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〈Seikyo Gift〉 池田先生と海洋冒険家・堀江謙一氏との交流
〈Seikyo Gift〉 池田先生と海洋冒険家・堀江謙一氏との交流
2024年11月30日
雄々しく怒濤を勝ち越えよ!
雄々しく怒濤を勝ち越えよ!
海洋冒険家の堀江謙一氏は2004年(平成16年)10月、単独無寄港の世界一周(東回り)に出発。翌年6月に帰港を果たした。氏と長年にわたって親交を重ねてきた池田大作先生は、この勇敢な挑戦に心からエールを送り、太平洋航海中の氏に、励ましの伝言をメールで届けた。今回、氏にインタビューし、当時の様子や池田先生への思いなどについて聞いた。(記事=星田剛秀、山根信明 10月13日付)
海洋冒険家の堀江謙一氏は2004年(平成16年)10月、単独無寄港の世界一周(東回り)に出発。翌年6月に帰港を果たした。氏と長年にわたって親交を重ねてきた池田大作先生は、この勇敢な挑戦に心からエールを送り、太平洋航海中の氏に、励ましの伝言をメールで届けた。今回、氏にインタビューし、当時の様子や池田先生への思いなどについて聞いた。(記事=星田剛秀、山根信明 10月13日付)
(上)海洋冒険家・堀江謙一氏(兵庫県西宮市の新西宮ヨットハーバーで)。2004年10月からの単独無寄港世界一周に使用したヨット「SUNTORYマーメイド号」は、新西宮ヨットハーバーに展示されている。(下)出発後の航海中の様子。波しぶきを舞い上げながら、ヨットは風とともに大海原を進んだ
(上)海洋冒険家・堀江謙一氏(兵庫県西宮市の新西宮ヨットハーバーで)。2004年10月からの単独無寄港世界一周に使用したヨット「SUNTORYマーメイド号」は、新西宮ヨットハーバーに展示されている。(下)出発後の航海中の様子。波しぶきを舞い上げながら、ヨットは風とともに大海原を進んだ
学会員の向上心
学会員の向上心
1962年(昭和37年)、23歳の堀江謙一氏は、日本からアメリカまで、ヨットによる太平洋の単独無寄港の横断に挑戦。世界初の成功は大きな注目を集めた。
続いて、74年(同49年)には、西回りの世界一周を成し遂げる。82年(同57年)には、縦回りの世界一周を達成。さらに2022年(令和4年)には、83歳という世界最高齢での単独無寄港の太平洋横断に成功した。
次々と新しい挑戦を重ね、ギネス世界記録に5回認定。ヨット界の“レジェンド的存在”である。
2004年(平成16年)10月1日、66歳の氏は、東回りで単独無寄港世界一周を目指し、兵庫・西宮市の新西宮ヨットハーバーを出発した。
無寄港とは、航海の途中で食料や燃料の補給を行わないことを意味する。過去にも東回りで世界一周に出発したが、途中でヨットが損傷し、断念した。
池田先生は、氏の再びの挑戦を祝福。氏は「池田先生に見守っていただきながら世界を回ることができる。これほど光栄なことはありません」と伝え、自著『太平洋ひとりぼっち』(舵社)に「池田大作先生 行って参ります」と記して贈った。
出発直後の10月3日、船上の氏に池田先生からの伝言がメールで届いた。
「堀江謙一先生へ
『平和の旅』を!
『闘争の旅』を!
『健康の旅』を!
『勝利の旅』を!
そして、『万歳の大歓声に包まれた帰港』を!
私たちは心より祈り待っております。
世界の堀江勝利王に、栄光の大航海を祈りつつ、心から敬愛のメッセージを送ります」
氏と創価学会との出合いは、聖教文化講演会の講師を務めたことがきっかけだった。1983年(昭和58年)3月、大阪での同講演会を担当。航海中のエピソードを交えての講演は好評を博し、その後、20年以上にわたり、全国各地の講演会で、講師を担当した。
「聖教文化講演会は、どの会場に行っても共通点がありました。それは参加する学会員の皆さんの向上心です。この講演で何かを学んで帰るぞという思いを強く感じました。話す側としては、その思いがとてもうれしい。
講演会を終えると、いつもスカッとした気分になりました。演台のグラスは取りやすい位置に置かれ、水を注ぐタイミングもよく考えられているなど、スタッフの気配りにも感心しました」
「2004年の航海の時、船上にいた私に、池田先生は何度も励ましの伝言をくださいました。ご連絡があるとは思っていませんから、とても驚きました。私のことを、ここまで気にかけてくださるのかと感動しました。
やりとりを通して、分かったことがあります。池田先生の誠実な振る舞いという手本を、学会員の皆さんは、いつも学んでいるからこそ、向上心にあふれ、講演会の時のスタッフのような運営ができるのだ、と」
ヨットの主な動力源は風だ。風を受けて帆を操作し、船を進めるため、航海は天候に大きく左右される。
時には、嵐で船体が激しく揺れ、転覆してしまうことも。10月の出航後、最初は好天に恵まれていたが、次第に海は荒れ始めた。数日、激しい揺れが続いた。嵐が過ぎ去った後の12日、堀江氏は先生宛てのメールを送った。
「天候も回復し、久しぶりに夜空に美しい北極星を見ました。体調も万全で、気分良く航海しています」
先生は、氏の健闘を称賛した。
「荒れ狂う怒濤を、雄々しく勝ち越えゆかれる堀江勝利王の魂を、私は心から讃え、21世紀を生きゆく青年たちに伝えたいのであります。偉大なる堀江先生の勝利は、後世の若人にとって、不動の北極星と輝きわたることでありましょう」
「大海原を航海していると、夜の天空に、満天の星が輝く時があります。海が静かで波が少ない時は、海の表面にも星が映り、美しく輝きます。それだけでなく、私が乗っているヨットのソーラーパネルにも星々が映る。
空に星。海に星。上から下まで辺り一面が星で埋め尽くされます。その景色があまりにも幻想的で、感動とともに、『順調に航海しています』と池田先生にお伝えしたことを覚えています」
1962年(昭和37年)、23歳の堀江謙一氏は、日本からアメリカまで、ヨットによる太平洋の単独無寄港の横断に挑戦。世界初の成功は大きな注目を集めた。
続いて、74年(同49年)には、西回りの世界一周を成し遂げる。82年(同57年)には、縦回りの世界一周を達成。さらに2022年(令和4年)には、83歳という世界最高齢での単独無寄港の太平洋横断に成功した。
次々と新しい挑戦を重ね、ギネス世界記録に5回認定。ヨット界の“レジェンド的存在”である。
2004年(平成16年)10月1日、66歳の氏は、東回りで単独無寄港世界一周を目指し、兵庫・西宮市の新西宮ヨットハーバーを出発した。
無寄港とは、航海の途中で食料や燃料の補給を行わないことを意味する。過去にも東回りで世界一周に出発したが、途中でヨットが損傷し、断念した。
池田先生は、氏の再びの挑戦を祝福。氏は「池田先生に見守っていただきながら世界を回ることができる。これほど光栄なことはありません」と伝え、自著『太平洋ひとりぼっち』(舵社)に「池田大作先生 行って参ります」と記して贈った。
出発直後の10月3日、船上の氏に池田先生からの伝言がメールで届いた。
「堀江謙一先生へ
『平和の旅』を!
『闘争の旅』を!
『健康の旅』を!
『勝利の旅』を!
そして、『万歳の大歓声に包まれた帰港』を!
私たちは心より祈り待っております。
世界の堀江勝利王に、栄光の大航海を祈りつつ、心から敬愛のメッセージを送ります」
氏と創価学会との出合いは、聖教文化講演会の講師を務めたことがきっかけだった。1983年(昭和58年)3月、大阪での同講演会を担当。航海中のエピソードを交えての講演は好評を博し、その後、20年以上にわたり、全国各地の講演会で、講師を担当した。
「聖教文化講演会は、どの会場に行っても共通点がありました。それは参加する学会員の皆さんの向上心です。この講演で何かを学んで帰るぞという思いを強く感じました。話す側としては、その思いがとてもうれしい。
講演会を終えると、いつもスカッとした気分になりました。演台のグラスは取りやすい位置に置かれ、水を注ぐタイミングもよく考えられているなど、スタッフの気配りにも感心しました」
「2004年の航海の時、船上にいた私に、池田先生は何度も励ましの伝言をくださいました。ご連絡があるとは思っていませんから、とても驚きました。私のことを、ここまで気にかけてくださるのかと感動しました。
やりとりを通して、分かったことがあります。池田先生の誠実な振る舞いという手本を、学会員の皆さんは、いつも学んでいるからこそ、向上心にあふれ、講演会の時のスタッフのような運営ができるのだ、と」
ヨットの主な動力源は風だ。風を受けて帆を操作し、船を進めるため、航海は天候に大きく左右される。
時には、嵐で船体が激しく揺れ、転覆してしまうことも。10月の出航後、最初は好天に恵まれていたが、次第に海は荒れ始めた。数日、激しい揺れが続いた。嵐が過ぎ去った後の12日、堀江氏は先生宛てのメールを送った。
「天候も回復し、久しぶりに夜空に美しい北極星を見ました。体調も万全で、気分良く航海しています」
先生は、氏の健闘を称賛した。
「荒れ狂う怒濤を、雄々しく勝ち越えゆかれる堀江勝利王の魂を、私は心から讃え、21世紀を生きゆく青年たちに伝えたいのであります。偉大なる堀江先生の勝利は、後世の若人にとって、不動の北極星と輝きわたることでありましょう」
「大海原を航海していると、夜の天空に、満天の星が輝く時があります。海が静かで波が少ない時は、海の表面にも星が映り、美しく輝きます。それだけでなく、私が乗っているヨットのソーラーパネルにも星々が映る。
空に星。海に星。上から下まで辺り一面が星で埋め尽くされます。その景色があまりにも幻想的で、感動とともに、『順調に航海しています』と池田先生にお伝えしたことを覚えています」
神戸の中心街とポートアイランドを結ぶ深紅の鉄橋・神戸大橋。橋の下は多くの船が行き交い、世界の物流の拠点をつなぐ(1986年6月、池田先生撮影)
神戸の中心街とポートアイランドを結ぶ深紅の鉄橋・神戸大橋。橋の下は多くの船が行き交い、世界の物流の拠点をつなぐ(1986年6月、池田先生撮影)
戦う相手は自分
戦う相手は自分
単独の航海は、常に危険と隣り合わせだ。堀江氏は失敗も経験してきた。その経験が財産となり、航海を重ねるごとに、たいていの不測の事態に落ち着いて対処できるようになった。困難に遭遇すると、「自分なら乗り越えられる」との自信がふつふつと湧き上がるという。
「人間は、誰もが恐怖を感じるものです。でも、人間は自分の恐怖を克服したいとも思っているものです。
結局、人間にとって一番やっかいなのは、自分自身です。まず、戦う相手は自分です。何かの困難にぶつかったら、この先にはもっと大変な困難があるに違いないと想像して尻込みしてしまう。自分がつくり出した世界に押しつぶされて、自分で自分の可能性を閉ざしてしまう」
「私は困難に遭った時、これまでたくさんの試練を乗り越えてきたのだから、今回も乗り越えていけると考えています。良い方向に心を向けていく。それで乗り越えてきました」
「挑戦し、行動し続けることで、新しい力が生まれてきます」
氏は高校生の時、ヨット部に所属。その魅力に圧倒された。以来70年、一つの目標を達成すると、また新たな目標を掲げ、挑戦を続けてきた。
「僕は若い時から日本新、世界新ではなく、世界初と言われることをしたかった。誰もやったことがないことに挑戦するのが一番、ワクワクしますから」
「目標に向かって、真っすぐに進めるのがベストです。しかし、現実はそううまくはいきません。ジグザグしながら進んでいく。でも、だからこそ、進むことを大切にすること。そうすれば、いずれは必ず目標に到着します。そう考えると、少しの前進でも、とても楽しくなります」
氏は現在86歳。今の目標は「100歳で太平洋を横断すること」だという。
池田先生はかつて、氏の活躍を本紙で紹介し、「若々しい心。不屈の闘志。まさに『挑戦王』である」と心からたたえた。
嵐のような困難に遭遇しても、闘志を燃え上がらせて航路を切り開く。夢に向かい、未来に向かって、一歩また一歩と忍耐強く前に進む。その不屈の歩みが、人生に勝利の航跡を描いていく。
単独の航海は、常に危険と隣り合わせだ。堀江氏は失敗も経験してきた。その経験が財産となり、航海を重ねるごとに、たいていの不測の事態に落ち着いて対処できるようになった。困難に遭遇すると、「自分なら乗り越えられる」との自信がふつふつと湧き上がるという。
「人間は、誰もが恐怖を感じるものです。でも、人間は自分の恐怖を克服したいとも思っているものです。
結局、人間にとって一番やっかいなのは、自分自身です。まず、戦う相手は自分です。何かの困難にぶつかったら、この先にはもっと大変な困難があるに違いないと想像して尻込みしてしまう。自分がつくり出した世界に押しつぶされて、自分で自分の可能性を閉ざしてしまう」
「私は困難に遭った時、これまでたくさんの試練を乗り越えてきたのだから、今回も乗り越えていけると考えています。良い方向に心を向けていく。それで乗り越えてきました」
「挑戦し、行動し続けることで、新しい力が生まれてきます」
氏は高校生の時、ヨット部に所属。その魅力に圧倒された。以来70年、一つの目標を達成すると、また新たな目標を掲げ、挑戦を続けてきた。
「僕は若い時から日本新、世界新ではなく、世界初と言われることをしたかった。誰もやったことがないことに挑戦するのが一番、ワクワクしますから」
「目標に向かって、真っすぐに進めるのがベストです。しかし、現実はそううまくはいきません。ジグザグしながら進んでいく。でも、だからこそ、進むことを大切にすること。そうすれば、いずれは必ず目標に到着します。そう考えると、少しの前進でも、とても楽しくなります」
氏は現在86歳。今の目標は「100歳で太平洋を横断すること」だという。
池田先生はかつて、氏の活躍を本紙で紹介し、「若々しい心。不屈の闘志。まさに『挑戦王』である」と心からたたえた。
嵐のような困難に遭遇しても、闘志を燃え上がらせて航路を切り開く。夢に向かい、未来に向かって、一歩また一歩と忍耐強く前に進む。その不屈の歩みが、人生に勝利の航跡を描いていく。
堀江謙一氏が聖教文化講演会で講師として登壇し、「挑戦また挑戦、夢は叶えるためにある」と題して語った(2005年10月、関西国際文化センターで)
堀江謙一氏が聖教文化講演会で講師として登壇し、「挑戦また挑戦、夢は叶えるためにある」と題して語った(2005年10月、関西国際文化センターで)
「池田大作先生 行って参ります」との献辞が記された堀江氏の著書『太平洋ひとりぼっち』
「池田大作先生 行って参ります」との献辞が記された堀江氏の著書『太平洋ひとりぼっち』