• ルビ
  • シェア
  • メール
  • CLOSE

〈栄光の共戦譜〉第18回 1977年(昭和52年)「教学の年」 2023年7月21日

学会は社会を照らす“黄金の灯台”

 池田先生の第3代会長就任60周年を記念して発刊された年譜『栄光の共戦譜』には、黄金の“師弟の足跡”がとどめられている。本連載では、年譜を1年ごとに追いながら、現在の広布の活動に通じる“学会の原点”を確認していく。第18回は、「教学の年」と銘打たれた1977年(昭和52年)を掲載する。

「1・6」第1回創価班総会
東京・八王子市の牧口記念庭園にある「創価班の碑」を訪れ、全メンバーの成長と無事故を祈念する(1996年5月)
東京・八王子市の牧口記念庭園にある「創価班の碑」を訪れ、全メンバーの成長と無事故を祈念する(1996年5月)

 創価班の前身である「輸送班」の歴史は、学会が登山会を開始した1952年(昭和27年)10月に始まる。その後、輸送班は発展・拡充していく。
 76年(同51年)11月2日、池田先生は「一にも、二にも、十にも、ともかく学会を守っていくんだ」と、創価の名前をそのまま冠した「創価班」と名付けた。
 記念すべき第1回の創価班総会の日程は、先生の提案により、翌77年(同52年)1月6日と決まった。
 「『創価班』の本格的な出発となる総会を開こうよ」「日にちは、年明けの1月6日――この日しかない。私も出席します」
 この日は、51年(同26年)、23歳の若き池田先生が、事業の苦境にあった戸田先生から、公私にわたる一切の後事を託された日だった。
 「私に、もし万一のことがあったら、学会のことも、事業のことも、一切、君に任せるから、全部、引き受けてくれないか」――そう語る恩師に、池田先生は答えた。「私の一生は、先生に捧げて悔いのない覚悟だけは、とうにできております」
 池田先生は、創価の師匠に連なって、学会の全責任を担い、先頭に立って広布を開いていくことを期待し、1月6日に総会を行うことを呼びかけたのである。
 迎えた第1回の創価班総会の席上、先生は、創価学会は混沌とする社会を照らす、“黄金の灯台”であり、創価班は、いわば“創価灯”であると、その使命を強調した。その後、「1・6」は、「創価班 師弟誓願の日」として定められ、不滅の原点の日となっている。
 師弟直結の創価班のネットワークは、世界へと広がり、メンバーは青年部の中核として活躍。“創価灯”が各地で光明を放つ時代を迎えている。

「2・6」東京教育部勤行集会
「教育本部原点の日」の淵源となる教育部の夏季講習会で先生は、「私の人生における最終の事業は教育」との信念を語った(1975年8月12日、創価大学で)
「教育本部原点の日」の淵源となる教育部の夏季講習会で先生は、「私の人生における最終の事業は教育」との信念を語った(1975年8月12日、創価大学で)

 創価学会は、1930年(昭和5年)11月18日に創価教育学会として産声を上げた。初代会長・牧口先生、第2代会長・戸田先生はともに教育者であり、教育部は、創価学会の源流を継承する部だ。
 牧口先生は、「教育の改造における根底は教師」と記している。池田先生も、教育に携わる教育部員は、「一騎当千の勇者であり、社会を変革する大きな使命をもっている」と考えていた。それだけに、教育部への激励に全力を注いだ。
 「教育・家庭の年」と銘打たれた75年(同50年)の8月12日、先生は教育部夏季講習会に出席し、講演を行った。
 「“よく聞くこと”とは、学生のなかにあるものを引き出していくという意味でもあります。つまり、言葉による表現から、その奥にある精神の心音を、よく聞いていくということです。今ほど、それが、教育界に必要な時はない」
 この日は、後に「教育本部原点の日」として刻まれた。
 77年(同52年)2月6日、先生は東京教育部の勤行集会で訴えている。「決してあきらめずに、命の限り突き進む執念――それこそが、成功の母であり、勝利の原動力となっていきます」
 教育部の友は、先生の激励を胸に、教育現場で粘り強く子どもに寄り添ってきた。「教育実践記録運動」や、伝統の「人間教育実践報告大会」など、友の努力の結晶が社会の大きな力となっている。
 2002年(平成14年)3月31日、教育部は現在の教育本部へと発展し、「学校教育」「幼児・家庭教育」「社会教育」の分野を担う3部体制で出発。
 特に近年、教育本部は「家庭教育懇談会」に力を入れ、昨年はオンラインも活用して全国2486カ所で開催。1万8553人が参加した。

「10・2」戸田墓園の開園式
池田先生が恩師・戸田先生の故郷である厚田の風景をカメラに収めた。有縁の天地の発展を願いながら(1982年6月)
池田先生が恩師・戸田先生の故郷である厚田の風景をカメラに収めた。有縁の天地の発展を願いながら(1982年6月)

 1977年(昭和52年)9月30日、池田先生は北海道・厚田を訪問した。創価学会初の墓園である戸田記念墓地公園(当時は戸田記念墓苑)の完成を記念する諸行事が予定されていた。
 かつて戸田先生は、「この末法の現実の世界で、波瀾万丈の戦いをしきって一生を生き、あとは、わが同志と一緒に、どこかで静かに眠りに就きたいものだな」と語った。池田先生は、戸田先生の故郷に、その名を冠する墓園を建設し、恩師の願いを実現させたのである。
 10月1日に行われた記念の勤行会で、先生は墓地公園の意義に言及した。
 「永遠の広布旅、師弟旅の象徴ともいうべきものが、この墓地公園であります」「創価学会の基盤も、これで完璧に出来上がったと言っても過言ではありません!」
 さらに、翌2日の開園式では、北海道の同志に呼びかけた。「地域を大切にし、学会員であるなしにかかわらず、厚田の人びとを守り、友情と信頼の強い生命の絆を結んでいってください」
 墓園のある厚田をはじめ、北海道の同志は、この言葉の通り、地域に信頼の輪を広げた。その後、同園は、約8000本の桜が咲く、道内屈指の桜の名所として、多くの人々に親しまれている。
 現在、学会の墓園・納骨堂は全国20カ所に広がる。そこには、三つの基本理念が設けられている。
 第一に、永遠の生命観に立脚し、質の高い維持、管理を行う「恒久性」。第二に、皆が仏性を具えているという平等観に立ち、墓の大小を競うような風潮を排した「平等性」。第三に、妙法の生死不二を象徴する、親しみやすい「明るさ」。
 学会の墓園は、三世永遠の福徳の宮殿として、それぞれの地域で輝いている。

◆年表◆
1977年

 〈1月6日〉
 第1回創価班総会(東京)
  
 〈1月14日〉
 関西指導(~23日。大阪、和歌山)
 第9回教学部大会の記念講演で仏教史観を語る(15日、大阪)
 ※次第に宗門僧による学会攻撃が始まる(第1次宗門事件)
  
 〈2月2日〉
 第1回社会部勤行集会
 生活・職場・社会を大切に「信心即生活」「信心即社会」の賢明な日々を送るよう語る(東京)
  
 〈2月6日〉
 第1回東京教育部勤行集会(東京)
  
 〈2月17日〉
 第1回農村・団地部勤行集会
 妙法の下種に励みゆく地域の灯台・農村部たれ、団地という“船舶”の船長、機関長となって住民を大きく包容しゆく模範の団地部たれ、と指針を示す(東京)
  
 〈3月11日〉
 福島・栃木指導(~14日)
 福島文化会館開館記念勤行会(11日)
  
 〈3月19日〉
 第1回創価学会先祖代々追善供養春季彼岸法要勤行会(東京)
  
 〈5月10日〉
 関西指導(~14日。京都、滋賀)
 滋賀文化会館開館記念勤行会(11日)
  
 〈5月17日〉
 九州・山口指導(~29日。福岡、山口、佐賀、熊本)
 創価九州平和会館開館記念勤行会(17日、福岡)
 山口文化会館開館記念勤行会(20日)
 北九州市の個人会館を訪問(24日)
 佐賀文化会館開館記念勤行会(26日)
 熊本文化会館開館記念勤行会(28日)
  
 〈9月29日〉
 北海道指導(~10月9日)
厚田戸田講堂開館記念勤行会(10月1日)
 戸田記念墓苑の開苑式
 「“法華経は冬の信心である。冬は必ず春となるのだ”と確信し実践する中に人生を豊かにする根本方軌がある」と語り、墓苑が位置する厚田を同志の“心の故郷”“生死不二の永遠の都”としていこうと提案する(2日)
  
 〈11月3日〉
 第1回鼓笛隊総会(創価大学)
  
 〈12月2日〉
 宮崎指導(~4日)
  
 〈12月10日〉
 北海道・厚田村から「栄誉村民」の称号が贈られる(代理 厚田村)
  
 〈12月23日〉
 立川文化会館開館記念勤行会
 「人生の真実の勝利は、広宣流布の信心を貫く以外にない。そのために、生きた信心の団体である創価学会員として、誇り高く生き抜いていただきたい」と語る(東京)

動画

SDGs✕SEIKYO

SDGs✕SEIKYO

連載まとめ

連載まとめ

Seikyo Gift

Seikyo Gift

聖教ブックストア

聖教ブックストア

デジタル特集

DIGITAL FEATURE ARTICLES デジタル特集

YOUTH

認定NPO法人フローレンス会長。2004年にNPO法人フローレンスを設立し、社会課題解決のため、病児保育、保育園、障害児保育、こども宅食、赤ちゃん縁組など数々の福祉・支援事業を運営。厚生労働省「イクメンプロジェクト」推進委員会座長

劇画

劇画
  • HUMAN REVOLUTION 人間革命検索
  • CLIP クリップ
  • VOICE SERVICE 音声
  • HOW TO USE 聖教電子版の使い方
PAGE TOP