〈SDGs×SEIKYO〉 “いつまで”被害が続くのか分からない――そこが核兵器の恐ろしさ
〈SDGs×SEIKYO〉 “いつまで”被害が続くのか分からない――そこが核兵器の恐ろしさ
2024年9月14日
- インタビュー ジャーナリスト 小山美砂さん
- インタビュー ジャーナリスト 小山美砂さん
核兵器の恐ろしさは、爆発時の被害だけにとどまりません。1945年8月の原爆投下後に降った「黒い雨」もその一つ。戦後、雨を浴びた多くの人が健康被害に苦しみながらも、「被爆者」として救済される制度は限られていました。ようやく救済対象が拡大したのは、2021年に「黒い雨」訴訟の判決が出て以降。その全容を記録した書籍『「黒い雨」訴訟』の著者であるジャーナリストの小山美砂さんに話を聞きました。(取材=玉川直美、宮本勇介)
核兵器の恐ろしさは、爆発時の被害だけにとどまりません。1945年8月の原爆投下後に降った「黒い雨」もその一つ。戦後、雨を浴びた多くの人が健康被害に苦しみながらも、「被爆者」として救済される制度は限られていました。ようやく救済対象が拡大したのは、2021年に「黒い雨」訴訟の判決が出て以降。その全容を記録した書籍『「黒い雨」訴訟』の著者であるジャーナリストの小山美砂さんに話を聞きました。(取材=玉川直美、宮本勇介)
<プロフィル>
こやま・みさ 1994年、大阪府生まれ。広島市在住。2017年、毎日新聞社に入社。広島支局に配属後、被爆者や原発関連訴訟のほか、2019年以降は原爆投下後に降った「黒い雨」に関する取材に注力。2022年7月、「黒い雨」による被ばく問題と、その訴訟の全容を記録した初のノンフィクション『「黒い雨」訴訟』(集英社新書)を刊行。同書で日本ジャーナリスト会議から第66回JCJ賞受賞。2023年からフリーに。広島を拠点に、核被害の取材を続ける。
<プロフィル>
こやま・みさ 1994年、大阪府生まれ。広島市在住。2017年、毎日新聞社に入社。広島支局に配属後、被爆者や原発関連訴訟のほか、2019年以降は原爆投下後に降った「黒い雨」に関する取材に注力。2022年7月、「黒い雨」による被ばく問題と、その訴訟の全容を記録した初のノンフィクション『「黒い雨」訴訟』(集英社新書)を刊行。同書で日本ジャーナリスト会議から第66回JCJ賞受賞。2023年からフリーに。広島を拠点に、核被害の取材を続ける。
今回のテーマは「平和と公正をすべての人に」
今回のテーマは「平和と公正をすべての人に」
●「黒い雨」訴訟とは?
●「黒い雨」訴訟とは?
――最初に、「黒い雨」訴訟について教えてください。
「黒い雨」とは、1945年8月、広島、長崎での原爆投下後に降った雨です。火災のすすなどによって雨は黒く汚れ、放射性物質を含んだ雨を浴びた多くの人たちが健康被害に苦しみました。「川が黒く染まり、死んだ魚がたくさん浮いていた」という証言もあります。
――最初に、「黒い雨」訴訟について教えてください。
「黒い雨」とは、1945年8月、広島、長崎での原爆投下後に降った雨です。火災のすすなどによって雨は黒く汚れ、放射性物質を含んだ雨を浴びた多くの人たちが健康被害に苦しみました。「川が黒く染まり、死んだ魚がたくさん浮いていた」という証言もあります。
被爆者の方が「黒い雨」を題材に描いた絵(作/高蔵信子 所蔵/広島平和記念資料館)
被爆者の方が「黒い雨」を題材に描いた絵(作/高蔵信子 所蔵/広島平和記念資料館)
しかし、黒い雨によって被害を受けた住民たちは、長く救済の「対象外」となりました。黒い雨の降雨地域が狭く限定され、その外にいた人たちは「被爆者」として認められなかったのです。当然、この“線引き”に対して住民たちは怒り、憤りました。援護対象の拡大を求める運動が続けられましたが、その声は長く退けられてきました。
2015年、広島で黒い雨を浴びた住民たち64人(最終的には84人)が、広島県と広島市を相手取った訴訟を起こします。実質的には、国に援護対象を拡大するように迫った訴訟――これが「黒い雨」訴訟です。結果、原告である住民84人全員が「被爆者」として認められる全面勝訴。その後、黒い雨被爆者への救済は拡大しました。
『「黒い雨」訴訟』の執筆を始めた当時、裁判の判決がどうなるか、正直分かりませんでした。でも、もし裁判で負けてしまったら、長く苦しんできた人たちの思いは形に残らなくなってしまう。“この事実を書き残さなければ”。そんな思いで、取材を重ねました。
しかし、黒い雨によって被害を受けた住民たちは、長く救済の「対象外」となりました。黒い雨の降雨地域が狭く限定され、その外にいた人たちは「被爆者」として認められなかったのです。当然、この“線引き”に対して住民たちは怒り、憤りました。援護対象の拡大を求める運動が続けられましたが、その声は長く退けられてきました。
2015年、広島で黒い雨を浴びた住民たち64人(最終的には84人)が、広島県と広島市を相手取った訴訟を起こします。実質的には、国に援護対象を拡大するように迫った訴訟――これが「黒い雨」訴訟です。結果、原告である住民84人全員が「被爆者」として認められる全面勝訴。その後、黒い雨被爆者への救済は拡大しました。
『「黒い雨」訴訟』の執筆を始めた当時、裁判の判決がどうなるか、正直分かりませんでした。でも、もし裁判で負けてしまったら、長く苦しんできた人たちの思いは形に残らなくなってしまう。“この事実を書き残さなければ”。そんな思いで、取材を重ねました。
小山さんの著書『「黒い雨」訴訟』(集英社新書)
小山さんの著書『「黒い雨」訴訟』(集英社新書)
●“認められないこと”の痛み
●“認められないこと”の痛み
――「黒い雨」被害の取材をするようになったきっかけは、何だったのでしょうか?
大学卒業後、新聞記者として、広島で多くの被爆者の方を取材するようになりました。でも、「黒い雨」被害のことを、はじめはよく分かっていませんでした。私自身、爆心地近くの被爆と比べて、どこか軽視してしまっていたのかもしれません。また、制度や背景などが複雑で、何となく遠ざけてしまっていた面もありました。
そんな中、黒い雨被爆者との出会いがありました。ある人がこう語っていたんです。「黒い雨の問題ってね、貧乏との闘いでもある。病気で十分働けなくって、お金が残るはずがない。国が勝手に戦争をして、病気だらけの人生を放っておいた」。また、ある人は「どれだけ訴えても、原爆のせいだって認められないなら、もう、はよ死んだ方がいい」と。
その言葉にハッとしました。原爆投下から70年以上がたってもなお、身体も、心も、暮らしも壊され、苦しんでいる。「被爆者」とさえ認められず、援助も受けられない。「核兵器っていうのは、人をこんな状況に陥らせてしまうのか……」。そう痛感しました。
――「黒い雨」被害の取材をするようになったきっかけは、何だったのでしょうか?
大学卒業後、新聞記者として、広島で多くの被爆者の方を取材するようになりました。でも、「黒い雨」被害のことを、はじめはよく分かっていませんでした。私自身、爆心地近くの被爆と比べて、どこか軽視してしまっていたのかもしれません。また、制度や背景などが複雑で、何となく遠ざけてしまっていた面もありました。
そんな中、黒い雨被爆者との出会いがありました。ある人がこう語っていたんです。「黒い雨の問題ってね、貧乏との闘いでもある。病気で十分働けなくって、お金が残るはずがない。国が勝手に戦争をして、病気だらけの人生を放っておいた」。また、ある人は「どれだけ訴えても、原爆のせいだって認められないなら、もう、はよ死んだ方がいい」と。
その言葉にハッとしました。原爆投下から70年以上がたってもなお、身体も、心も、暮らしも壊され、苦しんでいる。「被爆者」とさえ認められず、援助も受けられない。「核兵器っていうのは、人をこんな状況に陥らせてしまうのか……」。そう痛感しました。
どこまでが原爆の“被害者”になるのかが分かりづらいのが、核兵器による被害の難しさであり、恐ろしさです。被爆者として“認められないこと”自体が痛みを生んでいる。
また、長崎にも、同じように苦しんでいる人たちがいます。長崎では、爆心地から半径12キロ圏内で原爆に遭いながらも、国が定めた地域の外にいた人たちは「被爆体験者」とされ、被爆者と同じような支援を受けられずにいます。今月の9月9日、その一部の人たちを「被爆者」として認める地裁判決が出ました。
しかし、「黒い雨」を浴びた人たちや、「被爆体験者」の人たちには、原爆投下からまもなく80年がたとうとする今でも「被害が証明できないなら、被爆者として認められない」ということが起きています。でも、それでいいのか。「疑わしきは切り捨て」ではなく、「疑わしきは救済」される世の中であってほしい。
実は私自身、高校時代、学校に行けなくなってしまった時期がありました。また、新聞記者時代には、心の不調で休職も経験しました。“社会から置き去りにされてしまっているような感覚”を経験したからこそ、この問題を放っておけなかったのかもしれません。
何よりも、救済されていない被害者がいる限り、被害が過小評価され、問題の深刻さから目をそらすことになってしまう。だから私は、爆心地から離れた場所で、「黒い雨」によって被害を受けた人たちの事実を記録することで、核兵器の脅威を伝えられるのではないかと思っています。
どこまでが原爆の“被害者”になるのかが分かりづらいのが、核兵器による被害の難しさであり、恐ろしさです。被爆者として“認められないこと”自体が痛みを生んでいる。
また、長崎にも、同じように苦しんでいる人たちがいます。長崎では、爆心地から半径12キロ圏内で原爆に遭いながらも、国が定めた地域の外にいた人たちは「被爆体験者」とされ、被爆者と同じような支援を受けられずにいます。今月の9月9日、その一部の人たちを「被爆者」として認める地裁判決が出ました。
しかし、「黒い雨」を浴びた人たちや、「被爆体験者」の人たちには、原爆投下からまもなく80年がたとうとする今でも「被害が証明できないなら、被爆者として認められない」ということが起きています。でも、それでいいのか。「疑わしきは切り捨て」ではなく、「疑わしきは救済」される世の中であってほしい。
実は私自身、高校時代、学校に行けなくなってしまった時期がありました。また、新聞記者時代には、心の不調で休職も経験しました。“社会から置き去りにされてしまっているような感覚”を経験したからこそ、この問題を放っておけなかったのかもしれません。
何よりも、救済されていない被害者がいる限り、被害が過小評価され、問題の深刻さから目をそらすことになってしまう。だから私は、爆心地から離れた場所で、「黒い雨」によって被害を受けた人たちの事実を記録することで、核兵器の脅威を伝えられるのではないかと思っています。
●グローバル・ヒバクシャの取材にも
●グローバル・ヒバクシャの取材にも
――フリーになってからも、広島を拠点に核被害の問題に取り組まれています。今、力を入れておられることは何でしょうか?
グローバル・ヒバクシャの取材ですね。核実験や、核兵器の製造の過程などで被ばくし、苦しんでいる人は、国外にも多くいます。
9月1日から11日にかけて、カザフスタン共和国へ取材に行きました。カザフスタンにはかつて、旧ソ連の「セミパラチンスク核実験場」という世界最大規模の実験場がありました。450回以上に及ぶ核実験が繰り返され、多くの人が被ばくし、今も健康被害に苦しんでいます。「すべての核被害者を救済するために何が必要なのか」を探ることが、今回の取材の目的の一つでもありました。
――フリーになってからも、広島を拠点に核被害の問題に取り組まれています。今、力を入れておられることは何でしょうか?
グローバル・ヒバクシャの取材ですね。核実験や、核兵器の製造の過程などで被ばくし、苦しんでいる人は、国外にも多くいます。
9月1日から11日にかけて、カザフスタン共和国へ取材に行きました。カザフスタンにはかつて、旧ソ連の「セミパラチンスク核実験場」という世界最大規模の実験場がありました。450回以上に及ぶ核実験が繰り返され、多くの人が被ばくし、今も健康被害に苦しんでいます。「すべての核被害者を救済するために何が必要なのか」を探ることが、今回の取材の目的の一つでもありました。
セミパラチンスク核実験場跡。1949年から89年までの間に、450回以上の核実験が行われた
セミパラチンスク核実験場跡。1949年から89年までの間に、450回以上の核実験が行われた
一方、カザフスタンは国際社会で核廃絶の議論をリードする国の一つです。来年3月に行われる核兵器禁止条約の第3回締約国会議では議長国を務めます。同条約には「核兵器による被害者の援助と環境修復」、そのための「国際協力・援助」の項目があり、この分野なら、日本も貢献ができるのではないかとの声があります。
カザフスタンでの取材は、核政策を知りたい広島若者有権者の会(カクワカ広島)と、ヒロシマ・セミパラチンスク・プロジェクトと共同して立ち上げた「核禁条約をすすめるヒロシマ・カザフスタン実行委員会」の取り組みの一環です。核兵器禁止条約への関心をさらに高めていけるよう、10月以降には全国キャラバンを実施する予定です。
実は、今回の取材の準備を進める中、カザフスタンと連携しながら核兵器廃絶への運動を進めている日本の市民団体として、SGI(創価学会インタナショナル)の取り組みも伺いました。ドキュメンタリー映画「私は生き抜く~語られざるセミパラチンスク~」の制作の協力もされていますね。「原水爆禁止宣言」のこともお聞きしましたが、そうした原点を大切にされながら、現在もさまざまな団体と協働し、核兵器廃絶に取り組まれていることは、本当に素晴らしいことだと思います。
一方、カザフスタンは国際社会で核廃絶の議論をリードする国の一つです。来年3月に行われる核兵器禁止条約の第3回締約国会議では議長国を務めます。同条約には「核兵器による被害者の援助と環境修復」、そのための「国際協力・援助」の項目があり、この分野なら、日本も貢献ができるのではないかとの声があります。
カザフスタンでの取材は、核政策を知りたい広島若者有権者の会(カクワカ広島)と、ヒロシマ・セミパラチンスク・プロジェクトと共同して立ち上げた「核禁条約をすすめるヒロシマ・カザフスタン実行委員会」の取り組みの一環です。核兵器禁止条約への関心をさらに高めていけるよう、10月以降には全国キャラバンを実施する予定です。
実は、今回の取材の準備を進める中、カザフスタンと連携しながら核兵器廃絶への運動を進めている日本の市民団体として、SGI(創価学会インタナショナル)の取り組みも伺いました。ドキュメンタリー映画「私は生き抜く~語られざるセミパラチンスク~」の制作の協力もされていますね。「原水爆禁止宣言」のこともお聞きしましたが、そうした原点を大切にされながら、現在もさまざまな団体と協働し、核兵器廃絶に取り組まれていることは、本当に素晴らしいことだと思います。
●核兵器の問題は、SDGsど真ん中
●核兵器の問題は、SDGsど真ん中
――SDGsには「誰も置き去りにしない」という基本理念があります。核兵器の問題とSDGsとの関連について、どうお考えですか?
核兵器の問題って、SDGsのど真ん中だと思うんです。今回のテーマは16「平和と公正をすべての人に」ですが、これ以外にも密接にかかわっている目標があります。そもそも、もしも核兵器がひとたび使用されてしまえば、3「すべての人に健康と福祉を」や、11「住み続けられるまちづくりを」、14「海の豊かさを守ろう」、15「陸の豊かさも守ろう」などの目標も、すべて達成が困難になってしまいます。
また、核抑止の考えがある限り、16「平和と公正をすべての人に」は達成できないのではないかと思います。核抑止の考えって、自国や同盟国が核兵器を持つことで、自国の安全を守るという発想ですよね。それって誰かを傷つける、被爆させるかもしれないということが前提になっているように思うんです。実際に、核兵器を維持するために多くのグローバル・ヒバクシャが生み出されていることは、先にお話した通りです。そうして守られている平和って、本当の平和なのか。そういった議論が、SDGsの達成にも、平和の実現のためにも必要だと思います。
――SDGsには「誰も置き去りにしない」という基本理念があります。核兵器の問題とSDGsとの関連について、どうお考えですか?
核兵器の問題って、SDGsのど真ん中だと思うんです。今回のテーマは16「平和と公正をすべての人に」ですが、これ以外にも密接にかかわっている目標があります。そもそも、もしも核兵器がひとたび使用されてしまえば、3「すべての人に健康と福祉を」や、11「住み続けられるまちづくりを」、14「海の豊かさを守ろう」、15「陸の豊かさも守ろう」などの目標も、すべて達成が困難になってしまいます。
また、核抑止の考えがある限り、16「平和と公正をすべての人に」は達成できないのではないかと思います。核抑止の考えって、自国や同盟国が核兵器を持つことで、自国の安全を守るという発想ですよね。それって誰かを傷つける、被爆させるかもしれないということが前提になっているように思うんです。実際に、核兵器を維持するために多くのグローバル・ヒバクシャが生み出されていることは、先にお話した通りです。そうして守られている平和って、本当の平和なのか。そういった議論が、SDGsの達成にも、平和の実現のためにも必要だと思います。
――核兵器の問題を身近な課題として捉えるには、どうしたら良いでしょうか?
「現在も続いている問題だ」と認識することが大事なのではないでしょうか。それは、「核兵器が今、約1万2000発存在している」ということだけではなく、実際に今も、「核兵器による被害で苦しんでいる人たちがいる」ということです。被害が認識されないかぎり、“ヒバクシャの体験”として「伝承する」段階にも入らない。
だからこそ、まずは「知ること」自体が大きな一歩ですし、始められることなのではないでしょうか。また、そうして学んだことを「忘れないこと」。まずは、さまざまな情報を発信している人のSNSをフォローしてみて、時にはそれをシェアしてみる。それだけでも、立派なアクションだと思います。
――核兵器の問題を身近な課題として捉えるには、どうしたら良いでしょうか?
「現在も続いている問題だ」と認識することが大事なのではないでしょうか。それは、「核兵器が今、約1万2000発存在している」ということだけではなく、実際に今も、「核兵器による被害で苦しんでいる人たちがいる」ということです。被害が認識されないかぎり、“ヒバクシャの体験”として「伝承する」段階にも入らない。
だからこそ、まずは「知ること」自体が大きな一歩ですし、始められることなのではないでしょうか。また、そうして学んだことを「忘れないこと」。まずは、さまざまな情報を発信している人のSNSをフォローしてみて、時にはそれをシェアしてみる。それだけでも、立派なアクションだと思います。
●最後までお読みいただき、ありがとうございます。ぜひ、ご感想をお寄せください→sdgs@seikyo-np.jp
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☆小山さんが紹介されていた「カザフスタン取材」のクラウドファンディングや、全国キャラバンの各地での開催パートナー募集は、こちらからご覧いただけます
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