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〈世界を結ぶ対話録〉第1回 池田先生がつづる アメリカ元国務長官 ヘンリー・A・キッシンジャー博士 2025年1月20日

  • 平和への「永遠の努力」を

 人間の心と心に友情の橋を架けるのは、胸襟を開いた対話である。池田先生は、あらゆる差異を超え、世界の指導者・識者と、人類の未来について語り合い、平和の潮流を広げてきた。新連載「世界を結ぶ対話録」は、先生が出会いを刻んだ人物について記した文章と共に、その交流の足跡を紹介していく。第1回は、アメリカ元国務長官のヘンリー・A・キッシンジャー博士を掲載する。

国務長官の執務室で行われた二人の初会見(1975年1月13日、アメリカ・ワシントンで)
国務長官の執務室で行われた二人の初会見(1975年1月13日、アメリカ・ワシントンで)

 何度も語りあった古き友人でも、忘れがたいのは、やはり初対面の思い出である。
 キッシンジャー博士を、ワシントンの国務省に訪ねたのは、一九七五年の一月であった。
 朝から小雪がちらついていた。国務省付近の木々も、枝を白く装っている。七階の国務長官執務室に案内された。
 ドアを開けると、キッシンジャー長官が、立って待っていてくださった。にこにこと私に笑いかけ、どうぞどうぞと、窓ぎわのソファに導いてくださる。長官は隣の椅子に座った。
 かなり大きな部屋に、通訳の方と私の三人だけである。
 お会いする何年も前から、長官とは何回か書簡のやり取りがあった。ベトナム戦争和平について、私なりの提案も送った。
 そうしたなか、長官から「訪米の際には、立ち寄ってほしい」との連絡を受けての表敬訪問であった。
 もとより私は政治家でもなければ、外交の専門家でもない。切実に平和を願う一民間人としての語らいであったことは言うまでもない。
 しかし、考えてみれば、平和の専門家などいるのであろうか。
 特に、核時代にあっては、平和は人類すべてにとって、「わが身のこと」であるはずだ。
 冷戦の激しかったころ、「第三次世界大戦」の可能性さえ、杞憂と断言できる人はいなかったはずである。

池田先生がキッシンジャー博士を聖教新聞本社(当時)に迎える(1986年9月4日)。会見は前日に続いて2日間で6時間。多岐にわたるテーマで語り合った
池田先生がキッシンジャー博士を聖教新聞本社(当時)に迎える(1986年9月4日)。会見は前日に続いて2日間で6時間。多岐にわたるテーマで語り合った

 ――博士は十五歳の時、ドイツからニューヨークに、一家をあげて、やってきた。一九三八年である。ヒトラー政権下、ユダヤ人迫害は日に日に激しくなっていた。
 父母と弟が一緒だった。財産の国外持ち出しは禁じられ、着のみ着のままである。後に博士は、私に語ってくださった。
 「若くして私が悟ったことがあります。幼いころ、私たち一家はすべてを放棄して故国ドイツを出なければならなかったので、人生において、財産や社会的地位は、はかないものだと知ることができました。
 その結果、『自分が心から信ずることを、毎年必ず実行すべきである』との信念をもつにいたりました。もし結果が悪かったとしても、少なくとも『自分として、なすべきことはやりきった』という実感が残ります」
 教師であった父君は、アメリカでは教職につけず、工場の帳簿係になった。薄給であった。しかも大恐慌時代である。家計は苦しく、キッシンジャー少年は、昼間は髭剃り用ブラシの会社で働き、夜学に通った。
 ドイツに残った親族のうち、十三人もが強制収容所で亡くなったという。少年時代の原体験は博士に、人間のもつ邪悪と野蛮を骨身に徹して教えたに違いない。

聖教新聞本社(当時)での会見を終え、キッシンジャー博士を見送る池田先生(1988年7月13日)
聖教新聞本社(当時)での会見を終え、キッシンジャー博士を見送る池田先生(1988年7月13日)

 博士は「冷徹な現実主義者」として知られ、「理想主義者」の対極のごとく描かれることも多い。しかし、ことは、そう簡単ではない。理想なき現実主義とは、近視眼の「現状追随」にほかならない。その結果、現実をリードするよりも、現実に引きずられる結果になりかねない。
 反対に、現実の冷酷さに目をつぶる理想主義は、理想というよりも空想であろう。いわば遠視眼の病である。近視眼でも遠視眼でもなく、正視眼でなければならない。必要なのは「新しい現実」を生み出すことであり、「世界は変えられる」という希望を示すことだからである。それを実現した博士が語っておられた。
 「どんな偉大な事業も、はじめは、すべて『夢』にすぎなかったのです。だから必要なのは勇気です。前人未到の道を一人征くには、勇気が必要なのです。真に新しいものは、何ごとであれ、人々の不評を買うものです。だから勇気が必要なのです」
 こう言われたこともある。
 「私は自分に宗教心があるとは思いません。しかし私は、人間が理解できないさまざまな力の存在を信じていますし、本質的に不可知の部分があることも信じています。したがって、人間は常に、畏敬の念と謙虚さをもつ必要があるのです。
 そうした尊敬の念がなければ、国家権力の執行にも歯止めがなくなります。産業社会の結合力も失われ、人間の個性が真に認識されることもないでしょう」
 多くの世評には表れない“人間キッシンジャー”の奥行きを示す発言として、私の心に残っている。
 ◆ ◆ ◆ 
 ともあれ、いかなる未来も、これから「どうなるか」ではなく、「どうするか」である。
 博士とは、カントの『永遠平和のために』も語りあったが、カントの言うように、永遠平和のためには、その終極の目標に向かって、「限りなく前進を続ける」以外にない。
 「永遠の平和」のためには、「永遠の努力」以外に道はないのである。
 “これでよし”と、ひとたび油断したとたんに、危機は訪れるであろう。
 だからこそ青年に「限りなき前進」を継いでもらうしかない。
 博士も、こう言われていた。
 「青年は、自分より大きなことに挑戦すべきです。私たちの世界を『過激で残酷な人々』の手に渡すことのないよう、彼らがやりたい放題のことができるような状況をつくらないよう、青年は献身的に努力すべきなのです!」

〈『私の世界交友録Ⅱ』読売新聞社(『池田大作全集』第122巻所収)から〉

 ヘンリー・A・キッシンジャー 1923年、ドイツ生まれ。ナチスによるユダヤ人迫害を逃れ、38年に渡米。戦後、ハーバード大学で外交を学び、同大学の教授を務める。69年、アメリカの国家安全保障担当補佐官に就任。73年から国務長官を兼務した。中国との和解、米ソの緊張緩和、ベトナムや中東の和平への貢献などに成果を上げ、冷戦時代の外交史に一時代を築く。73年、ノーベル平和賞を受賞。2023年死去。

交流の足跡
キッシンジャー博士が創価大学名誉学位記贈呈を記念して講演を(1987年9月12日、東京・八王子の創価大学で)
キッシンジャー博士が創価大学名誉学位記贈呈を記念して講演を(1987年9月12日、東京・八王子の創価大学で)

 半世紀前の1975年1月13日、キッシンジャー博士と池田先生はアメリカで初めて対談した。博士は尋ねた。
 「率直にお伺いしますが、あなたたちは、世界のどこの勢力を支持しようとお考えですか」
 前年の74年、先生はソ連、中国を相次ぎ訪問。コスイギン首相、周恩来総理と語らった。先生がいかなる信念・思想で動いているのかを見極めようとする、博士の短いが鋭い質問だった。
 先生は即座に答えた。
 「私たちは、東西両陣営のいずれかにくみするものではありません。中国に味方するわけでも、ソ連に味方するわけでも、アメリカに味方するわけでもありません。私たちは、平和勢力です。人類に味方します」
 博士の顔に微笑が浮かぶ。会見を終える時、博士は言った。
 「また、友人としてお会いしたい。これからも連携を取り合いましょう」
 2度目の語らいは、4年後の79年4月16日。第1次宗門事件の嵐が吹き荒れている真っただ中だった。先生は、東京・渋谷区の国際友好会館(当時)に博士を迎えた。
 青少年に伝え残すべきことや世界の諸情勢など、テーマは多岐にわたった。先生が、平和には裏づけとなる哲学・思想・宗教が必要不可欠であると述べると、博士は全面的に同意した。
 その後も、両者は語り合った。86年9月には、3日と4日の2日間、計6時間にわたって対談。これに往復書簡も交え、翌87年9月に、対談集『「平和」と「人生」と「哲学」を語る』として刊行された。
 この87年9月、先生と博士は創価大学で行われた東京・足立の青年平和文化祭を観賞。先生は演技に合わせ、共に踊るように全身でリズムを刻む。青年を愛する先生の姿を博士は、ほほ笑み見つめた。
 フィナーレの後、先生は呼びかけた。「創価大学に『周桜』と並んで『キッシンジャー桜』を植えたいが、どうだろう」。賛同の拍手が会場を包んだ。
 最後となった8度目の語らいは96年6月17日。同年2月、キューバが米民間機を撃墜し、両国関係は悪化していた。先生は、キューバでカストロ国家評議会議長と会う予定だった。博士は、ニューヨークに滞在中の先生を訪ねた。
 博士は関係の改善を願い、先生のキューバ訪問に強い期待を寄せた。別れ際、先生は言った。「創価大学に植えた桜も大きくなりました」。博士の表情が和らいだ。その後、キューバを訪問した先生は、カストロ議長との会見の場で、博士の真情を伝えた。
 2002年7月25日、ニューヨークで米国野球殿堂が主催するイベントが行われた。そこに、アメリカ各界のリーダーが集まった。博士の姿もあった。
 交歓の場に、殿堂入り選手を代表して、SGIメンバーのオーランド・セペダさんがいた。セペダさんは語った。
 「SGI、そして池田SGI会長との出会いが、私の人生を根本的に転換し、人生にもっとも大切なものである“希望”を与えてくれたのです!」
 その言葉に、博士は「池田会長は、私も大変よく知っています。氏は、仏教哲学者であり、私のもっとも大切な親友の一人です」と喜び、目を輝かせた。さらに、同席した政財界、教育界、法曹界の著名人を前に力を込めた。
 「池田氏は、素晴らしい人物であり、世界第一級の平和活動家であり、民衆の指導者です!」

池田先生とキッシンジャー博士の対談集『「平和」と「人生」と「哲学」を語る』
池田先生とキッシンジャー博士の対談集『「平和」と「人生」と「哲学」を語る』

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