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〈Seikyo Gift〉 病を越えてパラ卓球で全国優勝〈ターニングポイント 信仰体験〉 2024年1月7日

  • “絶対負けない”って自分で決める!

 2023年(令和5年)3月、兵庫県で開催された「第43回全日本オープンパラ卓球選手権大会」。その会場に松島恵子はいた。

 ゼッケンを着けた瞬間、ドクンと心臓が高鳴る。緊張で足元がフワフワして、何だか宙に浮いてしまいそう。コートに近づくにつれ、鼓動はさらに激しくなっていく。恵子は小さくつぶやいた。

 “やっと、ここに帰ってこられた……”

 卓球台の前に立つと、熱いものが駆け上がってきた。体中の細胞が一斉に歓喜に震える。

 恵子は、ラケットを握る手にギュッと力を込めた――。

 * 

 中学生の時に卓球を始めた。飽き性の恵子にとって、唯一、変わらず打ち込めたのが卓球だった。

 14年(平成26年)、創価大学3年の時。右足の付け根に違和感を覚えた。不快な感じはその後も続き、卒業を間近に控えた4年の冬。鋭い痛みに襲われ、道ばたに倒れ込んだ。

 検査の結果は股関節唇損傷。股関節を構成するくぼみの部分と、大腿骨が重なる部位にダメージがあると医師は言った。

 内視鏡手術を受ける。しかし痛みは消えず、卒業式は松葉づえで出席。就職後も度重なる激痛に休職、1年後には退職した。

 あらゆる病院を回ったものの、原因は不明。適切な治療法が見つからないまま、2年、3年と月日だけが流れた。

 * 

 「大丈夫?」。会館でみんなが声をかけてくれる。もうずっと、松葉づえで歩いていた。女子部(当時)のリーダーを務めていた恵子は、「平気です!」と元気なフリ。

 笑顔を絶やさないのは、心配をかけたくないという気持ちと、もう一つ。“祈って、会合に出ていれば、きっと良くなる。卓球もまたできるはず”。恵子は信心に期待していた。

 でも最近、ちょっと怖くなってきた。

 右足の付け根に、剣山で刺されているような痛みが四六時中付きまとう。眠りに就こうと力を抜いた瞬間、耐えがたい激痛が襲ってくる。何度も夜中に飛び起きた。
 
“本当に良くなるの?”。もん絶するような苦痛が、やがて不信感を芽生えさせた。

 * 

 「学会活動、やめてみる」。コロナ禍で活動自粛になった時、母に言った。信心を試すようでよくないのは、今なら分かる。何かきっかけがほしかった。

 母は黙ってテーブルの上に聖教新聞を置くようになった。

 「活動やめます」宣言から半年。どうも楽しくない。せっかく障がい者枠で採用された仕事も失敗ばかり。何一つ、うまくいかない現実に、もんもんとする日々が続いていた。

 ある日、チラッと横目で見た聖教新聞。そこには、苦難を越えたであろう誰かの輝く笑顔が。

 まぶしかった。正直、うらやましかった。

「お題目ってすごいんだよって確信を持って言える」と松島さん(一番下)。それが何よりの成長と実感する。いつも仲良しの池田華陽会の友と
「お題目ってすごいんだよって確信を持って言える」と松島さん(一番下)。それが何よりの成長と実感する。いつも仲良しの池田華陽会の友と

 約1年、活動から離れてみて、恵子は一つの結論を出した。“何もしなければ何も変わらない。このままなんて嫌だ!”

 再び御本尊に祈り、学会活動に励んだ。小説『新・人間革命』の読了への挑戦と、池田華陽会御書30編の勉強も始めた。

 「どんなふうに祈ってる?」。ある時、女性部の先輩に聞かれた。「“足が治って、また卓球ができますように”って、お願いしてます」。すると先輩は「“絶対に治します”って決めていくんだよ!」と。その真剣さに驚いた。

 祈りってお願いだと思っていた。“そっか。私が決めていいんだ”。なぜか涙があふれた。この日から、恵子の祈りが変わった。

 * 

 21年(令和3年)の冬。「予約が取れました」。愛知県の病院からの電話に、一瞬、何のことか分からなかった。

 思えば2年前、その道の治療で有名な医師に受診を希望していた。決めて祈る中で生じた流れだ。

 「原因不明」「手術をしても痛みが消える保証はない」。いつも答えは同じだった。でも今回は違う気がした。もし同じ答えでも、落胆しないと思える自信もあった。“私はもう弱くない”

 精密検査の後、医師は告げた。「安心してください。手術をすれば痛みはなくなります」

 “やっぱり確信のお題目ってすごい!”

 年が明けた2月。紹介された医師のいる佐賀県で、人工股関節への置換手術に臨んだ。

「また楽しそうに卓球をしてる姿が見られるなんて夢のようです」と母・秀子さん㊧(地区女性部長)。松島さんも「母には心から感謝しています」と恩返しを誓う
「また楽しそうに卓球をしてる姿が見られるなんて夢のようです」と母・秀子さん㊧(地区女性部長)。松島さんも「母には心から感謝しています」と恩返しを誓う

 10カ月後。恵子は地元の体育館にいた。

 手術の後、8年ぶりに痛みから解放された時の感動は、一生忘れないだろう。激しい運動はまだ無理だが、リハビリを経て、再び卓球ができるまでに回復していた。

 体育館には、半身まひの人や片腕の人もいた。“みんなすごいな”。そこには心から卓球を楽しむ笑顔があった。

 「一緒に大会に出ない?」。ふいに訪れた誘いだった。

 恵子はパラ卓球の世界へ飛び込んだ。

 そして迎えた全国大会。大学生の時以来の大きな会場に、緊張しっぱなしだった。

 でも、リズミカルなボールの音に身を委ねていると、雑念が消えていく。

 “やっぱり、卓球って最高!”。喜びが爆発した。

“攻めの卓球”が松島さんのプレースタイル。早い打点とリズムで相手を翻弄する
“攻めの卓球”が松島さんのプレースタイル。早い打点とリズムで相手を翻弄する

 結果は、個人戦で見事優勝。

 団体戦でも優勝し、二つの金メダルを勝ち取った。

 驚きとうれしさ、そして幸福感が胸いっぱいに広がった。

 * 

 今、恵子は専門学校に通っている。ずっと支えてくれた鍼灸院で働きながら、自分も鍼灸師を目指している。

 苦しんだ分だけ、人の痛みに心を寄せるようになれた。

 恵子のスマホケースには、新聞の切り抜きが畳まれている。綴られた池田先生の言葉が、いつも力をくれる。

 「同じ戦うのなら、『断じて勝つ』と腹を決めて戦い切るのです。人は敵と戦う前に、己心の弱さに負ける。(中略)現実と真正面から向き合うところに真の勇気があります。そこから今、何を為すべきか、明瞭に見えてくるのです」

 長い間、真っ暗なトンネルを進んでいるようだった。でも、信心の光が闇を打ち払ってくれたと思う。

 「もう迷わない。私には誓願の祈りがある。池田先生の励ましがある。何があっても絶対に負けない。そう自分で決めたから!」
 (2023年11月25日付)

 まつしま・けいこ 1993年(平成5年)生まれ、入会。静岡県浜松市在住。2023年3月、全日本オープンパラ卓球選手権大会(肢体の部)で個人、団体で二つの金メダルを獲得。総県池田華陽会副委員長(区キャップ兼任)。

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