつかめたと思います」

 中学校入学を機に、卓球部に入った。先天性の脳性まひのため、両手と両脚が思うように動かない。小学校ではサッカーなどチームスポーツも経験したが長くは続かなかった。
 “個人競技なら周りに迷惑をかけない”。宿野部さんの10代は、劣等感との戦いであったかもしれない。健常者の中で部活に励み、自ら猛練習。平日4時間、休日8時間の練習、他の部員と同じ距離を2倍の時間をかけて走り込む。打球練習では、脚の踏ん張りが利かず、体のバランスが崩れる。それでも、倒れながら打ち続けた。
 パラアスリートとの出会いを機に高校2年の時、障がい者の大会に出た。初出場で準優勝、大学3年次には全国優勝を果たす。“これで、自分の価値を、自分で認めてあげられる”と思った。

20代を経て自覚した思い

 2013年に東京オリンピック・パラリンピック開催が決定すると、「障がい者アスリート雇用」を行う企業が増加した。企業にとっては、障がい者の雇用率向上や社員への理解促進、広報などのメリットがあり、アスリートにとっても、練習環境の確保が可能となる。
 社会人1年目で働いていた宿野部さんにも誘いがあり、2015年に転職。生まれ育った神奈川から大分の地へ移った。週の半分は練習に充てられるようになり、2017年には国際大会で銀メダルを獲得した。
 
 だが壁は厚かった。クラス8は競技人口が多い。東京パラリンピックの男子の同クラスに、日本人選手は一人も出られなかった。さらに、コロナ禍を経て、練習を再開したものの、国内大会でベスト4より先に進めなくなった。けがをしたことも不調の一因だが、長く競技を続けるうち、ある思いに気付いた。
 “卓球は好きだけれど、相手を押しのけてまで、勝とうと思えない”
 30歳を迎え自覚した気性。穏やかで、相手の長所を見いだし、たたえたくなる。多くの人はそれを美徳と言うかもしれないが、“勝ちにこだわることが当たり前の世界で、自分のマインドは、競技に不向きなのではないか”――そんな迷いを打ち明ける機会は、思いがけないところから巡ってきた。

打ち明けることが、救いになった

 宿野部さんは、創価学会の活動に精力的に取り組んでいる。信仰に励む母の姿を見て育ち、大学時代、学生部の仲間たちが、卓球に挑む自分をたたえてくれたことが支えとなった。大分に来て、男子部で活動するようになってからも、仲間への感謝は変わらない。
 ただ、いつしか“頑張る宿野部君”として期待に応えたいという思いが、“弱音を口に出さない”という歯止めになっていたのかもしれない。2022年の年末、宿野部さんは男子部の先輩と電話で話していた際、つぶやくように言った。
 「もう頑張れません」
 
 先輩は宿野部さんのもとを訪ね、話に耳を傾けた。“国内ベスト4でも学会の皆は喜んでくれるが、自分は悔しい”“卓球は好きだが、何が何でも勝ちたいと思えない”……はたからすれば矛盾するようにも聞こえる複雑な心境に、先輩は最後まで「うん、うん」とうなずきながら、ついに口を挟まなかった。「話してくれてありがとう」と言い、帰っていった。
 先輩の訪問を受け、宿野部さんは、不思議なほど心が軽くなったという。「悩みを“打ち明けられた”こと。それ自体で、救われることがあるんだと知りました」
 先輩は、宿野部さんの話を聞いて、何を思っていたのだろうか。当事者の金子伸幸さん=県男子部長=に話を聞いた。

金子伸幸さん
金子伸幸さん

 「率直に、申し訳ないという気持ちで聞いていました。競技活動はもちろん、学会活動も全力で頑張ってくれる宿野部君に“甘えて”しまい、お願いすることが多くなってしまったのかもしれません」
 
 なぜ、話を聞きつつ、金子さんからは何も言わないでいたのだろうか。
 「電話で『もう頑張れません』と聞いて、宿野部君のもとを訪ねる前、自分なりに、学会の書籍などを見返して、持って行こうとしたんです。でも、探しながら“いや待てよ”と思って。苦しい時って、まず、話を聞いてほしいじゃないですか。何か言葉をかけるなら、相手の状況を知り、祈り、考えてからだなと。もちろんケース・バイ・ケースですけど」
 
 金子さんがそのように語るのは、自身の経験によるところが大きい。創価大学を卒業後、都内の会社に就職したが、数年後、家業を継ぐために大分に戻った。だが経営は苦しく、看護師に転職した経緯がある。今日まで、苦境も悲しみも味わった。
 「どん底にいる時って、人の言葉が入ってこないこと、あるじゃないですか。うれしいんだけれども、受け止めきれない。苦しみを吐露することだって、力が要るし。だから宿野部君には、“話してくれてありがとう”と思いました。私は看護師の仕事をするようになって、患者さん一人一人を、しっかりと見て、理解しようとする大切さを感じるようになりました。そしてそれは、学会活動の関わりの中でも、必要不可欠であることを、宿野部君とのやり取りで、あらためて教えてもらいました」
 
 金子さんの訪問を受けてから、宿野部さんは変わった。劇的に様子が変わったわけではない。しかし、負けた時の悔しさやメンタリティー(心の在りよう)に悩んでいることを、男子部の会合で自然と話すようになった。
 そして卓球に関しても、「自分らしく向き合おう」と新たな試みを始めた。

練習パートナーと。これまで、練習環境の確保や活動費の工面、日本代表の落選、けが、メンタルの不調など、さまざまな課題と向き合ってきた
練習パートナーと。これまで、練習環境の確保や活動費の工面、日本代表の落選、けが、メンタルの不調など、さまざまな課題と向き合ってきた
自他共のリスペクトと競技の調和

 それは「メンタルトレーニング」。専門のトレーナーと対話し、自分を見つめ、長所を書き出していく。その過程で思った。
 “相手を尊敬することが「自分らしさ」なら、無理に抑えつけなくていいのではないか”――。
 自身の「卓球ノート」に強豪選手の長所を書いてみる。早い段階の攻めが得意、レシーブの見極めがうまい、可動域が広い……書けば書くほど自信を失いそうなものだが、宿野部さんは違った。
 「“攻撃を返されないように”と考えるのではなく、相手はきっと返して来るだろうから別の方法を探ろうかなとか、返された次はどう攻撃しようかなとか、考える視点が変わってきたんです」
 
 迎えた今秋の全日本パラ卓球。準決勝で当たったのは、昨年の同大会で敗れた相手だ。自らが得意とするラケット表面のドライブやスマッシュに加え、裏面で玉に複雑な回転をかけて勝利を収める。ベスト4の壁を越え、優勝まで突き進んだ。
 日本一になった翌10月、フランス遠征に参加した。大会結果はベスト8だった。これからも勝ったり負けたりするだろうが、戦い続けていけると思う。
 自他共のリスペクトと競技の調和――納得できる挑み方で、パラリンピックの舞台を目指す。

 宿野部さんは、今日までの歩みを、こう振り返る。
 「障がいがあること、そして卓球というスポーツは、いろいろな視点を僕にもたらしてくれました。卓球に挑む中で“自分自身の価値”を認めることができました。その次に、長く続ける中で思ったのは“自分の身体を知ること”でした。『両手と両脚にまひがある』と言っても、細かく言うと少しずつ状況が違います。僕は右脚の筋力が弱く、左脚に重心を置きます。試合中は、例えば、利き手の左手を振り抜く時も、体のバランスを崩さないように顔の前で止めるような形になる。そんなふうに、同じ大会の同じクラスでも、一人一人、身体の特性は違うんです。だから、自分を知り、相手を知り、共にリスペクトできるようになりました。障がいがあることと、卓球を通して、『自分らしさ』とは何かを見いだすことができました。もっとも、人はみんな違っていて、一人の人間として相手を見ることが大切だということは、創価学会で学んだことです。その上で、『万人に仏性が具わる』という、この信仰を実践できることは、僕の支えであり、誇りです」

〈エピローグ〉

 全日本パラ卓球で優勝を果たし、フランス遠征に出発する数日前のこと。地域の男子部の定例の会合に宿野部さんは参加した。皆で勤行・唱題した後、近況を語り合い、池田先生の指針を学ぶ。小一時間の会合が終了した後、ある“サプライズ”があった。
 海外に赴く宿野部さんへプレゼントが用意されていたのだ。男子部の仲間たちからのエールを収めたアルバム。その中には、土師史也さん=男子地区リーダー=からのエールもつづられていた。

土師史也さん
土師史也さん

 土師さんは、自動車の整備場で働く20代のメンバー。幼い頃から学会員ではあったものの、自ら学会活動することに対しては、気乗りがしない。その土師さんが、心を開いた相手が宿野部さんだった。その理由を、土師さんはこう教えてくれた。
 
 「近所に住んでいたこともあって、宿野部さんのことは10代の頃から知っていました。ただ、深く付き合うようになったのは一昨年、LINEを交換してからです。それまで“LINEで流れてくるのは会合連絡”というイメージがあったんですが、宿野部さんは個別にLINEをくれることが多くて、『寒くなってきたけど、風邪ひいてないですか』とか『仕事の調子はどうですか』とか、僕の生活のことを気にかけてくれたんです。ちょうどその頃、仕事のことで悩んでいて。資格取得へ向けて勉強していることや、この先の不安なども含めて、話すようになりました。宿野部さんは、アスリートとしてどこまでもひたむきで、目標を立て、やるべきことを決め、実行している。その精神力や実行力を尊敬しています。自分も宿野部さんのように、努力を怠らず、資格取得を実現したいです」

男子部の仲間たち
男子部の仲間たち

 土師さんは、昨年、「男子部大学校」に所属し、先輩である宿野部さんとペアになって、信心の実践に励んできた。宿野部さんが大会終了後に、土師さんの自宅に直行して、教学の研さんや池田先生の指針を学ぶことも一度や二度ではなかった。間近で見てきた分だけ、宿野部さんの姿に、いっそう感化されたのかもしれない。土師さんは今、地区リーダーを担い、牙城会の一員としても広布の道を歩んでいる。

 
 
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