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〈インタビュー〉 “キノコが苦手”の記者にキノコ農家が教えてくれた“苦手克服法” 2023年12月23日

  • 電子版オリジナル連載〈素材心 生産者と食す〉

こんにちは。農漁業に従事する全国の創価学会メンバーに“素材愛”を聞いて回る、記者・石ちゃんです。今回の聖教電子版オリジナル連載〈素材心 生産者と食す〉で取り上げる素材は「キノコ」です。

この記事は、キノコが「苦手」「嫌い」だという人に読んでほしい――。なぜなら記者は「キノコ」が大の苦手……。記事を通して「キノコ」の魅力を伝えられるのだろうかと、たくさん悩みました。そんな記者の背中を押してくれたのが、長野県木曽町で、「斉藤きのこ工場」を経営する斉藤大さん(44)=地区幹事。斉藤さんが「キノコ」に込める思いを聞いた記者は“苦手”を克服できたのか――。

――きょうはよろしくお願いします。実は、僕、キノコが苦手なんです。

えーーーー! すっごくおいしいのに! 苦手なのは、食感ですか? それとも風味ですか?

どんな野菜や果物だって、採れたてはおいしいものです。キノコも同じです。生産の過程を知れば、絶対においしく感じるはず。

まずは、「斉藤きのこ工場」の中をご案内しましょう!

――天井までブナシメジがぎっしり。倉庫のような暗い場所で栽培するんですね。

青色のLEDライトを使って、ブナシメジに満遍なく光を与えながら栽培します。シメジは気候に左右されないため、1年を通じて収穫することができるんです。その上で、おいしく育てるためには、温度、湿度管理が重要です。

ブナシメジは温度変化に敏感で、温度が下がったりすると生育が遅れ、湿度が低くなるとカサがどんどん乾燥して開いてしまいます。

生育室内の温度は15℃前後、湿度は95%以上に保つように管理しており、昼夜問わず室内のムラをなくすために空調管理をしている
生育室内の温度は15℃前後、湿度は95%以上に保つように管理しており、昼夜問わず室内のムラをなくすために空調管理をしている

毎日、目をかけ、手をかけ、注意深く観察し、温度や湿度を調整しながら育てています。微妙な環境の変化で、色や形、弾力のある歯触りも変わってきます。けど、こうやってキノコのカサが並ぶ姿を見ていると、ほほ笑みたくなるかわいさですよね。

ブナシメジは菌と生育環境さえ用意してあげれば、いくらでも育ちます。だから、かなりのポテンシャル(可能性)を秘めた食材だと思っています。うちでは、スーパーなどで“よく見るシメジ”のほかに、農園独自のシメジも栽培しています。その名は「ジャンボシメジ」!

――えっ! どれくらいジャンボなんですか?

だいたい、スマホの1・5倍くらいです。

ジャンボシメジ(手前)とブナシメジ
ジャンボシメジ(手前)とブナシメジ

※記者の心の声(で、でかっ……)

通常のシメジと比べて、食感はエリンギ。味は香りの強いシメジ(笑)。スライスして鍋に入れてもよし。バターじょうゆで炒めてもよし。私のおすすめは、“さけるチーズ”のようにして、天ぷらにするのかな。近所のスーパーの直売コーナーにしか出品していないのですが、すぐ売り切れてしまうほどの大人気キノコです。

――斉藤さんは何でキノコ農家になろうと思ったんですか?

話すと長くなるんですが、端的に言えば、キノコの魅力に取りつかれたんです(笑)。

――取りつかれた!? その理由、詳しく知りたいです(笑)。

出身は東京都新宿区。青春時代は神楽坂や市ヶ谷で過ごしました。今、僕が住んでいる木曽町とは正反対の大都会です。

「斉藤きのこ工場」から見た木曽町の風景
「斉藤きのこ工場」から見た木曽町の風景

都内の高校を卒業した時期は、まさに就職氷河期。定職に就けず、薬局、日雇いの工事現場……アルバイトを転々としていました。“このままフラフラしてたらやばい”と思い、環境を変えてみようとなったのは、20歳の時。母の実家のある長野だったら知り合いもいるからと、“3カ月限定”で県内の山あいにある旅館に住み込みでアルバイトすることにしたんです。

バイトの期間が終わりになった頃、旅館の従業員に「山で採ってきたキノコを料理で出すから、これから山に採りに行くぞ」と言われて、ついていって。そこで、まんまとキノコにハマってしまったんです(笑)。

キノコ狩りって“おじさんの娯楽”みたいなイメージを持っていたんです。でも、実際に山の中に入って、食べられる野生のキノコを見つけられるようになると“宝探し”みたいで楽しくなっちゃって。

希少なものだと“シメジの女王”と呼ばれている「シモフリシメジ」をはじめ、「オオツガタケ」「マツタケ」、天然の「ナメコ」とか。そんなキノコと出合った時は、もう、言葉も出ません……(笑)。

――取りついてますねー(笑)。そのまま旅館で働こうとは思わなかったんですか?

その手もあったとは思います。休憩中は温泉に浸かったり、暇つぶしに山登りしてみたり、悠々自適な生活に満足していたんですが、同世代の子たちと話をしているうちに、自分と他人を比べるようになったんです。

“このままでは世間知らずになるんじゃないか”
“これから先、俺はどんな未来を進むんだろう”

考えれば、考えるほど、自分がどう生きていけばいいのか分からなくなったんです。結局、僕は「決断が苦手」だから、フラフラしているのかなとも思いました。

キノコの魅力に取りつかれていたから「キノコに携わる仕事に就けたら最高だなー」と、理想話を同世代の従業員と話していました。みんな「へー」とか「いいんじゃない」とか、どこか人ごとで真剣には聞いてくれなくて。

そんな中、とても世話好きで、誰の話にも真剣に耳を傾ける従業員のおばさんがいたんです。「大ちゃん、元気?」って。おばさんは、僕の話も聞いてくれました。

最初は
「大ちゃん、体調は大丈夫? 風邪ひかないようにね」
「夢は大きく持つものよ。おばさんも応援するわ」

やがて
「聖教新聞を読んでみて。自分が変われば環境も変わるのよ」
「信心すれば、大好きなキノコの仕事ができるようになるわ」

気付いたら会話の9割が創価学会の話でした。「宗教はいいです」って拒否反応を示しても、全くひるまない。「体を大事にしてね」と言って野菜をくれたり、「若いんだからたくさん食べなさい」と言って、ご飯を作ってくれたりしてくれました。ありがたかったです。

――斉藤さんにとって、おばさんとの出会いは大きかったんですか。

そして23歳の時に、キノコ関連の仕事に就こうと思って、働いていた旅館を辞めて就職活動を始めたんです。しかし、なかなか就職先が決まらなくて、貯金を切り崩しながらニート生活が続きました。

「仕事は決まった? 就職先が決まるように、おばさん祈ってるからね」「悩んだら、題目よ。絶対に夢はかなうから!」

おばさんは、落ち込んでいて言い返す力もない僕に、全力で当たってきました。正直、おせっかいとも思ったんですが、目がガチなんです(笑)。

すっごい真剣だったんで、“かなうなら”と、壁に向かって題目を唱えてみました。

“仕事をください!”

すがるように壁を見つめていた時、タイミングよく、おばちゃんが祈り方を教えてくれました。

「祈る時は決意するのよ。“仕事をください”じゃなくて、“仕事に就く!”って祈るの」と。

僕はすぐ実践してみました。考えが整理できました。今自分に何が必要で、必要じゃないかがはっきりしたんです。確かに、キノコの仕事がしたくて就職活動してたくせに、飲食店で働いてみたり、日雇いのバイトをしたり、ブレブレな気持ちに気が付きました。

おばちゃんが言った通りに祈ったら、目指すべきものも明確になりました。就職活動にも力が入り、県内のキノコの製造会社に就職が決まったんです。その後、ちゃんと御本尊様をいただきたいと思うようになって、自ら入会を志願しました。

――おばちゃんの存在はめちゃくちゃ大きいんですね。

本当に感謝しています。でも、就職から4年後、会社が倒産してしまって。

“おばちゃん、何でもかなうって言ってたのに会社つぶれちゃったよ”

学会活動も後ろ向きになり、またフラフラする生活が2年続きました。その間、地域の壮年部のおじさんが訪ねてきては「仕事は見つかったか?」って気にかけてくれました。

男子部の先輩も、ほぼ毎日、自宅を訪ねては励ましてくれました。
「キノコの仕事がしたいんじゃないんですか」「あれだけ会合で“キノコ愛”を語ってたじゃないですか」
「結局、生活をするために仕事をするんです。自分がやりたいと思う仕事に就けるように、一緒に祈りましょうよ!」
「斉藤さん、腹を決めるしかないですよ」

やっぱり、僕は「決断」が苦手だと思いました。おばちゃんと会った時のことを思い出して、もう一度、真剣に祈りました。

給与、場所、会社の雰囲気、キノコ……。これでもかというくらい細かく目標を書いて祈りました。定職を失って3年後、建材会社に就職が決まったんです。アルバイトですが。

――アルバイト? 建材会社? 祈った通り?

いや、それがまさかの100%祈った通りの会社だったんです。

就職した会社には、採石関係も扱う傍ら、ブナシメジを栽培して出荷までをする部署があったんです。

キノコの種類までは祈ってなかったんですけど、キノコに携われるようになった喜びはすごかったです。

ちなみに部署名はありません。配属先は建材会社の“きのこ事業部”との愛称で呼ばれる倉庫。僕はそこの“きのこ事業部長”になったのです。部下はパートのおばさん4人。実質、僕一人でした(笑)。

――すごいですね。でも、一人で栽培することに抵抗はなかったんですか?

だって、キノコが大好きなので、抵抗も何もありません。しかし、そこの部署は、これまでブナシメジ栽培がうまくいかなかったり、孤独な時間が多かったりもするので、従業員が入ってもすぐに辞めてしまっていたようです。だから僕も、辞めないかと心配されて最初はアルバイトで採用だったんです。

キノコに対する情熱、キノコと向き合う姿勢、キノコへの愛情表現……毎日、懸命に働きました。そんな僕を見た社長は「まだ辞めてないのか。そんなに好きなのか」と、働く姿勢を認めてくれて、数カ月後には正社員になることができたんです。

しかし、働き始めて10年後の2019年、キノコ事業が建材会社からなくなることが決まりました。社長は「大ちゃんが続けたいなら、このまま続けていいんだぞ」と、キノコ事業を譲ってくれることになったんです。

――事業ごとですか!?

そうなんです。「マジかよ!」って思いました。その時は、学会に縁させてくれたおばちゃん、励ましてくれた学会同志の顔が頭に浮かんで、感謝が込み上げてきました。

湿度も温度も気にしないといけないから、ほぼ365日、休みなく、ブナシメジを作り続けてきました。ブナシメジを全滅させた時も、害虫に悩まされた時も、時間を見つけては学会活動に取り組んできました。「信心でつかんだ夢の話」をメンバーにも、友達にもして回りました。

学会の先輩は池田先生の指針を引いて、温かく励ましてくれました。

“池田先生は「不可能を可能にするのは『断じて成し遂げるのだ』との決定した祈りである」と指針を示してくれている。壁を破るための信心に励んでいこう!”

苦手だった「腹を決める」ことの大切さを、いつも教えてくれたんです。

――「決定した祈り」ですか。

僕はキノコが大好きです。山に登って、ニョキニョキ生えるキノコを見ると興奮するし、食べてもおいしい。しかし、そんな大好きなキノコを仕事にするのは、難しい。

“好き”な気持ちは大切だけど、そこから一歩踏み出す勇気がなければ、“好き”だけで終わってしまう。そこで大事なのは、「腹を決めて」挑戦すること。「決定した祈り」で“まだまだ”“もう一歩”と挑戦を続けることです。

僕は、その結果、こうして好きなことを仕事にすることができたし、「ジャンボシメジ」を主力商品にすることができました。

“キノコにはもっと可能性がある”――そう信じて、これからもキノコ愛を貫いていきます!

――キノコを克服するためには、やっぱり……。

「決定した祈り」で「克服するんだ」とキノコ料理に挑戦していくことですね(笑)。

――ありがとうございます! 実践してみます。
【編集後記】

取材翌日、「キノコを克服するんだ」と祈念してから「ジャンボシメジ」はバターじょうゆで。「ブナシメジ」は鍋にしていただきました。初めての“キノコ克服”のための挑戦でした。私が苦手な風味、食感はあまり感じず、完食しました。むしろ、“おいしい”と思うことができました。4歳の娘の手本になるため、これからもキノコにチャレンジしていきます!

【バックナンバーはこちら】

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