〈子どもと学ぶ仏教説話――ミライの冒険〉 「りゅうもんの滝」の世界へ
〈子どもと学ぶ仏教説話――ミライの冒険〉 「りゅうもんの滝」の世界へ
2024年6月9日
新連載の創作童話「子どもと学ぶ仏教説話――ミライの冒険」がスタート! 主人公のミライが、仏教説話の世界を巡る冒険に出かけます。座談会の未来部コーナーなどでご活用ください!(イラスト 逸見チエコ)
新連載の創作童話「子どもと学ぶ仏教説話――ミライの冒険」がスタート! 主人公のミライが、仏教説話の世界を巡る冒険に出かけます。座談会の未来部コーナーなどでご活用ください!(イラスト 逸見チエコ)
何にも負けず、立ち向かおう!
何にも負けず、立ち向かおう!
冒険が大好きなミライは、ある時、ふしぎな本をひろいました。
ワクワクしながら、その本の、さいしょのページを開いてみると、なんと、本の世界に入ってしまったのです。
冒険が大好きなミライは、ある時、ふしぎな本をひろいました。
ワクワクしながら、その本の、さいしょのページを開いてみると、なんと、本の世界に入ってしまったのです。
きがつくと、ミライは、川のそばに立っていました。
「わぁ~、大きな滝だなあ」
滝を見上げているミライのほうへ、一匹のコイが泳いできました。
「この滝をのぼれたら、りっぱな竜になれるんだ!」
川をのぞきこむと、竜になろうと、たくさんのコイが滝に向かっていました。
「ミライも、竜になりたい!」
すると、コイになって、泳げるようになったのです。
きがつくと、ミライは、川のそばに立っていました。
「わぁ~、大きな滝だなあ」
滝を見上げているミライのほうへ、一匹のコイが泳いできました。
「この滝をのぼれたら、りっぱな竜になれるんだ!」
川をのぞきこむと、竜になろうと、たくさんのコイが滝に向かっていました。
「ミライも、竜になりたい!」
すると、コイになって、泳げるようになったのです。
ミライは、たくさんのコイたちといっしょに、滝をのぼりはじめました。
しかし、たくさんの水がゴウゴウと音を立てて落ちてきて、かんたんには、のぼれません。
さらに、大きな鳥たちが、じゃまをしてくるのです。
「竜になるのは、こんなに、たいへんなんだ」
滝をはんぶんも、のぼると、たくさんいたコイたちは、ほんの少ししかのこっていません。
ミライは、たくさんのコイたちといっしょに、滝をのぼりはじめました。
しかし、たくさんの水がゴウゴウと音を立てて落ちてきて、かんたんには、のぼれません。
さらに、大きな鳥たちが、じゃまをしてくるのです。
「竜になるのは、こんなに、たいへんなんだ」
滝をはんぶんも、のぼると、たくさんいたコイたちは、ほんの少ししかのこっていません。
「ぜったいに、竜になってみせる!」
ミライは、あきらめずに泳ぎつづけました。
そして、みごとに滝をのぼりきったのです。
「ぜったいに、竜になってみせる!」
ミライは、あきらめずに泳ぎつづけました。
そして、みごとに滝をのぼりきったのです。
そのしゅんかん、ミライは、りっぱな竜にへんしん!
じゆうに空をとびまわれるようになりました。
空から見る世界は、とても広く、とてもきれいでした。
「負けないで、のぼりきった、ごほうびなのかも」
そのしゅんかん、ミライは、りっぱな竜にへんしん!
じゆうに空をとびまわれるようになりました。
空から見る世界は、とても広く、とてもきれいでした。
「負けないで、のぼりきった、ごほうびなのかも」
「あ~、たのしかった!」
ぶじに本の世界から出られたミライでしたが、あたまの中は、つぎの冒険のことでいっぱい。
「つぎのページには、どんな冒険が待っているのかな」
(つづく)
「あ~、たのしかった!」
ぶじに本の世界から出られたミライでしたが、あたまの中は、つぎの冒険のことでいっぱい。
「つぎのページには、どんな冒険が待っているのかな」
(つづく)
今回のお話の解説
今回のお話の解説
「竜門の滝」は、中国の故事です。魚が急流を登り切り、竜になる――ここから転じて、立派な人物へと成長するために通るべき関門を意味する、「登竜門」という言葉が生まれました。
故事では、滝を登ろうとする魚を狙う、さまざまな鳥や、漁師の姿が描かれています。そうした妨害があるため、魚が関門を越えて竜になることができるのは“万に一つもない”ほど、大変であることを表しています。
私たちの信心の挑戦に置き換えれば、魚を狙う鳥や漁師は、次々と競い起こる困難のことであると言えましょう。
池田先生は、「思うようにいかないことがあればあるほど、喜び勇んで立ち向かっていくのだ」と、困難に挑む姿勢を教えています。何にも負けずに立ち向かい、挑戦し抜く中に、素晴らしい境涯が築かれるのです。
「竜門の滝」は、中国の故事です。魚が急流を登り切り、竜になる――ここから転じて、立派な人物へと成長するために通るべき関門を意味する、「登竜門」という言葉が生まれました。
故事では、滝を登ろうとする魚を狙う、さまざまな鳥や、漁師の姿が描かれています。そうした妨害があるため、魚が関門を越えて竜になることができるのは“万に一つもない”ほど、大変であることを表しています。
私たちの信心の挑戦に置き換えれば、魚を狙う鳥や漁師は、次々と競い起こる困難のことであると言えましょう。
池田先生は、「思うようにいかないことがあればあるほど、喜び勇んで立ち向かっていくのだ」と、困難に挑む姿勢を教えています。何にも負けずに立ち向かい、挑戦し抜く中に、素晴らしい境涯が築かれるのです。