〈ブラボーわが人生 信仰体験〉第168回 94歳 荒波と戦った男の姿
    〈ブラボーわが人生 信仰体験〉第168回 94歳 荒波と戦った男の姿
    
    
    
    2025年11月1日
  
  
    
    
      
        - 「魚の方から網にどんどん入ってくる」
 
      
    
    
      
        - 「魚の方から網にどんどん入ってくる」
 
      
    
  
  
  
  
  
    
    
      
        
          
            
              
              
              
           
          
          
            
              
                オホーツク海に網を打ち続けた元漁師・浅利義信さん
                
                
              
            
            
              
                オホーツク海に網を打ち続けた元漁師・浅利義信さん
                
                
              
            
          
         
       
     
  
  
  
      
 【北海道枝幸町】部屋のソファに身を委ね、波が白く立つ海を見つめていた。深いしわの刻まれた顔に、潮風の記憶が残る。
 「人生の厳しさを、海に教えてもらったようなもんだね」
 元漁師の浅利義信さん(94)=地区幹事。しゃがれた声に、怒濤の日々をにじませた。
 真剣勝負、背水の陣それが海の掟だった。
 ひとつ間違えば命を落とす。
 引き下がれば家族を養えない。
 命懸けが常だったこの人のまなざしは、記者に問いかけてくる。
 おまえにできるか?と――。
  
      
 【北海道枝幸町】部屋のソファに身を委ね、波が白く立つ海を見つめていた。深いしわの刻まれた顔に、潮風の記憶が残る。
 「人生の厳しさを、海に教えてもらったようなもんだね」
 元漁師の浅利義信さん(94)=地区幹事。しゃがれた声に、怒濤の日々をにじませた。
 真剣勝負、背水の陣それが海の掟だった。
 ひとつ間違えば命を落とす。
 引き下がれば家族を養えない。
 命懸けが常だったこの人のまなざしは、記者に問いかけてくる。
 おまえにできるか?と――。
  
  
  
  
  
    
    
      
        
          
            
              
              
              
           
          
          
            
              
                この1月、極寒の海は灰色だった
                
                
              
            
            
              
                この1月、極寒の海は灰色だった
                
                
              
            
          
         
       
     
  
  
  
  
    
      
        
      
      
        
        
            
戦後すぐ、樺太から枝幸へ
        
        
        
            
戦後すぐ、樺太から枝幸へ
        
      
    
  
  
  
      
 浅利義信です。時間は大丈夫だけど、取材はあまり好きじゃないのさ。ぼくは新聞に出るような人でないんです。
 大した話もできない。えらくもない。ただ創価学会に入った。それしかないの。
 まあね、いろんなことがあったんですよ。どうだったって、話せば長くなるけど、いいかい?
 あのね、昭和20年(1945年)に枝幸に来たんです。9月にね、樺太から逃げてきたんですよ。
 やれやれと思って、船から荷物おろしたら、後ろから「あんちゃん、あんちゃん」と肩たたかれて、「仕事あるから来いや」と言われたの。
 「何の仕事ですか」
 「来たら分かる」
 ついて行ったら、線路の枕木ってありますね。その上にレールを落とす、それはそれは大変な仕事であった。
 それから漁師になったんですよ。おやじが磯舟を持ってたの。
 でもね、魚がさっぱり取れない浜なんだ。ひどく貧乏しましたよ。12月になると、銭っ子が何もないのさ。
  
      
 浅利義信です。時間は大丈夫だけど、取材はあまり好きじゃないのさ。ぼくは新聞に出るような人でないんです。
 大した話もできない。えらくもない。ただ創価学会に入った。それしかないの。
 まあね、いろんなことがあったんですよ。どうだったって、話せば長くなるけど、いいかい?
 あのね、昭和20年(1945年)に枝幸に来たんです。9月にね、樺太から逃げてきたんですよ。
 やれやれと思って、船から荷物おろしたら、後ろから「あんちゃん、あんちゃん」と肩たたかれて、「仕事あるから来いや」と言われたの。
 「何の仕事ですか」
 「来たら分かる」
 ついて行ったら、線路の枕木ってありますね。その上にレールを落とす、それはそれは大変な仕事であった。
 それから漁師になったんですよ。おやじが磯舟を持ってたの。
 でもね、魚がさっぱり取れない浜なんだ。ひどく貧乏しましたよ。12月になると、銭っ子が何もないのさ。
  
  
  
  
  
    
    
      
        
          
            
              
              
              
           
          
          
            
              
                妻の美和子さん㊧が義信さんのことを「旅行にも行かせてくれたし、いい人だよ」と褒めると、義信さんが急にかしこまり、笑いがおきた
                
                
              
            
            
              
                妻の美和子さん㊧が義信さんのことを「旅行にも行かせてくれたし、いい人だよ」と褒めると、義信さんが急にかしこまり、笑いがおきた
                
                
              
            
          
         
       
     
  
  
  
  
    
      
        
      
      
        
        
            
福運をつけよ
        
        
        
            
福運をつけよ
        
      
    
  
  
  
      
 どうしたもんかと悩んでたら、ある日、近所のお年寄りが、うちにドッカと入って来たの。それこそいろんな話をしてね、私が「魚取れないから、よそさ行こうと思う」ってボヤいたんですよ。
 そしたらその人がね、「あんた何を言ってるんですか。この場所が一番いいんでないスカ。題目をあげて、魚を呼びなさい」。そういうことを言われたんですよ。
 「福運のない人はね、どこ行ったって魚は取れませんよ。南無妙法蓮華経を唱えてね、福運をつけなさい」
 福運をつけろったって、その福運がどういうモノか分からない。でもまあ一生懸命に題目あげて、いろんな学会活動をしました。それが昭和36年であった。
  
      
 どうしたもんかと悩んでたら、ある日、近所のお年寄りが、うちにドッカと入って来たの。それこそいろんな話をしてね、私が「魚取れないから、よそさ行こうと思う」ってボヤいたんですよ。
 そしたらその人がね、「あんた何を言ってるんですか。この場所が一番いいんでないスカ。題目をあげて、魚を呼びなさい」。そういうことを言われたんですよ。
 「福運のない人はね、どこ行ったって魚は取れませんよ。南無妙法蓮華経を唱えてね、福運をつけなさい」
 福運をつけろったって、その福運がどういうモノか分からない。でもまあ一生懸命に題目あげて、いろんな学会活動をしました。それが昭和36年であった。
  
  
  
  
  
    
    
      
        
          
            
              
              
              
           
          
          
            
              
                漁師だった頃の義信さん。うねる波。うなるエンジン。オホーツク海に網を打ち続けた
                
                
              
            
            
              
                漁師だった頃の義信さん。うねる波。うなるエンジン。オホーツク海に網を打ち続けた
                
                
              
            
          
         
       
     
  
  
  
      
 信心した限りは、ガンバル以外にないのさ。
 なけなしの金をはたいて、うちの母さん(妻の美和子さん、90歳、女性部副本部長)と、網を作ったの。図面書いて、海の深さはなんぼ、網の長さはなんぼ。
 向かい合って編んでると、隣のじいさんとばあさんが「あんちゃん、あんちゃん。網の目が違うわ」とアドバイスしてくれたんだよ。アイヌ民族の人。いよいよもって、福運が回ってきたな。そう思った。
 時代に合った船も買ったんです。ディーゼルエンジン。大洋丸をみんな見に来た。
 「浅利の家は、借金こいて夜逃げするんでねーか」
 そう言う人もいた。男として負けられない。山奥にね、同志の家が何軒もあってね、「山の方からあげる題目が、ここの海に流れてくる。だから絶対に魚取れますよ」。そう言ってくれたの。えーっと、「法華経を信ずる人は冬のごとし。冬は必ず春となる」(新1696・全1253)。やっぱりこれだよね。
  
      
 信心した限りは、ガンバル以外にないのさ。
 なけなしの金をはたいて、うちの母さん(妻の美和子さん、90歳、女性部副本部長)と、網を作ったの。図面書いて、海の深さはなんぼ、網の長さはなんぼ。
 向かい合って編んでると、隣のじいさんとばあさんが「あんちゃん、あんちゃん。網の目が違うわ」とアドバイスしてくれたんだよ。アイヌ民族の人。いよいよもって、福運が回ってきたな。そう思った。
 時代に合った船も買ったんです。ディーゼルエンジン。大洋丸をみんな見に来た。
 「浅利の家は、借金こいて夜逃げするんでねーか」
 そう言う人もいた。男として負けられない。山奥にね、同志の家が何軒もあってね、「山の方からあげる題目が、ここの海に流れてくる。だから絶対に魚取れますよ」。そう言ってくれたの。えーっと、「法華経を信ずる人は冬のごとし。冬は必ず春となる」(新1696・全1253)。やっぱりこれだよね。
  
  
  
  
  
    
    
      
        
          
            
              
              
              
           
          
          
            
              
                浅利さんは過去というより、未来を語りたがった。「今に世界中の創価学会の若者が」と目をいきいきさせて
                
                
              
            
            
              
                浅利さんは過去というより、未来を語りたがった。「今に世界中の創価学会の若者が」と目をいきいきさせて
                
                
              
            
          
         
       
     
  
  
  
  
    
      
        
      
      
        
        
            
「ここのおやじは、題目で魚取ったぞ」
        
        
        
            
「ここのおやじは、題目で魚取ったぞ」
        
      
    
  
  
  
      
 題目ってすごいよ。海も風も、味方してくれたんだよ。網を打っても打っても、大漁なの。魚の方からどんどん網に入るのさ。
 漁港に戻るっしょ。大洋丸だけ魚の重みでね、海面すれすれに進むんだ。みんな、たまげてしまって、ひっくり返っちゃった。
 創価学会に入った時はね、誰も来なくなった。魚取れるようになったら、言葉かけてくれるようになった。そういうことなんですよ。
 やはり私は話が下手だから、うまく伝えられない。いやほんと。ほかの人に聞いたらよく分かるんでねーか? 「ここのおやじは、南無妙法蓮華経を一生懸命に唱えて魚取ったぞ」って。
  
      
 題目ってすごいよ。海も風も、味方してくれたんだよ。網を打っても打っても、大漁なの。魚の方からどんどん網に入るのさ。
 漁港に戻るっしょ。大洋丸だけ魚の重みでね、海面すれすれに進むんだ。みんな、たまげてしまって、ひっくり返っちゃった。
 創価学会に入った時はね、誰も来なくなった。魚取れるようになったら、言葉かけてくれるようになった。そういうことなんですよ。
 やはり私は話が下手だから、うまく伝えられない。いやほんと。ほかの人に聞いたらよく分かるんでねーか? 「ここのおやじは、南無妙法蓮華経を一生懸命に唱えて魚取ったぞ」って。
  
  
  
  
  
    
    
      
        
          
            
              
              
              
           
          
          
            
              
                デイサービスでみんなから誕生日を祝ってもらったことを、うれしそうに浅利さんは話した
                
                
              
            
            
              
                デイサービスでみんなから誕生日を祝ってもらったことを、うれしそうに浅利さんは話した
                
                
              
            
          
         
       
     
  
  
  
      
 信心したからには、実証示さないとなー。そういうの、ずっと離れなかった。最初は磯舟漁師だったからさ。大洋丸で、沖を走るようになったけど、やはり北海道の海は厳しいよ。
 ここ、誰が名付けたか分からないけど、オホーツク海っていうんです。漁師はね、仕事が大きくなるとね、人を頼まなきゃなんないの。大洋丸で網を上げるのは、2人や3人ではだめだ。いいかい? それはね、命を預かるということなの。
 うちの母さんの父親も、漁師で船頭だった。はえ縄に魚がびっしりついたの。でも大しけでね、海に沈んでしまった。
 容赦ないのさ。そういう厳しさを、漁師は乗り越えていかないといけない。
  
      
 信心したからには、実証示さないとなー。そういうの、ずっと離れなかった。最初は磯舟漁師だったからさ。大洋丸で、沖を走るようになったけど、やはり北海道の海は厳しいよ。
 ここ、誰が名付けたか分からないけど、オホーツク海っていうんです。漁師はね、仕事が大きくなるとね、人を頼まなきゃなんないの。大洋丸で網を上げるのは、2人や3人ではだめだ。いいかい? それはね、命を預かるということなの。
 うちの母さんの父親も、漁師で船頭だった。はえ縄に魚がびっしりついたの。でも大しけでね、海に沈んでしまった。
 容赦ないのさ。そういう厳しさを、漁師は乗り越えていかないといけない。
  
  
  
  
  
    
    
      
        
          
            
              
              
              
           
          
          
            
              
                オホーツクの白波(先月12日)。この海に、浅利さんは挑んでいった
                
                
              
            
            
              
                オホーツクの白波(先月12日)。この海に、浅利さんは挑んでいった
                
                
              
            
          
         
       
     
  
  
  
  
    
      
        
      
      
        
        
            
命懸けの人は、師匠の命懸けを知る
        
        
        
            
命懸けの人は、師匠の命懸けを知る
        
      
    
  
  
  
      
 あのね、荒れた海と対峙する時にね、私はいつも、池田先生のお姿を思い出すんです。
 先生は、若い時からどれだけのことをしてきたか。病を押しても、世界各国を歩いて、命懸けで、一人を励ましたでしょ。違うかい? 
 先生の足跡は、それはそれは、真剣勝負そのものですよ。だからね、私も、この浜に命をかけよう! そういう積み重ねで、94歳になったわけです。
 生まれ変わったら、創価大学行って、立派な人間になりたいっていうのが、私の希望。
 いつも、ここ(リビングの大きな窓)から海を見てます。息子が沖に出てるからね。
 それとね、今、世界の若い人が聖教新聞にどんどん載ってますよね。みんな、池田先生の足跡をたどってる。いよいよ世界中の若者が、日本に折伏に来るんでないか。元気が出ますね。
  
      
 あのね、荒れた海と対峙する時にね、私はいつも、池田先生のお姿を思い出すんです。
 先生は、若い時からどれだけのことをしてきたか。病を押しても、世界各国を歩いて、命懸けで、一人を励ましたでしょ。違うかい? 
 先生の足跡は、それはそれは、真剣勝負そのものですよ。だからね、私も、この浜に命をかけよう! そういう積み重ねで、94歳になったわけです。
 生まれ変わったら、創価大学行って、立派な人間になりたいっていうのが、私の希望。
 いつも、ここ(リビングの大きな窓)から海を見てます。息子が沖に出てるからね。
 それとね、今、世界の若い人が聖教新聞にどんどん載ってますよね。みんな、池田先生の足跡をたどってる。いよいよ世界中の若者が、日本に折伏に来るんでないか。元気が出ますね。
  
  
  
  
  
    
    
      
        
          
            
              
              
              
           
          
          
            
              
                「池田先生はいつも真剣勝負。だから私も」。命懸けの漁と日々の食卓は、つながっている
                
                
              
            
            
              
                「池田先生はいつも真剣勝負。だから私も」。命懸けの漁と日々の食卓は、つながっている
                
                
              
            
          
         
       
     
  
  
  
  
    
      
        
      
      
        
        
          後記
        
        
        
          後記
        
      
    
  
  
  
      
 浅利さんは体を限界まで酷使して、89歳で陸に上がった。
 「やっと大きな荷物を下ろしたような気持ちであった」
 浅利さんらしい言葉だ。張り詰めた日常と、生き抜いた安堵。岸で5人の小さい子を抱え、無事を祈る美和子さんの存在が、どれほどの支えだったか。
 1968年(昭和43年)9月、池田先生が稚内を初訪問した。浅利さんは駆けつけている。「純粋」と記憶に刻んで漁場へ出た。
 人生の荒波も容赦ない。わが子に先立たれた。波しぶきの冷たさが骨まで刺さる。悔しいことは何度もあったが、腐ったことは一度もない。
 おまえにできるか――94歳のまなざしに見たあの問いかけは、オホーツクの白波の音に溶け、記者の心に響く。
 「(記事を)あまり難しくしないでね。簡単でいいんですよ。さっきね、床屋行ってきたばっかりなんだ。これからごはん食べようと思います。ま、そういうことで」
 荒波を越えた人ほど、優しい。(天)
  
      
 浅利さんは体を限界まで酷使して、89歳で陸に上がった。
 「やっと大きな荷物を下ろしたような気持ちであった」
 浅利さんらしい言葉だ。張り詰めた日常と、生き抜いた安堵。岸で5人の小さい子を抱え、無事を祈る美和子さんの存在が、どれほどの支えだったか。
 1968年(昭和43年)9月、池田先生が稚内を初訪問した。浅利さんは駆けつけている。「純粋」と記憶に刻んで漁場へ出た。
 人生の荒波も容赦ない。わが子に先立たれた。波しぶきの冷たさが骨まで刺さる。悔しいことは何度もあったが、腐ったことは一度もない。
 おまえにできるか――94歳のまなざしに見たあの問いかけは、オホーツクの白波の音に溶け、記者の心に響く。
 「(記事を)あまり難しくしないでね。簡単でいいんですよ。さっきね、床屋行ってきたばっかりなんだ。これからごはん食べようと思います。ま、そういうことで」
 荒波を越えた人ほど、優しい。(天)
  
  
  
  
  
    
    
      
        
          
            
              
              
              
           
          
          
            
              
                浅利さんが乗っていた第八大洋丸。今は陸にあがって、あるじのそばにいる
                
                
              
            
            
              
                浅利さんが乗っていた第八大洋丸。今は陸にあがって、あるじのそばにいる