F313A8E7A4836642976789003BE4425B
〈世界を結ぶ対話録〉16 池田先生がつづる インド K・R・ナラヤナン元大統領
〈世界を結ぶ対話録〉16 池田先生がつづる インド K・R・ナラヤナン元大統領
2026年4月8日
インドの元大統領・ナラヤナン氏と語らった折、池田先生は述べた。「歴史に輝く『民衆の希望の大統領』として、マハトマ・ガンジー、ネルー初代首相の精神を厳然と継承され、不滅の貢献を果たされました」。先生が氏についてつづったエッセーを抜粋して掲載する。〈『世界の指導者と語る』潮出版社(『池田大作全集』第123巻所収)から〉
インドの元大統領・ナラヤナン氏と語らった折、池田先生は述べた。「歴史に輝く『民衆の希望の大統領』として、マハトマ・ガンジー、ネルー初代首相の精神を厳然と継承され、不滅の貢献を果たされました」。先生が氏についてつづったエッセーを抜粋して掲載する。〈『世界の指導者と語る』潮出版社(『池田大作全集』第123巻所収)から〉
インドのナラヤナン元大統領と池田先生が会見(2004年10月23日、聖教新聞本社〈当時〉で)
インドのナラヤナン元大統領と池田先生が会見(2004年10月23日、聖教新聞本社〈当時〉で)
インドのナラヤナン大統領とは不思議なご縁であった。
私が、名門ネルー大学を訪問したとき、中心になって歓迎してくださったのが、当時、大学の副総長であった大統領なのである。
一九七九年(昭和五十四年)の二月。「今日は『一日教授』でいてください」。にこやかに言われる副総長に、「いや『一日学生』です」と答えると、副総長は破顔一笑。飾らない、温かな人柄が笑顔からにじみ出た。
「さくらさくら」「春が来た」。日本語を学ぶ女子学生四人が、美しい発音で歌ってくださった。会場に手拍子が広がる。
私が「あの四人の学生さんには、最高の成績をつけてあげてください」と、教授陣に「緊急提案」すると、副総長も学生たちと一緒に手を打って笑っておられた。
ある男子学生が手を挙げて、私に質問があるという。聞けば、創価学会を研究して博士号を取ろうとしているとのこと。すかさず副総長が「彼にとっては池田会長が“研究対象”なのです。どうぞ、よろしく!」。
人間味豊かな、優しさ。頭脳の回転の速さ。副総長に就任して、まもないとのことであった。
◇ ◇ ◇
大統領は、自分のことを「インドの草の根の出身。インドの土ぼこりと炎熱のなかから生まれた」と表現しておられる。
インドの南端ケララ州の小さな村のお生まれである。長い長い間、差別されてきた最下層の出身であった。「不可触民」と呼ばれ、人間以下のごとく虐待されてきた。女性が上着を着ることも許されないところもあった。
氏は七人きょうだいの四番目。極貧であった。飢えに苦しみ、家には浴室もない。学校に片道七キロを歩いた。雨期には足首まで泥につかった。通学の長い道のりを、いつも何か読みながら歩いた。本が買えないので、目に触れる新聞や本を片っぱしから読んでは、メモを取った。
勉強好きのナラヤナン少年を応援して、兄や姉は小学校通学をあきらめた。それでも学費が払えず、罰として立たされた。そんな屈辱にも負けないで、少年は教室の外から授業を懸命に聞いた。
「いやぁ、外交官は図々しくないとできないんで、子どものころ、人前で立たされるのは、いい訓練だったんですよ」
大統領にかかると、苦労話まで明るくなる。強い方である。幼少時代の話をされることは、ほとんどないようだが、大統領の胸深くには、虐げられてきた人たちへの思いが、活火山のごとく燃えている。東京での語らいの後、氏は広島での国際会議で、こう心情を語っておられた。
「人類に必要なのは『同苦する心』です。世界のどこであれ、残虐な行為、悲しいできごとを見たならば、『もしかしたら自分が、そういう被害者になったかもしれない』と、人を思いやる心です。そういう心をもった人間を育てる教育が大切なのです」
そして、ガンジーのあの有名な言葉を引かれたのである。
「世界中のすべての瞳から、すべての涙をぬぐい去りたい」
人類のだれかの苦しみは、わが苦しみである――指導者が皆、この心を持たなければならないと。
私は、わが恩師が「この世から『悲惨』の二字をなくしたいのだ」と言われた声を思い出す。
ガンジーは不可触民制度を、心から憎んだ。「これは悪魔がつくったものだ」と糾弾し、不可触民を「ハリジャン(神の子)」と呼んで愛した。
そして「私は生まれ変わりたいとは思わないが、もしも生まれるならば不可触民に生まれて、彼らの苦しみ、悲しみ、屈辱を一緒に味わいたい」と言っていた。
ナラヤナン少年は、ガンジーがつくった「ハリジャン奨学金」をもらって勉強を続けた。苦労して苦労して、大学もトップで卒業。ずば抜けて優秀だったが、出身ゆえか、思うような職は得られなかった。
故郷を離れて、ジャーナリストに。記者時代のハイライトは、ガンジーへのインタビューであった。
緊張しきって訪ねると、タイミング悪く、昼食中。しかも、部屋にはインドのほとんどの首脳が集まっていた。そのうえ、ガンジーは「沈黙の日」で口をきかない。しかし、マハトマは、一介の新米記者の質問に、快く書面で答えてくれたのである。
帰ろうとして部屋を出ると、人から呼び止められた。ガンジーから「あの青年に昼食を食べさせてあげなさい」との話があったというのである。衝撃が体を貫いた。
ガンジーは「痩せて空腹そうな青年」が質問している間、自分が昼食を食べていたことを申しわけなく思ったに違いない。
何という思いやり! 質問への立派な答えよりも、この「心」こそが、きょうの最高の収穫だ!
幼いころから、いつも侮辱されてきただけに、青年は人の心にあまりにも敏感であった。「僕は忘れない。このマハトマの優しさを。一生涯、忘れない!」。青年は二十四歳であった。
それから半世紀後、この青年がインド大統領になるとは、だれが想像しただろうか。
◇ ◇ ◇
大統領に会うと、いつも青年の話になる。青年時代の自分を大切にしてくれたガンジー、ネルーへの恩返しの思いもあるのだろうか、青年の成長を、いつも案じておられる。
就任式でのスピーチでも、国の指導層が汚職などしていては、青年たちが「冷笑や無関心」におちいるのは当然である。自分の利益など、かなぐり捨てて、青年たちの「よき手本」にならなければ、国の未来は危ういと、断固として訴えられたのである。
そして就任式の冒頭に、大統領が口にしたのは、忘れ得ぬあの言葉であった。
「私には今、聞こえます! 国父ガンジーの声が。『すべての瞳から、すべての涙をぬぐい去りたい』を悲願に生きた人の、あの声が!」と。
大統領にとって、政治家とは、指導者とは、弱い立場の庶民のため、虐げられた人々のためならば、わが生命をも差し出す人の異名なのである。
インドのナラヤナン大統領とは不思議なご縁であった。
私が、名門ネルー大学を訪問したとき、中心になって歓迎してくださったのが、当時、大学の副総長であった大統領なのである。
一九七九年(昭和五十四年)の二月。「今日は『一日教授』でいてください」。にこやかに言われる副総長に、「いや『一日学生』です」と答えると、副総長は破顔一笑。飾らない、温かな人柄が笑顔からにじみ出た。
「さくらさくら」「春が来た」。日本語を学ぶ女子学生四人が、美しい発音で歌ってくださった。会場に手拍子が広がる。
私が「あの四人の学生さんには、最高の成績をつけてあげてください」と、教授陣に「緊急提案」すると、副総長も学生たちと一緒に手を打って笑っておられた。
ある男子学生が手を挙げて、私に質問があるという。聞けば、創価学会を研究して博士号を取ろうとしているとのこと。すかさず副総長が「彼にとっては池田会長が“研究対象”なのです。どうぞ、よろしく!」。
人間味豊かな、優しさ。頭脳の回転の速さ。副総長に就任して、まもないとのことであった。
◇ ◇ ◇
大統領は、自分のことを「インドの草の根の出身。インドの土ぼこりと炎熱のなかから生まれた」と表現しておられる。
インドの南端ケララ州の小さな村のお生まれである。長い長い間、差別されてきた最下層の出身であった。「不可触民」と呼ばれ、人間以下のごとく虐待されてきた。女性が上着を着ることも許されないところもあった。
氏は七人きょうだいの四番目。極貧であった。飢えに苦しみ、家には浴室もない。学校に片道七キロを歩いた。雨期には足首まで泥につかった。通学の長い道のりを、いつも何か読みながら歩いた。本が買えないので、目に触れる新聞や本を片っぱしから読んでは、メモを取った。
勉強好きのナラヤナン少年を応援して、兄や姉は小学校通学をあきらめた。それでも学費が払えず、罰として立たされた。そんな屈辱にも負けないで、少年は教室の外から授業を懸命に聞いた。
「いやぁ、外交官は図々しくないとできないんで、子どものころ、人前で立たされるのは、いい訓練だったんですよ」
大統領にかかると、苦労話まで明るくなる。強い方である。幼少時代の話をされることは、ほとんどないようだが、大統領の胸深くには、虐げられてきた人たちへの思いが、活火山のごとく燃えている。東京での語らいの後、氏は広島での国際会議で、こう心情を語っておられた。
「人類に必要なのは『同苦する心』です。世界のどこであれ、残虐な行為、悲しいできごとを見たならば、『もしかしたら自分が、そういう被害者になったかもしれない』と、人を思いやる心です。そういう心をもった人間を育てる教育が大切なのです」
そして、ガンジーのあの有名な言葉を引かれたのである。
「世界中のすべての瞳から、すべての涙をぬぐい去りたい」
人類のだれかの苦しみは、わが苦しみである――指導者が皆、この心を持たなければならないと。
私は、わが恩師が「この世から『悲惨』の二字をなくしたいのだ」と言われた声を思い出す。
ガンジーは不可触民制度を、心から憎んだ。「これは悪魔がつくったものだ」と糾弾し、不可触民を「ハリジャン(神の子)」と呼んで愛した。
そして「私は生まれ変わりたいとは思わないが、もしも生まれるならば不可触民に生まれて、彼らの苦しみ、悲しみ、屈辱を一緒に味わいたい」と言っていた。
ナラヤナン少年は、ガンジーがつくった「ハリジャン奨学金」をもらって勉強を続けた。苦労して苦労して、大学もトップで卒業。ずば抜けて優秀だったが、出身ゆえか、思うような職は得られなかった。
故郷を離れて、ジャーナリストに。記者時代のハイライトは、ガンジーへのインタビューであった。
緊張しきって訪ねると、タイミング悪く、昼食中。しかも、部屋にはインドのほとんどの首脳が集まっていた。そのうえ、ガンジーは「沈黙の日」で口をきかない。しかし、マハトマは、一介の新米記者の質問に、快く書面で答えてくれたのである。
帰ろうとして部屋を出ると、人から呼び止められた。ガンジーから「あの青年に昼食を食べさせてあげなさい」との話があったというのである。衝撃が体を貫いた。
ガンジーは「痩せて空腹そうな青年」が質問している間、自分が昼食を食べていたことを申しわけなく思ったに違いない。
何という思いやり! 質問への立派な答えよりも、この「心」こそが、きょうの最高の収穫だ!
幼いころから、いつも侮辱されてきただけに、青年は人の心にあまりにも敏感であった。「僕は忘れない。このマハトマの優しさを。一生涯、忘れない!」。青年は二十四歳であった。
それから半世紀後、この青年がインド大統領になるとは、だれが想像しただろうか。
◇ ◇ ◇
大統領に会うと、いつも青年の話になる。青年時代の自分を大切にしてくれたガンジー、ネルーへの恩返しの思いもあるのだろうか、青年の成長を、いつも案じておられる。
就任式でのスピーチでも、国の指導層が汚職などしていては、青年たちが「冷笑や無関心」におちいるのは当然である。自分の利益など、かなぐり捨てて、青年たちの「よき手本」にならなければ、国の未来は危ういと、断固として訴えられたのである。
そして就任式の冒頭に、大統領が口にしたのは、忘れ得ぬあの言葉であった。
「私には今、聞こえます! 国父ガンジーの声が。『すべての瞳から、すべての涙をぬぐい去りたい』を悲願に生きた人の、あの声が!」と。
大統領にとって、政治家とは、指導者とは、弱い立場の庶民のため、虐げられた人々のためならば、わが生命をも差し出す人の異名なのである。
コチェリル・ラーマン・ナラヤナン 1920年~2005年。インド南部ケララ州の最下層の家に生まれる。貧困と差別のなかで苦学を重ね、同州のトラバンコール大学を首席で卒業。ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで最優秀の成績を収め、帰国する。ネルー首相に見いだされ、インド外務省へ。タイ、トルコ、中国、アメリカ大使などを歴任。ネルー大学の副総長などを務めた後、下院議員に当選を果たす。外相、副大統領等を経て、1997年から大統領を務めた。
コチェリル・ラーマン・ナラヤナン 1920年~2005年。インド南部ケララ州の最下層の家に生まれる。貧困と差別のなかで苦学を重ね、同州のトラバンコール大学を首席で卒業。ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで最優秀の成績を収め、帰国する。ネルー首相に見いだされ、インド外務省へ。タイ、トルコ、中国、アメリカ大使などを歴任。ネルー大学の副総長などを務めた後、下院議員に当選を果たす。外相、副大統領等を経て、1997年から大統領を務めた。
聖教新聞本社(当時)で会見を終えた、池田先生とナラヤナン元大統領がロビーへ(2004年10月23日)
聖教新聞本社(当時)で会見を終えた、池田先生とナラヤナン元大統領がロビーへ(2004年10月23日)
交流の足跡
交流の足跡
池田先生とナラヤナン氏が初めて出会ったのは1979年2月9日、インドのネルー大学で行われた図書贈呈式である。
当時、氏は同大学の副総長を務めていた。両者は副総長室で語らった後、贈呈式が行われる会議室へと向かった。氏は「学生たちには、学べぬインドの民衆のために尽くしてほしいというのが私の願いです」と語った。
氏は「カースト」という身分階級制度の外に置かれた最下層の出身。少年時代から貧困や差別と戦ってきた。とことん苦労してきたがゆえに、政治家になった後も、その心は常に最も苦しんでいる人の側にあった。それは、先生の信念とも深く共鳴するものだった。
再会は16年後の95年12月3日。副大統領として来日する氏から書簡が寄せられ、会見が実現した。旧・聖教新聞本社での語らいで、氏は述べた。「私がうれしいのは、池田SGI会長に続く多くの青年がいることです。会長の影響が、若い世代に及んでいることは素晴らしいことです」
会見が終わりに近づいた頃、氏は「インドでお会いできることを楽しみにしています」と望んだ。
その希望が実現したのが、97年10月22日。3カ月前に大統領に就任した氏を、先生はデリーの大統領府に表敬した。
会見の席上、先生は長編詩「悠久なるインド 新世紀の夜明け」を手渡した。氏は「ありがとうございます。池田会長は偉大な思想家であり、著作家であり、詩人です。私はいつも、池田会長の著作を熟読しているのです」と応じた。
先生は氏の大統領就任演説に触れ、「世界が学ぶべきスピーチでした」と。氏は「池田会長の著作を読んで、そこからアイデアを引き出しているのです」と答えた。
会見の結び、今度は先生が切り出した。「大統領も、ぜひまた日本に来ていただきたい。できれば創価大学でも歓迎させていただきたいと願っています」
最後の語らいは、この提案に氏が応える形となった。2004年10月23日、氏は創価大学を訪問。その折、創大の「名誉博士号」が授与された。
謝辞で氏は、「平和を確立するには対話が最も有効な手段であると訴えているのが、池田博士です。私は博士から学んでいるのです」と力を込め、こう述べた。
「本日のこの式典は、池田博士が推進してこられた方法で世界に平和を確立していく、そして、そのために日本とインド、創価大学が手を携えて進んでいくとの『誓いの場』であると捉えています」
その後、旧・聖教新聞本社に赴いた氏を、先生が青年・未来部員と共に歓迎した。84歳の誕生日が近かった氏のために、富士少年希望少女合唱団は「ハッピー・バースデー・トゥ・ユー!」と歌った。
先生が「まもなく誕生日ですね。おめでとうございます。たしか……37歳!」とユーモアを込めると、氏は「そうだといいのですが!」と笑顔を浮かべた。
先生は会見で、前々年の02年7月、大統領の任期を終えるに当たり、氏がインドの議会でスピーチした「民主主義の本質は、民衆の幸福に尽くすことである」との言葉に触れ、民主主義への貢献を最大にたたえた。
「世界中のすべての瞳から、すべての涙をぬぐい去りたい」とのガンジーの言葉を、いつも心に抱いたナラヤナン氏。「この世から『悲惨』の二字をなくしたい」との戸田先生の叫びを、自らの誓いとした池田先生。二人の信念は、今も世界を平和へと導く指標である。
池田先生とナラヤナン氏が初めて出会ったのは1979年2月9日、インドのネルー大学で行われた図書贈呈式である。
当時、氏は同大学の副総長を務めていた。両者は副総長室で語らった後、贈呈式が行われる会議室へと向かった。氏は「学生たちには、学べぬインドの民衆のために尽くしてほしいというのが私の願いです」と語った。
氏は「カースト」という身分階級制度の外に置かれた最下層の出身。少年時代から貧困や差別と戦ってきた。とことん苦労してきたがゆえに、政治家になった後も、その心は常に最も苦しんでいる人の側にあった。それは、先生の信念とも深く共鳴するものだった。
再会は16年後の95年12月3日。副大統領として来日する氏から書簡が寄せられ、会見が実現した。旧・聖教新聞本社での語らいで、氏は述べた。「私がうれしいのは、池田SGI会長に続く多くの青年がいることです。会長の影響が、若い世代に及んでいることは素晴らしいことです」
会見が終わりに近づいた頃、氏は「インドでお会いできることを楽しみにしています」と望んだ。
その希望が実現したのが、97年10月22日。3カ月前に大統領に就任した氏を、先生はデリーの大統領府に表敬した。
会見の席上、先生は長編詩「悠久なるインド 新世紀の夜明け」を手渡した。氏は「ありがとうございます。池田会長は偉大な思想家であり、著作家であり、詩人です。私はいつも、池田会長の著作を熟読しているのです」と応じた。
先生は氏の大統領就任演説に触れ、「世界が学ぶべきスピーチでした」と。氏は「池田会長の著作を読んで、そこからアイデアを引き出しているのです」と答えた。
会見の結び、今度は先生が切り出した。「大統領も、ぜひまた日本に来ていただきたい。できれば創価大学でも歓迎させていただきたいと願っています」
最後の語らいは、この提案に氏が応える形となった。2004年10月23日、氏は創価大学を訪問。その折、創大の「名誉博士号」が授与された。
謝辞で氏は、「平和を確立するには対話が最も有効な手段であると訴えているのが、池田博士です。私は博士から学んでいるのです」と力を込め、こう述べた。
「本日のこの式典は、池田博士が推進してこられた方法で世界に平和を確立していく、そして、そのために日本とインド、創価大学が手を携えて進んでいくとの『誓いの場』であると捉えています」
その後、旧・聖教新聞本社に赴いた氏を、先生が青年・未来部員と共に歓迎した。84歳の誕生日が近かった氏のために、富士少年希望少女合唱団は「ハッピー・バースデー・トゥ・ユー!」と歌った。
先生が「まもなく誕生日ですね。おめでとうございます。たしか……37歳!」とユーモアを込めると、氏は「そうだといいのですが!」と笑顔を浮かべた。
先生は会見で、前々年の02年7月、大統領の任期を終えるに当たり、氏がインドの議会でスピーチした「民主主義の本質は、民衆の幸福に尽くすことである」との言葉に触れ、民主主義への貢献を最大にたたえた。
「世界中のすべての瞳から、すべての涙をぬぐい去りたい」とのガンジーの言葉を、いつも心に抱いたナラヤナン氏。「この世から『悲惨』の二字をなくしたい」との戸田先生の叫びを、自らの誓いとした池田先生。二人の信念は、今も世界を平和へと導く指標である。