〈もうひとコエ〉 信心の二字で人生を開く
〈もうひとコエ〉 信心の二字で人生を開く
2026年2月20日
- 北海道手稲区 高田正寿さん
- 北海道手稲区 高田正寿さん
題目根本、御書根本に人生の山坂を越えてきた高田さん。優しいまなざしには、信心の確信が光る
題目根本、御書根本に人生の山坂を越えてきた高田さん。優しいまなざしには、信心の確信が光る
「もうひと声、思いを伺いたい」「もうひと越え、深く知りたい」――「声」の欄の投稿者の元へ担当記者が訪れる「もうひとコエ」。今回は、札幌市手稲区の高田正寿さん=副区長=です。
高田さんは、失業と転職を繰り返すこと12回。51歳で120社以上の不採用という試練を乗り越え、54歳で入社した会社では、4年連続の全国1位の業績を打ち立てました。
昨年5月9日付に掲載された投稿には、そうした模様とともに、“どんな苦難の中でも学会活動から一歩も引かなかった”“18歳で発心して以来、折伏に励み抜いていることが誇り”“全ての経験が生かされ、信心の確信を深めた”とつづられていました。
高田さんの“揺るがぬ信心”は、どのように築かれたのか――その核心に迫ろうと、北海道に飛びました。
◇
「もうひと声、思いを伺いたい」「もうひと越え、深く知りたい」――「声」の欄の投稿者の元へ担当記者が訪れる「もうひとコエ」。今回は、札幌市手稲区の高田正寿さん=副区長=です。
高田さんは、失業と転職を繰り返すこと12回。51歳で120社以上の不採用という試練を乗り越え、54歳で入社した会社では、4年連続の全国1位の業績を打ち立てました。
昨年5月9日付に掲載された投稿には、そうした模様とともに、“どんな苦難の中でも学会活動から一歩も引かなかった”“18歳で発心して以来、折伏に励み抜いていることが誇り”“全ての経験が生かされ、信心の確信を深めた”とつづられていました。
高田さんの“揺るがぬ信心”は、どのように築かれたのか――その核心に迫ろうと、北海道に飛びました。
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ジェットコースターのような半生
ジェットコースターのような半生
「知り合いに『俺の人生は、山あり谷ありだよ』とぼやいたら、『いやいや、ジェットコースターだよ』と言われてしまってね」
そう言って呵々と笑う高田さん。
話を伺うと、青年時代から苦労が絶えない、挫折と栄光の繰り返しの半生だった。
父が連帯保証人になって多額の負債を抱えたため、高校卒業後は、夜間大学に通いながら働いた。給料のほとんどを家に入れて家族の生活を支えた。
忙しい毎日だったが、「時間がないからこそ、その時間を広布のために使おう」と学生部の先輩に励まされ、朝から晩まで学会活動に明け暮れた。
「初めて折伏が実った時は、うれしかったね。本当に鍛えられた。“信心で人生は開ける”という確信を刻んだ宝の思い出です。この学生部時代の原点があったから、その後の苦難を乗り越えられたんじゃないかな」
大学卒業後も高田さんの苦闘は続く。勤めていた会社の倒産を2度、リストラも2度経験した。そんな苦難を乗り越え、45歳で大手企業に転職。必死で働いて信頼を勝ち取り、北海道の責任者を任されるまでになる。
ところが50歳で高田さんの身体と精神が限界を迎える。極度のプレッシャーの中で走り続けた結果、ついに体調を崩して入院。退職を余儀なくされた。
幸い体調は回復し、45日で退院。そこから、実に1年半にわたる就職活動が始まるのである。
「知り合いに『俺の人生は、山あり谷ありだよ』とぼやいたら、『いやいや、ジェットコースターだよ』と言われてしまってね」
そう言って呵々と笑う高田さん。
話を伺うと、青年時代から苦労が絶えない、挫折と栄光の繰り返しの半生だった。
父が連帯保証人になって多額の負債を抱えたため、高校卒業後は、夜間大学に通いながら働いた。給料のほとんどを家に入れて家族の生活を支えた。
忙しい毎日だったが、「時間がないからこそ、その時間を広布のために使おう」と学生部の先輩に励まされ、朝から晩まで学会活動に明け暮れた。
「初めて折伏が実った時は、うれしかったね。本当に鍛えられた。“信心で人生は開ける”という確信を刻んだ宝の思い出です。この学生部時代の原点があったから、その後の苦難を乗り越えられたんじゃないかな」
大学卒業後も高田さんの苦闘は続く。勤めていた会社の倒産を2度、リストラも2度経験した。そんな苦難を乗り越え、45歳で大手企業に転職。必死で働いて信頼を勝ち取り、北海道の責任者を任されるまでになる。
ところが50歳で高田さんの身体と精神が限界を迎える。極度のプレッシャーの中で走り続けた結果、ついに体調を崩して入院。退職を余儀なくされた。
幸い体調は回復し、45日で退院。そこから、実に1年半にわたる就職活動が始まるのである。
「本当に多くの人と交流してきました」と、名刺を見ながら振り返る高田さん。一つ一つの出会いが人生の宝だ
「本当に多くの人と交流してきました」と、名刺を見ながら振り返る高田さん。一つ一つの出会いが人生の宝だ
折れそうな心を救った御文
折れそうな心を救った御文
50歳での再就職――現実は厳しかった。
不採用に次ぐ不採用。最終面接まで進んだ会社に“ここしかない”と全力で挑むも、やはり不採用。その知らせを受けた時は、さすがに心が折れかけた。
そんな高田さんを支えたのが「開目抄」の一節だった。
「我ならびに我が弟子、諸難ありとも疑う心なくば、自然に仏界にいたるべし」(新117・全234)
学生部時代から幾度となく拝してきた御文が胸に迫った。
「祈りは、かなうまで祈るんだ」――頭では分かっていても、どうしようもない現実の前に、“疑う心”が頭をもたげる。この御文は、そんな高田さんに「それでも信心を貫けるのか」と問いかけてくるようだった。
ちょうどこの頃、高田さんは区書記長の任を受けていた。「ここで折れたら、今まで励ましてきた人たちに嘘をつくことになる」。胸に去来するのは同志の顔だった。
「よからんは不思議、わるからんは一定とおもえ」(新1620・全1190)との御聖訓を思い起こして前を向いた。
そして、先輩方からの温かい励ましが、もう一度立ち上がる力となった。
「題目をあげ抜いて、学会活動に挑戦していく中で、いい方向にいっているなというのが、なんとなく分かった時があったんです。そうしたら、ある会社の社長から『うちにおいでよ』と話があったんですよ」
苦節1年半、120社以上の不採用を超えて、ついに再就職を果たすのである。
ところが、希望をもって新しい会社で働き始めるも、“なんか違う”と感じてしまった高田さん。7カ月後に自ら退職してしまう。
「でもね、今度は退職の2カ月後、すぐに次の会社が決まったんです。結局そこも2年で辞めたけど、それまでの題目と経験の蓄積が発揮されたんだろうね。またまたすぐに次の会社が決まって、待遇が以前よりかなり良くなった。結果的に見れば、それまでの職場での経験やノウハウが全部生きていくんですよ」
54歳にして、高田さんの快進撃が始まるのである。
50歳での再就職――現実は厳しかった。
不採用に次ぐ不採用。最終面接まで進んだ会社に“ここしかない”と全力で挑むも、やはり不採用。その知らせを受けた時は、さすがに心が折れかけた。
そんな高田さんを支えたのが「開目抄」の一節だった。
「我ならびに我が弟子、諸難ありとも疑う心なくば、自然に仏界にいたるべし」(新117・全234)
学生部時代から幾度となく拝してきた御文が胸に迫った。
「祈りは、かなうまで祈るんだ」――頭では分かっていても、どうしようもない現実の前に、“疑う心”が頭をもたげる。この御文は、そんな高田さんに「それでも信心を貫けるのか」と問いかけてくるようだった。
ちょうどこの頃、高田さんは区書記長の任を受けていた。「ここで折れたら、今まで励ましてきた人たちに嘘をつくことになる」。胸に去来するのは同志の顔だった。
「よからんは不思議、わるからんは一定とおもえ」(新1620・全1190)との御聖訓を思い起こして前を向いた。
そして、先輩方からの温かい励ましが、もう一度立ち上がる力となった。
「題目をあげ抜いて、学会活動に挑戦していく中で、いい方向にいっているなというのが、なんとなく分かった時があったんです。そうしたら、ある会社の社長から『うちにおいでよ』と話があったんですよ」
苦節1年半、120社以上の不採用を超えて、ついに再就職を果たすのである。
ところが、希望をもって新しい会社で働き始めるも、“なんか違う”と感じてしまった高田さん。7カ月後に自ら退職してしまう。
「でもね、今度は退職の2カ月後、すぐに次の会社が決まったんです。結局そこも2年で辞めたけど、それまでの題目と経験の蓄積が発揮されたんだろうね。またまたすぐに次の会社が決まって、待遇が以前よりかなり良くなった。結果的に見れば、それまでの職場での経験やノウハウが全部生きていくんですよ」
54歳にして、高田さんの快進撃が始まるのである。
池田先生を迎えての「雪の文化祭」から55年――雄大な山々を仰ぎ見ながら、高田さんはじめ多くの同志が“負けない人生”を歩む(札幌市手稲区)
池田先生を迎えての「雪の文化祭」から55年――雄大な山々を仰ぎ見ながら、高田さんはじめ多くの同志が“負けない人生”を歩む(札幌市手稲区)
社会で信心の実証を示す
社会で信心の実証を示す
会社で最年長の支店長として奮闘する中、4年連続で全国1位の業績を上げ、5回の社長賞を受賞するなど社会で実証を示してきた高田さん。
その秘訣とは?
「朝は午前5時に起きて、1時間の唱題。その祈りの中で、きょう一日でやらないといけない“三つの目標”を明確に立てること」
やるべきことはたくさんある。一日の流れを細かくイメージする中で最低限の目標として三つに絞る。そして“必ずやり切る”と祈る。
例えば――①商談相手と電話をする②提案資料を仕上げる③新規の契約を獲得する。
三つの項目は日々更新。具体的な祈りが具体的な行動となる。最高の準備が最高の結果となって結実していく。
「祈った通りに、仕事が動くんですよ」
全てを信心で乗り越えてきた高田さんだからこそ、確信をもって言える言葉だ。
幾多の苦難にも負けなかったのはなぜか?
「親の信心の姿勢、学生部時代の信心の原点があったから信心を貫けた。御書と池田先生の指針通りになった。本当に不思議。本当にすごい信心だよね」
会社で最年長の支店長として奮闘する中、4年連続で全国1位の業績を上げ、5回の社長賞を受賞するなど社会で実証を示してきた高田さん。
その秘訣とは?
「朝は午前5時に起きて、1時間の唱題。その祈りの中で、きょう一日でやらないといけない“三つの目標”を明確に立てること」
やるべきことはたくさんある。一日の流れを細かくイメージする中で最低限の目標として三つに絞る。そして“必ずやり切る”と祈る。
例えば――①商談相手と電話をする②提案資料を仕上げる③新規の契約を獲得する。
三つの項目は日々更新。具体的な祈りが具体的な行動となる。最高の準備が最高の結果となって結実していく。
「祈った通りに、仕事が動くんですよ」
全てを信心で乗り越えてきた高田さんだからこそ、確信をもって言える言葉だ。
幾多の苦難にも負けなかったのはなぜか?
「親の信心の姿勢、学生部時代の信心の原点があったから信心を貫けた。御書と池田先生の指針通りになった。本当に不思議。本当にすごい信心だよね」
高田さんを陰で支える妻・盛子さん㊧と。雪降る中の取材だったが、2人の笑顔に心が温まる思いがした
高田さんを陰で支える妻・盛子さん㊧と。雪降る中の取材だったが、2人の笑顔に心が温まる思いがした
高田さんが大切にしている池田先生の指針を教えてもらった。
「信心の二字が不撓であるならば/いつの日か必ずや/その人には/勝利の満足の証が待っている!」(長編詩「青年よ 21世紀の広布の山を登れ」)
記者の周囲にも、就職活動などに悩む同志がいる。“信心で立ち向かえば、乗り越えられない壁はない”ことを、高田さんの体験と確信を通して語り、励ましを送っていこう!――北海道の寒風をものともしないほどの燃え上がる決意を抱いて帰途に就いた。(記事・写真=斉藤香那)
高田さんが大切にしている池田先生の指針を教えてもらった。
「信心の二字が不撓であるならば/いつの日か必ずや/その人には/勝利の満足の証が待っている!」(長編詩「青年よ 21世紀の広布の山を登れ」)
記者の周囲にも、就職活動などに悩む同志がいる。“信心で立ち向かえば、乗り越えられない壁はない”ことを、高田さんの体験と確信を通して語り、励ましを送っていこう!――北海道の寒風をものともしないほどの燃え上がる決意を抱いて帰途に就いた。(記事・写真=斉藤香那)
◎掲載された投稿(2025年5月9日付)
◎掲載された投稿(2025年5月9日付)
12回の転職超え 社会で実証示す
札幌市手稲区 高田正寿(会社顧問 65歳)
私は現在、自営業のほかに保険会社の顧問も務めています。自営業のほうでは、物価高など厳しい市場環境にあっても、毎年、前年を大きく上回る業績を残すことができています。
振り返れば、2度の会社倒産、2度のリストラを経験し、失業と転職を繰り返すこと12回。51歳の時には、120社以上に応募するも不採用という試練もありました。しかし、開目抄の「我ならびに我が弟子、諸難ありとも疑う心なくば、自然に仏界にいたるべし」(新117・全234)の御文を胸に、慣れない仕事や人間関係、経済苦の中でも題目を唱え抜き、学会活動に一歩も引かず挑んできました。
54歳で入社した会社では、全国最年長の支店長に抜てき。4年連続全国1位の業績を上げ、社長賞を5回頂くなど実証を示すことができました。
それまでの全ての経験が生かされた結果であり、信心には一切の無駄がないと確信を深めました。感謝の心で、大学教授の友人らに弘教を実らせることもできました。18歳で発心してから47年間、折伏に励み抜いていることが私の誇りです。
また、子どもに広布の精神を伝えたいと祈る中、創価大学卒業後に難関の国家試験に合格し、世界的な法律事務所で働く息子が、男子地区リーダー、牙城会員として広布の道を歩んでいることを何よりもうれしく思います。
今後とも、世界青年学会の発展に尽くし、折伏精神を燃やして、地域・社会に貢献していく決意です。
12回の転職超え 社会で実証示す
札幌市手稲区 高田正寿(会社顧問 65歳)
私は現在、自営業のほかに保険会社の顧問も務めています。自営業のほうでは、物価高など厳しい市場環境にあっても、毎年、前年を大きく上回る業績を残すことができています。
振り返れば、2度の会社倒産、2度のリストラを経験し、失業と転職を繰り返すこと12回。51歳の時には、120社以上に応募するも不採用という試練もありました。しかし、開目抄の「我ならびに我が弟子、諸難ありとも疑う心なくば、自然に仏界にいたるべし」(新117・全234)の御文を胸に、慣れない仕事や人間関係、経済苦の中でも題目を唱え抜き、学会活動に一歩も引かず挑んできました。
54歳で入社した会社では、全国最年長の支店長に抜てき。4年連続全国1位の業績を上げ、社長賞を5回頂くなど実証を示すことができました。
それまでの全ての経験が生かされた結果であり、信心には一切の無駄がないと確信を深めました。感謝の心で、大学教授の友人らに弘教を実らせることもできました。18歳で発心してから47年間、折伏に励み抜いていることが私の誇りです。
また、子どもに広布の精神を伝えたいと祈る中、創価大学卒業後に難関の国家試験に合格し、世界的な法律事務所で働く息子が、男子地区リーダー、牙城会員として広布の道を歩んでいることを何よりもうれしく思います。
今後とも、世界青年学会の発展に尽くし、折伏精神を燃やして、地域・社会に貢献していく決意です。