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電子版連載〈chronicle〉 池田先生の若き日を学ぶ 2025年10月20日

  • 第18回 若者文化と学生運動

 1960年代後半の日本では、高度経済成長のもと、新しい若者文化が生まれる一方、学生運動が各地で拡大し、社会に大きな影響を与えていました。池田先生は、この「スチューデントパワー」の台頭を見つめつつ、「真の革命とは何か」を問いかけ、未来を担う青年たちを励まし続けました。
  
  

ヒッピーの出現
東京・新宿駅西口でたむろするフーテン族
東京・新宿駅西口でたむろするフーテン族

 1965年11月から始まった「いざなぎ景気」は、70年7月まで続く好景気だった。60年代後半には、人口の多い「団塊の世代」が青年期を迎え、さまざまな文化が花開く。
  
 イギリスのロックバンド・ビートルズの影響を受け、「グループ・サウンズ」ブームが到来。数多くのバンドが結成され、ジャズ喫茶が若者文化の拠点となった。また、ミニスカートの流行など、若者ファッションも大きく変化した。
  
 一方、60年代のアメリカでは、青年層を中心に既存の社会体制や価値観からの離脱を志向するヒッピーが出現した。彼らは共同生活を営み、理性による抑制を超えて感性を解放する手段として薬物を使用する者もいた。60年代後半には、ベトナム戦争反対運動や公民権運動とも呼応しながら拡大していった。その影響は日本にも及び、「フーテン族」と呼ばれる若者たちが登場した。
  
  

スチューデントパワーの変容
学生に占拠された、東大の安田講堂。催涙弾の白煙に包まれている(1969年1月)
学生に占拠された、東大の安田講堂。催涙弾の白煙に包まれている(1969年1月)

 国民所得の向上に伴い、高校・大学への進学率が上昇した。文部科学省の統計によると、70年には高校進学率が82・1%、短大・大学の進学率は23・6%に。依然として大学生は社会のエリート層と見なされたものの、1950年代の進学率が約1割だったことと比べると大幅な上昇であった。
  
 この時期、大学の自治や社会変革を求める学生運動が各地で高揚した。68年1月、東京大学では医師制度の変更に反対する医学部学生の無期限ストライキが始まり、6月には安田講堂が占拠された。その後、機動隊によって排除されたものの、これを契機に紛争は全学に拡大し、7月には再び安田講堂が占拠される事態となった。この封鎖が解除されたのは翌69年1月のことだった。
  
 学生運動の特徴は、自治会などのセクト(党派・分派)に所属しない学生が中心となった点であった。彼らは「全学共闘会議(全共闘)」を結成し、多くの学生が参加したことで、運動は全国へと広がった。しかし、大学紛争の過程でセクトが生まれ、暴力事件や内部抗争を起こしたため、やがて世論の支持を失っていった。
  
  

三島由紀夫の衝撃

 1970年11月25日、衝撃的な事件が起きた。ノーベル文学賞候補と目された作家・三島由紀夫が、自ら主宰する民間防衛組織「楯の会」の青年らと共に、自衛隊の市ケ谷駐屯地に乗り込み、割腹自殺を遂げた。三島は、自衛隊員を前に憲法改正や天皇を中心とする伝統の擁護を訴えた。
  
 その時に配られた檄文には、戦後日本は「経済的繁栄にうつつを抜かし、国の大本を忘れ、国民精神を失ひ、本を正さずして末に走り、その場しのぎと偽善に陥り、自ら魂の空白状態へ落ち込んでゆく」と記されていた。劇的な最期は、社会に衝撃を与えた。
  
  

自衛隊の市ケ谷駐屯地のバルコニーで演説する三島由紀夫(1970年11月)
自衛隊の市ケ谷駐屯地のバルコニーで演説する三島由紀夫(1970年11月)
個々の精神革命こそ真の社会変革に

 「スチューデントパワーの高まりは、人間性を抑圧する社会の管理機構への、青年たちの不満の爆発であり、さらには、既存の社会の価値観に対する、拒否の宣言にほかならなかった」(小説『新・人間革命』第14巻「智勇」の章)
  
 池田先生は、全共闘運動が提示した最大のテーマは「権力をもつ者のエゴを、さらに、自己の内なるエゴを、どう乗り越えるか」(同章)であると考えた。東大封鎖の解除前に発刊された、雑誌「主婦の友」(1969年2月号)に「学生問題に私はこう思う」と題して原稿を寄せた。
  
 その中で先生は「(革命とは)人間尊重の精神を基調とした高い理念と、思想による個々の人間の精神革命でなくてはならないと私は思っている。一人の人間を、心より納得させ、変革できないで、どうして社会全体を変えることができようか」と問題提起した。
  
 池田先生は、経済成長を遂げる日本において、文化・教育の観点から社会の発展を担おうと行動を起こしていた。1962年に東洋哲学研究所を、63年に民主音楽協会を設立した。
  

創価大学の開学直前に行われた竣工式の折、池田先生がしだれ桜(創大桜)を植樹(1971年2月)
創価大学の開学直前に行われた竣工式の折、池田先生がしだれ桜(創大桜)を植樹(1971年2月)

 68年には創価中学・高校を開校。そして、69年5月の創価学会の本部総会では、71年の開学に向けて準備が進む創価大学について言及した。
  
 「現在、各大学で紛争が続発し、深刻な社会問題となっておりますが、この泥沼化した姿こそ、新しい理念と思想による全く新しい大学の出現を待望する、時代の表徴であると考えたい。創価大学の第一の特色は、教授はたとえ無名であっても、青年のように旺盛な研究意欲をもち、教育に生命をかけて取り組んでいく人をもって、構成するということであります」
  
 また、創価大学の基本理念として、「人間教育の最高学府たれ」「新しき大文化建設の揺籃たれ」「人類の平和を守るフォートレス(要塞)たれ」との、三つのモットーを発表した。
  
 同月、政府は「大学立法」を国会に提出した。池田先生は、直ちに「大学革命について」を執筆し、三権分立に教育権を加えた「四権分立」構想を提唱した。
  
 創価学会の学生部内でも新たな動きが起こる。学生部員が、大学の自治を奪う法律の制定を阻止しようと奮起。やがて、社会に建設的な提言を行うべく「新学生同盟(新学同)」を結成した。これは、暴力的な抗争に傾いた全共闘などの運動とは一線を画し、学会の青年による社会的アクションの先駆けとなった。
  
  

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