〈もうひとコエ〉 大阪府吹田市 豊田真菜実さん
〈もうひとコエ〉 大阪府吹田市 豊田真菜実さん
2025年10月29日
- 学会家族の励ましに救われて
- 学会家族の励ましに救われて
今回の取材で撮影した豊田さん一家の写真。真菜実さんと崇久さんの間に挟まれると、決まって笑顔になる樹生さん。カメラを向けると元気にピース!
今回の取材で撮影した豊田さん一家の写真。真菜実さんと崇久さんの間に挟まれると、決まって笑顔になる樹生さん。カメラを向けると元気にピース!
「もうひと声、思いを伺いたい」「もうひと越え、深く知りたい」――「声」の欄の投稿者の元へ担当記者が訪れる「もうひとコエ」。今回は、大阪府吹田市の豊田真菜実さんです。
5月7日付の投稿には、ブロック座談会の司会を務めた長男・樹生さんのことがつづられていました。遺伝子疾患と障がいがある樹生さんが自分らしく輝く姿を通して、信心の力を実感したと真菜実さん。一家に励ましを送る学会家族に触れてきた、未入会の夫・崇久さんは、座談会で「皆さんの姿から本当の創価学会を知ることができた」と語っていた、とも。
記者が「もっと深く知りたい」と思ったのは、崇久さんが知った「本当の創価学会」とは何だったのか。豊田さん一家に話を伺いました。
◇
「もうひと声、思いを伺いたい」「もうひと越え、深く知りたい」――「声」の欄の投稿者の元へ担当記者が訪れる「もうひとコエ」。今回は、大阪府吹田市の豊田真菜実さんです。
5月7日付の投稿には、ブロック座談会の司会を務めた長男・樹生さんのことがつづられていました。遺伝子疾患と障がいがある樹生さんが自分らしく輝く姿を通して、信心の力を実感したと真菜実さん。一家に励ましを送る学会家族に触れてきた、未入会の夫・崇久さんは、座談会で「皆さんの姿から本当の創価学会を知ることができた」と語っていた、とも。
記者が「もっと深く知りたい」と思ったのは、崇久さんが知った「本当の創価学会」とは何だったのか。豊田さん一家に話を伺いました。
◇
乗り物が大好きな樹生さん。「これが、パトカーで~」と記者に、全ての乗り物のおもちゃを紹介してくれた
乗り物が大好きな樹生さん。「これが、パトカーで~」と記者に、全ての乗り物のおもちゃを紹介してくれた
鼻のチューブからミルクを
鼻のチューブからミルクを
玄関の扉を開くと「ようこそ!」。樹生さんの元気いっぱいの声が迎えてくれた。
樹生さんは2017年9月、予定より1カ月早く誕生した。すぐに異変を感じた。反射がなく、母乳を口にしない。ミルクを胃に送るチューブが、小さい鼻の穴に挿入された。樹生さんは東京・世田谷区内の医療機関へ。一家は、その近くに転居した。
それからは激闘の毎日だった。3時間ごとにミルクを通し、2週間ごとに樹生さんの全身を毛布でくるみ、馬乗りになってチューブを交換する。小さな体から上がる叫び声に胸が張り裂けそうになる。仕事で崇久さんが不在の時は、その作業を真菜実さん一人で行った。
「思い返しても一番つらかった」という、その時期に自宅を訪れてくれたのが、世田谷の婦人部(当時)の人たちだった。
「大丈夫よ」と、真菜実さんを優しく受け止めてくれる同志たちに、どれほど救われたか。昼の会合に参加すると、大歓迎で母子を包み込んでくれる多宝の友。学会家族のありがたさが身に染みた。真菜実さんにとって、そうした一つ一つのつながりが“命綱”のように感じられた。ある一人の友は、何度も励ましの手紙を届けてくれた。仕事から帰宅し、それを目にした崇久さんは「学会はここまで一人を大切にするのかと感動しました」。
その後、名医との出会いに恵まれ、樹生さんは食べ物を口にできるように。しかし、3歳の時に「遺伝子に疾患がある」と診断された。
玄関の扉を開くと「ようこそ!」。樹生さんの元気いっぱいの声が迎えてくれた。
樹生さんは2017年9月、予定より1カ月早く誕生した。すぐに異変を感じた。反射がなく、母乳を口にしない。ミルクを胃に送るチューブが、小さい鼻の穴に挿入された。樹生さんは東京・世田谷区内の医療機関へ。一家は、その近くに転居した。
それからは激闘の毎日だった。3時間ごとにミルクを通し、2週間ごとに樹生さんの全身を毛布でくるみ、馬乗りになってチューブを交換する。小さな体から上がる叫び声に胸が張り裂けそうになる。仕事で崇久さんが不在の時は、その作業を真菜実さん一人で行った。
「思い返しても一番つらかった」という、その時期に自宅を訪れてくれたのが、世田谷の婦人部(当時)の人たちだった。
「大丈夫よ」と、真菜実さんを優しく受け止めてくれる同志たちに、どれほど救われたか。昼の会合に参加すると、大歓迎で母子を包み込んでくれる多宝の友。学会家族のありがたさが身に染みた。真菜実さんにとって、そうした一つ一つのつながりが“命綱”のように感じられた。ある一人の友は、何度も励ましの手紙を届けてくれた。仕事から帰宅し、それを目にした崇久さんは「学会はここまで一人を大切にするのかと感動しました」。
その後、名医との出会いに恵まれ、樹生さんは食べ物を口にできるように。しかし、3歳の時に「遺伝子に疾患がある」と診断された。
東京・世田谷の女性部の同志から届いた手紙の数々。「今でも、読み返して勇気をもらっています」と夫妻は語る
東京・世田谷の女性部の同志から届いた手紙の数々。「今でも、読み返して勇気をもらっています」と夫妻は語る
「この子を育てるのは私!」
「この子を育てるのは私!」
樹生さんは、激しいかんしゃくを起こすことがある。言葉で意思を伝えられない時は自身の体を傷付けた。真菜実さんが止めようと抱きかかえると、樹生さんの手足がぶつかってあざになることもあった。
それでも真菜実さんは「一番苦しいのは、樹生なんだ」と受け止め、「この子を育てるのは私!」と、御本尊の前で決意を深めながら、わが子と向き合い続けた。
崇久さんも自宅で多くの時間を過ごすため、条件に合った会社へ転職。コロナ禍の中の2021年には会社がリモートワークを推奨し、遠隔地居住が許可されたことから、崇久さんは思い切って手を挙げ、真菜実さんの出身地・関西へと引っ越した。
「そこでも、学会の方々は変わらず温かでした」と崇久さん。とりわけ、樹生さんをあるがままに受け入れてくれたことが、うれしかったという。興奮すると拍手が大きくなる樹生さん。公共の場では周囲に気を使ってきた。しかし、学会の会合では皆が喜んでくれる。そんな学会家族への恩返しになればと、崇久さんは勧められた教学部任用試験(仏法入門)を受験した。
教材の「大白蓮華」を読み進めると、「万人を敬う不軽菩薩の実践」との言葉が目に留まった。“この姿勢で生きているから、真菜実や学会員さんは明るく強いのだ”。当時、就学を前にした樹生さんに対し、いやが応でも、その先の進路や就職などを案じてしまう自分がいた。真菜実さんは「諦めないで。樹生の可能性を信じて」と。そう話す理由が分かった。
樹生さんは、激しいかんしゃくを起こすことがある。言葉で意思を伝えられない時は自身の体を傷付けた。真菜実さんが止めようと抱きかかえると、樹生さんの手足がぶつかってあざになることもあった。
それでも真菜実さんは「一番苦しいのは、樹生なんだ」と受け止め、「この子を育てるのは私!」と、御本尊の前で決意を深めながら、わが子と向き合い続けた。
崇久さんも自宅で多くの時間を過ごすため、条件に合った会社へ転職。コロナ禍の中の2021年には会社がリモートワークを推奨し、遠隔地居住が許可されたことから、崇久さんは思い切って手を挙げ、真菜実さんの出身地・関西へと引っ越した。
「そこでも、学会の方々は変わらず温かでした」と崇久さん。とりわけ、樹生さんをあるがままに受け入れてくれたことが、うれしかったという。興奮すると拍手が大きくなる樹生さん。公共の場では周囲に気を使ってきた。しかし、学会の会合では皆が喜んでくれる。そんな学会家族への恩返しになればと、崇久さんは勧められた教学部任用試験(仏法入門)を受験した。
教材の「大白蓮華」を読み進めると、「万人を敬う不軽菩薩の実践」との言葉が目に留まった。“この姿勢で生きているから、真菜実や学会員さんは明るく強いのだ”。当時、就学を前にした樹生さんに対し、いやが応でも、その先の進路や就職などを案じてしまう自分がいた。真菜実さんは「諦めないで。樹生の可能性を信じて」と。そう話す理由が分かった。
「あきらめないノート」。この「あきらめない」の文字には、樹生さんだけでなく、“私も挑戦を諦めない”という思いを込めていると真菜実さんが教えてくれた
「あきらめないノート」。この「あきらめない」の文字には、樹生さんだけでなく、“私も挑戦を諦めない”という思いを込めていると真菜実さんが教えてくれた
「あきらめないノート」
「あきらめないノート」
現在、樹生さんは小学2年に。分からないことがあっても、繰り返し挑戦する子になった。「僕は同じことをずっとやり続ける天才なんだ」と笑って豪語する。
小学1年の時から取り組んできたドリルやプリントの数々を、夫妻で全てスクラップしている。「あきらめないノート」と名付けたそれは、リビングの棚の、一番目立つところに並んでいる。
現在、樹生さんは小学2年に。分からないことがあっても、繰り返し挑戦する子になった。「僕は同じことをずっとやり続ける天才なんだ」と笑って豪語する。
小学1年の時から取り組んできたドリルやプリントの数々を、夫妻で全てスクラップしている。「あきらめないノート」と名付けたそれは、リビングの棚の、一番目立つところに並んでいる。
真菜実さんも一緒になって任用試験の勉強に取り組んだ。取材では崇久さんの口から、次々と教学用語が
真菜実さんも一緒になって任用試験の勉強に取り組んだ。取材では崇久さんの口から、次々と教学用語が
哲学が生活に根付いている
哲学が生活に根付いている
「“一人を大切に”という生き方は、決してうわべではなく、学会員の方々の生活の中に根付いていると感じます」
「目の前にいる妻、一番苦しかった時に励ましてくれて、今も気にかけてくれている世田谷の皆さん、そして、家族を温かく見守ってくれる吹田の皆さんの存在がその証しです」
それが、崇久さんが感じた「本当の創価学会」だ。
さらに「息子が創価学会の中で大きく成長し、創価の哲学を自分の意志で実践し始めた時、息子から折伏されたいな、とひそかに楽しみにしています」とも。
「教主釈尊の出世の本懐は人の振る舞いにて候いけるぞ」(新1597・全1174)。豊田家一人一人の諦めない姿、それを支える学会員の一人を大切にする励まし。人間を強くする「人の振る舞い」に触れ、改めて、師が示した人間主義の生き方を貫こうと誓った取材となった。(記事・写真=浅野一城、岡田祐太郎)
「“一人を大切に”という生き方は、決してうわべではなく、学会員の方々の生活の中に根付いていると感じます」
「目の前にいる妻、一番苦しかった時に励ましてくれて、今も気にかけてくれている世田谷の皆さん、そして、家族を温かく見守ってくれる吹田の皆さんの存在がその証しです」
それが、崇久さんが感じた「本当の創価学会」だ。
さらに「息子が創価学会の中で大きく成長し、創価の哲学を自分の意志で実践し始めた時、息子から折伏されたいな、とひそかに楽しみにしています」とも。
「教主釈尊の出世の本懐は人の振る舞いにて候いけるぞ」(新1597・全1174)。豊田家一人一人の諦めない姿、それを支える学会員の一人を大切にする励まし。人間を強くする「人の振る舞い」に触れ、改めて、師が示した人間主義の生き方を貫こうと誓った取材となった。(記事・写真=浅野一城、岡田祐太郎)
◎掲載された投稿(5月7日付)
◎掲載された投稿(5月7日付)
息子の大成長に信心の力を実感
大阪府吹田市 豊田真菜実(35歳)
ブロックのファミリー座談会を、3月13日に初めてわが家で開催しました。
7歳の息子は玄関で、参加者一人一人を大拍手でお出迎え。「これぜーんぶ見てから行ってくださーい!」と、壁に張った自身の絵を見るよう、ちゃっかり誘導し、座談会が始まると、司会兼導師として、はっきりした声で題目三唱をしてくれました。
その後、“勇気を出して挑戦したいこと”を参加者に発表してもらう時には、「がんばってー!」と再び大拍手を。最後は「スペシャルゲストー、どうぞー! お話しして!」と未入会の夫を手招き。夫は皆さんの前で「いつも妻と息子を励ましてくださり、ありがとうございます。僕は皆さんの姿から本当の創価学会を知ることができました。これからもよろしくお願いします」と感謝を伝えてくれました。
かつて息子に遺伝子疾患と障がいがあると分かった時、私はこのような未来が訪れるとは全く想像できませんでした。
息子には確かに生活上の困難はあります。それでも息子を通じて、“ここまで自分らしさを力強く輝かせることができるのか”と驚くほど、信心の力を実感しています。これも陰に陽に励まし支えてくださる方々がいるからにほかなりません。
そんな息子の姿に、私も自らの可能性を信じられるようになり、今春、特別支援教育を学び、教員を目指すため、大学に入り直しました。
一番の理解者である夫、私たち家族を励まし続けてくださる創価家族への感謝を忘れることなく、“自分らしさ”を大切にしながら、息子と一緒に一歩一歩、成長していきたいと思います。
息子の大成長に信心の力を実感
大阪府吹田市 豊田真菜実(35歳)
ブロックのファミリー座談会を、3月13日に初めてわが家で開催しました。
7歳の息子は玄関で、参加者一人一人を大拍手でお出迎え。「これぜーんぶ見てから行ってくださーい!」と、壁に張った自身の絵を見るよう、ちゃっかり誘導し、座談会が始まると、司会兼導師として、はっきりした声で題目三唱をしてくれました。
その後、“勇気を出して挑戦したいこと”を参加者に発表してもらう時には、「がんばってー!」と再び大拍手を。最後は「スペシャルゲストー、どうぞー! お話しして!」と未入会の夫を手招き。夫は皆さんの前で「いつも妻と息子を励ましてくださり、ありがとうございます。僕は皆さんの姿から本当の創価学会を知ることができました。これからもよろしくお願いします」と感謝を伝えてくれました。
かつて息子に遺伝子疾患と障がいがあると分かった時、私はこのような未来が訪れるとは全く想像できませんでした。
息子には確かに生活上の困難はあります。それでも息子を通じて、“ここまで自分らしさを力強く輝かせることができるのか”と驚くほど、信心の力を実感しています。これも陰に陽に励まし支えてくださる方々がいるからにほかなりません。
そんな息子の姿に、私も自らの可能性を信じられるようになり、今春、特別支援教育を学び、教員を目指すため、大学に入り直しました。
一番の理解者である夫、私たち家族を励まし続けてくださる創価家族への感謝を忘れることなく、“自分らしさ”を大切にしながら、息子と一緒に一歩一歩、成長していきたいと思います。