ケアを開く「SOSへのアンテナ」――インタビュー 大阪大学大学院 村上靖彦教授㊤
ケアを開く「SOSへのアンテナ」――インタビュー 大阪大学大学院 村上靖彦教授㊤
2024年8月17日
- 〈危機の時代を生きる 希望の哲学〉
- 〈危機の時代を生きる 希望の哲学〉
誰しもが、誰かを支えながら生きている。ケアとは「人間の本質そのもの」であると、大阪大学大学院の村上靖彦教授は語る。生きること、そして存在それ自体を肯定するケアのあり方を巡って、村上教授にインタビューした。(聞き手=萩本秀樹、小野顕一)
誰しもが、誰かを支えながら生きている。ケアとは「人間の本質そのもの」であると、大阪大学大学院の村上靖彦教授は語る。生きること、そして存在それ自体を肯定するケアのあり方を巡って、村上教授にインタビューした。(聞き手=萩本秀樹、小野顕一)
つながる努力
つながる努力
――村上教授は長年、ケアの営みに着目し、2021年には『ケアとは何か』(中公新書)を出版されました。研究を通して、どのような気付きがあったのでしょうか。
2010年ごろから、ケアの現場にいる看護師の方々の聞き取りをしてきました。看取りの場面や、意思疎通が難しい人たちとコミュニケーションを取る際に、看護師の皆さんは何を大事にしているのか。そのエッセンスをまとめようと試みたのが、『ケアとは何か』です。内容は大きく三つに分かれると思います。
まず、看護師たちは、患者とつながろうとする強い意志と、それを可能にする技術と経験をお持ちです。患者には意識がない人も、言葉を発するのが難しい人もいる。コミュニケーションが難しい、そうしたさまざまな場面において、どのようにケアが成り立っているのかを描きました。
看護師でなく介護士の方からの聞き取りですが、こんな場面がありました。あるALS(筋萎縮性側索硬化症)患者は、眼球をわずかに動かしながら、文字盤を介してサインを示そうとします。ヘルパーは、その微妙なサインをキャッチしようと努力する。10文字読み取るのに約3時間。それでも結局、読み取りができないこともあります。
しかし、たとえ読み取れなくても、読み取ろうとする意志ゆえに、二人の間にコミュニケーションが生まれている。つながろうとする互いの努力そのものが、ケアとなっています。
二つ目に、ケアの現場を見ると、患者はそれぞれが「小さな願い」を持っています。誰かに会いたい、プリンを食べたい、散歩に行きたいというような、ささいなものです。仕事で成果を出したい、社会の役に立ちたいといった、「大きな願い」ではない。
でもその「小さな願い」は、患者さん本人の快適さに関わるものであり、それを認めることは、患者をダイレクトに肯定することになります。「小さな願い」は人間にとって本質的な欲求であり、同時に、壊されやすいものであると教えていただきました。
そして三つ目に、病気や死、また貧困や差別など、突然降りかかる災厄に直面したとき、当事者やその家族をどう支えていくのか。そうした姿を見せていただいたと思っています。
もともと私は、対人関係の技術としてケアを捉えていました。しかし今、ケアを出発点として、社会を考え直す試みが広がっているのを実感します。
『ケアとは何か』を出版した頃から、ケアについての書籍や研究がすごく増えました。ケアし、ケアされる関係性を出発点として、この息苦しい社会をもう一度、顔が見える社会へとつくり替えていく。それを考えることが、これからの社会の土台になっていくと感じています。
――村上教授は長年、ケアの営みに着目し、2021年には『ケアとは何か』(中公新書)を出版されました。研究を通して、どのような気付きがあったのでしょうか。
2010年ごろから、ケアの現場にいる看護師の方々の聞き取りをしてきました。看取りの場面や、意思疎通が難しい人たちとコミュニケーションを取る際に、看護師の皆さんは何を大事にしているのか。そのエッセンスをまとめようと試みたのが、『ケアとは何か』です。内容は大きく三つに分かれると思います。
まず、看護師たちは、患者とつながろうとする強い意志と、それを可能にする技術と経験をお持ちです。患者には意識がない人も、言葉を発するのが難しい人もいる。コミュニケーションが難しい、そうしたさまざまな場面において、どのようにケアが成り立っているのかを描きました。
看護師でなく介護士の方からの聞き取りですが、こんな場面がありました。あるALS(筋萎縮性側索硬化症)患者は、眼球をわずかに動かしながら、文字盤を介してサインを示そうとします。ヘルパーは、その微妙なサインをキャッチしようと努力する。10文字読み取るのに約3時間。それでも結局、読み取りができないこともあります。
しかし、たとえ読み取れなくても、読み取ろうとする意志ゆえに、二人の間にコミュニケーションが生まれている。つながろうとする互いの努力そのものが、ケアとなっています。
二つ目に、ケアの現場を見ると、患者はそれぞれが「小さな願い」を持っています。誰かに会いたい、プリンを食べたい、散歩に行きたいというような、ささいなものです。仕事で成果を出したい、社会の役に立ちたいといった、「大きな願い」ではない。
でもその「小さな願い」は、患者さん本人の快適さに関わるものであり、それを認めることは、患者をダイレクトに肯定することになります。「小さな願い」は人間にとって本質的な欲求であり、同時に、壊されやすいものであると教えていただきました。
そして三つ目に、病気や死、また貧困や差別など、突然降りかかる災厄に直面したとき、当事者やその家族をどう支えていくのか。そうした姿を見せていただいたと思っています。
もともと私は、対人関係の技術としてケアを捉えていました。しかし今、ケアを出発点として、社会を考え直す試みが広がっているのを実感します。
『ケアとは何か』を出版した頃から、ケアについての書籍や研究がすごく増えました。ケアし、ケアされる関係性を出発点として、この息苦しい社会をもう一度、顔が見える社会へとつくり替えていく。それを考えることが、これからの社会の土台になっていくと感じています。
大きな問題意識
大きな問題意識
――看護や医療の現場に限らず、コミュニティーの至る所で「ケア」は行われています。
10年ほど前から、生活困窮世帯が多い大阪市西成区で調査をしていますが、経済的には大変なはずの子どもたちが、生き生きと暮らす様子を見てきました。
看護の世界はどちらかというと、医療という管理的なシステムの中での関係です。一方、西成で私は、福祉制度や行政支援、学校教育からはみ出るような子どもたちを、コミュニティーの中で包摂している支援者に出会いました。ケアとは単に対人関係の技術ではなく、社会をつくる「核」だと捉えるようになった私の変化は、西成での経験が大きいです。
今、資本主義に依存しないコミュニティーづくりなど、ケアに限らないさまざまな分野で、これまでとは別様の社会が模索されています。手段は違えど、大きな問題意識が共有されているのを実感します。
――看護や医療の現場に限らず、コミュニティーの至る所で「ケア」は行われています。
10年ほど前から、生活困窮世帯が多い大阪市西成区で調査をしていますが、経済的には大変なはずの子どもたちが、生き生きと暮らす様子を見てきました。
看護の世界はどちらかというと、医療という管理的なシステムの中での関係です。一方、西成で私は、福祉制度や行政支援、学校教育からはみ出るような子どもたちを、コミュニティーの中で包摂している支援者に出会いました。ケアとは単に対人関係の技術ではなく、社会をつくる「核」だと捉えるようになった私の変化は、西成での経験が大きいです。
今、資本主義に依存しないコミュニティーづくりなど、ケアに限らないさまざまな分野で、これまでとは別様の社会が模索されています。手段は違えど、大きな問題意識が共有されているのを実感します。
村上教授の著書の一部
村上教授の著書の一部
「あの人なら」
「あの人なら」
――一人に向き合うケアは、人間関係の本質を教えてくれている気がします。
私の身近でも、脳卒中の後遺症で意思疎通が難しい人のシグナルを、血のつながった家族であれば感じ取るということがあります。家族の感受性に加えて、それに触発されて本人が発しようとするシグナルもある。どちらか一方の能力ではなく、ケアを担う人とケアを受ける人の双方が、コミュニケーションをとろうとする意志によってケアが開かれていきます。
シグナルを出す力、そしてそれをSOSとして受け取る力。私はそうした力を、「かすかなSOSへのアンテナ」と呼んでいます。それは支援者だけに求められるものではなく、患者や困難な状況にいる当事者自身の力でもあります。
私が聞き取りした事例に、産婦人科へ、10代の不良っぽい妊婦が訪れる場面があります。受付で、「おかっぱ、呼べ!」と怒鳴っている。おかっぱ頭の助産師は、それを聞き、「私のことやな」と出ていくわけです。怒鳴り声が、彼女の耳には「困ったから来た」と言っているように聞こえた。そして妊婦さんも、その助産師なら聞いてくれると思って、名前も知らないその人を呼んだ。このケアの関係性は、他の人たちでは成り立ちません。
別の事例では、児童館に女性から電話がかかってきました。「10代らしき若い子が、路上で寝ているから何とかしてほしい」という内容です。電話を受けた保育士の男性にも、近所で気になる少年がいた。午前中から、町をうろうろとしている少年でした。いざ声をかけてみると、その17歳の少年は、父親からの暴力ゆえに家出をしたまま、行政の支援を受けられず路上生活を送っていました。
ここでも、午前中から町を歩く様子がシグナルとなり、そこに不自然さを感じた近所の目と保育士の目があったからこそ、潜在的だったSOSがキャッチされています。町中にいる少年が路上生活者だと気づくのは、簡単ではありません。しかし、女性も保育士も、「かすかなSOSへのアンテナ」を持っていた。
女性は「児童館のあの先生なら何とかしてくれる」と思い、電話しています。SOSへのアンテナが、コミュニティーの中でシェアされていた。こうした事例を、西成で多く見聞きしてきました。
――一人に向き合うケアは、人間関係の本質を教えてくれている気がします。
私の身近でも、脳卒中の後遺症で意思疎通が難しい人のシグナルを、血のつながった家族であれば感じ取るということがあります。家族の感受性に加えて、それに触発されて本人が発しようとするシグナルもある。どちらか一方の能力ではなく、ケアを担う人とケアを受ける人の双方が、コミュニケーションをとろうとする意志によってケアが開かれていきます。
シグナルを出す力、そしてそれをSOSとして受け取る力。私はそうした力を、「かすかなSOSへのアンテナ」と呼んでいます。それは支援者だけに求められるものではなく、患者や困難な状況にいる当事者自身の力でもあります。
私が聞き取りした事例に、産婦人科へ、10代の不良っぽい妊婦が訪れる場面があります。受付で、「おかっぱ、呼べ!」と怒鳴っている。おかっぱ頭の助産師は、それを聞き、「私のことやな」と出ていくわけです。怒鳴り声が、彼女の耳には「困ったから来た」と言っているように聞こえた。そして妊婦さんも、その助産師なら聞いてくれると思って、名前も知らないその人を呼んだ。このケアの関係性は、他の人たちでは成り立ちません。
別の事例では、児童館に女性から電話がかかってきました。「10代らしき若い子が、路上で寝ているから何とかしてほしい」という内容です。電話を受けた保育士の男性にも、近所で気になる少年がいた。午前中から、町をうろうろとしている少年でした。いざ声をかけてみると、その17歳の少年は、父親からの暴力ゆえに家出をしたまま、行政の支援を受けられず路上生活を送っていました。
ここでも、午前中から町を歩く様子がシグナルとなり、そこに不自然さを感じた近所の目と保育士の目があったからこそ、潜在的だったSOSがキャッチされています。町中にいる少年が路上生活者だと気づくのは、簡単ではありません。しかし、女性も保育士も、「かすかなSOSへのアンテナ」を持っていた。
女性は「児童館のあの先生なら何とかしてくれる」と思い、電話しています。SOSへのアンテナが、コミュニティーの中でシェアされていた。こうした事例を、西成で多く見聞きしてきました。
理念を共有する
理念を共有する
――「かすかなSOSへのアンテナ」は、ある地域や人に特有のものなのか、それとも、育んでいけるものだとお考えですか。
看護の現場でも、西成でも、学校教育とはまた異なる形で、先輩たちから後輩へと伝わっている何かがあるような気がします。その意味で、アンテナは育むものであり、学ぶものでもあると思います。
私自身の経験ですが、祖父が生前、脳腫瘍の手術後に入院した病院は、都心にあるとてもきれいな病院でした。新築の病棟に見舞いに行くと、看護師たちが祖父に声をかけることもなく、ベッドサイドのモニターをずっと注視していたのが印象に残っています。
一方、祖母が亡くなる直前に入院していた病院は、東京郊外の、それこそ幽霊が出そうなおんぼろの病院でした。しかし、いつ訪れても祖母はとても清潔で、快適な様子でした。最後のほうは認知症も進んでいましたが、看護師たちが丁寧に関わってくれているのが分かりました。
この環境の違いは、長年の学びや教えの積み重ねにも要因があるでしょう。SOSをキャッチすることを意識し、それを周囲に教えていこう、伝えていこうとする誰かがいることで、変わる何かがある。看護の現場でも、今は言葉遣いが徹底されたり等、どんどんと“マニュアル化”が進んでいますが、それだけでは継承し得ないものがあると思います。
その点、理念が共有されるのは大事だと感じています。子ども支援の現場では「子どもの権利条約」が当てはまりますし、他の場所であれば、また違う理念があります。
北海道の社会福祉法人「浦河べてるの家」では、「安心してサボれる職場づくり」「手を動かすより口を動かせ」というような、ユーモラスな理念を掲げています。そうすることで、管理的ではない形で、人が安心できる場所、つながり合える場をつくっているのだと思います。
理念とは、自分たちが何を大事にしていくかを表現したものです。知的障がいがある人を支援する、ある団体では、部署ごとに自分たちで理念を考え、毎年その理念について話し合っているとのことでした。お仕着せにならない形でチームの皆が共有し、その意味を巡って話し合えるような理念を持つことの重要性を、私自身も学んできました。
――「かすかなSOSへのアンテナ」は、ある地域や人に特有のものなのか、それとも、育んでいけるものだとお考えですか。
看護の現場でも、西成でも、学校教育とはまた異なる形で、先輩たちから後輩へと伝わっている何かがあるような気がします。その意味で、アンテナは育むものであり、学ぶものでもあると思います。
私自身の経験ですが、祖父が生前、脳腫瘍の手術後に入院した病院は、都心にあるとてもきれいな病院でした。新築の病棟に見舞いに行くと、看護師たちが祖父に声をかけることもなく、ベッドサイドのモニターをずっと注視していたのが印象に残っています。
一方、祖母が亡くなる直前に入院していた病院は、東京郊外の、それこそ幽霊が出そうなおんぼろの病院でした。しかし、いつ訪れても祖母はとても清潔で、快適な様子でした。最後のほうは認知症も進んでいましたが、看護師たちが丁寧に関わってくれているのが分かりました。
この環境の違いは、長年の学びや教えの積み重ねにも要因があるでしょう。SOSをキャッチすることを意識し、それを周囲に教えていこう、伝えていこうとする誰かがいることで、変わる何かがある。看護の現場でも、今は言葉遣いが徹底されたり等、どんどんと“マニュアル化”が進んでいますが、それだけでは継承し得ないものがあると思います。
その点、理念が共有されるのは大事だと感じています。子ども支援の現場では「子どもの権利条約」が当てはまりますし、他の場所であれば、また違う理念があります。
北海道の社会福祉法人「浦河べてるの家」では、「安心してサボれる職場づくり」「手を動かすより口を動かせ」というような、ユーモラスな理念を掲げています。そうすることで、管理的ではない形で、人が安心できる場所、つながり合える場をつくっているのだと思います。
理念とは、自分たちが何を大事にしていくかを表現したものです。知的障がいがある人を支援する、ある団体では、部署ごとに自分たちで理念を考え、毎年その理念について話し合っているとのことでした。お仕着せにならない形でチームの皆が共有し、その意味を巡って話し合えるような理念を持つことの重要性を、私自身も学んできました。
困難を抱えた地域には
未来を示す希望がある
困難を抱えた地域には
未来を示す希望がある
――村上教授はフランスの哲学者レヴィナスを研究されていました。レヴィナスの哲学が、現代に伝えるメッセージとは。
レヴィナスは多分に対人関係を扱った哲学者です。他者とは何か、暴力とは何か、無意味から意味への反転とは、といった主題に正面から向き合い、「傷つきやすい存在」としての人間を論じました。
レヴィナスをテーマに博士論文を完成させた後、私の関心は、精神医学や具体的な対人関係、コミュニティーの生成と展開というように、徐々に広がっていきました。ここ十数年間は哲学書の研究を離れ、フィールドワークを中心にしてきましたが、振り返ると、看護の世界や西成でお会いした多くの人たちは、とても深刻な状況の中、困窮する人や傷ついた人を支援する人たちです。これこそ、レヴィナスが考えていたことだと気付いたのです。
今でこそレヴィナスは世界中で読まれていますが、彼が執筆していた当時、どれだけの哲学者が対人関係に着目していたか。「トラウマ」「迫害」「他者への責任」といった、哲学の本に書き込む理由がないような言葉をレヴィナスは使っています。PTSD(心的外傷後ストレス障害)という用語が、一般的になるよりはるか以前のことです。その背景では恐らく、ユダヤ系であった彼の家族のほぼ全員が、ナチス・ドイツによって虐殺されたという事実が関係しています。
そこから彼は、世界が瓦解してしまう可能性とともに、再生する可能性を発見した。そして、無意味の中で意味を再興しようとする内的な力が、災厄においてこそ逆に露わになるのだと論じました。
私たちは今、過剰に管理が行き渡り、競争を強いられる時代を生きています。そうではない社会へと、どうつくり替えていくのか。西成をはじめとする小さなコミュニティーに、私は希望を感じています。
そのコミュニティーにいる人たちの背景には、実は、大きな困難や傷つけられた経験があります。困難を抱えることと、希望となるコミュニティーをつくることが、裏表になっている。「べてるの家」の向谷地生良さんは、浦河を「困難の先進地区」とおっしゃっていました。だから日本の先進地域なのだ、と。
困難を先取りして、生き延びるためのさまざまな仕掛けを試みて、人や社会がどこに向かえばいいかを示していく。そうした場所が、日本にもっとあっていいと思います。
他者は「師」であり、かつ「悲惨のなかにいる人」として私に切迫する、とレヴィナスは語ります。奇妙に感じるのですが、まさに子どもがご飯を食べられていない、お風呂に入れていないというようなことから、訴えかけられ応答を迫られるということです。
「レスポンシビリティー(責任)」とは、目の前の一人の状況に「レスポンス(応答)」できること――きっとこれがレヴィナスの言っていたことなのだと、多くの出会いの中で感じるようになりました。
<ヤングケアラーなどを巡って聞いたインタビュー㊦は18日付に掲載予定>
――村上教授はフランスの哲学者レヴィナスを研究されていました。レヴィナスの哲学が、現代に伝えるメッセージとは。
レヴィナスは多分に対人関係を扱った哲学者です。他者とは何か、暴力とは何か、無意味から意味への反転とは、といった主題に正面から向き合い、「傷つきやすい存在」としての人間を論じました。
レヴィナスをテーマに博士論文を完成させた後、私の関心は、精神医学や具体的な対人関係、コミュニティーの生成と展開というように、徐々に広がっていきました。ここ十数年間は哲学書の研究を離れ、フィールドワークを中心にしてきましたが、振り返ると、看護の世界や西成でお会いした多くの人たちは、とても深刻な状況の中、困窮する人や傷ついた人を支援する人たちです。これこそ、レヴィナスが考えていたことだと気付いたのです。
今でこそレヴィナスは世界中で読まれていますが、彼が執筆していた当時、どれだけの哲学者が対人関係に着目していたか。「トラウマ」「迫害」「他者への責任」といった、哲学の本に書き込む理由がないような言葉をレヴィナスは使っています。PTSD(心的外傷後ストレス障害)という用語が、一般的になるよりはるか以前のことです。その背景では恐らく、ユダヤ系であった彼の家族のほぼ全員が、ナチス・ドイツによって虐殺されたという事実が関係しています。
そこから彼は、世界が瓦解してしまう可能性とともに、再生する可能性を発見した。そして、無意味の中で意味を再興しようとする内的な力が、災厄においてこそ逆に露わになるのだと論じました。
私たちは今、過剰に管理が行き渡り、競争を強いられる時代を生きています。そうではない社会へと、どうつくり替えていくのか。西成をはじめとする小さなコミュニティーに、私は希望を感じています。
そのコミュニティーにいる人たちの背景には、実は、大きな困難や傷つけられた経験があります。困難を抱えることと、希望となるコミュニティーをつくることが、裏表になっている。「べてるの家」の向谷地生良さんは、浦河を「困難の先進地区」とおっしゃっていました。だから日本の先進地域なのだ、と。
困難を先取りして、生き延びるためのさまざまな仕掛けを試みて、人や社会がどこに向かえばいいかを示していく。そうした場所が、日本にもっとあっていいと思います。
他者は「師」であり、かつ「悲惨のなかにいる人」として私に切迫する、とレヴィナスは語ります。奇妙に感じるのですが、まさに子どもがご飯を食べられていない、お風呂に入れていないというようなことから、訴えかけられ応答を迫られるということです。
「レスポンシビリティー(責任)」とは、目の前の一人の状況に「レスポンス(応答)」できること――きっとこれがレヴィナスの言っていたことなのだと、多くの出会いの中で感じるようになりました。
<ヤングケアラーなどを巡って聞いたインタビュー㊦は18日付に掲載予定>
むらかみ・やすひこ 1970年生まれ。基礎精神病理学・精神分析学博士(パリ第七大学)。現在、大阪大学大学院人間科学研究科教授、感染症総合教育研究拠点(CiDER)兼任教員。専門は現象学。著書に『ケアとは何か』(中公新書)、『「ヤングケアラー」とは誰か』(朝日新聞出版)、『傷の哲学、レヴィナス』(河出書房新社)、『在宅無限大』(医学書院)、『子どもたちがつくる町』(世界思想社)など多数。最新著は『すき間の哲学』(ミネルヴァ書房)。
むらかみ・やすひこ 1970年生まれ。基礎精神病理学・精神分析学博士(パリ第七大学)。現在、大阪大学大学院人間科学研究科教授、感染症総合教育研究拠点(CiDER)兼任教員。専門は現象学。著書に『ケアとは何か』(中公新書)、『「ヤングケアラー」とは誰か』(朝日新聞出版)、『傷の哲学、レヴィナス』(河出書房新社)、『在宅無限大』(医学書院)、『子どもたちがつくる町』(世界思想社)など多数。最新著は『すき間の哲学』(ミネルヴァ書房)。
ご感想をお寄せください
kansou@seikyo-np.jp
ファクス 03-5360-9613
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こちらから、「危機の時代を生きる」識者インタビューの過去の連載の一部をご覧いただけます。
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