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〈連載 三代会長の精神に学ぶ〉第56回 牧口先生「法華経の信者と行者と学者及び其研究法」 (1942年12月)㊦ 2026年4月7日

  • 《歴史を創るは この船たしか》
  • 戦時中に一身を賭して「国家悪」を弾劾
  • 人々の苦を取り除くことを社会の礎に

㊤はこちら

 軍部権力による国民への思想統制が強まる中で、1942年5月10日、創価教育学会の会報「価値創造」は第9号をもって廃刊を余儀なくされた。
 それでも、牧口先生が信念の旗を降ろすことはなかった。
 廃刊の1週間後(5月17日)に行われた学会の第4回総会の場で、「我々は国家を大善に導かねばならない。敵前上陸も同じである」と師子吼した。
 また、半年後(11月22日)の第5回総会でも、「我々は蓮華が泥中から抜け出でて清浄の身をたもつが如く、小善・中善の謗法者の中に敵前上陸をなし、敢然と大悪を敵として戦っているようなものであれば、三障四魔が紛然として起こるのが当たり前であり、起こるがゆえに、行者と言えるのだ」(趣意)と力説したのである。
 同年6月のミッドウェー海戦の大敗を知らされることなく、国民の間で戦勝気分が消えず、国への滅私奉公が喧伝された時代に、国の進む方向を正さねばならないと公然と主張した牧口先生。それはまさに「敵前上陸」――自らが攻撃の標的になるのを承知の上で、時流に全面的に従うことを是とする人々の中に割って入り、社会の形勢を立て直そうとする捨て身の行為にほかならなかった。
 牧口先生が治安維持法の違反と不敬罪の容疑で、戸田先生と共に投獄されたのは、第5回総会の講演から8カ月後(1943年7月)のことであった。
 投獄後の訊問でも、牧口先生は主張を曲げなかった。
 学会の目的は、信仰を通して自他共の幸福を追求する生き方を体得し実証することにあると強調。「法華経の大法」(釈尊の教えの根幹をなす法華経に基づいて日蓮大聖人が説いた仏法)は、それぞれの時代によって改正されたり、廃止されたりするような法律や制度とは異なる、「終世変らざる処の人類行動の規範」であると訴えた。
 その上で、当時の時代の様相について、「国家悪」の時代であると言い切ったのだ。

牧口先生が使用した御書。「佐渡御書」のページでは、「日蓮御房は師匠にてはおわせども余りにこわし」の言葉で始まる一節に線が引かれている。痛烈な言葉で悪を責め抜いた大聖人の精神を、牧口先生は心肝に染めて行動を貫いた
牧口先生が使用した御書。「佐渡御書」のページでは、「日蓮御房は師匠にてはおわせども余りにこわし」の言葉で始まる一節に線が引かれている。痛烈な言葉で悪を責め抜いた大聖人の精神を、牧口先生は心肝に染めて行動を貫いた

 牧口先生と戸田先生の投獄の理由とされた治安維持法や不敬罪は、戦後に廃止された。
 “希代の悪法”だった治安維持法の下で押収され、「注意」の付箋紙が何枚も貼り付けられた第5回総会の講演記録。訊問調書という形で公の文書に残された国家諫暁の言葉――。
 いずれも牧口先生にとって、大聖人の精神を受け継ぐ仏法の行者としての勲を示したものであったと思えてならない。
 牧口先生が獄中で殉教してから半世紀の節目を迎えた、1994年11月18日。池田先生は、訊問調書の内容に触れながら、次のようにスピーチした。
 「“今は、国家そのものが悪になっている時代である”
 これが牧口先生の認識であった。身をもって国家悪と戦い、権力悪と戦い、指導者悪と戦われた牧口先生の実感でもあったであろう。
 これは、日本の思想史でも先見的なものである」と。
 また、戸田先生が戦後に提唱した地球民族主義についても、「仏法の根本精神から出ていることは当然として、先生の二年間の獄中闘争が、その背景にあった。『国家のため』という美名のもとに、どれほど多くの民衆が犠牲になったことか」と、師の胸中に思いを馳せた。
 その上で池田先生は、学会の背骨となっている二人の先師の精神についてこう宣言した。
 「牧口先生、戸田先生の、『国家悪』への弾劾は、断じて、評論家風の思いつきや、流行に乗った議論ではなかった。
 一身を賭して国家悪と戦われた、捨て身の体験から出た結晶であった。
 国家悪に苦しめられきった全民衆の絶叫を代弁した叫びであった。その叫びを全身に体して、今も戦い続けているのがわが創価学会なのである」と。

1996年6月、「牧口常三郎――人道と正義の生涯」と題し、ロサンゼルスのサイモン・ウィーゼンタール・センターで講演する池田先生。人間を冒瀆し、生命を踏みにじる大悪に対する「大善の怒り」は、社会を変革し、人道と平和を開く力になると強調。権力と真正面から戦って微動だにしなかった牧口先生の言葉は「時代を超えて、人々の良心を揺さぶり、覚醒していくことでありましょう」と訴えた
1996年6月、「牧口常三郎――人道と正義の生涯」と題し、ロサンゼルスのサイモン・ウィーゼンタール・センターで講演する池田先生。人間を冒瀆し、生命を踏みにじる大悪に対する「大善の怒り」は、社会を変革し、人道と平和を開く力になると強調。権力と真正面から戦って微動だにしなかった牧口先生の言葉は「時代を超えて、人々の良心を揺さぶり、覚醒していくことでありましょう」と訴えた

 また池田先生は、終戦から70年となった2015年の平和提言でも、訊問調書に残された牧口先生の次の主張に言及。
 「世間的な毀誉褒貶等に気兼して悪くはないが、善もしない所謂世間並に暮せばそれで足れりとして、小善に止まり甚しきに至っては法律に触れさえしなければ何をしても良いと謂う生活を総べて謗法と申します」(現代表記に改めた)
 この言葉を踏まえて、現代の世界が直面する問題の根にあるものについてこう論じた。
 「『謗法』とは一般的に、仏教の教えに反し、それを破ることを意味しますが、牧口会長の言葉には、より広い意味での『人間としての道』に反することへの問い直しが込められていたといえましょう。
 翻って現代、政治と経済の影響によって悲惨な事態が生じる背景には、『法律に触れさえしなければ何をしても良い』といった、他者の痛みを顧みない自己正当化の風潮が強まっていることが、往々にしてあるのではないでしょうか」と。
 その上で、「こうした事態を防ぐには、政治と経済の主眼を絶えず“人々の苦しみを取り除くこと”へ向け直す――すなわち、『政治と経済の再人間化』の回路を社会にビルトインする(組み込む)挑戦が必要です」と訴えたのである。
 創価の三代の会長には、牧口先生が「終世変らざる処の人類行動の規範」と表現した大聖人の仏法に基づいて、“人々の苦しみを取り除く”ために行動する精神が脈打っている。
 ここに仏法の行者としての証しがあり、私たちも「大善」の精神を胸に刻み、勇気をもって行動を広げていきたい。
 

 <語句解説>
 三障四魔 仏道修行を妨げる三つの障り(煩悩障・業障報障)と、四つの魔の働き(陰魔・煩悩魔・死魔天子魔)のこと。

 ミッドウェー海戦 1942年6月、太平洋のミッドウェー島沖で日本の連合艦隊がアメリカ艦隊と交戦し、壊滅的な打撃を受けた海戦。

 治安維持法 国体の変革などを求める結社や行動を取り締まるために1925年に制定。41年に全面的に改正され、思想・学問・宗教などの分野に及ぶ弾圧の手段として乱用された。45年10月に廃止。

 不敬罪 1880年公布の旧刑法で定められた皇室に対する罪の一つ。内容があいまいで、適用範囲の拡大をもたらした。1947年、刑法の改正によって廃止された。

※次回(第57回)は5月4日に配信予定

牧口先生 「法華経の信者と行者と学者及び其研究法」 (1942年12月)
 (仏法を信仰していても)信者と行者とは区別しなければならない。信ずるだけでもお願いをしていれば、御利益はあるだろうが、それだけでは菩薩行にはならない。自分ばかりが御利益を得て、他人に施さないような個人主義の仏はないはずである。菩薩行をしなければ、仏にはなれない。すなわち、親のような心で他の人々のために仏法を施すのが、真の信者にして行者であるのだ。
    ◇ 
 一丈(約3メートル)の堀を越えられない者に、二丈(約6メートル)、三丈(約9メートル)の堀が越えられるだろうか。一足飛びに一丈の堀を越えることができるならば、五尺(約150センチ)や三尺(約90センチ)を越えるのは楽なはずだ。今の世の中には、“小善を積んでいけば、大善を成すに至る”という考え方があるが、国家も社会も、家庭も個人も、皆、この考えでいることは心外というほかない。「塵も積もれば山となる」ということわざを原理にした考え方かもしれないが、よくよく観察すれば、塵が積もることで出来上がった山はないのだ。(中略)
 心の法則についても同じことが言える。悟った瞬間にただちに目が開かれるのであり、こつこつと小善を積んでいくうちに大善ができるわけではないのである。
    ◇ 
 大善生活をしている人を信じ、行をすれば、その価値が分かり、信が起こる。信・行・学を部分的に解釈してはならない。日蓮大聖人が「行学たえなば仏法はあるべからず。我もいたし、人をも教化候え。行学は信心よりおこるべく候」(新1793・全1361)と仰せのように、我々は大善生活をしなければならない。(中略)
 小さな利益を与えて大きな利益を奪い、大きな罰を与えるのは魔である。小さな罰という現証を通して、大きな罰を避けさせ、大きな利益を与えるのが親心であり、その心の最大のものが、法華経の教えである。この基準にしたがって目的を遠大なものに定め、生活のあり方を研究するのが、私たちの互いの使命であり、実証を示し合って、「成仏」という最大幸福の生活を実現しようとするのが、創価教育学会の趣旨なのである。
 (『牧口常三郎全集』第10巻、趣意)

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