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〈池田大作先生アルバム フォトストーリー〉 18 1983年4月16日 新潟・瓢湖を訪問
〈池田大作先生アルバム フォトストーリー〉 18 1983年4月16日 新潟・瓢湖を訪問
2026年4月3日
写真と共に、先生と我らの共戦の足跡を紹介する連載「池田大作先生アルバム Photoストーリー」。今回は1983年4月16日、新潟・阿賀野市の瓢湖を訪問し、友を激励した思い出を振り返る。
写真と共に、先生と我らの共戦の足跡を紹介する連載「池田大作先生アルバム Photoストーリー」。今回は1983年4月16日、新潟・阿賀野市の瓢湖を訪問し、友を激励した思い出を振り返る。
白鳥の渡来地として国の天然記念物に指定されている新潟の瓢湖(ひょうこ)で、池田先生が居合わせた友を抱きかかえるように励ました(1983年4月16日)
白鳥の渡来地として国の天然記念物に指定されている新潟の瓢湖(ひょうこ)で、池田先生が居合わせた友を抱きかかえるように励ました(1983年4月16日)
君らの幸をば 祈り旅せむ
君らの幸をば 祈り旅せむ
本紙の通信員が撮影した写真のページ「郷土アイ」にかつて、新潟県阿賀野市(旧・水原町)の瓢湖に飛来した白鳥が紹介されたことがある。
写真を目にした池田先生は、随筆に「『いざ、羽ばたかん!』とばかりに、大きく翼を広げた一羽の姿が印象的であった」と記した。
白鳥の渡来地として名高い瓢湖。元は江戸時代に造られた用水池だった。殺生禁制の池で、明治以降も慣例的に狩猟を禁じてきたため、水鳥の楽園となった。国の天然記念物に指定されており、ラムサール条約登録湿地でもある。
瓢湖は先生の思い出の地だ。訪問は3回。初の足跡が刻まれたのは、1968年3月11日である。先生は湖のほとりを散策した後、新潟市内で行われる懇談の場へ。会場の外には“ひと目だけでも先生にお会いしたい”と、水原広布を切り開いた草創の友が駆けつけていた。
師の来訪を知った友は、湖にも足を運んでいた。しかし、先生が出発した後だった。懇談終了後、先生を乗せた車が友の前で止まった。先生は“必ずまた行くよ。今度来るときは皆に会うよ。信心だけは見失ってはいけないよ”と励ました。
2回目の訪問は71年5月16日。一羽の白鳥が雛鳥を連れて、水面を静かに泳いでいた。先生は持っていたカメラを向けた。訪問前、新潟、富山、石川の各地から集った約2600人の友との記念撮影に臨んでいた。全精魂を尽くした激励の中での“自然との対話”だった。
3回目の訪問は83年4月16日。夜来の雨は上がり、春霞の中、湖畔の桜が美しく輝いていた。
先生が車から降りると、「お待ちしておりました」と弾む声がした。湖畔には、師の来訪を待つ十数人の地元の同志がいた。68年の最初の訪問で励ました友との再会もあった。
先生は歩み寄ると、「記念撮影をしましょう!」と。メンバーが集まり、シャッターが切られる。先生の「皆さん、いい顔で撮れていますよ」との一言に笑いが広がった。
その後、先生は湖畔を歩きながら、集まってきた友と次々と記念のカメラに納まり、励ましを送った。未来部員には「創価大学にいらっしゃい」と声をかけ、多宝の友には「健康でいるんだよ。僕も祈るから、おばあちゃんも祈るんだよ」と、何度も両手で頰をなでた。
感動に彩られた交流。その模様を本紙は「白鳥の湖での美しい出会いは、名誉会長訪問に対する、新潟の友のすべての喜びが凝縮されているようであった」と報じた。
この3回目の訪問の折、先生は詠んだ。
美しき 心で
瓢湖を守りける
君らの幸をば
祈り旅せむ
その後、傷ついた白鳥のための“保護収容舎”や、白鳥が羽を休めるための“休養島”が寄贈された。自然を愛し、守ろうとする師の心は、世代を超えて若人たちに受け継がれている。
本紙の通信員が撮影した写真のページ「郷土アイ」にかつて、新潟県阿賀野市(旧・水原町)の瓢湖に飛来した白鳥が紹介されたことがある。
写真を目にした池田先生は、随筆に「『いざ、羽ばたかん!』とばかりに、大きく翼を広げた一羽の姿が印象的であった」と記した。
白鳥の渡来地として名高い瓢湖。元は江戸時代に造られた用水池だった。殺生禁制の池で、明治以降も慣例的に狩猟を禁じてきたため、水鳥の楽園となった。国の天然記念物に指定されており、ラムサール条約登録湿地でもある。
瓢湖は先生の思い出の地だ。訪問は3回。初の足跡が刻まれたのは、1968年3月11日である。先生は湖のほとりを散策した後、新潟市内で行われる懇談の場へ。会場の外には“ひと目だけでも先生にお会いしたい”と、水原広布を切り開いた草創の友が駆けつけていた。
師の来訪を知った友は、湖にも足を運んでいた。しかし、先生が出発した後だった。懇談終了後、先生を乗せた車が友の前で止まった。先生は“必ずまた行くよ。今度来るときは皆に会うよ。信心だけは見失ってはいけないよ”と励ました。
2回目の訪問は71年5月16日。一羽の白鳥が雛鳥を連れて、水面を静かに泳いでいた。先生は持っていたカメラを向けた。訪問前、新潟、富山、石川の各地から集った約2600人の友との記念撮影に臨んでいた。全精魂を尽くした激励の中での“自然との対話”だった。
3回目の訪問は83年4月16日。夜来の雨は上がり、春霞の中、湖畔の桜が美しく輝いていた。
先生が車から降りると、「お待ちしておりました」と弾む声がした。湖畔には、師の来訪を待つ十数人の地元の同志がいた。68年の最初の訪問で励ました友との再会もあった。
先生は歩み寄ると、「記念撮影をしましょう!」と。メンバーが集まり、シャッターが切られる。先生の「皆さん、いい顔で撮れていますよ」との一言に笑いが広がった。
その後、先生は湖畔を歩きながら、集まってきた友と次々と記念のカメラに納まり、励ましを送った。未来部員には「創価大学にいらっしゃい」と声をかけ、多宝の友には「健康でいるんだよ。僕も祈るから、おばあちゃんも祈るんだよ」と、何度も両手で頰をなでた。
感動に彩られた交流。その模様を本紙は「白鳥の湖での美しい出会いは、名誉会長訪問に対する、新潟の友のすべての喜びが凝縮されているようであった」と報じた。
この3回目の訪問の折、先生は詠んだ。
美しき 心で
瓢湖を守りける
君らの幸をば
祈り旅せむ
その後、傷ついた白鳥のための“保護収容舎”や、白鳥が羽を休めるための“休養島”が寄贈された。自然を愛し、守ろうとする師の心は、世代を超えて若人たちに受け継がれている。