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不撓不屈の誓い貫く人材の牙城 大東北 2026年3月9日

青年と共に栄光の未来開く総会 
“福光”15年の意義を込め、原田会長の導師で勤行・唱題。全犠牲者の冥福と被災地のさらなる復興を祈念した(東北文化会館で)

 「福光」とは何か――かつて池田大作先生は記した。
 「何ものにも負けない『人間革命』の光」「いかなる風雪も共に越えゆく『異体同心』の光」「愛する郷土を断じて勝ち栄えさせゆく『立正安国』の光」
 この師の言葉を体現し、逆境に負けず、みちのくの大地を希望の光で照らし抜いて、大東北の友は総会に集った。その輝きは不滅の光源となる。
 1951年5月、第2代会長・戸田城聖先生のもと、全国初の地方支部として仙台支部が発足した。
 その2カ月後の7月、23歳の池田先生が東北を初訪問。座談会で、自身の病気克服の体験を生き生きと語ると、その確信に触れて、多くの新来者が入会を決意した。
 広布の闘争に必ず勝利して、恩師の期待に応えんとする弟子の情熱――初訪問の際に示された師弟誓願の魂が起点となり、東北広布開拓の本格的な流れが始まった。
 以来、75星霜。池田先生は東北の地を51回訪れ、困難の峰に強き団結で立ち向かう同志を慈愛で包み続けた。
 師の渾身の指揮で歌を歌った福島の幹部会(69年10月)。
 岩手で行われた3600人の友との忘れ得ぬ記念撮影会(72年7月)。
 先生が作詞・作曲した東北の歌「青葉の誓い」が紹介された山形での「置賜ふるさと祭典」(78年8月)。
 “10年後に会おう”と励ました下北半島の青年たちと青森で再会を果たした師弟の劇(79年1月)。
 宗門僧の迫害に耐え抜いた秋田の友と勝利の雄たけびをあげた雪の秋田指導(82年1月)。
 完成間もない宮城の東北池田記念墓地公園の訪問と、陰で広布に徹する同志への真心の激励(90年8月)。
 風雪に耐えながら、正義の旗を高く掲げ、広布の闘争に走り抜いた“人材の牙城・東北”の弟子の胸中には、宿命の嵐に翻弄されない不動の境涯が築かれていった。
 ◇ 
 15年前の2011年3月11日、東日本大震災が東北を襲った。折しも東北広布60年の年だった。
 家族や親族を失った友も、住む場所を離れざるを得ない友も数多くいた。
 池田先生はメッセージを寄せた。
 「『心の財』だけは絶対に壊されません。いかなる苦難も、永遠に幸福になるための試練であります」「断じて負けるな! 勇気を持て! 希望を持て!」
 東北の同志の心にひとすじの、だが確かな光がともった。
 先生の言葉を抱きしめ、“負げでたまっか”と前を向いた。励まし合い、地域の復興に挑んだ。重ねてきた“福光の歩み”は本年で15年。その歩みで、世界の同志に勇気と希望の光を送った。
 福島・双葉郡の太平洋沿岸部は「3・11」で、津波による大きな被害を受けた。加えて、福島第1原発事故の影響で、同郡の多くの住民が避難を強いられた。
 同郡が広布の舞台である新世紀圏で長年、圏長を務める清水三郎さん。震災の翌年、避難する同志で結成された「うつくしまフェニックスグループ」で幹事を担った。これまで、北海道から沖縄まで友の元へ激励に足を運び続けてきた。「双葉の同志は、とにかく仲がいい。みんなに会いたい。この思いが全てでした」
 同圏の黒田照子さん(女性部本部長兼支部女性部長)は、2年前まで広野町で旅館業を営んできた。震災直後は県外に避難していたが、得意先から「仕出し弁当を作ってほしい」と依頼を受けた。“少しでもお役に立てるなら”と、夫・政徳さん(故人)と共に震災の翌月から仕事を再開。復興に従事する人々に安らぎを届けようと奮闘してきた。「若い人たちが活躍できる広野をつくりたい」と後継の世代の育成に走る。

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