〈子どもと学ぶ仏教説話――ミライの冒険〉 フキョウの修行
〈子どもと学ぶ仏教説話――ミライの冒険〉 フキョウの修行
2025年1月9日
創作童話「子どもと学ぶ仏教説話――ミライの冒険」では、主人公のミライが、仏教説話の世界を巡る冒険に出かけます。座談会の未来部コーナーなどでご活用ください!(イラスト 逸見チエコ)
創作童話「子どもと学ぶ仏教説話――ミライの冒険」では、主人公のミライが、仏教説話の世界を巡る冒険に出かけます。座談会の未来部コーナーなどでご活用ください!(イラスト 逸見チエコ)
どんな人も必ず輝ける
どんな人も必ず輝ける
おや、今回は、本の世界から、誰かが飛び出してきたようです。
「わっ! 誰ですか?」
ミライが、おどろいて聞くと、その人は答えました。
おや、今回は、本の世界から、誰かが飛び出してきたようです。
「わっ! 誰ですか?」
ミライが、おどろいて聞くと、その人は答えました。
「私はフキョウ。仏になる修行をしている者です」
「どんな修行をしているの?」
「どんな人にも、明るい未来はある、希望はあると伝える修行をしているのです。でも、信じない人が多くて……。ひどい時には、石を投げられたり、木の棒でたたかれたりするんです。それでも私は、修行をずっと続けてきました」
「私はフキョウ。仏になる修行をしている者です」
「どんな修行をしているの?」
「どんな人にも、明るい未来はある、希望はあると伝える修行をしているのです。でも、信じない人が多くて……。ひどい時には、石を投げられたり、木の棒でたたかれたりするんです。それでも私は、修行をずっと続けてきました」
「フキョウさん、すごいね! ミライの友達にも、ぜひ会ってほしいな」
二人が公園へ行くと、ミライの友達が、たくさんいました。
フキョウが、「願いは、かなうよ」と話すと、みんな目を輝かせています。
「フキョウさん、すごいね! ミライの友達にも、ぜひ会ってほしいな」
二人が公園へ行くと、ミライの友達が、たくさんいました。
フキョウが、「願いは、かなうよ」と話すと、みんな目を輝かせています。
「ぼくは、絵をかくのが好きだから、もっといっぱいかいて画家になる!」
「わたしは将来、博士になりたいなぁ」
「サッカー選手になる!」
「マンガ家になれるかな?」
「世界中を旅してみたい!」
――みんなの夢が止まりません。
「みんなの楽しそうな顔を見ていたら、元気が出てきたよ」
「やったー! ミライも夢を目指して、もっと頑張るね!」
フキョウは、うれしそうに、本の世界へ帰っていきました。
「ぼくは、絵をかくのが好きだから、もっといっぱいかいて画家になる!」
「わたしは将来、博士になりたいなぁ」
「サッカー選手になる!」
「マンガ家になれるかな?」
「世界中を旅してみたい!」
――みんなの夢が止まりません。
「みんなの楽しそうな顔を見ていたら、元気が出てきたよ」
「やったー! ミライも夢を目指して、もっと頑張るね!」
フキョウは、うれしそうに、本の世界へ帰っていきました。
そしてまた、いろんな世界で修行を続けたのです。
いつしか、フキョウの言葉を信じ、夢を持って、毎日を楽しく、幸せに生きる人が増えたのです。
そしてまた、いろんな世界で修行を続けたのです。
いつしか、フキョウの言葉を信じ、夢を持って、毎日を楽しく、幸せに生きる人が増えたのです。
フキョウはずっとずっと、修行を続けました。
“一人でも多く、幸せになってほしい”と、ほほえみながら。
(つづく。前回は12月12日付)
フキョウはずっとずっと、修行を続けました。
“一人でも多く、幸せになってほしい”と、ほほえみながら。
(つづく。前回は12月12日付)
今回のお話の解説
今回のお話の解説
法華経に説かれる不軽菩薩の話が、今回のお話の基になっています。
不軽菩薩は、“いかなる人にも必ず仏の生命がある”と説きながら、人々を敬い、礼拝しました。しかし、人々は信じず、むしろ“不軽の言葉はウソだ”と、誹謗中傷の言葉をぶつけたり、杖で殴ったり、石を投げたりするなど迫害します。それでも、不軽菩薩は礼拝行をやめることはありませんでした――。
池田先生は、「『不軽』すなわち『軽んじない』とは、『人を敬う』ことです。目の前の一人の生命を尊ぶからこそ、心の底から勇気を奮い起こさせ、本源的な生きる力を強く呼び覚ますことができる」「励ますことは励まされることです。人間尊敬の行動が自身の生命を鍛え、限りなく豊かにする」と。目の前の一人を大切にすれば、輝く未来が開かれていくのです。
法華経に説かれる不軽菩薩の話が、今回のお話の基になっています。
不軽菩薩は、“いかなる人にも必ず仏の生命がある”と説きながら、人々を敬い、礼拝しました。しかし、人々は信じず、むしろ“不軽の言葉はウソだ”と、誹謗中傷の言葉をぶつけたり、杖で殴ったり、石を投げたりするなど迫害します。それでも、不軽菩薩は礼拝行をやめることはありませんでした――。
池田先生は、「『不軽』すなわち『軽んじない』とは、『人を敬う』ことです。目の前の一人の生命を尊ぶからこそ、心の底から勇気を奮い起こさせ、本源的な生きる力を強く呼び覚ますことができる」「励ますことは励まされることです。人間尊敬の行動が自身の生命を鍛え、限りなく豊かにする」と。目の前の一人を大切にすれば、輝く未来が開かれていくのです。