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〈Seikyo Gift〉 子どもの憧れ バスの運転手〈信仰体験〉 2024年7月27日

  • 幸せ乗せて 発車オーライ!

 【横浜市都筑区】穏やかな人柄が運転に表れている。ブレーキもアナウンスの声も柔らかい。商店街から住宅地へゆっくりとバスが通り抜けた。皆川正紀さん(38)=区男子部主任部長=は路線バスを走らせて17年。山あり谷あり、酸いも甘いもバスに乗せ、利用者に欠かせない生活の足となってきた。(6月3日付)

「これが天職です」と、バスの運転を心から楽しむ皆川さん
「これが天職です」と、バスの運転を心から楽しむ皆川さん

 定刻通りのダイヤとは、かけ離れた半生だった。
 
 2歳の時に父が他界。残された母は若く、皆川さんを引き取って育てたのは、祖母・仲山よし子さん(84)=女性部員=だった。物心ついた頃には「かあちゃん」と呼んでいた。
 
 貧しい長屋暮らし。祖父は酒を飲んではテーブルをひっくり返し、重度の知的障がいがある叔母は、一人で出歩くと、たびたびトラブルを起こした。そんな状況に振り回されながらも、祖母は幼い皆川さんを抱きかかえた。内職もした。「何があろうと題目」と、家には祖母の唱題が響いていた。
 

30年前と同じポーズで、祖母と皆川さんが並ぶ
30年前と同じポーズで、祖母と皆川さんが並ぶ

 祖母と出かける時はバスか電車。とりわけ皆川さんが憧れたのは、バスの運転手だった。小学校への通学路に、バスの営業所があった。整然と並ぶ大型バスを、自在に操るカッコよさ。公園から飽きもせず眺めた。
 
 だが小学3年から、朝に起きられなくなり、不登校は中学卒業まで続いた。22歳で亡くなった父親に自分を重ね、“どうせ短い命”と。外で遊び歩くように。
 
 心配する祖母の言葉をさえぎり、遊ぶ金をせびった。余裕がないはずなのに、よし子さんはお金を工面し、渡してくれた。後で、自らの保険を解約したと聞いた。“かあちゃん、ごめん”。申し訳なさだけが募った。早く社会に出たかった。

自宅近くの公園から、バスの営業所が見える
自宅近くの公園から、バスの営業所が見える

 見通しの悪い坂道もある。
 
 昼はアルバイトをかけ持ちし、夜は定時制高校へ。めんどくさがりで、時間にルーズ。高校は卒業したが、仕事は続かない。「しょうもない人生」と自分でも思う。夢もどこへやら。
 
 20歳の時、男子部の人が自宅を訪ねた。誠実な人柄に触れ、将来の不安を口にすると、「君にしかない使命がある」と真正面から語ってきた。さらに「1年で、絶対に変われるよ」と。悶々としていた心の奥が熱くなった。
 
 この日から、一日1時間の唱題を始める。最初は恥ずかしくてこっそりと。だが一度決めたら、とことん貫いた。ちょうど1年後、思いがけずバス会社に就職が決まった。

 夢の運転手デビューは、ほろ苦い。緊張し、乗降口の扉の操作を誤った。渋滞で定刻に遅れると乗客にいら立ちをぶつけられた。
 
 「3カ月で心折れた」。仏壇の経机に置かれた祖母の御祈念帳には、皆川さんのことばかり。信心で勝てば親孝行になる、と思い直した。
 
 仕事の後、黙々と運転技術を磨き、車体感覚を体に染み込ませた。社内コンテストで優勝するまでになった。
 
 皆川さんの変わりように驚いたのは、高校時代から付き合っていた妻・忍さん(39)=副白ゆり長=だった。最初のデートは5時間、待たされた。“どうしようもない”印象が見る見る更新されていく。
 
 「大丈夫だから。俺を信じて」。その言葉に、忍さんは創価学会に入会。2011年(平成23年)、2人は結婚した。

夫妻は高校の同級生
夫妻は高校の同級生

 視界は良好。仕事と学会活動の両輪が勢いよく回り、楽しくて仕方がない。だが、暴風が吹き荒れた。
 
 ある日、帰宅すると、リビングで忍さんが倒れていた。パニック障害だった。医師からは、「奥さんの話を、ちゃんと聞いてあげてください」と。一番近くの大切な人を、守れていなかった。
 
 忍さんは毎食後、23錠の薬を服用した。一人になると、気分が落ち込み、何もできなくなった。発作も起きた。
 
 薬代が家計を圧迫する。料理が苦手な皆川さんは、掃除や洗濯を担当。忍さんがもやし料理や、パンの耳に薄切り肉を巻いた“トンカツもどき”を作ってくれた。自宅に来た男子部のメンバーに、素うどんを振るまった。
 

 いつまで続くのか、先の見えない苦しみもあった。池田先生の指導を胸に刻んだ。「友には安心を与えながら、自分は一切に耐えて、にっこりと微笑み、戦っていく。これが仏法者です」
 
 皆川さんはいつも通り運転席に座った。バスの運転手は、子どもたちの憧れ。手を振ってくる子どもが、幼い頃の自分と重なる。だからカッコよくありたい。生き方も振る舞いも。
 
 どんな会合も妻を連れて参加。忍さんも「家で一人より、一緒にいられる方がいい」と。牙城会任務に着く夫を、会館ロビーで見守った。家庭訪問も助手席で待った。3年かかって忍さんは、ほとんどの薬をやめることができた。
 
 「喜び身に余るが故に、堪え難くして自讃するなり」(新153・全334)。あふれる歓喜は、弘教の波となった。信心に反対した忍さんの両親をはじめ、9世帯10人が入会。3人の子どもにも恵まれた。

交代勤務の中、家族の時間を大切にしている(写真左から長女・結希さん、皆川さん、次女・楓さん、妻の忍さん、長男・隼紀さん)
交代勤務の中、家族の時間を大切にしている(写真左から長女・結希さん、皆川さん、次女・楓さん、妻の忍さん、長男・隼紀さん)

 ハンドルを握れなくなる危機もあった。
 
 20年(令和2年)、親会社へ転籍。幼い頃に憧れた営業所に勤めることに。だが立て続けに病魔が襲う。胆のうの摘出手術、バセドウ病の疑い。特に脳腫瘍は、バス運転手には致命的だった。手術を受ければ、仕事を続けることは難しい。さまざまな検査を受けた。
 
 絶望的な状況にも、妻は「これで信心の体験が積めるよ」と励ましてくれた。皆川さんは題目を唱え抜き、「バス人生を懸けた」。3カ月後、CT画像を見た医師から、腫瘍が見つからないと説明を受けた。帰り道、家族そろってお祝いのテーブルを囲んだ。

祖母・仲山よし子さん(手前)と仲良く
祖母・仲山よし子さん(手前)と仲良く

 昨年は、よし子さんに卵巣がんが判明。「治療はせん」とかたくなだった祖母に、皆川さんは「かあちゃん、俺が体験発表するから、見に来てよ」と。育ててくれた感謝と、信心の喜びを原稿に込めた。
 
 帰り道、「正紀が頑張ってるから、わしも頑張るで」と祖母。手術、抗がん剤治療を経て、間もなく1年。髪も生えそろった。
 
 幼い頃、夢を聞かれて「バスの運転手!」と答え、拍手をもらった座談会。今は長男が「車掌さん!」と宣言するのを、ほほ笑ましく見つめる。
 
 きょうも乗客がそれぞれの人生を背負って乗ってくる。皆川さんはかけがえのない日常を守る。

長男の隼紀さん
長男の隼紀さん

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