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〈20代のリアル ボクらのイマ。信仰体験〉 被爆4世の僕 平和を築く教育者に 2023年8月13日

  • 青臭いかもしれんけど、対話の力を信じとるから

  
 〈上山翼さん(22)=広島市佐伯区、学生部部長=が初めて曽祖母・中田千代恵さん(94)=女性部員=の被爆体験を聞いたのは、小学3年生の時だった〉
  
  
 広島で生まれ育った僕は、保育園の頃から平和について学んできました。毎年8月6日には、被爆体験を聞いて。だから“戦争はしたらいかん”って思ってはきた。でもそこに実感が伴ったのは、小学3年生の時。授業の一環で、家族に被爆者がいる人はインタビューをすることになりました。
 市内に住むひいばあちゃんが被爆者だってことは知っとったので、軽い気持ちで電話してみたんです。
 
 「言いたくないんじゃ……」
 
 予想もしていなかった反応。苦しみも想像せずに聞いてしまったことを後悔しました。ひいばあちゃんは、何度もためらいながら、絞り出すように話してくれました。
  
  
 ――1945年(昭和20年)8月6日。当時、16歳の中田さんは学校に向かうため、電車に乗っていた。8時15分。ピカッと光った。見たことのない鮮やかな光だった。次の瞬間、すさまじい爆発音と共に、窓ガラスがはじけ飛んだ。
 爆心地から1・7キロ地点。目を開けると、そこはもう別世界だった。中田さんに大きなけがはなかったが、これまでの爆撃と違うことはすぐに分かった。
 家族の元へ走った。爆心地からほど近い十日市町への道筋。残っている建物はほとんどない。皮膚が焼けただれた人とすれ違い、川の中から助けを求めるうめき声が聞こえた。
 地獄のような光景を抜け、やっとたどり着いた家は、瓦礫の山と化していた。3歳の弟と5歳の妹を覆いかぶさるようにして守った母は、家の下敷きになり、10日後に亡くなった。一瞬のうちに失われた日常。戦後の混乱期は、中田さんが母親代わりとなり、弟たちを育てた。
  

  
 僕は、電話口で固まってしまいました。話の内容もそうですけど、ひいばあちゃんの声に驚いてしまって。一言、一言、震えとったんです。
 それまでも被爆体験を聞く機会はありましたが、どこか遠い世界の話のように思っていた僕は、衝撃を受けました。
 いつもにっこり笑顔のひいばあちゃんが、涙で声を詰まらせて「戦争はしちゃいかん」と。怒っているようにも聞こえた。たとえ何十年過ぎようとも、苦しみは続く。原爆の恐ろしさを知りました。
  
  
 〈学生部の活動を通して、平和への思いが強くなっていく〉
  
  
 うちの家族は、みんな信心に熱心です。僕は少し反抗してた。座談会に連れられて行っても、後ろの方で“なんでおらんといけんの”ってむすっとしてて。
 転機は高校卒業後、創価大学の通信教育部に入学してからです。自宅に届く教材を一人で進めるしかない。通学する友達とは全然違う状況に、不安が募りました。
 そんな時、学生部の先輩がやって来ました。しかも週に何回も。“そんな来る?(笑)”って思ったけど、話を聞いてくれてうれしかった。
  

にぎやかな上山家(後列左端から時計回りに母・美知子さん、翼さん、姉・菜摘さん、父・健さん、祖母・貴子さん、祖父・道夫さん)
にぎやかな上山家(後列左端から時計回りに母・美知子さん、翼さん、姉・菜摘さん、父・健さん、祖母・貴子さん、祖父・道夫さん)

  
 徐々に学会活動をするようになって、1年生の夏には「平和意識調査」のアンケートにも挑戦。「すごいことしとるね」って言ってくれる友達もいたけど、一歩引いた反応も多かった。
  
 「平和は大事やと思うけど、今のわしらに何の関係があるん?」
 「話したからとて何も変わらんくない?」
  
 僕は被爆4世ですが、感覚としてはよく分かります。でも、アンケートを進めていくうち、気付いたんです。平和を求める心は誰もが一緒なんじゃって。
 しかも、池田先生が何度も何度も訴えてこられたことが、「核兵器禁止条約」の発効をはじめ、現実のものになってきとる。青臭い理想かもしれんけど、粘り強い対話こそが世界を変えていくんだって思えるんです。
  
  
 〈1945年秋ごろから約6年もの間、GHQの規制や、マスコミの自主規制により、原爆の被害を伝える報道がされなかった史実がある。沈黙を破るきっかけとなったのは、学生の声と行動だった〉
  
  
 学生だからできることってあると思ってます。良いことは良い、悪いことは悪い。利害とかにとらわれず正しいことをしていきたい。
  
 平和を考える時に、いつも思い起こすのは、戸田先生の「原水爆禁止宣言」。核廃絶を訴えられた上で、「その奥に隠されているところの爪をもぎ取りたい」と叫ばれた。核兵器を許す生命の魔性、それは“自分さえ良ければ良い”って心だと思ってます。僕にもそういう心があるし、誰しも自分が一番かわいいのも当然だと思う。
  
 自分中心の生き方にならんように、つなぎ止めてくれるのが、僕にとっての学会活動なんです。部員の中には、自宅から車で2時間近くかかる人もいます。“今日は遊びに行きたいな”っていう心に打ち勝って、部員の元に向かう道中で思うんです。僕の家に来てくれた先輩も、同じやったんやろうなって。
 家族や先輩、いろんな人のおかげで、今の自分がおる。そう気付けたことが功徳だし、僕の中にある自分中心の生命を斬る一歩目じゃと思うんです。
  

学生部の友と
学生部の友と

  
 〈上山さんは教員を目指している〉
  
  
 僕は大学1年生の時から、学習サポーターとして小学校で働いています。そこで知ったのは、教員であっても平和学習の進め方に不安を感じている人がいること。“大切だとは思うけど、当事者じゃないから伝えることが難しい”って。
 原爆の怖さを、日常と地続きで感じられた僕だからこそ、伝えられることがあるんじゃないかって思うんです。
 平和は遠い話と思われがちですが、必ず届くと思っとる。これも青臭いですかね(笑)。せっかく、ひいばあちゃんが託してくれた思い、僕は自分の言葉で語り継いでいきたいです。
  

昨年は家族全員で旅行に(左から上山翼さん、曽祖母・中田千代恵さん、いとこの西本拡人ちゃん。本人提供)
昨年は家族全員で旅行に(左から上山翼さん、曽祖母・中田千代恵さん、いとこの西本拡人ちゃん。本人提供)

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