1993年2月、ブラジルSGI自然文化センターを初訪問した池田先生ご夫妻が同志を温かく激励。先生は、同センターを“友の真心に包まれた世界一の友情と哲学の園”とたたえた
1993年2月、ブラジルSGI自然文化センターを初訪問した池田先生ご夫妻が同志を温かく激励。先生は、同センターを“友の真心に包まれた世界一の友情と哲学の園”とたたえた
ブラジルSGIのミヤモト壮年部長、イノグチ婦人部長、サントス青年部長が、学会創立100周年・同国SGI発足70周年の2030年に60万人の陣列を達成しゆく誓いを力強く。西方SGI青年部長は、青年が先頭に立ち、折伏の大行進で師弟不二の大願を果たそうと語った。
シラトリ理事長は、師匠への報恩と草創の同志への感謝を胸に、次なる広布の峰へ出発しようと望んだ。
谷川SGI理事長は、ブラジル広布をさらに拡大するための鍵は、誓願の祈りと仲良き団結であると強調。永遠に師弟を根幹に、皆で励まし合い壁を破る前進をと訴えた。
最後に世界の希望合唱団、ダンスグループ「タイガ(大河)」、平和の翼鼓笛隊、タイヨウ(太陽)音楽隊の演奏とパフォーマンスに合わせ、同国SGIの愛唱歌「サウダソン・ア・センセイ(ようこそ、先生)」を全員で大合唱。歓喜と感動が冷めやらぬ中、2030年への船出を固く約し合った。
◇
「私は戸田先生の弟子です。行く、絶対に行く。もし、倒れるなら、倒れてもよいではないか!」――1960年10月19日のブラジル初訪問は、恩師に誓った世界広布を断じて実現せんとする、池田先生の不惜身命の決心によって実現した。
訪伯前、先生は滞在先のアメリカで著しく体調を崩していた。同年10月2日から始まった初の海外指導は24日間で北南米の3カ国9都市を訪れる強行軍。同行者はブラジル行きを止めたが、先生の決意はいささかも揺るがなかった。
先生は命を削る覚悟で、ニューヨークから約13時間かけてサンパウロへ。到着の翌20日には海外初の支部である「ブラジル支部」を結成し、集った友に呼びかけた。
「平和と幸福の開拓者として、どうか、私に代わって、ブラジルの広布の道を開いてください」と――。
師が託した広布の開拓。その魂は草創の父母から青年に脈々と受け継がれている。
アリネ・アユミ・マツオカさん(創価ユース・総合方面青年部長)と、ガブリエラ・ヒロミ・ヒライ・サルーンさん(同・支部副リーダー)。二人の曽祖父母は、支部結成の会合に参加した松浦壽明さん・君子さん(共に故人)である。
高知県で入会した松浦さん夫妻は、移民として海を渡り、広布開拓の汗を流した。
「過酷な環境下で信心を貫いた曽祖父母のように、この仏法で全てを乗り越えていきたい」と語るマツオカさんは建築士。昨年5月の青年部総会では、ステージのデザインなどを手がけた。
総会を準備するメンバーになった時は仕事が安定せず、将来に不安を抱いていた。しかし“今が正念場”と定め、題目根本に仕事と学会活動に奔走。大成功の総会の直後、立て続けに大きな仕事が舞い込み、信仰の功力を実感した。
マツオカさんは決意する。「ブラジル広布は私たちの使命です。“センセイと共に”との心で、幸の連帯を広げていきます!」
ヒライ・サルーンさんの夢は教員になること。先生の「最後の事業」である「教育」の分野で子どもたちの成長に尽くしたいと、日々学び続けている。
大学に通いながら企業で働いていたが、今年に入り心身の疲労が重なり退職。「苦しい時こそ心を磨こう」と真剣に祈り、支部や幼少期から所属するダンスグループ「タイガ」のメンバーへの励ましを重ねる中、以前から希望していた幼稚園の特別支援学級のインターンに選ばれた。「草創の精神を継承する生き方をしていきたい」。ヒライ・サルーンさんは瞳を輝かせる。
――4世代によって成し遂げられてきたブラジル広布の歩み。総会の開始直前、降り続いていた雨はやみ、終了後には雲間から日が差し込んだ。
それは、世界の王者ブラジルの前途を照らす希望の光に見えた。
ブラジルSGIのミヤモト壮年部長、イノグチ婦人部長、サントス青年部長が、学会創立100周年・同国SGI発足70周年の2030年に60万人の陣列を達成しゆく誓いを力強く。西方SGI青年部長は、青年が先頭に立ち、折伏の大行進で師弟不二の大願を果たそうと語った。
シラトリ理事長は、師匠への報恩と草創の同志への感謝を胸に、次なる広布の峰へ出発しようと望んだ。
谷川SGI理事長は、ブラジル広布をさらに拡大するための鍵は、誓願の祈りと仲良き団結であると強調。永遠に師弟を根幹に、皆で励まし合い壁を破る前進をと訴えた。
最後に世界の希望合唱団、ダンスグループ「タイガ(大河)」、平和の翼鼓笛隊、タイヨウ(太陽)音楽隊の演奏とパフォーマンスに合わせ、同国SGIの愛唱歌「サウダソン・ア・センセイ(ようこそ、先生)」を全員で大合唱。歓喜と感動が冷めやらぬ中、2030年への船出を固く約し合った。
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「私は戸田先生の弟子です。行く、絶対に行く。もし、倒れるなら、倒れてもよいではないか!」――1960年10月19日のブラジル初訪問は、恩師に誓った世界広布を断じて実現せんとする、池田先生の不惜身命の決心によって実現した。
訪伯前、先生は滞在先のアメリカで著しく体調を崩していた。同年10月2日から始まった初の海外指導は24日間で北南米の3カ国9都市を訪れる強行軍。同行者はブラジル行きを止めたが、先生の決意はいささかも揺るがなかった。
先生は命を削る覚悟で、ニューヨークから約13時間かけてサンパウロへ。到着の翌20日には海外初の支部である「ブラジル支部」を結成し、集った友に呼びかけた。
「平和と幸福の開拓者として、どうか、私に代わって、ブラジルの広布の道を開いてください」と――。
師が託した広布の開拓。その魂は草創の父母から青年に脈々と受け継がれている。
アリネ・アユミ・マツオカさん(創価ユース・総合方面青年部長)と、ガブリエラ・ヒロミ・ヒライ・サルーンさん(同・支部副リーダー)。二人の曽祖父母は、支部結成の会合に参加した松浦壽明さん・君子さん(共に故人)である。
高知県で入会した松浦さん夫妻は、移民として海を渡り、広布開拓の汗を流した。
「過酷な環境下で信心を貫いた曽祖父母のように、この仏法で全てを乗り越えていきたい」と語るマツオカさんは建築士。昨年5月の青年部総会では、ステージのデザインなどを手がけた。
総会を準備するメンバーになった時は仕事が安定せず、将来に不安を抱いていた。しかし“今が正念場”と定め、題目根本に仕事と学会活動に奔走。大成功の総会の直後、立て続けに大きな仕事が舞い込み、信仰の功力を実感した。
マツオカさんは決意する。「ブラジル広布は私たちの使命です。“センセイと共に”との心で、幸の連帯を広げていきます!」
ヒライ・サルーンさんの夢は教員になること。先生の「最後の事業」である「教育」の分野で子どもたちの成長に尽くしたいと、日々学び続けている。
大学に通いながら企業で働いていたが、今年に入り心身の疲労が重なり退職。「苦しい時こそ心を磨こう」と真剣に祈り、支部や幼少期から所属するダンスグループ「タイガ」のメンバーへの励ましを重ねる中、以前から希望していた幼稚園の特別支援学級のインターンに選ばれた。「草創の精神を継承する生き方をしていきたい」。ヒライ・サルーンさんは瞳を輝かせる。
――4世代によって成し遂げられてきたブラジル広布の歩み。総会の開始直前、降り続いていた雨はやみ、終了後には雲間から日が差し込んだ。
それは、世界の王者ブラジルの前途を照らす希望の光に見えた。