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【東日本大震災から15年】――《ルポ》「心の財」を胸に抱いて 2026年3月11日

 2011年3月11日に発生した東日本大震災から15年がたちました。日本の観測史上最大規模となるマグニチュード9・0を記録した大地震や巨大津波などによる死者・行方不明者は、2万2000人以上。甚大な被害の中、創価学会の同志はこれまで、震災後の3月16日付の本紙で掲載された“いかなる苦難も「心の財」は壊せない”との池田大作先生の励ましを胸に、それぞれの地域で、それぞれの歩幅で、復興への歩みを進めてきました。今なお続くその歩みは、どのように受け継がれているのでしょうか――。宮城・岩手・福島の青年世代の友を取材しました。(記事=水呉裕一)

創価学会の東北文化会館に隣接する「東北福光みらい館」。東日本大震災発生後、池田先生が聖教新聞を通して、“いかなる苦難も「心の財」は壊せない”と励ましを送った歴史をはじめ、全国・全世界から寄せられた励ましや、復興に歩んできた東北の同志の歩みが記録されている
創価学会の東北文化会館に隣接する「東北福光みらい館」。東日本大震災発生後、池田先生が聖教新聞を通して、“いかなる苦難も「心の財」は壊せない”と励ましを送った歴史をはじめ、全国・全世界から寄せられた励ましや、復興に歩んできた東北の同志の歩みが記録されている

 昨年6月にオープンした、岩手・宮古市の災害資料伝承館を訪ねた。
 エントランスに入って真っ先に目に飛び込んできたのは、大きく折れ曲がった金属製の案内標識。設置されていた国道45号沿いの交差点付近では、東日本大震災によって発生した津波の浸水高が、6・66メートルを観測したという。
 傷だらけの標識は、あの日の出来事を静かに物語っていた。

宮古市災害資料伝承館のエントランス。津波の脅威を物語る案内標識が設置されているブースの裏側には、“復興への願い”や“記憶を未来につなげる決意”など、来館者がつづった短冊が飾られている(岩手・宮古市田老で)
宮古市災害資料伝承館のエントランス。津波の脅威を物語る案内標識が設置されているブースの裏側には、“復興への願い”や“記憶を未来につなげる決意”など、来館者がつづった短冊が飾られている(岩手・宮古市田老で)

 「宮古市は岩手県最大の面積ゆえもあってか、地域によって被害状況が大きく異なりました」
 そう教えてくれたのは、当時、新社会人として老人ホームで勤務していた佐々木藍さん。住んでいた津軽石地区は、津波が河川を遡上し、壊滅的な被害を受けた地域の一つだった。
 佐々木さんの自宅は海岸から2キロ以上離れていたものの、床上1メートルの浸水被害に遭った。「でも、わが家はまだいい方でした。家を流された人も、家族を亡くされた人もいましたから」
  
 震災後、生活は一変した。職場の老人ホームでは入所者の一層のケアが求められる一方、避難所での共同生活が難しい高齢者が、毎日のように運ばれてくる。
 「床の上でもいいから、ここで預かってほしい」――余震が続く状況にあって、臨機応変な対応を瞬時に求められ、宿直当番の頻度も増えていった。当時、学会で支部長、支部婦人部長を務めていた両親と共に親戚宅に身を寄せ、仕事の合間を縫っては家の片付けに追われる日々だった。
  
 そんな時、大学時代にお世話になった一つ年上の先輩が亡くなったと連絡が入った。岩手・陸前高田市役所の職員だったその先輩は、市民に避難を呼びかけていた最中に津波の犠牲になったと聞いた。驚き、悔しさ、悲しさ……。命を懸けて人に尽くした先輩の葬儀で、未来に希望を抱くことなどできなかった。
  
 そんな佐々木さんを支えたのは、同じく被災した学会の同志の存在だった。中でも忘れられないのは、がれきが散乱する町中を歩いて訪ねてくれた女子部(当時)の先輩の励まし。「生きていて良かった」と涙を流して抱き締めてくれた。
 また、学会のリーダーとして“「心の財」は壊せない”との師の言葉を胸に、生活再建を目指しながら、友のもとへ励ましに歩く両親の姿も、佐々木さんにとって、これからの生き方の目標となっていった。
 「いろいろな励ましに触れる中で思ったんです。何ができなくとも、苦しい思いをしている人と一緒に泣いて、そばに寄り添い続けることはできるんじゃないかって」

佐々木藍さん㊧と夫・博行さん
佐々木藍さん㊧と夫・博行さん

 震災以降、岩手は2016年、19年と大規模な台風被害にも見舞われた。佐々木さんは災害支援ボランティアの募集があれば、必ず参加してきた。昨年2月に大船渡市で山林火災が発生した際には、避難所運営の支援にも駆け付けている。
  
 「佐々木さんにとって『心の財』とは何ですか?」と尋ねると、佐々木さんは少し考えてから、笑顔で語ってくれた。
 「『希望』です。どんな絶望の中でも、希望は失われることはないし、新しく生み出すこともできる。そのことを池田先生が数々の励ましで教えてくださいましたから」
  
 佐々木さんは現在、学会の未来を担う地域の中高生を励ます総県女子未来部長としても奮闘している。昨年、結婚した夫・博行さん(男子地区リーダー)と二人三脚で、自らが社会の希望に、との決意で地域貢献に励んでいる。

師匠への誓い

 「よく来てくれたね」「ありがとう!」――2月26日午後7時半ごろ、福島・南相馬市の原町文化会館に、20代までの女性部員からなる池田華陽会のメンバーが笑顔で集まってきた。
 会場は仏間の一室。浪江町・飯舘村・南相馬市・相馬市・新地町を活動の舞台とする福島旭日県の池田華陽会の友の集い「華陽カレッジ」が始まった。
  
 この日の学習テーマは「生死一大事血脈抄」。日蓮大聖人が流罪地の佐渡で認められた一節を、皆で輪になって拝読する。「総じて、日蓮が弟子檀那等、自他・彼此の心なく、水魚の思いを成して……」(新1775・全1337)。自分と他人、あちらとこちらという隔ての心をなくし、互いをかけがえのない存在として尊重し合う大切さが記された御聖訓である。学習の内容に触れ、一人一人が仕事での奮闘や、学会活動における勇気の挑戦などを和気あいあいと語り合う。
  
 同県の池田華陽会キャップを務める松本優美さんが語った。「皆で集まれない時もあったけど、私たちは顔を合わせることにこだわってきた。みんなの顔を見ると元気が出るし、勇気が湧く。私はこのつながりを“生涯の絆”にしていきたい」。それぞれが深くうなずく姿が印象的だった。

松本優美さん
松本優美さん

 この地域は、地震と津波に加え、東電福島第1原発事故の影響も受けてきた。住んでいる家と原発との距離によって、“自宅に帰れる人と帰れない人”“賠償がある人とない人”という線引きがされた。
 経験や苦しみの形が異なるからこそ、人々はより深く心を痛めてきた。
  
 ふと仏前に目を向けると、カレッジに参加する人数分の「柿」が供えられていた。岐阜県のある同志から、震災以降、毎年、福島に送られているものだという。送り主からは、次のようなメッセージが添えられていた。
 “このようなことしかできませんが、この柿をお一人お一人に届けていただく中で、私たちが皆さんを決して忘れていないということを、知っていただけたらうれしいです”
 松本さんは「今も思いを寄せてくださる人が学会にはたくさんいる。それが本当にうれしいです」と語り、柔らかな笑みを浮かべた。
  
 15年前、松本さんは中学1年生。住んでいた地域は「特定避難勧奨地点」に指定された。“一律の避難は求めないが、放射線量に注意する必要がある”とされた場所である。県内3カ所を転々とする避難生活を経て、自宅に戻ってきたのは高校3年の5月だった。
 学会のリーダーとして地域の同志を励ましてきた両親の姿。子どもたちの健康を案じながら、葛藤を繰り返してきた背中。その全てを見つめながら過ごしてきた15年だった。
  
 かつて、両親に尋ねたことがある。「うちは、県外に避難しようとは思わなかったの?」。その時、母が語ってくれた話が忘れられないという。
 原発事故による影響で先が見えない中、震災後、母が初めて手にした聖教新聞。そこには、池田先生の詩「世界に輝け! 創価同窓の光」が掲載されていた。
  
 「君たちよ 忘れないでくれ給え! 何のために 栄えある創価教育の城で 学んだのかを―― 無名の庶民を守り抜き 民衆の安穏と幸福のために そして疲れた貧しき人びとの 絶対なる幸福を築きゆくために 努力することだ」
  
 松本さんの父と母は共に創大の卒業生だった。「お母さんが大学を卒業する時に誓った“生涯、池田先生の弟子として生き抜く”との一点は、『今』『ここで』果たすべきなんじゃないかと思ったんだよね」
 母の言葉を聞いた時、松本さんは“師匠との絆はこれほどまでに強いのか”と実感したのだという。以来、創大への進学を希望し、自宅に戻った高校3年からは本格的に受験勉強に励んだ。創大の看護学部に学んだ後、現在は地域の発展に尽くしたいと福島へUターンして働いている。

福島旭日県の池田華陽会メンバーが朗らかに。部員会は月2回の頻度で行っている(松本さん提供)
福島旭日県の池田華陽会メンバーが朗らかに。部員会は月2回の頻度で行っている(松本さん提供)

 「松本さんにとっての『心の財』とは?」と聞くと、返ってきた答えは「師匠への誓い」だった。
 「正直、いろいろな経験をしたけれども、震災の記憶は決して“心の傷”にはなっていない。それは私たちの親世代の学会員さんが、師との絆を大切に、全力で守ってくれたからだと思うんです」と松本さん。
 そう信じているからこそ、今度は私たちの世代が、それぞれの「誓い」を深め合える絆を強めていきたいと感じている。

恩返しの挑戦

 「物心ついたころには町も整備されていて、震災で何か困ったという記憶もない。実感が持てないというのが、正直なところです」
 宮城・仙台市青葉区に住む中学3年の菅原瑠唯さんが教えてくれた。震災当時は0歳。ひとり親家庭で育ったため、母は当時、きっと大変だったろうと想像はする。しかし、震災のことは話したくなさそうな雰囲気を察して、詳しく聞こうとはしてこなかった。震災について知る機会といえば、学校の授業で学んだり、体育館で体験を聞いたりする程度だったという。

菅原瑠唯さん
菅原瑠唯さん

 そんな菅原さんが、震災を初めて身近に感じた出来事があった。小学5年の時、入団した宮城県青葉少年少女合唱団の一員として、学会の東北文化会館に「ど根性ひまわり」を植えた時のことだった。
 2011年の夏、津波によるがれきをかき分けるように成長し、ひまわりが咲いた。後に名前が付けられ、採取された種が人から人へと手渡され、各地で花を開かせ続けている――。その話を聞いた時、菅原さんは心から感動したという。
 震災でどれほど大きな被害があったのかを学ぶだけではない。そこに、どれほど多くの励ましが寄せられ、人々が立ち上がってきたのかを知る機会となったからだ。

厳しい環境に負けず、大きく花を開かせる姿で勇気を送ってきた「ど根性ひまわり」。昨年、“15世”が各地で咲き誇った(2025年8月、東北福光みらい館で)
厳しい環境に負けず、大きく花を開かせる姿で勇気を送ってきた「ど根性ひまわり」。昨年、“15世”が各地で咲き誇った(2025年8月、東北福光みらい館で)

 「わが家があるのは、創価家族っていう世界一の応援団が、笑顔をいっぱいくれたからなんだよ」――母の言葉を聞き、子どもながらに、何人もの顔が思い浮かんだ。これまでに、どれほど多くの同志に励まされてきたのかを実感した瞬間でもあった。
 だからこそ、出会う一人一人との縁を大切にしてきた。相手に喜んでもらいたいとの一心で筆を執り、手紙を書き続け、得意の似顔絵も添えてきた。その枚数は数えきれない。
  
 中学2年の時には、震災からの復興や記憶の伝承を目的とした地元新聞社の企画「今できることプロジェクト」に参加。宮城・山元町を訪れ、津波被害に遭った農家を取材し、同世代に震災の記憶をつなぐ取り組みにも率先してきた。
 中学3年になってからは、周囲の推薦もあって、学校の応援団の団長も務めてきた。
  
 今月7日に行われた卒業式。菅原さんは代表としてあいさつに立った。
 「お母さん、15年間、愛情を注ぎ、育ててくれてありがとう」「これまで守られてきましたが、今度は僕が、目の前の誰かを、そして日本中、世界中の人たちを守る側の人間になります。感謝の気持ちを忘れず、15年間の恩返しができる立派な大人になります」
  
 「菅原さんにとっての『心の財』とは?」と尋ねると、返ってきたのは「未来を開く力」との言葉。
 震災以降、どんなに苦しくともやってくる一日一日を、少しでも前へ進めようとしてきた東北の人々。その努力を学んできたからこそ、今度は自身が未来をつくる側に立ちたいとの決意が込められていた。

菅原さん(最前列右端)が、“鍛えの青春”を共にした宮城音楽隊の友と
菅原さん(最前列右端)が、“鍛えの青春”を共にした宮城音楽隊の友と

 震災から15年。震災が拍車をかけた高齢化や人口減少、被災者の“心の復興”など、課題は尽きない。
 そんな中、東北創価学会の青年世代を取材して感じたのは、年代や経験の違いによって捉え方は異なっていても、それぞれが震災の歴史を通して、自身の生き方を見いだしてきたという共通点だった。
 師匠からの励まし、同志の温かさ、人と人とのつながり――。その一つ一つを前進の力に変え、東北の同志が重ねてきた“福光15年”の歩みは、青年世代へ確かに受け継がれている。
  
  

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