植樹のボランティア活動に携わる青年部員がいる。土砂崩れのあった森の復活や防災林の再生のために苗木を植え、その後は枝打ちや草刈りといった育樹をするという▼始めた理由を尋ねると彼は答えた。「以前は家庭ゴミを出すにも分別ルールを守らないような人間だった。そんな“今さえ、自分さえ良ければ、それでいい”と考える自身を本気で変えたくて、未来の誰かのために役立つことを始めました」▼「今」や「自分」を良くしたいとの思考は正しい。ただ、それは“今以外、自分以外はどうでもいい”ということにはならない。「今を精いっぱいに生きる人」は過去や未来にも、「自分を大切にする人」は他者にも心を配れるものだ▼仏法の智慧に照らせば“今さえ良ければいい”という近視眼的なものの見方は刹那主義であり、生命の永遠性を否定している。また“自分さえ良ければいい”という安易な利己主義は「自他共の幸福」とは相いれず、結局、自分の幸福さえ築けない▼先の彼はこうも言った。「“今さえ、自分さえ良ければ”って、結局“目の前の現実や自分”と格闘することから逃げていたんですよね」。境涯革命を果たす生き方が「今」を変え、「未来の真の幸福」を開いていく。(代)
植樹のボランティア活動に携わる青年部員がいる。土砂崩れのあった森の復活や防災林の再生のために苗木を植え、その後は枝打ちや草刈りといった育樹をするという▼始めた理由を尋ねると彼は答えた。「以前は家庭ゴミを出すにも分別ルールを守らないような人間だった。そんな“今さえ、自分さえ良ければ、それでいい”と考える自身を本気で変えたくて、未来の誰かのために役立つことを始めました」▼「今」や「自分」を良くしたいとの思考は正しい。ただ、それは“今以外、自分以外はどうでもいい”ということにはならない。「今を精いっぱいに生きる人」は過去や未来にも、「自分を大切にする人」は他者にも心を配れるものだ▼仏法の智慧に照らせば“今さえ良ければいい”という近視眼的なものの見方は刹那主義であり、生命の永遠性を否定している。また“自分さえ良ければいい”という安易な利己主義は「自他共の幸福」とは相いれず、結局、自分の幸福さえ築けない▼先の彼はこうも言った。「“今さえ、自分さえ良ければ”って、結局“目の前の現実や自分”と格闘することから逃げていたんですよね」。境涯革命を果たす生き方が「今」を変え、「未来の真の幸福」を開いていく。(代)