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〈スタートライン〉 医師・作家 夏川草介さん 人生は、つらくとも 美しく愉快である。 2023年12月3日

  • 最新刊『スピノザの診察室』が好評

 累計340万部を超える『神様のカルテ』シリーズ(小学館)の著者である夏川草介さんは、地域医療に携わる現役の医師です。最新作『スピノザの診察室』(水鈴社)では、京都を舞台に、終末期の患者たちと向き合う青年医師の奮闘を描いています。そこには、夏川さんが命の最前線に身を置いてきたからこそ感じる幸せの在りようが、深く温かなまなざしでつづられています。作品に込めた思いを語ってもらいました。
 

 ――今作の舞台は京都です。
 
 私が高校まで過ごした街です。物語を書く時、私は舞台となる街の景色や世界観から描き始めます。作品の土台になる景色が安定すると、そこに暮らす人間が生き生きと動き出すことができるからです。ゆえに今回、よく知っている街の力を借りたいと思い、京都を選びました。
 
 これまでの作品では一番詳しい信州を舞台にすることが多かったのですが、今回のテーマは医療の分野にとどまらず、もう少し人間そのものに目を向けたかった。どうすれば人は幸せに生き、穏やかに生を全うできるか。それを見つめ、掘り下げるために舞台を変えたのです。
 
 書き進めるうちに、京都という街が今回のテーマに非常に合致していると気付きました。京都には「六道まいり」や「五山送り火」など、死者とのつながりを大事にする文化が根付いています。その積み上げられた歴史が、偶然ではありますが、作品に力を貸してくれました。
 

夏川さんの著書『スピノザの診察室』(水鈴社)
夏川さんの著書『スピノザの診察室』(水鈴社)

 
 ――本のタイトルは、17世紀のオランダの哲学者・スピノザの名を冠しています。
 
 基本的に医療は科学の世界です。そのほとんどが数式や記号で成り立っていますが、医師を続けていると、どうしても科学だけではたどり着けない、大きな領域があります。人間の精神ともいえるその領域に対して、医師として何ができるのか。私にとって思考の支えとなったのが哲学でした。広い意味では文学でもあります。
 
 スピノザは、人間は無力であるとしつつ、だからこそ努力が必要であり、魅力的な存在であると訴えています。自分の目指す医師のスタイルが、スピノザの哲学に通じていると感じたのです。
 
 ただ、スピノザの本はとても難解です。大学時代に読んだ時は、理解できませんでした。医師となり、患者の気持ちをくみ取りきれなかったり、多くの死を目の当たりにしたりと、力不足を痛感する中で、スピノザを読み返し、理解を深めることができたのだと思います。
 
 ――「神様のカルテ」の続編では描けなかったのでしょうか。
 
 「神様のカルテ」は、自分が自覚している以上に自伝的な要素が強いんです。私の経験を可能な限り率直に、主人公の生きざまとして描いています。それに対して今作は、人間そのものに焦点を当て、俯瞰した世界観から表現したいと考えました。すると、今までの描き方ではうまくいかず、舞台や物語を変える必要があったのです。
 
 ――作品では、心温まるエピソードを描きながらも、「死」を遠ざけるのではなく、日常の中にあるもの、生の延長線として描いています。
 
 医師として接する患者さんの多くが、病気や死を自分とは全く別世界のものとして捉えていると感じます。それこそ突然降りかかった不幸な大事件というようにです。こうした人は、大きな病気に直面したときに、現実を受け入れられず、不安に押しつぶされ、家族や目の前の医療者に怒りをぶつけてしまいがちです。
 
 昔であれば一緒に暮らしている祖父母の老いていく姿などを通じて、病気や死に触れる機会があったのでしょう。しかし、高度経済成長期から核家族化が進み、病人や高齢者を病院や施設に押し込め、日常から切り離してしまった。健康な人ばかりの社会で生活していると、それを失った時に必要以上にうろたえ、病気を治すことだけに必死になってしまいます。
 
 しかも、世の中には治らない病気が山のようにあります。糖尿病や高血圧などはその代表でしょう。血糖値や血圧といった数値の上下に一喜一憂し、少しでも数値を良くしなければいけないという発想になります。そうではなく、生と死はつながっていて、その中でどうやって生きていくかと考えることで、もっと穏やかな人生を過ごせるのではないかと思います。
 
 健康な状態だけが幸せな人生ではなく、病気を抱えていても、愉快に楽しく過ごしている人はたくさんいます。
 
 医療現場では、余命数カ月という明らかに絶望的な状況なのに、笑顔で過ごし、周囲をも元気にするような患者に出会うことがあります。時には医師である私の朝食の心配までしてくれます。
 
 自分の人生で手いっぱいのはずが、周囲に気を配れるというのは、極めてまれな精神の持ち主です。こちらが励まされ、こういう人になりたいとさえ思います。こうした人たちの姿を描き、物語を通して触れてもらうことで、苦しいことの多い世の中が少しでも明るくなればと願っています。
 
 ――医療の在り方についても考えさせられました。

 医療において、治療と看取りは大部分を占める大事な要素ですが、その背景にある“幸せに生きるとは何か”を考えなければ、大事なことを見落とすようにも思います。私の小説を読んだ方から、「幸せな物語で読みやすい」とよく言われます。しかし、物語の中では、多くの人が亡くなり、治らない病気の人もたくさん登場します。本当は、つらいことばかりです。それでも幸せな気持ちになり、安心して読めるとは何を意味するのか。そうしたことを考えてもらえれば、とてもうれしいです。
 
 ――地域医療と大学病院を対比するようにも描かれていました。
 
 決してどちらがいいと比べられるものではありません。大学病院には、偉そうな先生がいて、腹黒い医師たちが権力闘争に明け暮れているといった小説みたいなことは全くありません(笑)。
 
 大学病院では、一つの胃がんに対して、大勢で数時間かけ、医療の可能性について議論をします。こうした姿勢が医療技術の進歩を支えてきた素晴らしいことです。しかし、病状に夢中になるあまり、その患者の顔を思い出せないということが私にもありました。これはショックでした。
 
 その後、地域の病院に移り、患者一人一人と向き合うようになりました。これはこれで重要な部分であるとともに、行き過ぎると医師としての研さんがおろそかになり、医療レベルの低下につながります。大事なのはバランスです。若い医師からすると、地域の一般病院でバリバリ働く中堅の医師が魅力的に見えるようですが、私のところにきた研修医には、必ず大学病院も経験するように教えています。
 
 ――作品はご自身の経験がベースになっているのでしょうか。
 
 私は消化器内科医ですから、例えば「胃ろう」の問題とはずっと向き合ってきました。口から食事をすることが困難な人が、胃から直接栄養を摂取するための措置です。私が医師になったばかりの頃は、夢のような施術と言われ、それこそ週に7、8人の胃ろうを作っていたこともありました。しかし、数年後に私が処置した患者がどうなっているかというと、施設で寝たきりのままという方がほとんどです。家族が見舞いに来たのは何カ月も前なんていう人もいました。そういった光景を目の当たりにし、医療に大切なことは何なのか、大事なものが見えていなかったと思うようになりました。
 
 ――主人公が亡くなった患者に、「お疲れさまでした」と声をかけるシーンが印象的です。
 
 私の専門は膵臓なので、膵臓がんの患者を診ることが多くあります。早期の発見が難しく、残念ながら亡くなる方の割合が多い病気でもあります。もちろん元気になる人もいますが、発見時には、すでに余命わずかという方が少なくありません。
 
 そういった人に何て言葉をかけたらいいのか。普段の会話から細心の注意を払いますが、おそらく「頑張れ」と励ますことに意味はなく、言葉が上滑りしてしまいます。私なりに気を配って話しても、患者から怒鳴られることもありました。医師として20年が過ぎたここ数年、最後は「お疲れさまでした」という言葉しか残らないなと実感しています。私自身が人生を終える時に医師から言葉をかけられるとしたら、これが一番ほっとすると思ったのです。
 

 
 ――2009年、『神様のカルテ』で作家デビューをしました。医師でありながら筆を執ったのはなぜですか。
 
 医師となって死に物狂いで働く中、30歳を前にして体調を崩したことがありました。仕事量を減らして心に余裕が生まれ、改めてどういう医師でありたいかを考えたのです。その時、妻が「病院の中だけでは見えないものがあるし、好きな小説を自分でも書いてみたら」と勧めてくれました。
 
 書き終えると、自分が何に悩んでいたのか、とてもクリアになったのです。書くことによって、質の高い医療につなげられるという手応えもありました。私はあくまでも医師です。医師を続けるために書くという行為がプラスになる。それからは、壁にぶつかるたびに筆を執るということを繰り返してきました。
 
 コロナ禍の時もたくさん悩みました。書くことは、医師としての自分の足場を固める作業でもあります。何に迷っているのかに気付き、この道で正しいのだという確信になることもあります。そういう意味では、むしろ順調な時は、小説を書こうという気は起こらないのです(笑)。
 
 ――小説だからこそ描ける「言葉の力」があると思います。
 
 物語には、すごく大きな力があると思っています。よく「○○のための五つの条件」といった啓蒙書的な本を見かけますが、こういった「情報」では伝わらないものがあります。それが「人の幸せ」や「どう生きるか」といった「生」や「死」に関わる悩みです。とても漠然としていてつかみにくいものです。こうした問題と向き合っていくためには、情報を理解するのではなく、物語を通して感じ取ってもらう。共感ともいえます。こういった方法でないと、伝わらないものがあると私は考えています。
 
 近年、世の中には過激な情報があふれています。子どもたちが読む漫画にしても、目を背けたくなるような描写を多用し、人間の悪を描く作品が多いように思います。それはそれで大事な役割がありますが、悪には際限がありません。どこまでも過激になります。
 
 一方で善は一つの到達点ともいえます。際限のない悪に触れ続けると、本来、善と悪との間にあった人間の感性が、どんどん悪に引っ張られてしまう。だからこそ私は、人間の美しい面、人間性に信頼を持てる作品を書き続けたい。一生懸命に優しく生きることが、こんなにも美しくて、しかも愉快なことなのだということを発信し続けたいと思っています。
 

●プロフィル

 なつかわ・そうすけ 1978年、大阪府生まれ。長野県にて地域医療に従事。2009年『神様のカルテ』で第10回小学館文庫小説賞を受賞しデビュー。同書は翌年に本屋大賞第2位となり、映画化された。他の著書に、世界数十カ国で翻訳された『本を守ろうとする猫の話』、『始まりの木』、コロナ禍の最前線に立つ現役医師である著者が、自らの経験をもとにつづり大きな話題となったドキュメント小説『臨床の砦』など。
 

●インタビューを読んだ感想をぜひお寄せください。

 メール wakamono@seikyo-np.jp
 ファクス 03―3353―0087

 【編集】五十嵐学 【写真】笹山泰弘

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