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〈新米記者が東京を走る 信仰体験〉 心に寄り添うアートディレクター 2025年5月14日

  • 苦しい時も題目 うれしい時も題目
デザイナーに作品のイメージを伝えるため、ラフ案を作成する井田さん
デザイナーに作品のイメージを伝えるため、ラフ案を作成する井田さん

 【東京都練馬区】皆さんは「アートディレクター」と聞いて、どんな人物像を思い浮かべるだろうか。あくまで個人的見解だが、①視点が鋭そうで、下手な質問をすれば怒られそう、②無表情で、おしゃれなメガネをかけてそう……。今回取材するのは、大手食品メーカーでアートディレクターを務める井田紀美子さん(54)=地区副女性部長。アポイントの電話をかけると、「自宅が片付いていないから、そちらに伺います」とのこと。仕事終わりに弊社で取材することになった。4月下旬の午後8時前。鏡の前でネクタイを固く締めた。

デザイナーとビデオ会議をする井田さん
デザイナーとビデオ会議をする井田さん

 井田さんは、かばんを両手で持ち、「時間を空けていただいてありがとうございます」と頭を深々と下げた。
 
 アートディレクターの印象が、思っていたのとまるで違う。
 ①ゆったりとした話しぶり、物腰が柔らか、②メガネはかけず、表情がとても豊か。
 
 仕事の話をあれこれ聞いてはいたが、手元の脇に置かれた、井田さんの名刺入れが気になった。
 金色のビーズ?でデコレーションされている。この人の奥ゆかしい性格の中に、間違いなく「ギャル」がいる。
 
 「これをディレクションさせてもらいました」と見せてくれたのは、板チョコのパッケージ。
 井田さんは、誰もが知る大人気商品のデザインに携わっている。
 「陳列棚に並ぶ商品から、お客さまがどれを手に取るかは2秒で決まる」という話が興味深かった。第一印象でいかに心をつかむか――。
 
 そのために井田さんは、創造力を鍛えようと、時間を見つけては「感動」を探しに街を歩く。
 気に入った看板のロゴは、スマホでパシャリ。写真フォルダーは日々の小さな発見であふれている。
 これも「2秒」をモノにする努力のたまものなのだろう。

より細かくイメージを描くことが重要だ
より細かくイメージを描くことが重要だ

 絵を描くのが好きな少女だった。デザイナーを目指して美術大学に進み、包材メーカーでデザインの仕事に就いた。
 終電帰りの日々。同僚と「青春を返せ!」と笑い合った。
 
 1999年(平成11年)、現在勤務する大手食品メーカーに晴れ晴れと転職を果たす。
 新たな環境で任されたのは「アートディレクター」。歴戦のデザイナーたちに指示を出す時は、足がすくんだという。
 芸術部の先輩から励まされた。
 
 「自分を磨いていかなきゃ」
 
 では、いかに磨くか。先輩は御書を開いてくれた。
 「一念無明の迷心は磨かざる鏡なり。これを磨かば、必ず法性真如の明鏡と成るべし」(新317・全384)
 信心で心を磨き、作品と向き合った。職場の先輩たちにも遠慮せず、意見を伝えると、感性が調和し、新しい作品が生まれていく。
 仕事が楽しくなってきた……。
 
 もっと詳しく聞きたかったが、この日はここでお時間となった。

井田さん㊧と修さん㊨のやりとりを、薫さんは楽しそうに聞いていた
井田さん㊧と修さん㊨のやりとりを、薫さんは楽しそうに聞いていた
●妹と歩んだ時間

 5日後。
 「部屋が片付いた」と連絡をもらい、井田さんのご自宅に伺った。
 井田さんは、父・修さん(83)=副本部長、母・薫さん(87)=区女性部主事=と妹の4人暮らし。
 
 リビングに通されると、修さんが上機嫌でソファの端にドカッと座り、「俺は“練馬の高田純次”」という、とてつもない一言を放った。
 趣味の太鼓とか、印刷関連設備会社のエンジニアだった頃の話とか、「あんた、結婚してるの?」とか。
 結局2時間ほど話し続けて、「疲れたから、休憩させて」と。
 ともあれ、この両親の愛情をたっぷり受けて井田さんが育ったことは、よく分かった。
 井田さんは「父がすみません」と申し訳なさそうにしていた。
 
 そして、妹・佐和子さん(52)=女性部員=の話をしてくれた。
 インドアな井田さんと比べ、佐和子さんはアクティブな性格だった。
 だが22年前、佐和子さんは心の病を患った。介護士の人材派遣の仕事に就いていたが、無理が重なったのだろう。
 笑顔が消え、部屋にこもるようになった。
 「妹から『生きるのがしんどい』と聞いた時、涙が止まらなかった」と話す井田さんの目は、赤くなった。
 姉として、何もしてあげられないことを悔やんだとも。

家庭訪問は「土日が勝負です」と(右から2人目が井田さん)
家庭訪問は「土日が勝負です」と(右から2人目が井田さん)

 井田さんが聖教新聞に掲載された池田先生の言葉をノートに書き留めるようになったのは、この頃だ。
 「先生が“絶対、大丈夫だからね”と、私たち家族に語ってくださっているようでした」
 師の慈愛を、折れそうな心に染み込ませる。
 
 〈苦しい時も題目、嬉しい時も題目、何があっても題目〉
 
 ドアの向こうで、自分自身と闘う妹がいる。父母と一緒に確信の題目を、佐和子さんに送り続けた。心の中で池田先生と対話しながら。
 浮き沈みはあれど、佐和子さんの笑顔が、日に日に増えていく。15年前、木々の葉がオレンジに色づき始めた頃、佐和子さんが部屋を出て、ぽつりと言った。
 「買いに行きたいものがあるの」
 
 バスに一緒に乗り、小型商業施設へ洋服を選びに行った。ゆっくり並んで歩いた。
 井田さんは、見慣れたはずのイチョウの葉が、いつもより鮮やかに見えた。
 
 買い物が終わり、公園のベンチに腰かけた。佐和子さんは穏やかな表情で、働いていた時の話や、父母の話を1時間ほどした。
 つらかった時の話は一つもなかった。井田さんは、穏やかな風を感じながら、一つ一つ大きくうなずいては、言葉を返した。
 妹が、いとおしかった。
 
 見えない心に寄り添おうと努力した日々。井田さんは、経験したことを、仕事にも生かしていく。

●池田先生と心で対話することが全てを開くカギになる

 井田さんが手がけたお菓子は、これまでに日本パッケージデザイン大賞の金賞、さらには世界のデザイン賞も受けた。
 華々しい賞はありがたかった。それにも増して、うれしい知らせがあった。
 お菓子を購入したという女性客から、会社にメールが届いた。
 
 〈つらいことがあったけど、このパッケージに癒やされました〉。アートディレクターになって本当に良かったと思った。
 
 3年前から、井田さんは母校の美術大学で週1回、教壇に立っている。「学生には、自分の好きを追求してほしいと伝えています」
 心の中で師と真剣に対話して、題目を唱え抜けば、どんな悩みの扉も必ず開ける。
 それを井田さんの“誠実さ”から学んだ。
 
 取材が終わり、井田さんと薫さんが玄関で見送ってくれた。
 修さんは、完全に電池切れだったご様子で、井田さんはまた、「父がすみません」と言った。
 
 帰り道、コンビニに寄った。手にしたのは、井田さんがデザインに携わったお菓子。
 空になったパッケージは捨てられない。井田家のにぎやかな情景が浮かぶから。
 空き箱を机の端に飾って、記事を書いている。(朗)

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