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小説「新・人間革命」に学ぶ 第20巻 解説編 池田主任副会長の紙上講座 2020年6月24日

  • 連載〈世界広布の大道〉
イラスト・間瀬健治
イラスト・間瀬健治

 今回の「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」は第20巻の「解説編」。池田博正主任副会長の紙上講座とともに、同巻につづられた珠玉の名言を紹介する。

紙上講座 池田主任副会長
04:44
ポイント
①中ソ和平への覚悟
②「懸け橋」の対話
③信念が花を開かせる

 池田先生の初の訪中・訪ソ、そして、第2次訪中は、1974年(昭和49年)のわずか半年の間に行われました。その激闘が第20巻で描かれます。
  
 同巻のテーマの一つが、宗教否定のマルクス・レーニン主義を基調とする中国、ソ連と、日蓮仏法を基調とする創価学会の対話が、なぜ実現できたかということです。
  
 当時の世界情勢は、複雑な様相を呈していました。第2次世界大戦後の米ソの冷戦構造が続く中で、社会主義国同士である中ソも、路線の違いから対立していたのです。
  
 その中で、68年(同43年)、山本伸一はいち早く、「日中国交正常化提言」を発表します。日中の友好が「アジアのなかにある東西の対立を緩和することになる」(11ページ)、「それは、やがては東西対立そのものを解消するにいたる」(12ページ)との強い思いからでした。
  
 彼は、提言を発表したことで非難を浴び、宗教者がなぜ“赤いネクタイ”をするのか、との批判もありました。
  
 しかし、伸一は覚悟していました。「命を捨てる覚悟なくしては、平和のための、本当の戦いなど起こせない」(同ページ)――日中友好への行動は、まさに命懸けの“戦い”であったのです。
  
 中ソの指導者は、そうした伸一の“本気”の平和行動と、創価学会の存在に着目していました。中ソへの訪問が具体化したのは、どちらも73年(同48年)12月です。そして、翌年、伸一の訪中・訪ソが実現します。
  
 「分断され、敵対し合う世界を、融合へ、平和へと向かわせる、第一歩にしよう」(156ページ)――伸一の訪問の目的は、社会主義の国で布教することでも、政治交渉のためでもありません。仏法者として、国益やイデオロギーで分断する世界を、連帯へと導くことが第一義でした。
  
 「社会の制度やイデオロギーは異なっていようが、そこにいるのは同じ人間である」(64ページ)、「人間に会いに私は行くのです」(167ページ)、「人間の心と心に橋を架け、結ぶために行く」(168ページ)との伸一の信念が、中ソ和平の対話へと突き動かしたのです。

水面の向こう側に、中国の伝統的な建造物と柳の木が調和した光景が広がる――北京の釣魚台国賓館で池田先生が撮影した(1992年10月)
水面の向こう側に、中国の伝統的な建造物と柳の木が調和した光景が広がる――北京の釣魚台国賓館で池田先生が撮影した(1992年10月)
壁の向こう側

 74年(同49年)5月、初訪中に出発する際、伸一は「対立する中ソの懸け橋となるのだ!」(166ページ)と自身に言い聞かせました。その決意は、実際に中ソの人々と触れ合う中で、強固なものになっていきます。
  
 北京の中学校を訪れた折、彼は、ソ連からの攻撃に備え、生徒たちが地下教室を造る光景を目の当たりにします。第2次世界大戦下の日本で、あちこちで防空壕が掘られたことと重ね合わせ、こうした現実を変えねばならないと深く心に誓います。
  
 9月の初訪ソの時には、レニングラード(現・サンクトペテルブルク)の墓地を訪れ、戦争への怒りを強い口調で語ります。
  
 伸一が寄り添ったのは、民衆の苦しみでした。民衆と同苦しながら、周恩来総理をはじめとする中ソの指導者や、教育者、文化人、青少年など、あらゆる立場の人々と語り合いました。社会体制の壁を超え、「共鳴の和音」(64ページ)が、中国・ソ連の大地に奏でられたのです。
  
 第1次訪中の折、伸一は、「中国が他国を侵略することは、絶対にありません」(59ページ)との発言を聞きます。
  
 ソ連のコスイギン首相との会見では、中国訪問の実感を率直に伝え、首相から「中国を攻撃するつもりはありません」「(中国の首脳に)伝えてくださって結構です」(278ページ)との言葉を引き出しました。
  
 12月の第2次訪中では、鄧小平副総理など中国の首脳に直接、ソ連の意向を伝えます。伸一は、まさに中ソの“懸け橋”となりました。
  
 「懸け橋」の章には、「勇気をもって真実を語ってこそ、心の扉は開かれ、魂の光が差し込む。それが、信頼の苗を育んでいくのだ」(211ページ)と記されています。伸一の、率直にして誠実な対話が、心の扉を開き、信頼を結んだのです。
  
 佐藤優氏は、週刊誌「AERA」(6月22日号)で連載されている「池田大作研究」で、先生の対話行動に言及しています。
  
 「壁に突き当たった場合、政治革命家はその壁を壊そうとする。これに対して池田は、壁の向こう側の人に対話を呼びかける。対話によって、壁の向こう側にいる立場が異なる者の中に理解者を作ろうとする」
  
 どんなに立場が異なろうと、「人間主義」「平和主義」の連帯を築いてきたのが、池田先生です。対話には、「壁」も「限界」もないのです。

忍耐強い作業

 伸一の願いに反して、初訪中・訪ソの後、中ソ対立は悪化の一途をたどってしまいます。彼の対話は、すぐに花開いたわけではありません。
  
 しかし、伸一は決して諦めませんでした。20世紀を代表するイギリスの歴史学者トインビー博士から、次のように託されていたのです。
  
 「米ソも、中ソも対立していますが、あなたが、ロシア人とも、アメリカ人とも、中国人とも対話を重ねていけば、それが契機になって、やがてはロシア人とアメリカ人、ロシア人と中国人などの対話へと、発展していくでしょう」(第16巻「対話」の章、216ページ)
  
 伸一は、初訪中・訪ソの後も、中ソ両国の指導者と対話を重ねました。中国側から、ソ連を訪問することで中日の友情に支障をきたすと、苦言を呈されたこともありました。
  
 それでも、「私は中国を愛してます。中国は大事です。同時に人間を愛します。人類全体が大事なんです」(351ページ)と訴え、「あらゆる人の『仏性』を信じて、人類の平和を願う心を確信して語りかけ続けた」(352ページ)のです。
  
 ようやく春が訪れたのは、伸一が、中ソの“懸け橋”として対話を開始してから15年後のことでした。
  
 89年(平成元年)5月、ソ連のゴルバチョフ書記長が、鄧小平氏と会談し、遂に中ソ関係が正常化されたのです。伸一は、誰よりも喜びました。
  
 花はすぐ開くとは限りません。しかし、鉄のごとき強い信念を持ち続けながら、諦めずに行動すれば、必ず開花します。「大業とは、目立たぬ、忍耐強い作業の繰り返しによって、成就されるもの」(357ページ)なのです。
  
 「信義の絆」の章に、「人類の幸福と世界の平和の実現が、広宣流布だ。私は仏法者として、そのために走り抜く」(354ページ)とあります。私たちも、仏法者の使命に燃え、「平和の道」を広げていこうではありませんか。

初訪ソの際、モスクワ市内で子どもたちと交流する池田先生(1974年9月)
初訪ソの際、モスクワ市内で子どもたちと交流する池田先生(1974年9月)
名言集
●仏法者の在り方

 人民のため、社会のために身を挺して戦う――それが菩薩であり、仏です。仏法者の在り方です。その行動のない仏教は、まやかしです。(「友誼の道」の章、74ページ)

●普遍の鉄則

 人間の生命を大切にし、人間を守るということ――それは、人類が生きていくうえの普遍の鉄則です。(「友誼の道」の章、120ページ)

●幅広い交流

 国家による政治や経済次元の交流は、利害の対立によって分断されてしまうことが少なくない。だからこそ、平和と友好のためには、民間による、文化、教育、学術などの幅広い交流が不可欠である。(「懸け橋」の章、157ページ)

●民衆こそ王

 万人に「仏」の生命をみる仏法は、本来、民衆を王ととらえる思想でもある。民衆が本当の主権者となり、幸福を享受できる社会の建設が、われらの広宣流布なのだ。(「懸け橋」の章、204ページ)

●歴史の必然

 地球は一つである。人類も一つである。人間同士、手を取り合うことは歴史の必然である。(「懸け橋」の章、238ページ)

●人間を結ぶ絆

 「誠実」への共感に国境はない。「誠実」こそが、人間を結ぶ心の絆となるのである。(「信義の絆」の章、318ページ)

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認定NPO法人フローレンス会長。2004年にNPO法人フローレンスを設立し、社会課題解決のため、病児保育、保育園、障害児保育、こども宅食、赤ちゃん縁組など数々の福祉・支援事業を運営。厚生労働省「イクメンプロジェクト」推進委員会座長

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